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超越探偵 山之内徹  作者: 朱雀新吾
第二話 愛すべきスクールライフ
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愛すべきスクールライフ 出題編①

 

  日曜日は怠惰に過ごすに限る。それは日曜日という言葉が生まれた瞬間に同時に生まれたものであり、俺の辞書にも「日曜日は怠惰に過ごすべし」という記述がある。つまりはルール。定められている戒律なのだ。それならば従わない訳にはいかない。ルールは守るべきものとして存在しているのだから、俺はその理念に則りその日の日曜日も怠惰に、そうキングオブ怠惰の代表格「休日に昼まで寝る」を厳かに、厳粛に、粛々と実行していた。

 生きる怠惰。怠惰の体現者、権化と化してやる。

 最高だ。昼寝も好きだが、やはり二度寝には敵わないな。

「一度起きてまた寝る」そもそもこの響きが最高だ。一度起きたのにまた寝るんだぞ。「一度吐いてまた食べる」とは意味が違う。何かそれじゃあ何度口に入れても戻してしまう悲劇みたいになってしまう。

「一度別れてまた付きあう」とも違う。これもただ復縁して前に戻っただけの行為を指すが、二度寝は二度寝る事に意味があり、一度目より二度目、更には三度目と、回を増す度にその価値は上昇していくのである。

 寝ていた自分への、更には「一度起きた自分」へのご褒美なのだ。なんて贅沢。なんて快感。二度寝こそが「一度~してまた~」の最上級ではなかろうか。

 いや、まあ昼寝も良いんだけどね。俺は決して昼寝をないがしろにして二度寝を推奨している訳ではない。誤解だけは勘弁だ。だから頼む、昼寝の神様よ。俺を嫌いにならないでくれ。天気の良い日の昼寝なんて最高だ。窓から差し込むポカポカ陽気を頬で感じながら惰眠をむさぼり尽くすのも至高の快楽である。

 二度寝がさっきまで寝ていた自分へのご褒美ならば、昼寝は太陽に対する賛歌であると断言しよう。まあ、とにかく今俺はそんな心持ちですやすやとベッドで横になっている訳だ。

「おにいちゃん、おにいちゃんってば、起きなよー。朝だよ」

 そんな俺の体を揺さぶる存在が実はかなり前からいた。妹である。

「もう、早く起きてよー、朝ごはん冷めちゃうよ。おにいちゃん。月曜日だよー。学校遅刻しちゃうよー」

 あれ?今我が妹、衝撃的な発言をしなかったか?月曜日。ウソ。あら、今日は月曜日でしたっけ?おお、マジですか。勘違いしていたね。

 日曜日はうんたらと言っていたさっきまでの自分が恥ずかしいぜ。だが、いかんいかん狼狽えるな。それならそれで考え方がある。……俺は「平日に二度寝」という背徳感を堪能するまでさ!!フフフ。俺ってとことんプラス思考♪

「むう、どうしても起きない気だね、おにいちゃん。こうなったら……」

 ふん、怠惰王である俺に何をしても無駄だぜ、妹よ。

「私も一緒に寝ちゃおうっとー」

 そう言うと妹は俺がすやすやと寝ているベッドの中にシュッと潜り込んできた。何という諦めの良さ。まあ、可愛い妹が添い寝をしてくれるので俺にとっても一挙両得だ。流石は怠惰王の妹、といったところか。

「あ、コンタクト……まあいいか。つけたままでも大丈夫だよね」

 ……コンタクトつけたまま寝ると大変だぞ。眼球の裏側に行っちゃった人の話とかちょっとした怪談話よりもゾッとするからね。

「ベッドに入りこむ時に布団で擦れてスカート捲れちゃった。まあいいか。大丈夫だよね」

 まあ、血縁だしな。スカートやパンツの一枚や二枚捲れようが、そこは問題なかろう。

「あ、手に朝ごはんの時にごはんに塗った『ごはんですよ』がまだ付いているや」

 随分鉤カッコ内に「ごはん」の量が多い日本語だな。それが手に付いてるってことは何だ?我が妹はごはんに素手で「ごはんですよ」を塗ったのか?

「まあいいや、おにいちゃんの布団が磯くさくなるだけだし。大丈夫」

 コンタクト着けっぱなしと同じノリの「大丈夫」で俺の布団が「ごはんですよ」まみれになる事が決定した。ていうかもうとっくにまみれているわけだ。「もう、早く起きてよー」あたりからこいつ俺の事ぺたぺた触りまくってたもんな。

「3日前から歯も磨いてないし顔も髪も体も洗ってないし服も変えてないし勿論下着も教科書もノートも体操服も学校に置きっぱなしだし1日12時間寝て授業中も9割居眠りしてるし友達に声とかかけられても100パー聞いてないし『うんうんそうだねその通りだと思うー。えへへ』って笑顔で答えておけばなんとかなるし世界で私一人がずっと寝ててもサボってても地球は何の関係もなく滅ぶし」

「貴様は今すぐ俺のベットから離れろ!!!」

「きゃあ!」

 俺はとうとう我慢出来なくなって、布団ごと起き上がり隣で寝ていた妹をベッドから転げ落とした。なんてヤツだ。この俺が同じ空間に存在していたくなくなる程の怠惰エネルギーを秘めているとは。ていうかもうこいつ確実に人間失格じゃないか。

