7
散々悩んだ結果、まゆこはお見舞いの当たり障りのない花を持って、病院の玄関の前に立った。背中にはいつも付き従う悪魔が。
悪魔付きや女子高生と呼ばれるよりも、あの高遠に『最高の結界師だ』といわれる亡くなった祖母みたく、結界師と呼ばれる方がまゆこには心地よかったが残念ながら誰も呼んではくれなかった。祖母が亡くなり、無知なまま力を欲した結果、気づいたときには悪魔と契約を交わし、悪魔付きになっていた。
撫子の病室から出てエレベーターで下りてきた星港がまゆこを見つけてニコニコと近づいた。
「なでしこちんのお見舞い?」
「はい」
「いい子だね」
「いえ、……」
「そりゃそうだよね、なでしこちん、まゆたんを庇って刺されたんだもんねー」
この男は、空気を読むということができないのだろうか?人を気遣うということができないのだろうか?とまゆこは頬をピクッと動かした。パッと見はごくごく普通の少しカッコイイ男の人に見えるのだけど、高遠や撫子と浅くない関係だということは、それだけで一般人には見えなくなる。
「オレ知ってるんだー」
色々と思いをめぐらすまゆこに楽しげに眺めていた星港が『そろそろいいかな』と口を開いた。
「まゆたんの悩みの種は、なでしこちんだけじゃないって」
にっと歪む星港の口元はそれだけで不気味に見える。
「東宮御所の結界、また張り直した?」
「え?」
確かに今朝高遠から東宮御所の結界の張り直しをしろという業務命令はスマホにメールで入っていた。なので登校する前に東宮御所により結界を張り直し、病院には授業を終えてからやってきた。
「もう何回目?よっぽど弱い結界なんだね?」
星港の言葉は事実なのでまゆこが何も言えずぎゅっと唇をかみしめた。
「ねー、まゆたん。天皇は人間じゃないんだよ」
「は?」
何を言い出すのかとキョトンとするまゆこを気にせず会話を続ける星港。
「知らなかった?」
「はい、全然普通にどこにでもいるおっさんだと思ってました」
「『神』なんだよ」
「へー、すごいですねー」
「信じてない」
「はい」
「これだから戦後生まれは」
「自分もかなり余裕な部類で戦後生まれでしょう?」
「まー、そうだね」
「これ以上この不毛な会話を続けますか?」
「んー、別にオレはどちらでもいいけど」
「じゃぁ、私もう行きます」
一歩を踏み出そうとしたまゆこに、星港は足を止める呪文をかける。
「ただ、まゆたんの欲しがっている答えをオレは知ってるよ」
「それは……」
踏み出しかけた足を元の位置に戻してまゆこは星港に訊ねかけた。
「それはこの不毛な会話の先にあるのですか?」
「さーねー」
「聞きます」
「オレ、素直な女の子ってすごく好きだな」
「嫌いになってくれて全然かまいません」
「まず、天皇は人間じゃないの答えから」
「別に知りたくありません」
「まゆたん、オレの今までの話し聞いてた?」
「続けてください」
「『法的に』ってことね」
「はぁ……」
「天皇は戸籍を持たない。苗字もない。勤労の義務も、納税の義務も、選挙権もない。選挙権は正しくは『ない』じゃなくて、『停止』されているんだけどね。んで、罪を犯しても法的に罪に問われることは決してないんだよ」
「そーですか」
「その流れで、『皇室典範』には皇位継承に関して『天皇の血統に属する男系の男子が継承する』と書かれているんだよ。ここまで来ればまゆたんが欲しい答えが近づいてくるね」
「は?」
「まだわからない?」
「さっぱりです」
「君って馬鹿?」
「そういわれても否定はしません。たぶん室長や星港さんとは違う脳味噌の作りになってますから」
「へー、おもしろいね」
「話の続きをどうぞ」
「つまり、日本では女王は現れないということ」
「はぁ」
「天皇ってかなり不思議な存在だよね。こんなに長く一つの血脈が一つの国に君臨するパターンって他の国ではありえないよね」
「そーですね」
「これはもう『神』だからって言われても頷くしかないでしょ」
「それで、私の欲しい答えは?」
「わかんない?」
「まったく」
「やっぱり馬鹿だ」
「はいはい」
「今の東宮は?」
「……女です」
「ピン、ポーン」
「でも、それがどうして答えになるんですか?」
「どうして天皇に女がなってはいけないか知ってる?」
「『男がなれ』って書いてあるから?」
「うーん、欲しい答えじゃないね」
「もったいぶらないでください!」
「あー、怖い顔している女の子には教えたくない」
淡々と話す星港に、まゆこは頬をひきつらせながらニヘラと笑った。
「まぁ、今回は特別ってことで教えてあげる」
「ありがとうございます」
「天皇はね、神の血筋だから」
「それで?」
「神社の中って何があるか知ってる?」
「知りません」
「子宮なんだよ」
「はぁ」
