No.002 一日目 22時 ~ 23時
No.002 一日目 22時 ~ 23時
これ幸いと修は返事はせずに、とんかつ定食を食べ始めた。味は普通に美味しい感じだが、今日はあまり味がよくわからなかった。
さっさと帰りたかったので、手っ取り早く食べ終えてしまいたかったのだ。目の前では、灘がものすごい勢いで牛丼を口の中に押し込んでいる。早食い競争をしているわけではないのに、一体何を考えているんだと修は考えていた。
結局の所、とんかつ定食対牛丼の早食い競争のような形になり、この勝負の勝者は灘になった。
どう頑張ったところで、とんかつ定食では牛丼に比べてハンデが大きすぎるのだ。
「お前、バイト夜からだよな? ってことは、朝は空いてるんだろ? 俺が、朝お前の家に迎えにいってやるよ」
勝負に勝った灘は、悠々と爪楊枝で奥歯に挟まった物を取りながら、一方的に話し始める。
口の中に食べ物が入ったままの修は、あわてて手を振るが、ちょうどその時灘の携帯が鳴った。
顔をそらして、何やら話し込んでいるが、うまく聞き取れないようで苛立っている様子が伺える。
そして、しばらくして携帯を切った。
「急用ができた。すまん、俺はこれで帰る。明日の朝迎えにいくからよろしくな」
そう言い残すと、テーブルの上に一万円札を置いて店から出て行ってしまった。
その一連の流れが早すぎて、修はなんにも対応できないままだった。
一万円札を残していったのは、これで払っておいてくれというつもりなのだと勝手に解釈する。
もしかしたら、奢るつもりだったのかも知れないが、今の灘に借りを作ることは恐ろしい気がしていた。
とりあえず、残った食事をすませる。
一万円札をポケットに突っ込み、二人分の食事代は自分の財布から出すつもりであった。
修は承諾したつもりはないのだが、明日の朝迎えにくると言っていた。その時に、この一万円札を返すつもりであった。
そのまま席を立とうとしたときだった。
いつの間にか慣れてしまっていた大音量のテレビに、気を引くチャイムの音が流れる。
修が反射的にテレビの画面を見ると、緊急速報のテロップが流れていた。そのテロップを読むと、中国の軍艦のような船から大量の人間が魚釣島に上陸したと書いてあった。
正直、遠い南の島のことだし、『軍艦のような船』って軍艦だろう、くらいのことは思ったが修にはなんの関係もない話しだし、すぐに興味を失った。
レジで支払を済ませて外に出ると、たくさんの人が歩いている。そろそろ夜も本格的な時間となり、街に繰り出そうという人も増えている。
人混みに紛れながら、ふと空を見上げた。明るすぎる街の明かりの向こう側。ひどく薄まってしまった闇のなかに、感動できるような夜空は存在しない。それでも、星を一つ見つけることができた。
そういえば、もう随分長いこと星なんて見たことなかったな、と思いながら帰路につく。
今日はあんまりろくな事がなかったな、と思ったが自分が小さく笑っていることに気付いて、その理由を考えたらその笑い声は少しだけ大きくなった。
今日だけではない。最近はろくな事がないのが日常化していたし、未来にもろくな事がなさそうであることは、考えるまでもなく見えてしまう。
それでも、今はまだマシだと言える。借金で学費を賄い、バイトでどうにか生活費を捻出している現状がけして良いとは言えないが、来年になったらいよいよ就職活動が始まる。
金銭的に余裕があるやつは、今年のうちからすでに動いているようだが、修にはそんな余裕はない。
就職活動が始まったら、まともにバイトに入れなくなる。それを見越して三年間で少しづつ貯金を積み立てて、来年一年間バイトを減らしてもどうにか暮らしていくことができるだけの蓄えを作った。
だが、それだけやっても、先輩たちからは非常に厳しい話ばかり聞いている。
十パーセントから二十五パーセント、そして現在の四十パーセントへと正気の沙汰とは思えないような消費増税が最大原因となり、日本はかつて無い不況のどん底へと突入してしまっていた。
東京オリンピックも終わり、その後の反動と世界的な経済縮小も重なって、深刻な需要不足が続いている。そこに、消費増税が致命傷を与えたのだ。
今の日本では倒産数と自殺者数が急増している。それだけの犠牲の上に財政健全化を目指した財務省だったが、消費税収入が増えた代わりに経済活動の縮小を受けて全体の税収は急減してしまい、さらなる財政悪化を招いてしまっていた。
そこで、増税阻止を掲げて政権交代を成し遂げた共社党だったが、すでに財務省の薫陶を受けてさらなる消費増税を目指しているというニュースが流れていた。
失業率が右肩上がりで増えていく中で、民自党政権が残したツケが日本国民に重くのしかかってきている。