「いたーーい。ひどいよおにいちゃん」

「うるさい!お前は今すぐ歯を磨け!顔を洗え!俺と一緒に風呂に入れ!」

 こんな怠惰な妹を放っておくわけにはいかない。俺の心は一気に使命と燃え上がった。

「冗談だよ。冗談。ちゃんと歯も毎日磨いているし顔も洗ってるよ」

「なにい、冗談だって!冗談とは何だ!冗談!?ああ!?何だ、何だ?……ハアハア、お、お前は何を言っているのだね!君!!」

「おにいちゃん落ち着いて。ちょっと!」

 妹が興奮状態の俺を必死に宥める。俺は息を整える。

「おにいちゃんがなかなか起きてくれないから、芝居したんだよ」

「……なに」

「おはよう、おにいちゃん」

「……」

 なるほど、どうやら俺は妹に一杯食わされたようだ。

「おはよう。ところで……」

「なあに?おにいちゃん」

「これは一体何の冗談なんだ?真由美」

 先刻から俺を起こしてくれていたのは妹ではなく、俺の事を「おにいちゃん」と呼ぶ真由美であった。


 妹のフリをして俺のベッドに侵入を謀った俺の幼馴染、川原真由美。そもそも俺にこんな風に可愛く起こしてくれる優しい妹などいない。

「何でお前が俺の部屋にいるんだよ」

「当たり前だよ。お隣さんだし」

 当たり前じゃねえよ。その答えは家が隣同士なら無断で住居に立ち入っても構わないという世間を騒がしかねないショッキング発言だった。

「そもそもおにいちゃんが言ったんだからね。明日起こしに来いって」

「ちょっと、ちょっと待て待て。待て―い!待てーい!」

 ああ、ツッコみ所が多すぎて照準が絞れない。この敵、当たり判定がデカ過ぎる。

「てかさっきからなんだ、そのおにいちゃんってのは」

「え!それも忘れたの!?」

 驚愕する真由美に俺は素直に首を縦に振る。

「それもおにいちゃんが言ったんだよ。昨日私に朝起こしに来いって言った時に『明日、俺の事はおにいちゃんと呼べよ。絶対だからな』って108回ぐらい念押ししたんだから」

「そう言われれば……したな。ああ、それはした」

 俺はその件をすんなりと思い出した。はい、私、山之内徹は幼馴染の川原真由美に、おにいちゃんと呼べと言いました。

 つまり真由美は俺との約束を健気に実行してくれたのか。ほろり。何て良い娘なんや。

「というわけで起きますよ。おにいちゃん」

「へいへい」

 俺はベッドから降りる。その瞬間、すかさず真由美が俺に声を掛ける。

「では、おにいちゃん。今…………何時!!?」

「9時43分45秒82!!」

「不正解。7時32分31秒09でした」

「ああ!惜しい!」

「全然惜しくないよ。9時なんてもう授業始まってるじゃん」

「がーん」

 真由美にツッコまれ、俺は項垂れる。

「ふふふ、いつになったら習得出来るんだろうね。『絶対時感』」

「ああ!もう、何で俺あんな調子こいちゃったんだ!」 

 前回の事件は俺の中で立派なトラウマと化していた。一時の気の迷いで「絶対時感」なんてモンスターを生み出してしまった俺。悔やんでも悔やみきれない。だが、自分の蒔いた種なので、なるだけ共存出来るように普段からの努力は怠らない。自分の歩幅を寸分違わず揃えるのだって元々はハッタリの所為で身に着けたのだ。為せば成る、為さねば成らぬ、何事も、である。

「じゃあ、次は……」

 真由美が恒例、朝のレッスンを始める。

「Jag gjorde nagot, men inte at dig.」

(別にアナタの為に起こしにきてあげてるわけじゃないんだからね) 

 今日はスウェーデン語からか……。俺は同じくスウェーデン語で返事をする。

「Ja, jag vet.」(分かってるよ)

「Ich habe etwas getan‐aber nicht für dich.」

「Yeah, ich weiss.」(ドイツ語)

「Si je le fais, ce n`est surement pas pour toi.」

「Ça, je l`ai bien compris.」(フランス語)

「HICE ALGO, PERO NO POR TI.」

「SI, LO SE.」(スペイン語)

「我不是因为你早上过来叫你的。」

「我知道。」(中国語)

「Meron akong ginawa, pero hindi para sa iyo.」

「Oo, alam ko.」(フィリピン語)

 六ヶ国語の練習である。これも俺が六ヶ国語を喋れる探偵だと世に認知されてしまったからだ。他にも幾つか俺が推理の為に生み出した能力があり、日によって訓練も変わる。まさに毎朝自分の罪を数えている気分だ。

 そんなこんなで探偵像を保つ為のトレーニングをしばらく行ってから、俺と真由美は我が家の下の階へと降りた。

「やっと起きてきたわね」

「ごめんね真由美ちゃん。迷惑だったでしょう?」

 階下のリビングには、俺の母親と、俺を可愛く起こしてくれない優しくない、超絶可愛い妹がいた。


「おはよう真由美ちゃん。馬鹿息子」

「おはよう真由美ちゃん。馬鹿野郎」

「おはようおばさん。麻美ちゃん」

「肉親を後回しにした挙句馬鹿呼ばわり。なんて仕打ち。酷い方々だ」

「ふん。幼馴染に自分の事『おにいちゃん』って呼ばせている変態を兄と認める程私の心は広くありません」

 べーと舌を出して俺に悪態をつく我が妹。本当に、何でこんなにきゃわいいんだろう。

「あと勝手に人の名前の漢字を『麻美子』から『魔魅子』に改名しようとして教科書から文房具、挙句は日直時の黒板の右下の名前書くとこに至ってまで勝手に書き換えたキモヲタ野郎を私は人間と認めるわけにはいけません」

 肉親どころか人類でもなくなってしまった。

「おにいちゃん、その日わざわざ小学校まで行ったの?」

 真由美が呆れた顔で聞いてきたので、

「あたぼうよ!」と俺は最高の笑顔で答えてやった。

「真由美ちゃん、こんなヤツの言う事なんて聞かなくていいんだからね?真由美ちゃんは優し過ぎるよ。可哀想に。断れないんだから」

「麻美ちゃん、ありがとう。でもそんなことないよ?ちゃんと嫌な事は嫌って言ってるから。おにいちゃんから一人称を『ボク』にしろってここ一年で365回くらい言われてるけど、しっかり断ってるし」

「幼馴染をどうする気だ貴様は!!」

 妹の矛先がまたも俺に向いた。

「なあなあ麻美子からも言ってやってくれよお。真由美頑固で聞かないんだよ。その為にまずお前から『ボクっ子』の良さを教えてやってくれないか。手始めに『ボク、おにいちゃんのことなんか全然好きじゃないんだからね!』からで良いからさ。なあ麻美子。頼むよおおお」

「こいつもうダメだ!」

 遂にはこいつ呼ばわりである。年長に対する尊敬の念を教わっていないのか。それでも俺はこの妹が可愛くて可愛くて仕方ないのだ。今は多感な小学校5年生。周囲、そして本人自身の心身共の様々な変化に戸惑いを感じ、素直になれずにいるのだろう。可哀想な妹よ。それでも俺はお前を見放すものか。

