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超越探偵 山之内徹  作者: 朱雀新吾
第一話 名探偵は知っている
3/68

~名探偵パート③~ 事件終了

 

――――  ――――  ――――  ――――

――真由美ちゃん。その子が被っている帽子分かるかい?

真由美「え?バクでしょ?」

――一目で分かるんだね。ところで真由美ちゃん、ずっと持ってるけどそのバッグ、大事なのかい?

真由美「え?ああ、これですか。はい!とってもとっても大事なものです!」

少女「さいかのペンダントもー」

――そうだね、分かったよ

真由美「うん。大事だよね」

 ―――― 大屋メモ ――――                                 


 突然、大屋の目の前に山之内少年がいた。大屋は驚いて声も出せなかった。

 つい先程まで男との睨みあいが続いていた筈が、いつの間に。真っ直ぐに全てを見透かす様なその瞳に気後れを感じてしまいそうな自分を感じる。

「ちょっと失礼」

「わ……」

 大屋の被っている帽子が山之内少年に外された。

「……はい」

 そして、すぐに戻された。

「真由美、どうだ。良い子にしているか?」

 興味を失ったのか、それ以降山之内少年は大屋には見向きもせず、隣の真由美に話しかける。

「具合でも悪いんじゃないか?大丈夫か」

「わ。わわわ」  

 少年は自分の顔を真由美の顔の目の前に持っていく。顔が近づく。次の瞬間には二人の額と額は合わさっていた。

「わわわ……」

 されるがままである。真由美に特に拒む様子もない。だが、固まっている様にも見える。

「熱は無いようだな、よし。早いとこ終わらせないとな。じゃあな」

 そう言うと少年は颯爽と去っていった。それは本当に一瞬の出来事であった。

 探偵として犯人を追及しながらも幼馴染の様子を窺う。中学二年生で、たいしたものである。大屋は感服した。隣の真由美を見ると、耳まで真っ赤になっていた。なんとも微笑ましい光景である。恥ずかしさのあまりか、少女の頭からバクの帽子をひったくり、上から自分の顔まですっぽりと被ってしまった。思春期真っ盛りの女の子である。

「あうー、ぼうしー」

 帽子を奪われた少女が真由美の下でぴょんぴょんと飛び跳ねていた。


 だが、この次の瞬間に取った真由美の異様な行動、その一部始終を大屋は目撃する事となる。

 山之内少年が去った後、真由美はスッと近くのテーブル席に移動した。それは滑らかで全く無駄のない所作。一瞬で2メートル程の距離を詰めた。そして、テーブルに置いてある空のワイングラスを手に取る。それを手で弄び、しばらく見つめていたかと思うと、再びそれをテーブルへと置いた。

 そして、次に彼女はグラスの隣に置いてある直径三十センチ程の大きさの丸皿を両手で掴むと、

 先程と同じ様に自分の顔の位置まで上げ、

 そして……。


 地面に叩きつけた。


 ガシャーン、と陶器が割れる大きな音が会場に響き渡る。

 …………???

 人々の目が一斉に物音がした方へと注がれる。

 そこには少女と割れた陶器。

「真由美君、大丈夫かい?」

 刑事が心配そうに駆け寄り、尋ねる。

「ごめんなさい。うっかり手を滑らせてしまいました」

 そう言って、真由美は頭を下げた。

 その角度が急すぎた。テーブルにしたたかに頭をぶつける。その拍子にテーブルの際にあったワイングラスが落ちた。それは先程彼女が手に取り眺めていたグラスである。

 ガシャーン。再び甲高い音が響く。

「あわわ。ごめんなさい」

「誰か、そのテーブルを片付けて、真由美君?怪我はないかい?」

「はい、大丈夫です。すいません」

 更に頭を下げる。

「いいや、目の前で人が死んだんだ、無理もない。向こうの部屋で休んでいるかい?」

「いいえ、大丈夫です。ありがとうございます」

 そう言ってまたしても頭を下げた。床では警官達が箒を持って砕けたガラス片を慎重に掃いている。当然、誰も彼女の行動に違和感を覚えるものはいない。

 おっちょこちょいな少女がうっかり手を滑らせた。

 周りの人々も彼女の言葉を信じている。当たり前だ。刑事の言った通りなのだ。殺人事件を目の当たりにしたのだ。無理もない、と。

 しかし大屋だけは目の前で見ていた。真実を。現実を。

 ついうっかり手を滑らせた?

