超越探偵 山之内徹誕生③
物心ついた時から犯人の額に「犯人」という文字が見えた。
僕は普通に世界とはそういうものなんだと思って生きてきた。
僕の積み木を取るあの子も、僕を叩いて笑うあの子も、僕をつねって逆切れするあの子も、皆、額に「犯人」の文字をつけて家へと帰っていく。
お風呂に入って布団で寝て、明日が来れば、あの子の額は真っ白になるのかな、なんて考えていたのはいつ頃までだったろうか。
消えない額の文字と現実はどこまでも僕の心に深くのしかかり、今の僕を形成している。
そして、実験という名目でボスから言われて真由美と乗った超豪華客船で、殺人事件が起きた。その瞬間、白い煙がぼわんと上がり、目の前の男の人の額に「犯人」という文字が浮かんだ。
「君は、何を言っているんだい?」
如月と名乗った探偵が、ツイストを踊りながら僕を訝しむ様な目で見つめる。その瞳の奥は、薄く、暗く光りを帯びている。当然だ。犯人が突然現れた小学生に犯人である事を指摘されたのだ。怪しむし、訝しむし、憎しむに、決まっている。
僕は直ぐに自分の浅はかな采配を後悔した。今までとは違うのだ。これはただ指差して犯人を当てるだけのクイズではない。
僕は何で先に言ってしまったんだろうか。相手を不審がらせては元も子もないではないか。
「徹君。あーあ、言っちゃった。何で先に言うのかな。でも、真由美はその方が全然面白いけどね。先に知っておくのって良い事だモン。で、何?もう真由美が喰べていいのかな?ねえ徹君。先に喰べて良い?」
「ちょっと待ってよ。僕がやらないと、ダメなんでしょ」
真由美は既に臨戦態勢である。僕は必死でそれを窘める。
実際問題、別にダメというわけではない。僕がやらないとダメなだけなのだ。でないと僕がダメな事になるという、只々僕の理由だ。真由美には関係ない。一切関係ない。
真由美は既にいくつも「実戦」を経験している。
僕はさっきも述べたように「犯人」の額を見て、指摘した事はあるが、この能力を使って、事件そのものを解いた事はない。
つまり、探偵をした事がないのだ。
そもそも僕は根本的に嫌なのだ。こんな能力。
何の為にあるのか分からない。
こんな能力で、事件を解くなんて、嫌だ。
家でテレビを観ていたい。
でも、ボスが言うから、仕方がない。
ボスの言う通りにしないと、僕の存在価値はなくなってしまう。お払い箱になると、僕はどこに行けばいいのか、考えただけで途方にくれる。
現実を認めるしかない。僕は初めからそういうふうに創られているのだと。
全ての「謎」を知る事を義務付けられ、「犯人」を初めから知る超越した探偵。
化物と対の存在。
全ての謎を喰いつくす「化物」と「犯人」が分かる僕。
「化物」が動き出す前に、僕は「犯人」を追い詰めないといけない。先手を取るのは当然だ。
「ええと、少しだけ、質問をさせてもらってもよろしいでしょうか?犯人である探偵さん?」
僕はマニュアル通りの進行を始める。注目は僕に集まっているのだから、僕が喋り出さない事には、時間は動かない。
「ええと、犯人さん……。まず貴方に聞きたいのは、事件が発生した時、どちらいにいらしたか……です。食堂にいたんじゃないですか?先程監視カメラを扱っておられましたが――」
「ちょっと君。突然現れて一体何を言っているんだね」
副船長が割り込んでくる。無理もない。子供が突然探偵を犯人指名して、事情聴取紛いの事を始めたのだ。僕が彼でもそんなふざけた行為を許しはしないだろう。
「子供の遊びなら余所でやりなさい」
「まあまあ副船長、いいじゃないですか、面白い」
それを制したのは、犯人の探偵であった。僕を見つめながら、楽しそうに笑う。