 麻美子がテーブルでトースターを齧りながら真由美に話しかける。

「ねえねえ所で真由美ちゃん。相談があるんだけど」

「なにかな?」

「何だ何だ、にいちゃんはいつでも年中無休でお前の相談を受け付けているぞ」

「もう、おにいちゃんは黙っててよ」

「徹は黙ってろよ!」

 二人の妹に怒られる俺。

「で、相談って?」

 真由美に促された麻美子はスカートのポケットから一枚の小さな便箋を取り出した。開け口にハートのシールが貼ってある。

「あ、それってひょっとして、ラブレター?」

「ななななななななななななななななななななななななななんだとおお!!!!」

「もうおにいちゃんうるさいよ」

「そうだよ。何勝手に聞いてんだよこのサル助が」

 またもや二人がしかめ面で俺を非難するが、それどころではない。

「いやだが、今お前それって……ラブレターだと。許さん、俺は許さんぞ!絶対に許さんからな。何だ何だ何だふざけやがって。俺の大事な妹に一体全体どこの誰だそんなマセガキは!今すぐ連れてこい!俺がぶん殴ってやるから!百回ぶん殴ってやるからな!」

「あんたどんだけ大人げないんだよ!声がでかいよ。うるさい!」

「いや、だがだな麻美子、これは兄として……」

「それに連れてこいったって無理だよ」

「ええ!?何でだ!?何でだ!何でなんだよおおお!!??」

「落ち着けよ……。だってそれ、靴箱に入ってただけで、名前が書いてないんだよ」

「なんだと……」

 名前が書いていない……だと?

「だからダメなの。あんたは黙っててよ」

「ああ、そう……。書いてないのね、お名前が」

 書いてない。

「書いてないのね……」

 ラブレターに……名前を……書いていません?

……ふざけやがって。思いを伝えるだけ伝えておいてあとは知りませんってか?ケッ、とんだ自己満足野郎だな。男の風上にもおけやしない。この日和見主義の臆病者が。

 いいぜいいぜ、分かったぜ。そっちがその気なら……。お前は俺を本気で怒らせた。

「おい、徹。ちょっとどこに行くん……」

 麻美子の声を背中に俺は二階に上がり、俺の部屋の隣の扉を開ける。

 そこは全体的にピンクの配色で出来上がった可愛らしい部屋。その部屋の隅にある勉強机の3番目の引き出しを開け、その裏側にセロハンテープで固定してある鍵を剥がす。その鍵を使い一番上の引き出しを開錠し、そこからピンクの日記帳を手に取ると俺は再び階下へと降りていった。

 帰ってきた俺の右手に握られているものを見て真由美が口を開く。

「おにいちゃん。それ何?」

 その問いに俺は間断なく答える。

「麻美子の部屋に置いてあるここ最近の写真と出来事が綴られている秘密日記だ」

「お前は何でそんな速さで妹の部屋にある鍵のかかった引き出しから日記を取ってこれるんだ!!」

 強烈な力で頭を叩かれた。頭がグラグラして、世界が回るが気にしない。何故なら普段から世界は回っているものなのだ。地面に沈みそうな体をグッと右足で踏ん張る。

「麻美子。お前最近、正確に言うなら2ヶ月前の15日に学校で遠足に行ったな」

「妹のプライバシーをかけたツッコミを丸無視の上、なんだよその記憶力は。お前気持ち悪いよ!」

「ちなみにその遠足の時の写真はここ、アルバムの26ページからだ!」

 じゃーん、と俺は指定したページを一発で開いて見せる。

「もうやだこんな兄貴!おかあさーーん!」

 母親に抱き着いて泣き声を上げる麻美子。

 写真には、麻美子が友達2、3人と写っている写真が並ぶ。ふんふん、やはりどれを見てもうちの妹が一番イケてますなあ……。おお、いかんいかん。妹鑑賞は今日の目的ではない。俺は次のページを開く。そこには大きめのサイズの写真。クラスの集合写真が貼られていた。

