レムでも好きです
写真には匂いがある。
信じられないだろうけど、本当に香ってくるのだ。
甘い匂い、苦い匂い、酸っぱい匂い。
映っている人物によって、匂いが違う。
おかげでアルバムからは、香水箱のように、たくさんの匂いで溢れている。匂いは寝室いっぱいに広がって、わたしを包み込む。
そんなアルバム内で、いちばん甘いのが、
「香里の笑顔」
香里。わたしの親友で、絶賛片思いの子。
そして彼女のまぶしい笑顔が、いちばん甘くておいしい。
イチゴのような甘酸っぱさで、超だいすき。
口に入れて、永遠と転がしていたいほどだ。
「この笑顔を、ずっと見ていたいよ」
眺めるのに飽きはない。
香里は、いつも笑顔を絶えさないでいる。
わたしが撮ってきた写真すべてで、笑っている。
豪快な爆笑や、たのしげな微笑み。
これらが、頬が取れてしまうぐらい甘い。今持っている写真でも、香里はふっくら微笑んでいて、わたしの脳内をドロドロにとろけさせている。
「この甘さ、やめられない」
写真のなかにいる香里は、教室内で豪快にピースサインをしているわけだが、これはやばい。甘すぎていて糖尿病になりそうだ。
ベッドの上で、枕に写真を置いて、香里を眺める。
好きだ。この笑顔、大好き。
「でも、たりない」
まだまだ味わっていたい。
しかし、もう夜遅くになっているわけで、写真を眺めるのは終わりだ。
今から寝ないと明日起きられなくなる。
起きられないのは、いけないことだ。
香里と会えなくなる。
「まだまだ補充しないと」
でもやはり、香里を見ていたい。
そう胸の底から、汽笛が鳴り響く。まるでヤカンが、ピィーって湯気を吐き出している感じだ。
熱くてうるさくて、眠れそうにない。
そこでわたしは、あるおまじないを試すことにした。
おまじない――枕元に好きな人の写真を入れて寝ると、夢にその人が現れるというのだ。
寝ている時でも香里に会える、それは素晴らしい。
「よいしょ……これでOK」
真裏の下に、香里の写真を入れた。
ぽんぽんと優しく枕をなでる。
夢で会えるように、と願いを込めて。
あぁ楽しみだ。
――……――
イチゴの匂いに誘われて、わたしは目を擦った。
すると、そこは果樹園になっていた。
わたしの両脇にはイチゴの苗木が壁を作り、天を見上げるとビニールハウス越しに青空が広がっている。
ここを知っている。
ここは香里のテリトリーだ。
農家同士の共同菜園であり、お金と予約さえあれば果物狩りができる場所。そこで香里はたくさんのイチゴを、頬いっぱいに詰め込んでいたのは、よく覚えている。
あぁそうだ。
香里は、ここのイチゴが大好きなのだ。
赤い果実を頬張るたびに、香里の唇が果汁で潤う。
その光景を、宝物として記憶に刻み付けているよ。
イチゴが育った苗木に触れると、簡単に思い出せた。
わたしも果物狩りしながら、一方で香里を追いかけていた。
「そうだよ、イチゴなんかよりも食べたそうだったじゃん。香里の唇とかさ」
全方位から不思議な声がした。
しかも、声色はわたしにそっくりだ。
「だれ」
香里を食べたかった?