「少し付き合おうじゃないか、君の探偵ごっこに。それもまた、良い散漫になることだろう」
狂った様にツイストを踊る犯人。必死の形相である。この人は何なんだろうか。一体何と戦っているのか。どれだけ散漫すれば気が済むのか。そして何故周りの大人は彼を注意しないのか。見て見ぬ振りをしているのか。それが大人というものなのか。怖い。怖すぎる。
「ええと、それではまずですね……」
ともかく僕は彼の行ったどうしても見逃せない行動について追求する事にした。それは確実なまでの証拠隠滅だ。額に「犯人」の文字がなくても怪しく思った人間はいるだろう。
「犯人さん、貴方は先程、監視カメラに映ったご自身の映像を消しましたよね」
じっくりと相手の目を見て、僕は指摘する。
「はて、なんの事かな」
犯人は大仰なジェスチャーで、堂々としらっばっくれる。
「そこにはきっと映っていた筈なんです。犯人さんが屋外プールへと降りていく姿が」
「うーん、どうだろうねえ。だが、映像が残っていないんじゃねえ」
証拠はあの時、犯人自身で消している。それ故のこの余裕。どうしようもない。僕は周りの人に助けを求め、問いかける。
「皆さん見られていませんか。この犯人の探偵さんが食堂に来られた所を。確かに来ていた筈なんです」
僕の必死の問いに対する乗客の答えはこうだった。
「どうだったかしら。いたような、いなかったような。分からないわね」
「私は煙草を買って直ぐに部屋へ帰ったからな。見ていないよ」
「ビンタに夢中で分からなかったわ」
「ビンタされるのに夢中で分からなかったよ」
「ああん??てめえ何クソガキが偉そうに人にもの聞いてんだよボケが!!コラあああ!!ああん!!??」
最後に僕は柄の悪い高校生に肩をチョップされた。痛い。
うう……なんでこんな目に。もう嫌だ。帰りたいよ。
僕は副船長にも聞いてみる。監視カメラの映像を犯人が消したのを彼は見ていた筈だ。
「如月さんは散漫探偵だからね。監視カメラの映像を消すのも散漫の一種なのかと思ったよ」
「……そうですか」
よく意味の分からない答えが返ってきたが、僕は怖いのでそのまま適当な相槌でやり過ごしてしまった。
「だけど、如月さんの映っていた映像は、プールへは降りて行ってなかったと思うよ。そちらのマダムの動きと左程変わらなかったような気がするよ」
「はあ、そうですか……」
まったくもって、驚く程、僕にとって有力な情報はなかった。
仕方がない。監視カメラに関してはきっぱりと諦め、僕は次なる追求を始める。
「ええ、と。犯人さん、貴方、指に絡みついた髪の毛を海に捨てていましたよね。あの髪の毛は何なんですか?被害者の毛髪じゃないんですか?何故、あなたは指に髪の毛を絡ませていたんですか?」
「さあ、どうだろうね。そんなものが巻きついていたかい?見てごらん?ほら、どこにもないよ、ほらほらほらほら」
そう言って手の平をひらひらして僕に見せつける。
「いやだから、それを貴方は海に捨てたじゃないですか。堂々と、あそこのフェンスによじ登って」
僕の言葉に対して、犯人は口笛を吹いてスキップをして惚ける。というか何なんだこの大人は。全身びちょびちょじゃないか。全身びちょびちょで口笛を吹きながらスキップして惚ける探偵。今度こそ本気で思う。何で誰も注意しないんだ。
「君の言っている事が本当なら確かに大変な事だが、証拠はどこにあるんだい?探偵をするなら、証拠がないと始まらないよ」
「それは……」
またそれか。犯人はよほどの自信があるのだろう。それはそうだ。あんなにおおっぴらに証拠隠滅を図ったんだ。海の藻屑に決まっている。
それでも僕は一縷の望みをかけて再び皆に聞いてみる。