 よし、これだな。気合を入れ、食い入るようにその写真を見つめる。一人一人の顔を凝視する。こいつは違う……こいつでもない……違う、違う、違う。

「――いた」

 上から2段目、右から3列目。

「こいつだよ」

「わ、流石おにいちゃん」

 そこに立っている男子の額にはっきりと「犯人」と書かれているのを俺は見た。妹がラブレターを貰うというのは俺にとって十分事件だからな。

 写真の小僧に俺は悪態をつく。

「この腐れ手紙名無し小僧が!」

「キワモノ妖怪みたいな言い方すな。よこせ」

 麻美子はそう言って俺の手からアルバムをふんだくり、俺が指差した小僧を食い入るように睨む。

「あー、こいつかあ。ふうん。なるほどねえ」

 麻美子は写真をニヤニヤ笑いながら眺め、何度も頷く。

「おいおいおいおい、何その雰囲気。そのまんざらでもなさそうな感じ。ダメだからな。だ、男女交際なんてまだ早い!兄として絶対に許さないぞ」

「あれだけの扱いを受けてもまだ堂々と兄と名乗れるなんて、本当に凄いよおにいちゃん」

 溜息交じりの真由美。実の妹は俺を完全に無視である。

「ちょっと徹」

 母親がそんな俺の肩に手を置く。何よ?もう。

「昨日から冷蔵庫が変な臭いするの。お願い」

「くそ、今大事な所なのに」

 だが、母親に逆らわない俺は、ダッシュで冷蔵庫まで行くと、扉を開ける。

――牛乳、違う。――バター、違う。――卵、違う。

 俺は次々と冷蔵庫の中の食品を手に取る。

―――あった。

 キムチの容器、その縁に「犯人」と書かれていた。

「ほい、これだよ」

「ああ。キムチか。もう捨てなきゃね。いやあ、本当便利ねあんたのその機能」

「機能って……」

 俺は洗濯機か。母親は俺をこんな使い方ばかりしやがる。冷蔵庫のプリンを食べた犯人だとか、失敗した料理の食材当てとか、およそ探偵らしからぬ行為だ。

 真由美と麻美子はまだ写真を見てきゃっきゃとしている。まったくこいつらは。俺は後ろから覗きこみ、二人に次の予定が詰まっている事を告げる。

「ああ、君達。もうぼちぼちその写真、焼く時間だから、いいかな?」

「そんな時間があるか!何勝手に焼こうとしてんだよ!」

「けっ。何言ってんだ、麻美子。どうせその小僧。きっとお前の体が目当てに決まってる。貧乳だ貧乳だ。貧乳が目当てに決まっている!」

「小学6年生が女の子を好きになる理由が『貧乳』なわけがあるか!」

 再び頭を思い切り叩かれた。

「え?でも俺は小6の時、それが理由で女の子好きになってたぞ。クラスの女子ほぼ全員だったがな!」

 満面ドヤ顔で俺は言う。

「地獄に落ちろこのど変態!」

 その顔面に全体重を乗せた飛び蹴りが飛んできた。フフフ、まったく困った妹である。

 これが山之内家のごくありふれた朝の風景であった。


 朝ごはんを食べ、学校に行く準備をする。真由美はいつも早めに起こしに来てくれるので、のんびりしても結構余裕なのだ。

 時刻が八時を回った時点で真由美が俺に話しかける。

「おにいちゃん。今日の天気は?Wテレビがいいな。安西さんがいい」

「はいはい」

 俺はチャンネルをWテレビに変える。安西さんとは予報士の名前である。

「今日は降水確率10パーセントだってさ」

「円相場は?どれどれ」

 そう言って真由美は俺からチャンネルを貰い、変える。今度はTテレビだ。

「何でそんなの見てんだよ?」

「今日は数学のテストだからね」

「あ、そうだっけか?」

 ん?数学のテストと円相場になんの関連性があるのか俺には理解出来なかったんだが。こいつと会話していると話が飛んで困る。

「じゃあ、ぼちぼち行くか」

「はあーい」

「麻美子、帰ってきたら話があるからな。いいな」

「早く行け馬鹿!」

「車に気をつけなさいよ。いってらっしゃい」

 妹と母親の声を背に、俺達は家を後にした。

「「行ってきまーす」」


「今日も良い天気だね」

「ああ、ていうか暑いな」

 俺は適当な相槌を打ちながら通学路を歩く。

「だがもう九月か。早いもんだなあ。ついこの前まで夏休みだった気がするぜ」

「今月はどんな事件が起こるかな♪」

「あのなあ……」

 俺はうんざりしながら言う。

「そう頻繁に事件が起こってたまるか」

「あら、私は毎週でも構わないよ」

「勘弁してくれよ」

 まったく、コイツの事件好き、謎好きにも参ったもんだぜ。

「でも、先月の事件は面白かったね」

「どこがだよ」

「『ザイツタミヤ事件』」

「ああ、俺は何で捕まえちまったんだあ!!」

 あれから俺は鬼の様に落ち込んだのだ。まさかあの犯人が俺が世界で最も尊敬するザイツタミヤ監督様だったなんてよ。それさえ分かっていればあの天使の様な少女ごとまとめて……。

「何とかして二人とも助ける手段があった筈だ!ああ、選択肢まで戻りたい!」

「ははは、ゲーム脳だゲーム脳だー」

 きゃっきゃとはしゃぐ真由美。

 魔魅子観たさで魔魅子の監督捕まえたら本末転倒も良い所だよな。顔写真くらいチェックしとくべきだった。ネットでも俺かなりこき下ろされてたしなー。「ザイツ監督を逮捕するなんてマジ最悪死ね」とか「噂で聞いたけどあの事件もっと捜査に時間がかかる筈だったんだってさ。どこの名探偵(笑)か知らんが魔魅子の放送時間まで何故待てなかったんだ死ね」とか「山之内徹死ね」とかもう散々な言われようだったのだ。

 ……てか俺普通に実名ネットに晒されてんじゃん。超怖いんですけど。

「名探偵(笑)。この『(笑)』も本人からしたら結構恥ずかしいよね」

「もう言わないで!」

 こいつはまだバッグを警察に持っていかれた事を怒っているのだ。今でもちくちく俺を苛めてくる。そんな時、後ろから人が近づいてくる気配。

「よう、おはようトオル。マユミちゃん」

 振り返ると、それはクラスメイトの谷崎範人だった

「よう、範人」

「おはよう、範人君」

「今日も仲良しだな」

「まあな」

「幼馴染ですから」

 二人揃ってピースする。

 範人のこういう発言は中学二年生にありがちな異性同士の登校を茶化した雰囲気が一切ない。そもそも範人自身にそんなつもりもなく、素直に見たまま思ったままを自然に口に出しているだけなのだ。

 谷崎範人。背は俺より少し高い。髪はボサボサだが、そんなに悪い顔ではない。どっちかと言えばハンサムだ。かなり良く言うなら「タッチ」の新田昭夫に似てなくもない。でも俺は顔は関係なく男気と優しさに溢れる原田が大好きだけどね。

 範人という名前は勿論「模範となる人になれ」と言うご両親の願いからだ。その願いが叶った結果、真っ直ぐでそれでいて頑固になる事もなく、普段は飄々としていて何を考えているのか分からないマイペース野郎だが、これで正義感は人一倍ある、漫画の主人公みたいなヤツに育ったのだ。

 昔は名前から「はんにん」と呼ばれてからかわれる事があったらしいが、最近はそうでもない。まあ、どう間違ってもコイツならそんな事にはならんだろうがな。コイツとは小学校からの付き合いで、昔俺が助けてやったらしいのだがそれはよく覚えてはいない。だが、範人はそれをしっかり覚えているらしく、俺にやたらと親しくしてくれるのだ。

「あ、おにいちゃん。今日二時間目、体育だよ。ちゃんと体操服持ってきた?」

 真由美が心配そうに俺に聞く。

「へへー、下に着こんでるぜ」

「もうー、ダメだよおにいちゃん。そんなズルしちゃあ」

「別にズルじゃないだろう。というか九月だからすげえ暑い。やめときゃ良かった」

「おにいちゃん。教科書とかも学校に置いてるでしょう」

「へへん。中学二年生が置き勉しなくて何勉するってんだい。ガリ勉かい?そんなの俺はまっぴらだぜ!!」

「……あの、ちょっといいか?」

「ん?」

 範人が不可解な顔をして俺達の会話に割って入る。

「何だ?」

「最初はオレの聞き間違いかと思って流していたが、どうやらそうではないみたいだから質問させてもらうが。いつからマユミちゃんはお前の妹になったんだ」

「おお」

 ああ、そうか呼ばれ方か。俺もあまりに真由美が自然に俺の事を「おにいちゃん」と呼ぶので、違和感を感じなくなっていたようだ。それは確かに不思議に感じただろう。すまなかったぜ。俺は範人に事情を説明する。