なんて不健全な発言。
「私? 私はわたしだよ。私本人であり、わたし本人」
「わたしって、その声は私?」
「正解。今わたしは、私に自問自答しているわけだ。面白いだろ、ドッペルゲンガーにあったみたいでさ」
それって、出会ったら死んじゃうヤツでしょ。
そんなのを引き合いに出すなんて、趣味が悪い。
「今わたしは、私自身を趣味悪いクソ女と、自虐したわけだ」
ふんわりと、私が名乗りをあげる。
地面から吊り上げられたように、わたし自身がでてきた。
普通よりもちょっとだけ背が高くて、香里に「かわいいね」と褒められた髪飾りが似合うよう、髪の手入れを完璧にした、わたし個人がでてきた。見間違うことなく、鏡を見ているみたいに顔はそっくり。衣服も学校指定のセーラー服で、規則にそってリボンを巻いている。
わたし自身な私。
瓜二つで、似すぎて気持ち悪くなる。
そんなわたしと瓜二つなのが空間に浮かんでいる。
なんとも奇妙な光景だ。
「まぁ細かいのはどうでもいいじゃん。私的にはとりあえず、わたしに会えたし」
「なんでわたしの前に私が? わたしは一人でしょ」
「そんな決めつけはダメだよーわたし。意外と本人って複数いたりするから」
ちがうちがう、と私と名乗った人影が指を振る。
「私はわたし。ちょいっとばかし、わたしの夢をお借りしているだけ。まぁ私って、ふだんはわたしを陰から見守っているだけなのだけどね」
秘めた笑みを作って、もったいぶる。
「でも最近のわたしが変だから、ちょいっと力添えをしようかなーて」
「……変? そんなことないよ」
「いいや、あるね」
私なる者が指を鳴らす、そしたらわたしの手前に、見覚えある写真が降ってきた。
香里の写真。
イチゴの匂いがする、大好きな写真。
「ただの親友にお熱とか変じゃん」
変じゃん、とわたしは言われたけど、
「そう? わたしに限った話じゃないでしょ。友達を好きになるなんて一般論よ。周りの子だって、友達から好きになってる子めっちゃいるし」
「でもわたしの場合だと、好きな子って香里でしょ。香里って女じゃん。わたしも女だし、これ変じゃね」
「変――」
わたしと遜色ない私の言葉に、わたしは口を閉ざした。
声にはできなかったけど、香里を好きになるのは――変、だろう。
人としてかなり変だ。
同性愛とは変なことだ。
異性愛が普通で、同性愛がヘンテコ。
そうたくさん言っている。
「そーだよ、変だよね。わたしはわかっているじゃん。同性愛が成立するのは一般論じゃないって。人間は、いや生物は――未来に種族を残すために、愛し合うことを組み込まれている。同性愛じゃ子供産めないから、わたしが香里に抱いている感情は変なことってね」
小学校で習ったはずだよ? そう私が続けた。
「生物が女性同士で愛し合っても子はできない。お花のめしべ同士をこすり合わせても、花粉が散るだけで受精しないのと同じ。生産性って言葉を社会学のハゲジジイがいっていたけど、同性愛って生産性ゼロじゃん。未来になにも残らない」
なんの生産性もない。
無意味でするべきじゃない。
そう言われた。
わたしが香里に抱いている気持ちは、無と同等。
愛とは生産をするための燃料。愛を燃やして汽笛を鳴らす、そうすることで子孫を生産する。
だけど同性愛に生産はない。
「私の言っていることって、間違っている?」
「わたしは、わからないよ。合っているかなんて」
知らないよ、そんなこと。
でも、わたしの汽笛が、ピィーと鳴りだす。
生産なんかできやしないのに。
それは変だろうけど、否定される言われはない。
「それっていけないこと? 女同士はいけないって、だれが決めたのよ」
「知るかよ。私は性別学のお偉いさんじゃないし。知りたければそっち系のお偉いさんにでも聞け」
続けて私が口を動かす。
どうやらもう一人のわたしは、よく喋るのだろう。
「まぁ、変だとは思っているのは確かね。正義か悪かじゃなくって、心にシコリがあるのは確かじゃん」
「……」
わたしと向かい合っている私が、ニヤリと笑った。
「わたしに言うけど、私の目的はそのシコリを取り除くこと。ぶっちゃけた話、わたしが香里とくっつこうが諦めようがどうでもいい。目的はシコリの排除。その一つだけ」
「シコリの排除?」
「そう。もー最近大変なのだよ。わたしが香里について卑しいこと考えるから、私までドキドキしちゃって眠れないのよね」