「参道は産道」
「……」
「産道を女が通っても、何も産まれない。だから天皇は男でなくてはいけない」
「でも、女の天皇ってこれまでもいましたよね」
「中継ぎの女性天皇はよいが、女系天皇はいけない」
「はぁ……」
「だから日本の天皇家はね、王ではなく、神なんだよ」
「それで、ともかく東宮を邪魔だと?」
「たかとーはね、世界の一番上に立ちたいんだよ」
いきなり星港は天皇の話しから高遠の話しに変えた。
「こうは考えられない?たかとーは女の東宮を守りたいんだよ」
「は?」
「天皇になるまでね」
「それじゃあ、あなたのお話し通りだと日本が……」
「そういうこと」
「……」
「天皇家というシステムを崩壊させることができると、新たな支配者がいるよねー」
星港は目的の場所までまゆこを導けたことに満足そうに口元を緩ませる。
「それ、じゃぁ……、東宮を攻撃しているのは?」
「たかとーじゃない?」
「どうして?だって、」
「たかとーは基本的に自分の力以外は信じないからね。たとえ女の天皇は滅びるっていう魔法がかかっていたとしても、念には念を、東宮を精神的に追い詰めておきたいんじゃない?確実にシステムを崩壊させるために」
まゆこは戸惑いながらも、しっかりと自分の前に立っている星港を見ていた。
「こんな火事場に片足突っ込んでるんだから火傷ですめばいいねー、無知で覚悟も戦う理由もないお子ちゃまは」
明るい声で星港は言った。まゆこに劣等感のようなものを抱かせるために計算した声だ。
「悪魔付きとか結界師とか、目障りなんだよ、早く死ね」
にっこりと道下のような表情を張り付けた顔と落差のある冷たい声がまゆこを揺さぶった。
まゆこの微かにある自尊心や結界師として今までやってきた塵ほどの実績がぐっとそこでへこむのを耐えて、星港に声をかけた。
「あなたの目的は?」
「んー」
答えなんて決まっているのに、星港はわざと考えるフリをしてから特別にまゆこに答えた。
「人類皆殺しかな~」
ふざけるように本気で言うからまゆこは背筋が凍っていくのを感じた。
「花が萎れる前になでしこちんのお見舞いに行ってあげてね~」
まゆこを引き止めていた張本人がぴらぴらと手を振りながら言った。
嫌な気分を引きずりながらまゆこは撫子の病室に向かって歩き始めた。
暗い顔で病室に入ってきたまゆこに撫子は仕方なく声を掛けた。星港とすれ違うなり話すなりで何らかのダメージを受けたことは想像できた。
「あの男と何を話したかは知らないけれど、わからなくていい。わからなくても、敵を倒して、あなたのなすべきことをやったらいい。あなたはただの駒に過ぎない、自分の役割を理解しなさい。あなたも私もね」
撫子の言葉は、突き放すように冷たいけど、優しい言葉だった。力のない自分を励ましてくれているように聞こえた。
「撫子さんはどうして室長の味方なんですか?」
不意に真っ直ぐ投げかけられたまゆこの質問は撫子の心の一番柔らかい所を遠慮なく突き刺した。
「名前で呼ばれるのは好きじゃない」
はぐらかすように撫子は呟いた。
「ごめんなさい!」
「別に。呼ばれることがないから、なんだか自分だと思えないだけだ」
「綺麗な名前ですよね」
「……」
表情がほぼ動かない撫子に精一杯、ない気を使いながらまゆこは話しかけた。
「まゆこか……」
「はい?」
「繭のままで蝶にならないように」
「え?」
「あの結界師らしいな」
「祖母のことですか?」
「ああ、一度しか会ったことはない。漏れ伝わってくる噂よりずっと穏やかな人だった」
ふと撫子の顔がゆるんだのがまゆこにもわかった。
「『最高の結界師』ですか?」
反対にまゆこの顔が少し硬くなる。
「私には、あの人が張った結界は見えないけれどきっと素晴らしい結界なんだろうなと思った」
「どうしてですか?」
「名前」
「名前?」
「繭のままでいろ」
「はい?」
「一番大事なことをあの人は知っている。私たちは力を求めてしまいがちだが、あの人は自分の大事な孫娘に繭のままで蝶になるなと名前に込めた」
「どういう意味かよくわかりません」
「そうか……」
「そうです。室長の言うことも、あの男の人の言うことも、あなたの言うことも、私にはよくわかりません」
「そうだな……」
「ちゃんと教えてほしいです!」
「力を求めるべきじゃないと言ってもまだわからないんだろうな、それにここまで首を突っ込んだらもう力を求め続ける以外生き方はないだろうな。私もまだ力を求めてしまうからな」
「……」
「力なんてない方が幸せに生きれるってことだ」
撫子のその言葉でまゆこの脳裏には祖母の姿が浮かび上がった。祖母は『人の目に見えないもの見てはいけない』と言っていた。撫子のその言葉と祖母の言葉はイコールでつながるのだろうなと思った。