「これはな。お願いすればやってくれるんだぜ?」

「そうなのか?」

 お、喰い付きがいいね範人君。

「お前も何か呼ばれてみたい名前とかあるんじゃねえの?お願いしてみろよ」

「おお、そうだな」

「あ、でもあんまりおかしな事言うなよ。真由美が引いちゃうからな」

「心配しなくても『おにいちゃん』以上のおかしな事をお願いする勇気はねえよ」

 そうして範人はしばらく目を瞑り、腕を組んで考え込む。そして、カっと目を見開いた後、こう言った。

「じゃあマユミちゃん。オレの事は今後、『範平太くん』と呼んでくれ!!」

「りょうかーい。範平太くーん」

 無駄に甲高い声で範人を範平太と呼ぶ真由美。ふむふむ、悪くないんじゃない。しかし当の本人の範人の反応はあまり芳しくない。

「うう……む」

「どうしたよ範人。あんまりか?」

「いや、悪くはない。悪くはないのだが……」

「だが?」

「これが最善なのかどうか……とな」

「なるほど」

 悪くはないが、これでいいのか?そんなアニメはたくさんある。その気持ち、よく分かるぞ範人。

「ところでマユミちゃん」

 範人は真由美に肝心な事を聞いた。

「変更は?」

「変更は出来ません」

「ぬおおお!しくじった。一度きりのチャンスだったのか!オレのベストは本当に『範平太くん』だったのかよ、おい。どうなんだオレ?」

「あとお前『今後』って言ったから今後真由美はお前の事一生『範平太くん』って呼ぶからな」

「え、そんな後出しルール満載なのか?トオル、お前は?お前の『おにいちゃん』はどうなんだ?」

「フハハハハ!俺の『おにいちゃん』は今日一日限定なのさ!!」

「ごめんね、範平太くん、てへ」

「お前達いい!謀ったなあ!!!!」

 適当なセレクトを悔やむが良い、友よ。これもまた青春さ。


 俺なら絶対、「大好きなご主人様」と一生呼ばせていた。


 と、わいわい言っている間に気が付けば学校についていた。特に代わり映えもない我が学び舎である。それでも俺は結構この学校が好きだった。

 校門の前には生活指導の教師が何人か立っていて、おはよう、だとかスカートの丈短すぎんじゃないかい、等と生徒に声を掛けている。そこから少し外れた場所に見知らぬハンチング帽を被ったうさんくさいおっさんが立っていた。誰だ?俺の記憶にはない。だから関係もないだろう。通り過ぎる。

「やあ、山之内君。真由美ちゃん」

 おっと声を掛けられたぜ。しかも俺と真由美の名前まで知っている。何だこのおっさん。俺は真由美とそのおっさんの間に立ち、応対する。

「どちらさまでしょうか?」

「おにいちゃん。記者さんだよ記者さん」

「記者さん?」

 真由美が俺を窘める。何だ、知り合いだったか。だが、記者に知り合いなんていたっけ。

「ほら、『ザイツタミヤ事件』で」

「ああ、ん?どうかな?」

 俺は思い出そうとするが、よく分からない。

「山之内君が僕の事を覚えていないのも無理はない。僕はずっと見ていただけだからね」

 そう言っておっさんはハンチング帽を軽く右手で弄り、左手をポケットに入れると、四角形の携帯みたいな機械を取り出した。少し大きな携帯といったサイズ。あれは何だ?

「電子メモだよ。うちの会社の商品使ってくれてるの」

 ふうん。何か便利そうだな。外装が両横へスライドされ、中から小さなキーボードが出てきた。更に奥からディスプレイが現れる。おお、変形ロボみたいで格好良いぜ。

「今日は是非、少年探偵山之内君の密着取材をさせて欲しくてね」

 左手に変形後のメモ帳を持ち、右手でキーボードをカタカタ叩く。なんてハイテク。

 ああ、そうだそうだ。確かに船でもいたかもな。『MONSTER』のルンゲ警部みたいって思ったのを、思い出した。だが、これ実際近くで見たらちょっと引くね。明らかに変なおっさんだ。ていうか、俺は密着取材も全然乗り気ではない。

「すいませんがあんまりそういうのは……」と俺が断りを入れようとする前に、真由美が一瞬で俺とおっさんの間に割って入ってきて、目をキラキラさせて言った。

「密着取材!!素敵!!記者さん。おにいちゃんの事格好良く書いて下さいね!!是非、是非、お願いします」

「オレからも宜しくお願いします。こいつは本当に良いヤツなんで」

 範人まで頭を下げる始末だ。何だ何だお前達は、俺のマネージャーか何かか。気が付いたら俺の意志は一切抹殺され、密着取材を受ける事が決定していた。

「一応学校の方には許可を頂く為に今日伺いますとだけ言っているんだ。だから今から職員室に行って趣旨を説明させてもらって、オッケーだったら早速朝のホームルームから密着させてもらうとするよ」

 用意周到だな。もうあとは教師の常識を祈るだけだ。部外者を校内に入れるなんて、許される訳がない。だが、嫌な予感しかしないのは何故だろうか。

 そして一先ず俺達はおっさんと別れる。最後に「あれ?君たちは幼馴染じゃなくて兄妹だったっけ?」と聞かれたが、何言ってんだこのおっさん。

 そんな一幕があり、俺達はようやく校門を通過する事が出来た。俺は真由美達を睨む。

「お前達なあ」

「でも取材だよ。凄いよ」

「トオル。やったな」

「ていうかあのおっさん、俺の学校生活なんて取材してどうしようってんだ。事件なんざそう簡単に起こるわけないだろう」

「おにいちゃんが授業でバンバン問題を解く所を取材したいのかもね!」

「『少年探偵、二次関数の謎を解く!』か。凄えぜ!」

「え、それの何が楽しいの?そんな恥ずかしい記事書かれたら俺またネットで何て言われるか分かんねえよ」

 俺は言い知れぬ不安に駆られた。


  靴箱で靴を脱ぎ、上履きに履き替える。そこで顔見知りに会い、俺達三人はそれぞれ挨拶を交わしあう。靴箱で真由美と範人の靴箱からラブレターが出てきたが、頻繁にある事なので、特に驚きもなかった。範人はこういう事にも真面目で、相手が誰であれしっかりと一時間は考えて、面と向かって返事をしてあげるのだ。そりゃあモテるわな。だが、自慢ではないが俺の靴箱にも手紙が入っていたりするんだぜ。なぞなぞや最後の方が切り取られた推理小説が入っていて「この謎が解けるかな?」とな。

