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「悪魔付きのオジョーサン。君はたかとーの駒?」
高遠達とすれ違った後、スタバで時間潰しのキャラメルマキアートを飲むまゆこに星港が声を掛けて、まゆこの隣の席に座った。まゆこの後ろで悪魔の目の奥が笑う。
まゆこはこの後、他校の友人と三人で映画を見に行く約束をしていた。ドラマが映画版になった、イケメン俳優が出る内容の薄っぺらい映画だ。
星港から投げかけられた言葉に、まゆこは少し頭を悩ませた。高遠の駒になったつもりはないが、駒イコール部下という意味ならば、不本意ながら頷かなければいけないだろう。かなり不本意ながら。脅されて部下に引きずりこまれた身としては。
偶然だというには少々早すぎる再会だと一応警戒をしながらまゆこは口を開いた。しかも、彼には普通の人間には見えない悪魔も見えている。見えているのか、まゆこが『悪魔付きの少女』だという情報を知っているだけなのかは、今の状況では判断できないが。
「室長とはどういったご関係ですか?」
「室長?あぁ、天皇直属機密調査室室長」
星港は頭の中の辞書を引いて、出てきた説明文を読み上げるように言う。
「たかとーとは高校と大学の同級生。なでしこちんとは幼稚園から高校まで同級生。ちょー仲良し」
先ほど見た三人の空気、『ちょー仲良し』にはひっくり返しても見えない感じなんですけどとまゆこは心の中で思った。重たい空気がまゆこを包み次の言葉を口から出すのが躊躇われる。
「あー、疑ってるの?酷いなー」
「別に……」
「まー、二人ともオレのことはちょー嫌いだけどね。オレは二人ともちょー好き」
母音を伸ばして話す話し方が馬鹿っぽく聞こえるが、高遠の知り合いということだけで、ただの馬鹿ではない気がするとまゆこはもう少し警戒を強めた。
「×××××××××?××××××!」
唐突に、近くの席に座っていた青い目、金髪、白い肌のスーツ姿の外国人が星港に話し掛ける。
英語のヒヤリングなんてテスト用に録音されたものでもてこずるまゆこには何を言っているのかさっぱりだ。呪文にしか聞こえない。星港にはその呪文がわかるようで、呪文を相手に返してにこりと笑った。相手はその呪文に納得したようで、スタバから出て行った。
「綺麗なクイーンズイングリッシュですね」
それまで黙っていた悪魔がにこりと笑って星港に言った。
星港は『おっ』という顔をして嬉しそうに口を開く。これで悪魔が見えていることと、声が聞こえることの判断がまゆこにもできた。
「わかる?実はオレ、イギリス貴族の末裔なんだよねー。母親がね、社交界デビューもちゃっかりしっかりしてるんだよ。父親がシンガポールの王様の孫だったんだけど、クーデターが起こってシンガポールに住めなくなっちゃって。始めはイギリスの母の実家に頼ったんだけどね、外交問題ってヤツでさぁ、ヴィクトリア女王とエリザベス一世の亡霊直々にイギリス国民壱百大数人の為にイギリスから出て行って欲しいって懇願されちゃって、なーんかシンガポールが、オレらがいるなら核爆弾落とすぞってイギリスに圧力掛けちゃった感じ?それで世界を彷徨いつつ、安住の地を求めてとうとうジパングまできちゃったわけよ」
まゆこの隣で悪魔が口の端だけあげて笑った。話の内容どうこうよりもまず、ベラベラとよく回る舌だとまゆこは感心した。そして、星港の容姿はどう見ても美しい純日本人にしか見えず、イギリス人とシンガポール人のハーフと星港が言い通すというのならば、どういう割合で配合すれば日本人に程近いイギリス人とシンガポール人のハーフができるかについて説明して欲しかった。だいたいシンガポールは王制じゃない。彼について、まゆこがよくわかったことは嘘を吐いたり誇張したりすることに躊躇いを感じない人間だということだけだ。
「あの、どこまでが本当ですか?」
まゆこが興味本位で星港に訊ねると、答えは星港の口からではなく降ってきた。
「全部デタラメだ。なぁ、蕎麦屋の倅め」
星港の後ろには撫子が立っていた。確か星港の実家は小さい蕎麦屋から大きな外食チェーンへ成長したと学生生活のどこかで噂話で聞いたなと撫子は思い出していた。
すぐに星港を追いかけたものの、今やっと追いついたところだ。見つけた星港は最悪なことに、先程すれ違った悪魔付きの少女とスタバでコーヒーを飲んでいる。少し躊躇われたが、何かが起こる前に二人の間に入っておいた方がいいと撫子は思った。