 大屋には彼女が自分の意志で、手に持った皿を床に叩きつけた様にしか見えなかった。ついうっかり手を滑らせた動きとは確実に違っていた。そう、わざとの様に思えたのだ。

 つまり嘘をついたのだ。会場の全員に。なんの為に?その理由は何だ?

「会場の皆さんも、突然大きな音で驚かせてすいませんでした」

 会場の皆に向かってもペコペコと頭を下げる。思慮に長けている少女。

 ひょっとすると自分が今見た光景の方が勘違いなのかもしれない。そう考えた方が正しい様な気さえ大屋はしてきていた。いや、だが。どういう事なんだ?何がしたい?

 彼女の行動の意味をいくら考えても、測る事が出来ない。

 気がつくと、会場の中心から男の声が聞こえてきていた。

 どうやらここで少年と男のバトルが再開されたようだ。やはり今のは何かの見間違いだろう。大屋はそう思い直し、メインテーブルへと向き直った。


「確かにお前が言っている様に俺は事件の決め手となるワイングラスに毒を仕込む段で給仕とぶつかっている可能性がある。だがな。いいか?それは全て偶然だ!偶然!全て推測に過ぎず、一切真実とは限らない!何にも進んでないんだよ!俺を犯人だ犯人だと言いながら、捜査は何にも進んじゃいない。お前こそ、公務執行妨害もいいとこだよ」

 畳み掛けるように言い募る男。少年は黙っている。

「そんなに俺を犯人にしたければ、まだるっこしい事はどうでもいい。俺が犯人だっていう、決定的証拠を持ってこい!今すぐにだ!」

 溜りに溜まった鬱憤を爆発させた男の叫びは会場中に響き渡り、グラスが共鳴しグラグラと揺れた。男も我慢の限界なのだろう。

 証拠を出せ、疑わしきは罰せられずである、と。少年が先刻まで続けてきた推理は所詮憶測にしか過ぎず、なんの証拠にもならない。目に見える証拠を出さないと自分は絶対に認めない。そう男は言っているのであった。決定的な勝負をつけに来いと。

「やれやれ」

 そして、静寂の中で、少年は俯いた。

 大きく、ゆっくり息を吸い、更にゆっくりと、吐いた。

 吐き出したその息は目に見えない重さを纏う。

 その挙動に、中学生の少年のそんななんでもない一挙動に、何故か会場の人々は背筋が凍るのを感じた。吐き出す息と共に、何かとてつもない質量の決意と、緊張感とが溢れ、部屋の空気と色とが変化した様な、そんな錯覚を覚えたのだ。皆が固唾を呑み少年の次の言葉を待つ。

「やれやれです。本当にやれやれですよ、犯人さん」

 やれやれと言葉にしながらその表情に落胆の感情はない。面白がっている様にも取れる薄い笑みを浮かべている。そしてその眼光だけは鋭く男を突き刺している。

「往生際が悪いにも程があります。往生際という言葉は今、ここで、貴方の様な人が上手に空気を読んで潔く引き下がる為に生み出された言葉なんですよ。このままでは、往生際という言葉が可哀想でなりませんよ。可哀想でなりえません」

 その事実を分かっているのか、とでも言わんばかりに残念そうに肩をすくめる。

「だがまあいいです。もう十分ですかね」

 少年は俯く。

「残るは仕上げですね」

 少年は俯いたままだ。

「ここが貴方の往生際です」

 そして、顔を上げたその瞳には、燃える様な決意の意志が灯っていた。

「僕が貴方を徹底的、完膚なきまでに犯人として叩きのめしてあげます」

 山之内徹は再び男を指差し、言い放つ。

「貴方を、完全なる犯人へと昇華して差し上げましょう!」

 それは少年から男に対する宣戦布告だった。


「証拠が見たいと仰いましたね」

「ああ、俺が犯人だって言うんなら証拠だ。証拠を持ってこい」

 証拠を。男はその言葉だけを唯々繰り返す。

「真由美、あれを」

 そこで突然真由美の名が呼ばれ、驚いたのは大屋だった。

「はい」

 呼ばれた当人の返事は即答。

 声をかけられたのは今の今まで大屋や少女と話をしていたその瞬間である。自分の名前が呼ばれるとは勿論思いもしなかっただろう。しかし、彼女は戸惑う表情一つ見せずまるで最初からその段取りが決まっていたかの様に返事をし、直ぐに山之内少年のもとへと歩き出していた。その動きに一切の動揺も逡巡もない。