先程と同じく、中年婦人、老紳士、成人カップル、金髪高校生の順である。
「あら、そうだったかしら、そういえば何かを海に捨てていたような気もするわね」
「だが、捨てたというのが本当なら、今はもうこの船にはないという事だからな。捨てたのなら、証拠はないんだ。不在の証明程難しいことはないぞ、ぼうず」
「ビンタに夢中で分からなかったわ」
「ビンタされるのに夢中で分からなかったよ」
「んだてめええこら、ボケがこらおう!?俺の金髪が怪しいって言ってんのか小僧がコラ!!」
柄の悪い金髪高校生に肩にチョップされ、更に首を絞められた。蝶ネクタイがギリギリと締められる。痛い。
うう……何でこんな目に、嫌だ。帰りたいよ。僕は歪んだ蝶ネクタイを元に戻した。
怖いけど、副船長にも再び聞いてみる。
「如月さんは散漫探偵だからね。手に巻きついた髪の毛を海に捨てるのも、散漫の一種だと思っていたよ」
まったくもって意味が分からない。さっきから何だ、散漫の一種というのは?散漫の一種なら散漫探偵は何をしても構わないのだろうか。散漫の一種なら、人を殺しても構わないという事か?失禁探偵なら、事件を解く際に毎回失禁してもいいのか。つまり、いいのだろう。そういう理屈だ。大人は本当に訳が分からない。
「犯人さんは被害者の遺体の付け爪を堂々と外していました!更に国旗の括られているロープについていた滑車も外して、海に捨てていました!あれは露骨過ぎます。どう考えてもおかしいです!」
「どうかしら?そんな事していたかしら?私はよく見ていなかったわ。おほほほほ」
「だがぼうず、それを証明するのは難しいんじゃないのかい?だってその付け爪も、滑車も、お前さんの言う通りなら、もう海に消えてしまっているんだろう?」
「ビンタに夢中で分からなかったわ」
「ビンタされるのに夢中で分からなかったよ」
「何度言えば分かんだコラ!俺にそんな事聞くなっつってんだよボケがこら!!ええ!!てめえこの小僧!!ちゃんと耳ついてんのか!?おう?」
金髪高校生に肩にチョップされ、挙句の果てには耳に指を突っ込まれた。
もう嫌だ。肩は痛いし、耳はボワッとする。
僕は副船長に話を聞く。
「散漫探偵だからね――」
「――遺体の付け爪を外すのも謎の滑車を外すのも、またそれらを海に放り捨てるのも、散漫の一種だと思った、という事ですか?」
僕が途中で奪って言った言葉に、散漫崇拝者の副船長は、満足そうに大きく頷いた。
ここまでくればもう仕方ない。犯人の作戦勝ちだ。
犯人はいまや軽くボックスを踏んでいる程度の軽い散漫である。完全に舐められている。初手から僕はミスをした。探偵をする事への憂鬱にかまけて、恐怖に足を止め、彼の証拠隠滅を防げなかった事だ。
どうすればいいんだろうか。証拠は全て消されている。
「ねえ、徹君?もう真由美が喰べちゃってもいい?この事件?全て台無しにしても良い?」
真由美の声が隣から聞こえる。
このままだと、僕は終わる。僕という存在が失敗してしまう。
失敗作は――消されてしまう。
その時、僕の耳に誰かの声が聞こえた。
――おい、何やってんだよお前は。
「え、誰?」
僕は思わす周りを見渡す。
――おいおい、あんまり大きな声で返事するんじゃねえよ。変なヤツだと思われるぞ。
「え、あ、はい」
――大分お困りのようじゃねえかよ、俺。
「俺?いえ、あの僕は貴方では……」
――お前なんだよ俺は。よく聞けよ。俺の名前は山之内徹、だぜ。
「…………」
僕はその一言で、全てを理解してしまった。
つまり、もう一人の、僕。
――さあ俺よ、こういう時はあれだ。ハッタリが良いと思うぞ。
もう一人の僕が、耳元でそう囁いた。