「なぜ戦うのだ?たとえ悪魔付きであっても、平穏な人生を望むなら高遠など無視すればできなかったわけでもないだろう?」
「よくわかりません、祖母が死んで、目に見えないはずのものを夢中で自分の側から追い払おうとしていたら、いつの間にかここにいたって感じで……」
撫子はそれ以上口を開こうとはしなかった。まゆこも撫子が言わんとすることがしっかりとは理解できなくてそれ以上話をしたくはなかった。
「撫子さんはどうして戦うんですか?」
真っ直ぐまゆこは問いかけた。
本当に真っ直ぐ、撫子はいっそ清々しく感じた。
「内緒だ」
「じゃあ、いつ戦うってこの火事場に身を浸すって決めたんですか?」
面白いことを聞くなと撫子は思わず頬を緩めそうになった。火事場、確かにそうだな。
撫子の脳裏に高校の廊下が見えた、ふわっと揺らぐ綺麗な炎。
「高校生の時」
自然とそうまゆこに伝えてしまった。まゆこは少し歯痒そうな顔をしたがそれ以上何かを知ろうとはしなかった。
なにか、今までとは違うなにかが始まったことにまゆこは気づいていた。ただこのうねりのような一つ一つがどこに向かっているのか、撫子や高遠、それから星港がこのうねりに対して何をしようとしているのかは全く分からなかった。それでも自分は巻き込まれる、何もわからないまま。結界師として力を持っているからではない、悪魔付きとして悪魔の大きな力が隣にあるから、それだけはよくわかった。まゆこの隣ではもう空気みたいにへばりついている悪魔が口元に薄っすら微笑みのようなものは浮かばせていたが、努めて気にしないようにした。
短く別れの挨拶をしてまゆこは歯切れ悪く病室を後にした。
「失礼します」
まゆこがいなくなったのを見計らって、病室のドアの方から遠慮がちな声が撫子の耳に届いた。
撫子は声の方に顔を向けた。
そこには見慣れた部下が突っ立ていた。
名前を山下友という、平凡な名前が良く似合う、平凡な男だ。
「本日の報告書です」
友は恐る恐るといったように手に持った変哲のない茶色い封筒を渡そうと撫子に近づいてくる。
ちなみに山下友は山下可憐の弟だ、高遠の婚約者の弟。何の因果があってか撫子の部下となった。多少なりとも高遠と彼の関係が響いて友は撫子の部下になったであろうことは撫子にも想像できた。撫子の所属する部隊はめったに人前に出ることがない、特別な部隊だ。少なくとも災害の復旧作業には呼ばれることはないであろうし、平凡なことしか取り柄がない男がはいれる部隊ではない。でも友は平凡ながらその部隊に入ってきた。足手まといになりながらも必死に訓練をこなす姿は、エリートばかりの中でいい緩衝材の役目を果たしていると言えば彼がこの部隊に入った意味があったともいえるだろう。
「悪かったな、余計な仕事を増やしてしまって」
封筒を受け取りながら顔を少し歪ます程度に無理矢理笑みを作って撫子は言った。
「とんでもないです!」
友は慌てたように挙動不審にそう言って居心地悪そうな空気を作った。
「こんな非常事態なのによく対応してくれているようだな」
集団リンチの現場、暴行が行われた現場、集団自殺の現場、ニュースで見ることのできたそれらの場所には撫子の部下たちが始末した跡が撫子には見て取れた。この部隊の意義がやっと上に堂々と示せる大事なチャンスでもある。
「はい!いや、その、私自身はここに配属されても半信半疑でしたが、本当にこんな状態になるといいますか、こんなものがいるといいますか、」
「これだけなら帰っていいぞ」
撫子は封筒の中から報告書を出しながらともに帰りを勧めた、長居はしたくないだろうし、自分も長居されたところで対応に困る。
「はい」
遠慮がちに答えて、友は礼をした。
「いや、一つ頼まれてほしい。これなのだが」
撫子は枕の下から病院名が印刷された入院説明などが入っていた封筒を取り出した。中身は取り出し、別のものを入れている。
「はい」
「余計な仕事を増やして悪いが、持って帰って中を見るように。中を見ればわかる」
「はい」
「以上だ」
「はい。……あの、お体の方は大丈夫ですか?」
「ああ」
「お大事になさってください」
友は律儀に撫子の体のことを気遣う言葉をかけた後もう一度礼をして病室を出て行った。
撫子はそっと思った。
姉も、同じように平凡な人間なのだろうか?顔は似ているのだろうか?どんな風に育って、今どうやって暮らしているのだろうか?どんな話を高遠とし、どんな風に触れ合うのだろう……。
けして訊ねかけることのない疑問をいくつか頭の中に浮かべて、消して、撫子は手に持った報告書に目を落とした。
自分は決めた、揺らぐことはない、私は高遠の味方だ。彼が誰を選んでも、彼がどこに堕ちて行っても……。
ベッドの上で撫子は自分に言い聞かすように、改めて誓った。