「はい」

 そして少年に自分の持っていたバッグを差し出す。

 あれは、さっき大事だと言っていた…………。

 茶色地に花柄。素材は皮だろう、どこにでもあるミニバッグ。あのバッグが一体何だっていうのだろうか。大屋は首を傾げる。

 しかし、その何の変哲もないミニバッグを見た犯人の反応。


 それが普通ではなかった。


 尋常ではなかった。


 なんでもない表情をして突っぱねればそれで良かったのだろう。それが男がこの場面で示す反応としては百点のものだったのだ。

 だが、現実にそのバッグを見た男の反応は、普通ではなく尋常でなく、異常だった。そこで男は決定的なミスを犯したのだ。

「な、何、貴様、それをい、いつの間に!」

 その瞬間、男の口から出たその言葉。それはその場に於いての本当に致命的ミスであったと言えよう。言った瞬間、しまったとばかりに両手で口を抑えるが、その言葉を聞き逃す程その少年が年相応にお人よしではない事は、この小一時間真正面から対峙してきた男には吐き気がする程理解出来ている。

 そこで少年は満面の笑みを浮かべた。上出来と言わんばかりの、眩しい笑顔だった。

「貴方がこれだけ罪を認めないのは、それだけ自信があるという事は、手元に証拠はないという事なんだろうな、とは思っていましたよ。証拠がなければ安心ですもんね。完全犯罪ですから。ですが、そんな事はありえない。どんな事件にだって必ず何かが残されているものです。それは指紋であったり、カメラに映った映像であったり……遺留品であったりです」

 男の余裕、そして反抗の根拠は完全に証拠となるものがないという後ろ盾があってこそのものであった。

「証拠はあるが、もう手元にはない」

 男の汗が、一筋、頬に伝った。

「犯行前に処分したんじゃないかと思いましたね。このミニバッグをね」

「……うぬぬ」

 自分でも気づいていない、無意識のものだろう。思わず、うなり声をあげる犯人。その咄嗟に漏れる息でさえも、それは最早肯定の意味に等しかった。

 思わず声をあげてしまった男の反応。それは目の前で信じられない事が起きた時の反応。

 これまで男は優秀だった。

 一切証拠が無い中での突然の犯人指名。もし彼が本当の犯人であったのならば、その動揺は計り知れない衝撃であっただろう。一瞬で様々な事が頭をよぎる。何かミスをしたのか?まさかカメラに映ってしまったのか?指紋を残したのか?身が震える、何の比喩でもなく、そのままの意味で。震える体を、心を押し殺し続けたのだ。

 これまで男は本当に忍耐強く耐えていた。

 しかし今まで少年の推理に気圧されながらも、決定的な言質を取らせない事で難を逃れていた彼にとって、今の瞬間がまさに命取り。

「奇跡が起きたその瞬間に人間は、嘘をつくことが出来ません」

 それ程の意味が、その差し出されたバッグには秘められているという事なのか。

「ひょっとしたらこのバッグは事件発生から何時間か後にどこからかで見つかる事となっていたかもしれません。ですが、そこから貴方に行き着くのは困難だったでしょうね。疑わしい人間はごまんといる。このバッグに意味があると思っても、持ち主を特定するにはやはり更なる時間を要する。そして何より持ち主である貴方は監視カメラに映っていない。バッグの持ち主が透明人間では大変ですよ」

 そう言って右手に持っているバッグを左手に持ちかえる。

「そうなってはもうどうしようもありませんので、ですから少し早めに登場してもらいました。犯人さん、貴方にとっては嬉しくない再会かもしれませんがね。まあ、そんな顔しないで」

 男は黙って少年を睨みつけている。その目には動揺の表情が浮かんでいる。

「ちょ、ちょっと待ってくれ山之内君」

 淡々と話を進める少年を思わず刑事が遮る。その顔には犯人とは違う動揺が浮かんでいる。

「なんですか刑事さん」

「そんなに一気に話を展開しないでくれ。私達にも分かりやすく。説明を求めたいんだ」

「ああ、これはこれはスイマセン。僕は全然構いませんよ」

 快く了承し、どうぞと、質問を促す。

「確認させてくれ」

「はい」

「そのバッグは?」

「犯人さんのバッグです」

「その犯人さんと言うのは、君がさっきから呼んでいる、あの、そちらの男性の、その……ニックネームの事なのかね?それとも、この事件を起こし、被害者を殺した犯人の事なのかね?」