「やぁーん、倅はやめて。美しくないよ。せめて社長令嬢とか言い方あるでしょ、なでしこちん」
「いつから女になったんだ?」
「いや、全然なってはないけど、社長令息より社長令嬢の方が言葉の響きが美しいから」
「蕎麦屋の倅が一番お似合いだ」
「やだー。ところでなでしこちんはオレのストーカー?実はオレ、なでしこちんから愛されてたんだ。ごめん気づかなくて、オレの片想いだとばかり思っていたから。これからは君の想いに答えられるように努力するよ」
「後をつけたのは事実だ。だが、ストーカーではない。お前に対して『愛』などという感情、私は毛の先程も持ち合わしてはいない」
仲の良さをまゆこにアピールするかのように星港は撫子とお喋りに花を咲かす。
「確か室長も、イギリスにご留学していましたよね?」
不意に先ほどの話しに戻すようにまゆこの後ろから悪魔が口を挟む。撫子には声も姿も見えていなかったが、星港はその質問に答える。
「だからゆったじゃーん、たかとーとは高校と大学の同級生って」
悪魔が見えない撫子には不意に言われた星港の言葉に疑問が浮かんだが、まゆこの顔を見てその疑問に答えを見つける。悪魔と喋っているのかと。
「なるほど」
悪魔が星港の言葉にではなく、その言葉から得た情報を自分の中で分析して出た結果について納得してそう言った。
「少し話しがある」
悪魔と星港、さらに不吉感が増す取り合わせを前に撫子がまゆこに声を掛けた。
「出られるか?」
とにかくまゆこと星港を引き離そう、まゆこには星港に近づくなと言って、それで……、それから……、どうするべきかと撫子は考えた。
まゆこは撫子の言葉にテーブルの上においてあったスマホで友人との待ち合わせ時間にはまだ間があることを確認してから、十分に冷えたキャラメルマキアートを一気飲みして、「大丈夫です」と答え、立ち上がった。
二人はそのまま店の外に出る、勿論まゆこの悪魔も一緒に。星港が付いてこない様子に撫子はほっとして、まゆこを振り返った。
その時、通行人という集団の中から一人がまゆこに向って飛び出してきた。
それはスローモーションでまゆこのもとにやってくる。
まゆこは自分のもとに突進してくるナイフの刃をしっかりと見つめていた。
私は強くなったつもりと言い訳のようにまゆこは自分に言っていた。強くなるために悪魔を呼び出し、自分の身を守るために悪魔との契約に応じた。不意に襲ってくる何かに怯えて暮らすのは嫌だった。堂々としていたかった。今までまゆこにこっそり結界を張ってくれていた祖母が『目に見えないものは見てはいけない』という言葉を残して亡くなった時、その言葉を破り、目に見えてはいけない悪魔と契約を交わした。祖母が目に見えないものといったその存在はまゆこにはしっかり見えていて、恐ろしくて無視はできなかった。祖母の教え通り見えないふりをするなんてできなかった。
悪魔と契約したことで、強くなったつもり、覚悟を決めたつもり。
でも、恐怖で足がすくむ。
心は決まっているのに、体が迷っている。
それは本能的なもので、まゆこにはどうしようもできなかった。
体は逃げ出そうとしていた。
決まっている心がなんとかその場に体を引き止めた。体は攻撃のためには動かなかった。
まゆこを目がけてやってくる、まゆこはぎゅっと硬く目をつむった。
誰かが、まゆこを庇った。
『悪魔?』
違った。長い髪が風になぶられてまゆこの頬にあたる。
まゆこは、誰かに庇われていることを確認したうえで、恐る恐る目を開く。
鮮やかな髪が、風になびいていた。
まず、まゆこはそれを綺麗だと思った。
ゆっくりその髪が下に落ちてゆく。
赤い液体が、まゆこの顔にも飛んできた。顔についた液体に思わず指を伸ばし、触れた指を目で確認する。
血……。
撫子の腹を刺した相手は折りたたみ式のナイフをしまって、通行人という集団の中に素早く身を隠した。
「撫子!」
どこからか高遠の声が聞こえた。まゆこの後ろでスタバから出てきた星港が「怖いねー」と全然怖くなさそうな声を出した。
まゆこは撫子の血がついた自分の指先から目を離せずに、立ち尽くしていた。
通行人という集団は少し遅れて今起こったことに気づき、騒ぎ始める。
まゆこはその時気づかなかった。自分を刺そうとした人物が、撫子を刺した人物が、先程星港に話しかけた金髪碧眼の外国人だということに。