 ちなみに真由美も範人も俺と同じクラスだ。しかも真由美とは保育園、小学校とずっと同じクラスなのだ。教室に入って俺達は各々の席へと向かう。一人の女子生徒が座っている席から範人に話しかけてきた。

「あ、おはよう範人君。ねえねえ、今日学校終わったらカラオケ行こうよ」

「ああ、いいよ」

 この娘は上原明日香さん。真っ黒なロングヘアーで切れ長の目、背も高くスタイル抜群、活発で男女共に人気の女子生徒。同じく範人は男友達も多いし、女子にも人気がある。二人が並ぶとこれはなかなかお似合いな感じだ。まあ二人にそんな雰囲気はないがな。範人は上原明日香さんではなく同じクラスの大人しめ美少女、下岡今日美ちゃんが好きだし。

「カラオケですか。いいですな」

 俺も会話に混ざる為、明日香さんの後ろの席に座る。窓際の一番後ろ。ちなみにここは空き机なので、気を使う必要もない。

「あ、山之内君も行こうよ!」

 明日香さんは嫌な顔一つせずすぐに俺も誘ってくれる。このクラスは皆良いヤツらばかりなので俺は大好きなのだ。

「山之内君面白い歌いっぱい知っているから盛り上がるんだ」

 ふふ。俺の新旧アニソンオンパレードは鉄板だからね!子供からお父さんまで楽しめます!明日香さんも、俺達の三年上の世代の曲もノリノリで歌えるけどな。何故なら、明日香さんには明日夢さんという三つ上のお姉さんがいるのだ。

「そういえば明日香さん。明日夢師匠は元気?」

「うん。昨日も山之内君に会いたがっていたよ」

「今度お邪魔するって言ってて」

 明日夢さんは俺と同じくアニメオタクで、たくさんフィギュアを持っているのだ。ちょっとした事で知り合いになり、何度か家に遊びに行った事もある。いらなくなったグッズ等をくれたりするのだ。今俺が狙っているのは、どこかの名探偵(涙)のお陰でグッズも完全発売中止となった魔魅子のフィギュアである。どうにかして、あれ貰えないかな。でも明日夢さんも魔魅子の大ファンだから、そう易々とはくれないよな。ああ、欲しい!!おさがりでもいいから!!

「おさがりでもいいから欲しい!明日夢師匠の!」

「きゃあ」

 明日香さんが悲鳴を上げる。いかん、いつの間にか俺の心の声が外へ漏れていたようだ。

「ちょっと突然大声出さないでよ」

「ああ、ゴメンゴメン」

 俺は素直に謝る。

「で、お姉ちゃんのおさがりが欲しいの?」

「ええと、まあ。うん」

 俺は正直に答える。

「ふうん。私はおさがりだらけよ。なんでもかんでもお姉ちゃんの使い古しばっかり。もう嫌になっちゃう」

 なんだそれは、自慢か?俺はなんとも恨めしい目で明日香さんをにらんだ。

「で、カラオケだけど他に誰か誘う?」

 だが、直ぐに話を戻されてしまった。まあいいか。

「あ、じゃあ真由美もいい?」

「勿論!」

 ちなみに真由美は凄く歌が上手くない。達者でない。ジャイ子並みに上手くない。いや、ジャイ子が上手いのかどうかは作中でも語られないから知らないんだけれど。真由美の唯一の欠点が歌なのだ。上手くないのにクイーンの「ボヘミアンラプソディ」など歌うから最高に始末が悪い。包丁もまともに握れないヤツがビーフストロガノフを作る様なものだ。

 それでも歌う事は好きだし、それを明日香さんもちゃんと分かっている。「楽しければ上手い下手いは関係ない」。それが男前な明日香さんの理論だった。夕方のアニメは予約してきているから大丈夫だし。アニソン歌いたさにアニメを見逃すわけにはいかんからね。アニメ見たさに監督捕まえちゃいましたけどね!!(号泣!!)。


  そうこうしている間に担任の佐伯先生がやってきて、朝のホームルームが始まる。俺は慌てて自分の席に戻ろうとする。すると机の横に掛けてあった誰かの体操服袋を落としてしまう。いけないいけない。俺はそれを拾うとしっかりと机に戻し、自分の席についた。

 佐伯先生は出席を取ったあと、皆を見回して言った。

「えー、今日は山之内に密着取材が来ているが、気にするな」

 教室の後ろに電子メモを持ったおっさんがいてカタカタしている。いや気にするよ。何で許可するかね。この学校大丈夫かよ。当然、クラスの皆は騒ぎ出す。

――山之内君の取材だって。

――私、真由美ちゃんの御付の人かと思った。

――先月も殺人事件を解決したんだって。

――みたいだよね。凄いよねー。

――ていうか今日川原さん山之内君の事「おにいちゃん」って呼んでなかった?

――まさか、そんな筈ないよ。あの二人は幼馴染であって、兄妹じゃないよね?

 

おっさんの所為で色んな噂が飛び交っているではないか。まいったね、まったく。


 そんなこんなでホームルームが終わり、一時間目の授業が始まる。一時間目は古典の授業だ。今は源氏物語を勉強している。この話、なかなか良いよね。

 これこそ幼女をゲットする為の経典。源氏が紫の上を見染めた時なんて10歳かそこらだろう?10歳と言えば麻美子の年齢だしな。源氏の気持ちも分かるぜ。だが今やっている所はまだ『源氏』の中でも序盤辺り。紫の上は出てこない。まあ源氏はどの時期でも好き放題プレイボーイしまくってるけどな。俺は古典の先生の説明を聞く。

「葵の上は嫉妬と屈辱に狂った六条御息所の生霊によって、殺されるわけだが……」

 これは有名なエピソードだ。女の情念が生霊となって人を殺すとは、なかなかショッキングな事件だが、昔は病や事故、事件でもこういった非科学的解釈がされていたのだろう。俺は教科書に目を落とす。