「刑事さん、その質問の答えならそれはどちらでも正解ですよ。犯人さんは犯人ですし。犯人は犯人さんですから」

「……。そうか。では山之内君。それは、そのバッグは重要な物のようだが、君はこうも言ったぞ。犯人はそのバッグを犯行前に処分したと。君が言ったんだ。君がだぞ」

「はい。言いましたけどなにか」

「何かって……私が言いたいのはだな、つまり」

 会場の人間が、一番気になっている一点。その事を刑事はずばりと聞いた。

「犯行前に捨てられたそのバッグを、君は一体いつ手にいれたのかね?」

 少年の説明が確かなら、犯人はそのバッグを犯行前に捨ててしまっている筈。それ故の余裕、証拠が犯人の手元にないというのが理由だと、少年自身が口にしている。だが、そのバッグは現在少年の手へと握られている。となると一番の疑問は、そのバッグを一体いつ山之内少年は手にしたのかという考えに行き着くのだ。

 時間軸がおかしくなってくる。犯行前に捨てられたバッグを犯行後すぐに所有している少年。まさか、犯行が起こる前に手にした筈もないだろう。

「僕が、このバッグをいつ手に入れたかですか?」

「ああ、それが聞きたい」


「勿論、犯行が起きる前です」


 事も無げに、少年は言った。

「な……」

「なん……だと」

 刑事と男の口から同時に驚愕の声が漏れる。

 犯行に関係ある物を、犯行が行われる前から手に入れていたというのか?それはつまり……。

「山之内君、君は見てたのかね?彼が海にバッグを捨てるのでも?それで彼が犯人だと分かったのかね」

「いいえ、見ていませんよ」

 首を振る山之内。元から男の怪しい行動を目撃していたのならば、少年の執拗な追い込みも納得いったものなのだが、本人に否定され、刑事は更に困惑を深めた。

「でも君はそのバッグを手にしている。それは一体どうやって……」

「ある方法、を使ってです。今ここでその説明をさせて貰っても構わないんですが、少々時間が掛かって夜が更けてしまいますので、割愛させて下さい。で、ですね、犯人さん」

 山之内少年は微笑を浮かべながら男に近づいていく。


「なんだか、犯人さんこれを見た時、凄い勢いで驚いていたみたいですけど?一体どうなされたんですか?」


 とぼけた口調で男に尋ねる。

「バッグ一つであれだけの反応をする人を僕は見た事がありません。まるで生き別れの兄弟に20年ぶりに再会した時の様な反応でしたよあれは。やはり人間は根っこの部分は正直と言いますか、世の中悪い人はいないといいますか」

 男はその言葉を受けて、俯いた。

 そして徐々に体を揺さぶり始めた。

 表情は窺えないがそれを会場の人間全員で眺める。

 しばらくしてくぐもった男の声が聞こえていた。

 くっくっく、という声である。笑っている。本当に、心底楽しい気持ちを押し殺して笑う、そんな笑い方だった。

「くっくっくっくっく……ふっふっふっふっふ……ははは、はっはっはっはっはっは!」

 とうとう大声で笑い出した。

 その表情に先刻まで帯びていた陰は最早存在しない。実に爽やかに、楽しそうに笑う男。

「ああ、確かにそのバッグは俺のもんだ」

 そこであっさりと本人自身が認めた。バッグの所有を。しらばっくれる事も出来たのだろうが、敢えてそれをしなかったというのは、観念したのか、それとも何か策があるという事なのか。その肯定は己の命を縮める結果にならないのか。大屋は固唾を飲んで見守る。

「どうやって手に入れたか知らねえが、いや、手に入れる事が出来たのかは知らねえが、と言った方がいいのか?」

「ふふふ。凄いでしょ?」

「ああ、聞きたくて聞きたくてたまらんな」

「いいんですか?こっそり教えましょうか?」

「はは!お前。本当に何者だ?」

「中学生ですよ。ただの」

「嘘つけ。お前みたいな中学生がいるかよ」

「で、いいんですか?聞きたくないですか?」

「……やめておく」

「流石。身のためです」

「どういう意味だよ?」

「聞いたら犯人さんさっきとは比にならないリアクションしちゃいますよ。そうなったら技あり2本で一本負けですよ」

「ははは!言えてる、とでも言えばいいのかよ?この馬鹿野郎が」

 周りの人間を完全に置いてけぼりにした、理解出来ない会話が続く。一体何を言っているのだろうか。それにいつから二人はこれだけ仲が良くなったのか。傍から見ると息の合った悪友通しの会話の様だ。先程まであれほど険悪だったのが嘘みたいなテンポの掛け合いである。

