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その男性は、硝子細工のような大志を抱いていた。
桜は、嫌い……。
こんなに儚く、微かな風にもいとも簡単に散ってしまう花は嫌いだ。苛立ちさえ覚える。
撫子は、春という柔らかい空気を弾くように無駄がなく細い体を窮屈な制服に包み、通いなれた学校に向かって歩く。
撫子は不機嫌だった。眉間の皺が痛そうに見える。
春は嫌いだ。ふわふわした空気も、浮き足立つ人々も、世界を染める桜色も、何もかもが気に入らない。何もかもが、自分を拒絶する。
某有名私立学園、幼稚舎から大学院まで、持ち上がりが大半を占めるこの学園で、高校からの外部入学者は門から校舎まで続く桜並木でもよく目立つ。
撫子はその男子学生を見た瞬間、嫌な感じがした。
特徴のさしてない、どこにもいそうな顔は人に嫌われる事が少なそうだが、撫子はその男子学生から匂い立つような嫌な空気を感じた。春の空気と似ている、嘘っぽい穏やかさ。
男子生徒は、他の生徒たちが足早に校舎に向かう中一人優雅に桜を見上げていた。
嫌な空気に近づくことが躊躇われ足を止めた撫子とふと桜から視線をずらした男子学生は、思わず見つめ合う。微かな風が撫子のわずかに肩につかないまっすぐな髪を揺らした。
自分でも自覚している鋭い目で、撫子は男子学生をじっと見た。男子学生は臆することなく撫子に笑いかけた。そういう笑顔が気に入らないと撫子は思い仏頂面を濃くした。
二人の間を桜が舞っていた。
ロマンチックな展開が似合わない二人を、最高にロマンチックに見せるためのように。
男子生徒は撫子に微笑んだまま口を開く。
「藤原高遠です」
撫子は反射的に「織田撫子」と答えた。名前を名乗られて、自分の名を名乗らないのは礼儀に反すると思ったからだ。
「眉間の……」
高遠は微笑みを崩さず撫子に話しかけた。
「シワ」
高遠のけして大きくはない目に見つめられて、撫子の眉間の皺は更に深くなる。
「美人が台無しです。というよりも、そのシワでは美人に分類されません」
高遠は悪びれることなく言った。
二人を包む桜以外はロマンチックなところが見つけられない、出会いだった。
『天皇直属機密調査室 建前は国家の安全の為、実態は天皇の安全の為、合法・非合法・陰陽道・呪詛等等なんでもありで動く組織(藤原高遠の言葉より抜粋)』
撫子はその建物の公式な見取り図にはけしてのらない、天皇直属機密調査室室長室に向かって廊下を歩いていた。パンツスーツは心地よく彼女の体に馴染み、背中を覆う真っ直ぐな髪は歩調に合わせて揺れた。