――御息所(「犯人」)は、ものを思し乱るること、年ごろよりも多く添ひにけり――

 あ、六条御息所に「犯人」ってルビが降られている。

 まったく、俺の能力は節操がないから困るぜ。


 二時間目はお楽しみ、体育である。

 男子はサッカー、女子はバレー。ちなみに我が中学は女子はハーフパンツでなく、ブルマ着用が義務付けられている。それだけで男子のテンションは上がり、学問、スポーツ共にウナギ昇り。よく考えられた学校方針である。今日は良い天気だから、ウォーミングアップの段階でじっとりと汗ばんでいた。運動場の隅っこに記者のおっさんもいる。探偵の体育の授業見て何になるんだよ、と思いつつもあまり気にしない様にする。

 俺のポジションは、攻めでもなく守りでもなくみたいなグレイなポジション。コートを人体で例え、味方フォワードを心臓、敵キーパーを肛門とするならば、丁度肝臓の部分にあたった。

 ホイッスルが鳴り響く。まずは胃のあたりで敵がパスを回しあう。

 隣のバレーコートの女子をちらりと盗み見る。真由美がアタックをミスしてぺロッと舌を出していた。ブルマを軽く弄る。

「大丈夫よ。真由美ちゃん」

「皆の気持ちは一つよ!」

 今の真由美は勿論本気ではない。俺が普段からあまり目立つ様な行動を取るなと言っているからだ。あいつのポテンシャルはどの方面にしても秀でてい過ぎるきらいがある為、少しリミッターを設けなくてはならんのだ。

「名探偵!パスだ」

「おう」

 そうこうしている内にボールを手に入れた味方から、俺にパスがくる。俺は高笑いをあげながら敵陣へと攻めていく。

「お前達のフォーメーションは見切った!そこががら空きだぞ。フハハハハハ」

「何!そこ?どこだ?」

「コートを人体で例えたら丁度尿道の部分にあたるそこだ!!」

「例えが気持ち悪い!」

「その上分かりにくい。何の為の例えだと思ってるんだ」

 吠える敵陣の男子達。フハハハハ、負け惜しみは男らしくないぞ。いくぜ!

 俺は大きく足を後ろに振り上げ、そのままボール目掛けて振り下ろす。

 が、その足は思い切り空を切り、尻餅をついた。お尻をしこたま打った。超痛い。

「フハハハ!策士、策に溺れるだな!」

「とんだ安楽椅子探偵だぜ!」

「この事件、迷宮入りだぜ!」 

 敵陣からの中学二年生丸出し合戦の捨て台詞(いちいち探偵に被せてくる)を背中に受けながら、俺は敵陣の太ももにあたる部分で尻をさすりながら立ち上がった。

 ふーやれやれ。ん?今のか?わざと?まさか。勿論本気だ。俺に運動神経はない。真由美の10分の1もポテンシャルないんじゃないかしら。

「トオル!パスだ」

 範人の声が響く。

「おう」

「おやおやまたですか探偵さん」

「マスターキーの件なら昨夜お話した通りです!」

「お引取りください!」

 それでもちゃんと俺にもパスしてくれる範人や相手をしてくれるヤツらのおかげで、スポーツ自体は全然好きでいられている。

「行け!範人!肛門へ捻じ込め!!」

「例えが気持ち悪い!」


 三時間目は数学だ。

「はーい、では今日は小テストだ」

 数学は担任の佐伯先生の受け持ち。佐伯先生は生徒思いの良い担任である。

 小テストといえども席を移動しなければならない。これはカンニング防止の意味は勿論だが、一番の理由は先生が採点を付け易いという事なのだ。

「今日はそうだな。窓際からスタートして男子出席番号順、終わったら女子出席番号順といった風に並んで座る様に」

 佐伯先生の場合、更なるカンニング防止の為に、今の様に座るパターンがランダムで変わる。今日は窓際から男子がスタートする『逆スタンダード』だ。俺は窓際から三列目の2番目に座る。おお、ほぼど真ん中じゃん。毎回同じ場所に座るとなると前もって机に細工が出来るからな。だが別に佐伯先生は俺達を疑っているわけではない。「俺達が疑われるかもしれない状況」を無くす為だ。これは似ている様で全然違う。佐伯先生は格好良い大人なのだ。

「それでは、テスト開始だ」

 俺の能力があれば、テストの〇☓問題とか全て答えが分かりそうなもんだが、現実はそう甘くはない。どれだけ〇☓を凝視しようとこれに関しては一切何も浮かばない。俺の能力はあくまで「犯人」が分かるという能力であって「正解」を当てる能力ではないという事である。よって宝くじも分からない。

 無い物ねだりをしても始まらないので、俺は自力で問題に挑んだ。


 四時間目は移動教室。

 音楽と美術の選択授業で各々音楽室と美術室に分かれる。俺と真由美は音楽。範人は美術を選択している。俺たちのクラスの教室は2階。音楽室は渡り廊下を渡って4階。美術室は1階。

 今日は個人テストの日。音楽準備室で一人一人の歌を先生が聞いてテストをする。

 今は音楽準備室から「ぼえ~」と聞こえてきている。今は真由美がテストを受けているのだ。で、待合室となっている音楽室の方は一応ミュージカル映画が流され、それの鑑賞という名目となっているのだが、実際各々が好き放題している。教室の外に出て女子から怒られる男子もいた。何とものどかで平和な光景である。

 まあ、当然、事件など起こるわけもない。

「スイマセンね」

 俺は何故だか後ろのおっさんに謝ってしまった。それでもおっさんはカタカタしている。一体何を書きとめる必要があるのだ?「準備室から『ぼえ~』の声が?これは事件か」とか書いているの?

「いやいや、まあ学校で事件なんてそうそう起きる事ないよね」

 それが分かっていて一体何しに来てんだこのおっさん。怪しいな。

「普段の少年探偵の姿も興味あるし、これでもいいと思うよ」

 このおっさん。結構のんびりしているというか、あまり何も考えてなさそうだよな。タイピングは上手いけどさ。

 とりあえず、別にこっちが頼んだわけではないのだが、俺の為にわざわざやってきてくれたのだ。もう少しぐらい会話をしてやるか。ああ、俺は何て気使いなんだ。

「記者さんって、何か趣味とかあるんですか?」

「いいや。仕事以外はからっきしで。何もないね」

「……そうですか」

 ……このおっさんは、人と会話をする気があるのか?