 とにかく今の男と少年の言いぶりから推測するなら、そのバッグをこの場で少年が持っている事自体があり得ない、入手する事こそがそもそも不可能に近い代物である事は間違いないようだ。

 更に少年の追及は続く。

「今犯人さんが認めました。このバッグが犯人さんの物であるという事を。ね?」

 男は苦笑いを浮かべ、切り返す。

「ああ、だがそれが一体なんの証拠になるっていうんだい?俺はいらなくなったバッグを処分した?だけだ。そらあ褒められたもんじゃあないがな。だから、なんなんだ?これに俺が犯人だっていう証拠があるのか?」

 それでも男はまだ余裕であった。

「俺のバッグを拾ってくれてありがとうよ。でもそれは必要ないんだよ。ゴメンな。これでおしまいだよ。俺が驚いたのはまさかあんな別れ方をしたそのバッグを再び、しかもこんな短時間で再び見る事になろうとは、っていう驚き。ただそれだけさ。仕事の得意先の男性と昼間会って打ち合わせして、夜の便でイギリスに発ってばったりロンドン空港でまたその人と偶然鉢合わせたりしたらそりゃあ驚くだろうよ」

「ほう、犯人さん。意外と例え上手ですね」

「お前よりかはな」

 探偵と犯人(候補)の漫才も不思議と板につき始めている。

 二人の関係性の変化の理由は定かではないが、男がかなり余裕を取り戻している事だけは確かである。それはつまり何を示しているのかというと、その中に証拠が一切ないという自信の表れであろう。

 真由美の所持していたバッグが男の物だと判明したが、イコール男が犯人というわけには勿論ならない。現時点ではバッグは何の証拠にもなっていないのだ。

 少年は証拠を出せと言われたわけで、バッグを出せと言われたわけではない。要は中身である。バッグに何も無ければ男は痛くも痒くも無い訳である。つまりそのバッグに一切の証拠が残されていない限り、男の勝ちなのだ。

「さあ、そのバッグが一体何なのか、話を聞くぜ、少年探偵」

 近くにあったイスに腰掛け、足を組む男。その姿が見事に様になっている。その様になり方が、なんというべきか、大屋はどう形容するべきなのか迷うのだが。それはまるで、「推理小説の犯人」の様なのだ。男はすっかり好敵手の顔になっている。

「話なんかありませんよ、犯人さん」

 どっしりと座った男を見おろし少年が言う。

「見てもらうだけです。このバッグの中身を」

「ほう」

 興味深そうに男が唇の片側をニヒルに上げる。それは周りには分からない駆け引き。

「……では」

「……どうぞ」

 男に促され山之内少年は、ゆっくりと右手をバッグにいれる。

 視線が指先に注がれる。

 男の表情を追う。笑っている。余裕だった。

 この余裕。ひょっとしたらこの男、やはり証拠はもう完璧に処分したのかもしれない。バッグの中からは何も見つからない。そうなったら、山之内少年の負けだ。

 そうでなければ、この余裕の理由が通らない。最初からずっと追いつめられていたのは男なのだ。そして状況としては最後の大詰め。あと一手で山之内の王手が決まる程に男は劣勢。その状況でのこの余裕。一体どうなるのか。これが男の一発逆転となるのか。