「い、卑しいことなんて」
「嘘はダーメ。私はわたしなのだぞ、嘘ついてもお見通し。で、わたしが香里に、煮え切らない態度をとれないようにしたいわけよ」
私が香里の写真を指でさした。
指さしの矢印は写真を射抜き、わたしの鳴りやまない汽笛に刺さった。
「ぶっちゃけ、わたしはどう思っている? 香里のこと愛していたいのか、友達のままか」
「私にとって、わたしはお見通しなんでしょ。聞く必要ないじゃん」
「あるよ。こー言うのって言葉にするから意味あるのよ」
「わけわかんない」
「とにかく語れや。ほら、とっととゲロっちまえ」
「あんがい私って横暴ね……でも、友達のままは無理。そんなの我慢できない」
好き。
そのことに飾り立てはしない。
純粋無垢な笑顔をする香里に、惚れている。あの子が笑っているだけで、わたしは幸せだ。笑顔をいつまでも見ておきたいなんて思っちゃう。かわいいなと考えるなんて数えきれないほどあって、いつも一緒なのに独占欲なんて湧き上がってくる。
気持ちに嘘はない。
わたしの汽笛が、ピィーとなっているのだから。
「香里が好き。香里の外見も中身も、香里のすべてが好き。友達よりも大切な感じで、もっともっと会いたく、見つめていたくなって、触れたくもなる。これは友達なんかじゃ収まりきれないよ」
「へぇ……じゃ、わたしは香里を愛しているってことでファイナルアンサー?」
そしてまた、私が意地汚く笑う。
わたしが笑うとこんなにも憎たらしいのか? もしそうだとしたら嫌だ。
そんなヤツの言葉に、乗りたくはない。
そもそも愛だなんて、まるで欲情しているみたいだ。
生産性。未来に種を残す行為。そこには好きって感情が薄くなっていて、なんだか機械作業と同じ冷たいなにかがあるみたいだ。
機械的な生産。
だからわたしは、愛とは別の燃料を、汽笛に投入した。
「愛じゃない。ただ好きなだけ」
「お子様っぽいぞ、マジキモイ」
「愛とか口走るヤツに言われたくない。んで、お子様で結構だ。わたしにとって大切なのは香里が好きって感情だし」
わたしの向かいに浮いている私が、鼻で笑った。
「OK。わかった」
幽霊のように、私がこっちに泳いでくる。
そして香里の写真を、大事そうに両手で包む。
「やっぱり私だ。そう言うと思っていたよ」
「もしかして、私も愛より好きなのか?」
「あぁ、私はわたしだから、わたしが好きを選ぶなら、私だって愛より好きを選ぶ」
手にした写真を、あたかも一つになるように、体のなかへ入れていった。
「さーて、ここからが本題」
もったいぶったように笑みを張り付けて、わたしに絡みつくように後ろへ回り、髪をなでてきた。
「わたしには、その気持ちを向こうでも示せるようになってもらいたいのよ」
「向こうで?」
「私の目的はシコリの排除だって言ったでしょ。香里に対する逃げ腰をブッ壊して、ド直球に思いを伝えさせるのよ」
乱暴な言葉使いながらも、這いずるような舌使いでわたしの首筋を舐める。
舌の生暖かさが走って、背筋が震えた。
「……ッ」
ゾクっと感じたせいで声がでない。
すると私が意外そうな顔をした
「おいおい、こんなことでビビるとか相当ヤバいよ。わたしにはこれよりか、凄いのしてもらわないといけないのに」
「なにやらせるつもり」
「わたしの好きって気持ちを、香里にぶつけさせるのよ。ぶっちゃけると告白ってヤツ」
「告白……てっ無理! そんないきなり」
「無理じゃないってーの。わたしは図太い人間だ。余裕よゆう」
なにを根拠に言っているのかわからない。
わたしは絡みつく私を引きはがして、にらみつけた。
告白だなんて、そんな大変なことを簡単に口走ってしまうのは、いけないと思う。
距離を置こうとしたけど、私はそれを嫌ったのだろう。苦々しく喉をならした。
「嫌がるなよ。わたしを知り尽くしている私が正しいのに」
「正しいから最善だとは限らない。それと、わたしを知っているからって正しいとも限らないよ」
「屁理屈ばっかり。ま、それは置いといて。どう告白するかシチュ考えようよ」
「告白する前提で話するのやめて」
「えー、せっかく香里を押し倒してロマンチックにーとか、後ろからそーっと抱きよせるなんて考えてたってのに……あぁ! 壁にまで追いつめてからドン! とかもアリね」
饒舌に私が語りだしたから、言葉をさえぎるようにわたしは伝えた。
今は告白するつもりはない!