 折角人が気を使って質問してやってるというのに。シャイなのか?人見知りなのか?だからキーボードをカタカタしているのか。

 そう憤っていたら、逆に向こうが俺に質問をしてきた。

「山之内君はゲームとかするのかい?」

 お、大人が子供にする質問の見本みたいだな。いいぞいいぞ。

「はい、そりゃあ子供ですから。ゲーム全般、何でも好きですよ」

 俺は至って、普通に答える。

「記者さんは、どうなんですか?」

 俺は質問をそっくりそのまま返す。記者のおっさんは、タイプの手を止め、右手を顎に持ってきながら話す。

「うーん、最近はあまりしないけどねえ。昔はよくやってたかな。山之内君とかは知らないかもしれないね」

「あ、でも僕レトロゲームとかも結構好きですから。昔のドラクエとかも全部やってますし」

 それを聞いて、記者のおっさんの顔が少し和らいだ。

「僕もドラクエは好きだったよ」

「世代ですもんね」

 良い感じに会話出来てるじゃん。良かった良かった。じゃあここでドラクエファンなら定石の質問を一つ。

「記者さんはドラクエ5の花嫁、誰を選びました?当然―――」

―――ビアンカですよね。

 そう言おうと口を開けた俺。だが、それよりも先に出た記者の言葉に、俺は驚愕を覚えた。

「デボラかな」

「……」

 …………デボラ?

 今、デボラって言いました?

 あの、突然現れて立候補する、フローラよりも更に唐突な、あの方?マジかよ。冗談ならともかく、普通にした質問でビアンカ以外を答える人間がいるなんて。しかもデボラ。

 しかもデボラが登場したのってスーファミ版じゃなくDS版。確かに最近って程じゃあないけどさ。結構してんじゃんおっさん。

 いや、別にデボラ自身を否定するわけじゃないが……。くしゃみをした後のランチさんみたいな姉御肌な感じも嫌いじゃないが……。俺は記者のおっさんに「このどM野郎が!!」とツッコみたい気持ちを必死に抑えた。

 まあ、この件で一つはっきりとした事は、どうやらこのおっさんとは、まったく気が合わないという事だった。


 音楽の授業が終わり、俺は真由美とおっさんと一階へ向かう。昼休みなので一階にある売店でパンを買いに行くのだ。売店までは中庭を通る。二階にある我がクラスの窓もここから見える。あ、木が植えられているからちょっと見えにくいかな。それでももう四時間目の間施錠されていた鍵が開けられ、クラスにちらほら人が帰ってきているのが見える。

 上を見ていたからよくなかった。俺は中庭の真ん中あたりで一人の女生徒とぶつかってしまった。

「あ、ごめんなさい」

「いや、こっちがよそ見していたから……。ああ、高城さん」

「山之内君……」

 俺がぶつかったのは隣のクラスの高城さんだった。一年の時同じクラスだったから面識がある。俺達の学年でもトップクラスに背が低く、当然胸も小さい。このまま永遠に小さいままだったらいいのにな、と俺が普段から思っている娘だ。

 今のクラスは違うが、廊下で会ったら挨拶ぐらいは交わす。そういえばさっきの選択授業の音楽も一緒だったな。ん?向こうから来たって事は、授業終わって、売店に行って、もう帰ってきているって事か?随分と速いな。猛ダッシュしたのかな。ちょこまかと走る高城さんを想像し、微笑ましく思う。あれ?だが、手には何も握られていないぞ。好きなパンが無かったのか?それとも売店の横にある食堂で既に食事までしてこのタイムなのか?恐るべし、高城さん。

「いやあ、凄いね高城さん」

「ん……何が?」

 そこで俺は高城さんの様子がおかしい事に気が付いた。普通に対応しているのだが、目が真っ赤。泣いた後というか。そういや、音楽の時間もそわそわしていた様な……。

「どうしたんだい、高城さん。ひょっとして花粉症かい?マスクいるかい?あ、それともアニメの予約でも忘れてきたかい。それは事件だね……」

「山之内君の馬鹿!!!!!!」

 そう言って高城さんは俺に突然ビンタを喰らわせた。

「ぎゃあああああ!!」

 俺は悲鳴を上げながらバタンと倒れこむ。訳が分からない。何だ何だ、普通に痛いぞ。そして目の端にはそのまま走り去る高城さんの姿。

「おにいちゃん、大丈夫?鈍感!」

 真由美が心配して俺に駆け寄ってくる。あれ俺何か最後に悪口みたいな事言われた?

 俺は大の字のまま、空を眺める。ああ、真っ青だ。やはり良い天気だ。木も風になびいて枝葉はそよそよ揺れている。

 木に白い風船が引っかかっているのが見える。おお、何かアニメみたいだな。

 ていうか誰だ学校に風船なんて持ってきたのは。

 変な光景だよな。

 まあ、俺も含めてなんだろうけど。俺は風船を指差し真由美に同意を求めた。

「おい、真由美。何だアレは……」

「もう、おにいちゃんは本当に女の子の気持ちが分かってないんだから」

「いや、そうじゃなく……」

 その時である。二階の窓から悲鳴が上がった。

「きゃああああああああ!ブルマ泥棒」

 何だ何だ、次から次へと。

 そして今、何て言った?ブルマ泥棒?そいつは――

「大事件だ!」

 俺は一気に立ち上がり、声の元へ駆ける。階段を上る。二階の窓から聞こえてきたあの悲鳴。あの教室は、あそこは……我がクラスだ。

 俺のクラスで事件は起きたのか?とにかく急ぐ。途中、真由美が俺を追い越して行った。くそ。

 もうまもなく教室に辿り着く。一人の男子生徒が俺とは逆側から走ってきているのが見える。あれは……範人だ。俺達はちょうど教室の前で落ち合う感じになった。

「トオル」

「範人、聞いたか。今ブル……」

 そこで俺は完全に言葉を失ってしまった。

 俺は見てしまったのだ。

 信じられないモノを。

 いやはや、全く信じられない。

 目の前にいる小学校からの友人。曲がった事が嫌いで、漫画の主人公の様な男。

 谷崎範人。


 その範人の額に「犯人」という文字が書かれていたのだ。



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