 だが、バッグに何もなかった時、少年の信用は一気に失墜する。そう考えると今現在一番重いプレッシャーを抱えているのは実は少年探偵の方なのかもしれない。

 周りの誰にも何が出来るわけではない。ただただ固唾を呑んで二人を見つめるしかなかった。


 そして、決定的な瞬間が訪れた。

 バッグの中から再び少年の手が出される。

 拳を握った状態で。

 その拳がゆっくりと開かれる。

 その瞬間に、

 そんな一瞬で、

 今回の事件の決着がついた。


「おいおいおいおいおいおいおい……嘘だろ…………」


 笑い顔のまま驚愕の声が男から洩れる。それはもう笑うしかないといった表情。

「……バカな、冗談だろう?そんな。ちゃんと捨てたはずなのに…………お前魔法使いか?凄いな……え?いや、まさか。まさかだろう……」

 首を横に振りながらうわ言の様に言葉を連ねる男。その言葉を遮り少年が笑う。

「処分したのに。不思議ですか?そうですよね?ダメですよ、ちゃんと確実に処分したのか確認しないと。せっかくの完全犯罪が台無しじゃないですか」

「はあ、え?でもまさかそんな事が?うん?どうなんだ?」

 男は少年の手の平を凝視している。目を離す事が出来ない。有り得ない事が起きている、そんな奇跡に目を見開いている。

 少年の王手が決まった瞬間であった。

 開いた山之内の手の平には、小さなカプセルが一つ、乗っていたのだ。

「さてさて、犯人さんのバッグから出て参りましたこの謎のカプセルですが……」

 それは口に出さなくても楽に想像がついた。それこそが今回の事件の証拠となる。被害者を殺した毒物の入ったカプセルなのだろう。それが男のバッグの中から発見された。その事実だけで、解答編となる。


 誰もが確信した。山之内が最初に宣言した通り、この男が犯人なのだと。


「では刑事さん。このカプセルを鑑識に……」

 と、少年が刑事に言いかけた、その瞬間、物凄い速さで男が動き出した。

 

 ――――  ――――  ――――  ――――

――山之内徹君についてどう思うかい?

少女「すごい」

――うん。凄いねえ。

少女「ウソばっかついてる」

――ははは。確かに僕達にはよく理解出来ない事ばかりだよね。

少女「すごい」

 ――――大屋メモ――――


 男は風の様なスピードで山之内少年の手からカプセルを奪うと、客船の窓際に立ち振り返った。

 そして奪ったカプセルをすぐさま口に含む。

「や、やめろ!!」

 刑事が叫ぶが、その言葉は空しく会場に反響し、カプセルは男の喉に吸い込まれていった。

「名探偵」

 清々しい表情の男が山之内少年に宣言する。

「お前の言う通りだ。俺が犯人だ」

 そして犯人はにやりと笑った。

「参ったぜ。本当に。俺の計画は完璧だったのによ。とにかく監視カメラの全てを把握して、一切俺のいた痕跡を残さずにいたのに。マジでこれ大変だったんだからな」

「犯人さん、貴方は凄いです。尊敬します」

「どうも……。まあ、何が凄いってそれを看破したお前が一番凄いんだがな、探偵よ」

「どうも」

 気の無い山之内少年の返事に、軽く肩を竦める犯人。

「流石だったな。俺の完敗だ。だが、俺は絶対に逮捕されない!逮捕されるぐらいなら、負け逃げだ。今ここで死んでやるよ。俺自らの毒でな、じゃあな!あばよ!」

 犯人は両手を広げて天を仰ぐ。

「犯人さん、給仕さんはどうだったんですか?あの少し頼りなさげな給仕さん。罪をなすりつけようと考えたんでしょうが。あれも計画通りだったんですか?」

「……。勿論だ。今日のパーティーに一人入りたての新人がいる事もリサーチしていた。どいつなのかは一目見て分かったよ。チャンスを待ったのさ。新人が主役に配給する事もなかなかないが、執念深く待てば一度くらいは機会が巡ってくる。予想以上のテンパりっぷりであれは俺の想像以上の当たりくじだったんだがな」

「やれやれ、可哀想な事を……」

「まあいいじゃねえか。結局は最初からお前が俺を疑いまくったおかげであいつは、あんなに濃い、場を掻き回してくれそうなキャラだったのにとっとと退場、フェイクファクターにさえなりゃしねえ。まあ、最初の最初で俺ははずれくじ引いてたみたいだからな。今日ここにお前みたいな奴がいるなんてな」

「どうも」

 気の無い山之内の返事に、軽く肩を竦める犯人。

「だが、最後は俺の勝ちだな。俺のスピードを甘くみたな。簡単にカプセルを奪われやがって。負け逃げじゃないな、これは。俺の勝ち逃げだ!絶対に逮捕されてたまるか!俺自身の毒で死んでやるよ。じゃあな!あばよ!」

