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Le pomme du Eden  作者: 神谷 楓
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Prologue2 ー7月20日 14時38分ー


少女は階段を1段飛ばしで駆け上がり、屋上を目指す。

息は切れ切れになり視界はクラクラと揺らぎ出すが、走る速度は一切緩める事は許されない。

斬りつけられた右腕からは血が流れ、それはヘンゼルが帰り道を見失わないように落としたパンくずの様に点々と床を汚し、彼女の道順を示していた。

乳酸で一杯になった左足が段に引っかかり、少女は前へつんのめる。

慌てて手すりに縋りつき何とか転ばずに済むと、再び上を目指して脚を動かし始めた。

踊り場で7という数字が目に入る。

このビルは8階建てだ、あともう少し。

その気持ちが脚力に変換され、少女は一層の力強さで階段を駆けた。

赤錆で所々汚された鉄のドアに体当たりするように押し開ける。

途端に全身を押し返すように吹き込む風、そして目に滲みる程の青い空―――


身体を抜けていく突風は少女の長い黒髪を靡かせる。

一杯に開いた赤目は、青い空に侵されて紫に染まる。

一瞬、少女は全てを忘れて立ち止まってしまった。

(…なんて綺麗な空なんだろう。)

美しい夏の空に、感傷のような、哀愁のような感情を引き起こされた。

目頭に溜まる涙は、風のせいで目が渇いたからだ。

少女は一人、誰も指摘していない事柄に対し、心の中で言い訳をする。

不意に、もう一度大きな突風が少女の身体を屋上に入れんとばかりに吹き荒れる。

それが自身の内に落ち込んだ彼女の意識を現実へと引き戻した。

少女はハッとし、突風を裂いて屋上へ躍り出た。

開け放たれたドアを慌てて引いて閉じ、鍵をかける。

ガチャリと重たい音を聞き、少女は再び駆け出す。

ビルの縁へ片足をかける。

そこから身を乗り出して下へと目を向けると、足が一気に竦み上がり、腰から下の力が一気に抜け落ちた。

コンクリートの屋上へぺたりと座り込み、それでもなお底を見続ける。

地上0メートル、1階に当たる通常の道路を歩く人々が米粒のように見える。

人がゴミのようだ、と叫ぶほどではないが、少女は震える声でそう呟く。

それは自分の萎縮した心と身体を解す為、だから無理矢理に笑顔も作った。

ビルの縁に置いたままの手がブルブルと震えていて、額からは暑さのせいだけではない汗が滝のように流れている。

笑う膝に力を込めて立ち上がろうとすると、突然の金属音。

夏空に似合わないそれは、高く響いて、それからすぐにギィと錆び付いた音が鳴る。

少女は油の切れた人形のように振り向く。

何の障害もなかったかの様に屋上へ躍り出たのは、一人の男。

耳に掛かる程のショートの黒髪に、真っ黒なスーツの長身痩躯。

夏場も真っ盛りというのにきっちりと首元まで閉めたネクタイまで黒色で、まるで喪服だ。

つま先から頭のてっぺんまで黒一色の男が、ゆっくりと屋上を見回し、そして少女を視点にぴたりと止まる。

狼の様なアンバーの瞳が彼女をまっすぐに捉え、無感情に細められる。

そして長い脚が一歩一歩と歩みを始め、少女との距離を着実に縮める。

少女は慌てて立ち上がり、左右に首を振り逃げ道を探した。

(…どうしよう、どうしよう!あの人を避けて入口に向かうなんて出来っこ無い。)

カッと降り注いだ日光が目を焼いて、そして彼女へ道を示すかのように煌めいた。

少女はもう一度ビルの底を見下ろす。

(8階から落ちたら死んじゃうかなぁ……どっちにしろ、捕まったら死んじゃうんだろうし。もう、自棄だ!)

数歩助走を付け、突然の加速度を作る。

足裏に力を込めて飛翔、目標は向かいのビルの屋上―――

ライト兄弟は空を飛んだが、今、彼女もまさしく空を飛んでいた。

ちらりと見えた地底の人間と目があった。

(あ、夏空みたいなスカイブルー。)

それに目を奪われた少女は翼を失う、彼女は地の底から伸びる手の様な重力に引っ張られ、身体は転落する。

身体が空気を切って落下していく感覚は恐ろしい。

あと数秒後に自分が死ぬという決定を、スローモーションで味あわせられた。

死ぬ前にせめて空を拝もうと思い、固く閉じていた目蓋を開く。

高いところで広大に広がる空よりも、こちらを見下ろす二つのアイビーが、彼女の心に焼き付いた。


その一秒後、彼女は無残にコンクリートで爆ぜる。

これは決定事項であった。

瞬きの間に1秒は過ぎ、彼女は地面へと叩きつけられた―――





――――そのはずであった。

ゴウと低い音が耳朶を打ち、そして少女の身体を押し上げる。

局所的な小さなトルネードが、地面に叩きつけられるはずの少女の運命を変えたのだ。

少女の身体は地面に着く直前、ふわりと浮き上がり、1メートル程持ち上がると霧散し、彼女の身体を地面へと落とした。

ドシャリと尻をコンクリートへ打ち付け、情けない悲鳴が上がる。

思わず痛みに唸る。

(…うん?痛い?)

「っ…な、何で、私、生きてる…?」

手を目の前で握り、呆然と眺める。

尻はジンジンと痛み、それが生を主張する。

(生きてる、生きてるんだ私…!)

それを実感し、享受していると、不意にトスンと着地音が聞こえた。

顔を持ち上げる。

地の底に降り立った悪魔…もとい、屋上で見たあの男だ。

彼は少女の前に立つと、鞘に納められていた日本刀をスラリと抜き放ち、その切っ先を彼女の鼻先へ突きつける。

ぎらりと光った刀身が、無感情なアイビーの瞳を写した。


「――ここで死ぬか、後に死ぬか。選べ。」


瞳と同じ無感情な声が、少女を斬りつけるように投げられた。


次回【Chapter1 7月20日 8時5分】 続きます。

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