いつもより声を張りあげた。
「なんでよ。そんなのツライだけじゃん。胸の奥底でうるさくなっている感情を、だれにも伝えないままとかシンドイぞ」
「そんなの、わかってる。わかってるよ。そうだからこそ、今は告白するべきじゃない」
「ツライのわかっていて黙っているのか?」
「今は、だよ」
ツライのは承知だ。
心のなかに作られている汽笛が、蒸気をふかしはじめ、胸をじりじり焦がすのに、痛みが伴うなんて、香里を好きになってからずっと知っている。
だからこそ、この汽笛に負けないように準備が必要なのだ。
「告白するには覚悟が必要。それも一晩二晩で整うものなんかじゃない。わたしのなかでなっている汽笛を、伝えたい言葉として変換する時間が必要なの」
「時間をかけたいのか。悠長だな、わたし」
「そんな私は急ぎすぎる。もっとゆっくり――」
突然に、私が憤慨した。
「――当たり前だ! 夜眠れなくて辛いのに……とっとと告って汽笛をやめろ。騒音で眠れやしない!」
「あ……そっか。なんかゴメン」
「謝罪がほしいわけじゃない。もうちょっとでいいからドキドキするのをやめな。ただそれだけだよ。だから、さ。香里に告白をしてくれ」
わかった、善処する。
そうちょっとだけ渋って、わたしは伝えた。
「――あぁ、そうしてよ。わたしのことは見ているし、応援もしてやるから。絶対告白しろ」
「わかったよ。うん」
念を押すように言ってきたから、しっかりと肯定。
すると私が、肩をなでおろした。
少々力んでいた力を抜いたのだろう。
「そろそろ時間だ。さぁ起きろ、朝だ。わたし……」
……――……
目覚まし時計のモーニングコールが唸ったから、重量感ある目蓋を開けた。
天井を仰いでいる視界は、ぼやけて重々しく、もう一回だけ目蓋を閉じたくなる欲求が込みあがってきた。
それでも、わたしは欲求を跳ね除けて、目蓋を擦る。
なんどか目蓋をクシクシして、欲求を退治。
起き上がり、どこからか香ってくるイチゴの甘酸っぱさで、ついさっきのことを思い出した。
「もう一人のわたし」
わたしと瓜二つの私。
見た目は似ていたけど、考え方がやけに過激な私。
香里に告白することを強く推し進めようとしていた私。
なんでもかんでもわたしのことを知った風で語っていた私。
わたしは確か、香里と夢で会うために、おまじないをしただけ。なにを間違えたらもう一人のわたしと会ってしまうのやら。
そもそもあれは本当にわたしなのか?
あまりにも強引すぎる性格と口調。過激な言動などなど……似ていたのは姿形だけじゃないか。
あれはわたしなんかじゃないのかも。
そうだ、わたしの夢にでてきた私は、わたしが言えないことを言うために現れた産物なのだ。都合のよい複製だ、きっとそうに違いない。めちゃんこ疲れているだけだ、わたし。
「でも、告白かぁ」
好きを伝える行為。
考えただけで、胸の汽笛が熱をふかしはじめる。
香里に、好きです付き合ってください、って伝える行為そのもの。
好きを燃料に汽笛が唸る。
心臓の鼓動と連動し、顔が熱くなるのがわかった。
あぁでも、やっぱり。なんと言うか……そう、告白。
友達ではいられないと、昔から感じていた。香里の傍でいられるのも限度があるかもで、もしかしたら彼氏とかできてしまうのだろうなんて、ごく当たり前だ。
「そうだよね、私……」
わたしは、夢の私に誓うよ。
わたしは香里が好きで、ただの友達でなんかいられない。
だから宣言する、わたしは香里に告白する。近いうちに……できるだけ早く。
「うん、わたしは香里が好き……大好き」
胸で汽笛が熱をあげる。
ピィーと唸って、好きを紡ぐ言葉を生産する。
わたしの汽笛は、好きを伝えるために音をあげる。
生産性はないけど、それでもいいよね。
もう一人の私。