 犯人は両手を広げて天を仰ぐ。

「随分と体を動かすのが得意みたいですけど、何かスポーツでもやられていたんですか?」

「……今では机に噛り付いてる様な仕事だが、昔はな。運動と名のつくものならなんでも手を付けてたくらいだ」

「通りで。犯人さん、超人ですね」

「……だからお前には言われたくないっての」

「どうも」

 気の無い山之内の返事に、軽く肩を竦める犯人。

「だがな、そんなお前に一矢報いさせてもらうぜ。俺にはこんな事しか出来ないがな。どうするかって?そうさ、俺自身の毒で死んでやる。地獄で会おうぜ!じゃあな!あばよ!」

 犯人は両手を広げて天を仰ぐ。

「何かコツみたいなのあるんですか?監視カメラに一度も映らないのは?」

「……まあ、要はカメラの目になって自分が動けばいいんだよ。自分がカメラに映らない様に動くのは疲れちまうからな。会場を俯瞰で見渡すイメージで、そこにいる自分を遠隔操作する感覚で動くというかな」

「なるほどなるほど。簡単に言いますけどそれってかなり難易度高いですよ。本当に犯人さん普段何されてるんですか?」

「そんな事今更言って何になるんだ。もう俺は終わりなんだ、おしまいだよ。だがよ最後ぐらいは俺自身の手で幕を引いてやるよ。逮捕されるなんて真っ平だからな。俺がたった今飲んだ毒でな!じゃあな!あばよ!アディオス!」

「ところで犯人さんって猫好きですか?」

「お前さっきから俺の良い所でちょくちょく質問挟んでくんなよ!特に今の何?今さら俺が猫好きかどうか聞いてどうすんの?好きだけども!ってかさっきから俺なんで死なないの!!??」

 我慢の限界だったのだろう。犯人は両手を広げ天を仰ぎ、大声で叫んだ。

「はははははは!」

 思わず少年が吹き出し、犯人に負けない程の大声で笑う。

「いやあ、傑作ですね犯人さん!笑わせてくれますねえ。ふふ。ずっと、良いタイミングで終わろう終わろうとしてましたよね、ふふ。あばよ!地獄で会おうぜ、ですっけ?ははは。最後はあ、あ、……アディオス……ぷぷぷ」

 犯人の顔がみるみる赤面していく。これは確かに恥ずかしい。

 そこで犯人ははっと顔を上げ、信じられないものでも見るように山之内を睨む。

「まさか……ひょっとして……。お前!謀り……やがったな!!」

「はっはっはっはっはっはっはっはっはっは!」

 清々しいほど盛大に高笑いする少年。その態度が犯人の質問に対する肯定となっていた。

「犯人さんのお察しの通りですよ」

 ひとしきり笑った後、少年は正直に白状した。

「バッグにカプセルなんて入っていませんでした。カプセルは愚か何一つです」

「……おいおい……マジかよ。それってつまりよ……」

「そうです。一切の証拠はどこにも残されてなかったという事です」

 犯人の目が驚愕で開かれる。

「お、おまえ、だったら……」

 山之内少年は窓際を眺め、振り返る。

「だから、僕が酔い止め薬のカプセルを入れました」

「……!!」 

 会場に居た全員が唖然とした。ではさっきの駆け引きも。つまりは、全てハッタリ……だったという事か。

 犯人のあの余裕は正解だったのだ。証拠はゼロ。犯人の勝利は確定していた。

 言葉を失う会場。その中で刑事が恐る恐る少年に尋ねる。

「では、山之内君、その、実際犯行に使われた毒の、予備のカプセルと言うのは」

「犯人さんのあの反応を見る限り存在はしたのでしょうね。ですが、それは犯人さんの思惑通りと言いますか、上手く処理されたんでしょうね。海もある事ですし。投げてしまえば終わりです」

「つまり、それは、つまり。証拠は、なかったということじゃないか」

「さっきも言ったでしょ?そういう事です」

 山之内少年は犯人を追い詰める為、千人いるこの中の人間全員を欺いて、大博打を打ったのだ。何とかして入手した犯人のバッグに偽物のカプセルを仕込み、それをあたかもバッグの中から出てきた様に振る舞い、犯人に揺さぶりをかけ、それを信じさせた。全員を、犯人さえも見事に騙した。

「お前は『擬探偵トラップ』か!!」

「亜城木夢人先生ですか?犯人さんの世代でよく知ってますね」

 楽しそうに、本当に楽しそうに微笑みを浮かべる。

「疑心暗鬼に駆られましたね、犯人さん。あなたはこのバッグに反応するべきではなかった。更に偽物のカプセルになんて絶対に惑わされるべきではなかった。貴方の持参した毒がどの様な形状なのかは今となっては定かではありませんが、よく見たら違いもあったでしょう。冷静さを欠いてしまいましたね」

 あまりにものショックで床に膝を付き項垂れる犯人。

「じゃあそもそもは何なんだ。バッグから何から」

「午後4時32分、その時間までは貴方はバッグを持っていた。僕に分かるのはそれだけです。そしてそれ以降貴方はバッグをもっていない」

「絶対時感……」

 この事件に於いて、少年にとっての始まり、そして犯人にとっての終わりはそこからだったのか。少年はバッグを持っている男を目撃していた。絶対時感でその時間さえ覚えている。

 そのバッグを語られる事のないなんらかの手段で入手した。

 そこから全てが始まった。

「いくつかの推理で8割はあなたの物だという自信は生まれていたのですが、まあ、正解で良かったです。あと」

「あと?」

「探偵が最初から事件の証拠を持っていたなんて、ミステリファンが聞いたら烈火のごとく怒り狂うでしょうから。なるべくこれを出さずに事件を解決したかったんです。それが一番ですからね」

 確かに、と大屋は思った。殺人事件が起こる前に探偵が犯人の証拠を持っていた、なんて。そんな事、あり得る筈がない。探偵ではない。超越している、探偵を。

「じゃあお前俺があのバッグに反応しなかったらどうするつもりだったんだ」

「違う証拠を見つけ、似たような罠を仕掛けました」

「賭けだったっていうのか」

「一か八かでした」

「それに俺は……」

「まんまとひっかかってくれました」

「それにひっかかった俺は、つまり」

「犯人です」

「そしてお前は」

「名探偵」

 卒業式の声だしの様に、二人は息がピッタリだった。

 そうして事件は解決した。


 その後、少年は足早に帰っていった。その後を追いかける可愛らしい幼馴染も一緒に。事件を解決することが自らの使命であり、その後、意味もなくその場に残ることは無粋な行為以外の何物でもないと言わんばかりに、犯人の動機等一切聞くことなく、風の様に姿を消した。

 ちなみにこれはその後の犯人の供述で分かった事だが、被害者が犯人の会社への出資を突然一方的に打ち切った事に対する怨恨が今回の犯行の動機であった。犯人はある業界でコアなファンを集める有名なクリエイターだった。

 驚くべきことに事件は名探偵の登場から一時間も経たない内に解決したのだ。

 決め手はミニバッグ。犯人のバッグを入手し、中に毒入りのカプセルを入れていた。だが、実際犯人の処分は完璧で、バッグはあっても肝心の毒の存在はほんの断片も残っていなかった。

 つまりどういう事かというと、「あの場に証拠など一切存在していなかった」という事である。

 あの時点で犯人は犯人として勝利していたのだ。

 動揺さえ見せなければ。罠に嵌まりさえしなければ。

 それを分かっていた上で……罠に嵌めただと。一体あの少年の心臓はどうなっているのだ。

 優れた注意力、人並みはずれた観察力、圧倒的な自身に満ちた発言力、そして、まるで天をも味方につけているとしか表現出来ない程の強運。全てを持ち合わせた少年。

 これが名探偵。いや、これは最早超越探偵、だ。

 彼をもっと知りたい。大屋の記者魂に火がついた。


 パトカーに乗りこもうとしている犯人が、背中を向けてさっさと帰ろうとする少年を呼び止め、質問をした。

「おい、名探偵、なんで俺が犯人だって分かったんだ」

 その質問に対して犯人の隣の刑事が真っ先にピンときた顔をする。

「ああそれは、山之内君。絶対時感だな。バッグを持っていた彼の顔を覚えていたから……」

 刑事の言葉を無視して犯人はもう一度同じ質問をする。

「なあ、なんで俺が犯人だって分かったんだ?」

 見つめあう探偵と犯人。

「答えは簡単です」

 すっと目を逸らし、犯人からの問いに少年は爽やかに笑い、こう答えるのであった。


「だって、顔に書いてありましたから」



 超越探偵 山之内徹 第一話「名探偵は知っている」

               ~名探偵パート~ 完




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ちょっとまってください 私はミステリが大の大の苦手で森博嗣も京極夏彦も最後まで読めたためしはなく、買っては積み、文庫本を買っては積み、新装版を買っては積みなのですが なんですかこれ おもしろいです。ネ…
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