無能探偵のススメ①
――トリックオアトリート――
その日、私は兼ねてより秘密裏に進めていた計画、完全にて史上最高なる殺人事件を実行する事に成功した。殺したい相手を殺したい方法で殺す。私の心は充足感で満たされていた。犯罪史上類を見ないトリックで構成されたその計画は最早芸術と呼べる域にまで昇華され、殺人事件という無粋な名称を与える事自体が不適当であると思えた。
事件が発覚し、無粋な警察が現れて捜査を始める。だが私の生み出した神域に触れる事は許されない。絶対に不可能である。
「ううむ。これは難解な事件だな。殺人?事故?自殺?さっぱり分からん」
刑事が唸る。心中で私は満足気な笑みを浮かべる。
こんな無能刑事には何も分かるまい。殺害方法、逃走経路、ましてや犯人が私である事など。計算し尽くされたロジック。吟味され尽くしたフォーミュラ。生み出された永遠のソリチュード。散りばめられたピースをその無骨な指で掬い上げようとも、わずかな雫一つ指には残らぬだろう。
私の指揮の下、交響曲は流れ始めた。
さあ、私の舞台に平伏せ。
絶対の勝利を確信した―――その時であった。
その少年が私の舞台に土足で上がってきたのは。
「真実はいつも一つ……!」
突然の勝利宣言。
「犯人は百パーセントの確率で貴方です」
奪い取られた指揮棒。その少年の指先は寸分も違わず私の喉元に向かって突き刺さる。
衝撃を隠せない私。そうだろう。神が地上の蟻から放たれた石で傷を負うようなものである。奇跡でも起こらない限り、あってはならない事だ。
私の動揺などおかまいなしに少年がオペラ(推理)を口ずさむ。
その内容に。その構成に、私は衝撃を覚えた。
――全然違う。
――全く違う。
一体何を言っているのだこの小僧は。
その口から語られるシナリオは全てが出鱈目で、どれも真実私が描いた至高の放物線上を掠りもしない。ただただ地を舐める様なおぞましい愚かな犯罪計画がその口から語られているだけだ。
分かっていない。こやつは一切私のトリックを分かっていない。
だが、その筋で何故、何故なのだ。
私が犯人である事を見破ったのだ。
落ち着け。私の計画は完璧だ。完全にて史上最高なのだ。
「山之内君、なるほど。確かに君の言う通りだ。さあ、続きを聞かせてくれ!」
そしてこの無能豚はなんだ。さっきからフゴフゴ言って。突如現れた少年の荒唐無稽な推理を聞いてはただ相槌を繰り返すばかりで、何もしていないではないか。馬鹿か?馬鹿なのか?
更に詐欺師の口から語られる戯曲は続く。
「そうか、なるほど。夕食に出てきたデザートのバナナか!!それでこの密室を破ったんだな。流石山之内君」
違う。私の密室作成術はそんな家畜の様な手段ではない。私は魔術の様に、鳥となってその部屋に忍び込み、ヤツの汚辱にまみれた生を自由にしたのち、颯爽と飛び立ったのだ。
「何!かまぼこを口の中に詰め窒息?そんな殺害方法があったとは。なるほどなるほど、で山之内君、次は?」
違う。そんな汚物にまみれた殺害方法ではない。そんなの忌むべき愚行だ。私が行ったのは、世界の浄化なのだ。淀んだ生に清らかな死を与えた、崇高なる行為。
「次は?どうなんだい?山之内君?さあ、さあさあ!」
…………。
この刑事を見ていると、馬鹿らしくなってくる。
所詮、私の芸術を理解出来る者等、世の中には存在しないのか。
「そうか。そういう事か!ふんふんふふんふん山之内君。それでそれで?」
無能は、罪なり。
「…………っっ全然、違う!!!!!」
気が付くと私は怒鳴り声をあげていた。
そして次の瞬間には私は全ての真相、綿密な計画から実行に当たるまでの演算方法、法、常識、物理法則のあらゆる角度からの視点を掻い潜った空前絶後のトリックの全容を語っていたのだった。
私の楽譜は晒された。
結果、私は逮捕された。悔いはない。貶められようとした名誉を守れたのだから。
解せない事は一つだけ。
「何故だ、何故私が犯人だと分かった」
「簡単です、だって―――」
その少年は私に簡単に言い放った。
「顔に書いてありましたから」
♦ ♦ ♦ ♦
「超越探偵 山之内徹」
第三話~無能探偵のススメ~
目が覚めた時、視界に浮かんだ天井に俺は見覚えがなかった。一体俺は何をしていたんだ。
横を見ると、窓があり、景色が揺れている。それで自分が寝ていた場所が自宅ではなく、電車で移動中だった事を思い出した。ああ、いつの間にか車内で寝てしまっていた様だな。
夢まで見た。あれは多分、昔の事件の夢だった。
周りには真由美と、範人がいる。四人乗りの向い合せの座席に俺達は三人で座っていた。
「ぐっすりだったね、徹君」
真由美がいつもの笑顔で俺を覗き込む。いつもながら思うが、良い笑顔だ。こんな屈託のない顔、俺には真似出来ない。
「ああ、昨日は徹夜で朝までアニメを観溜めしておいたからな」
それで随分と疲れがたまっていたのだろう。おかげで快眠だった。
「何かムニャムニャ言っていたが、夢でも見ていたのか?」
範人がみかんの皮を丁寧に剥きながら尋ねる。俺は大きな欠伸と大きな伸びを同時に行いながら質問に答える。
「ん、ああ。その通りだ。ちょっと、懐かしい夢をな」
「何の夢?」
「あれは……無能刑事に初めて会った時だな」
先々月、「ザイツタミヤ事件」で再会したあの刑事の事だ。素晴らしい無能っぷりに敬意と称賛の気持ちを込めて「無能刑事」と俺は陰でたまに呼んでいる。
「へえ。じゃあ『龍楽寺住職による至上最高完全犯罪大交響曲事件』だね」
「長い事件名だな……」
範人が思わずといった風に呟く。
「ああ、確かそうだっけ?独特の雰囲気を醸し出したツルッパゲの坊さんが犯人だったよな」
「徹君の出鱈目推理と刑事さんの知能指数の低い相槌に怒って、真相を全て喋っちゃったお坊さんでしょ」
ああ、それだ。完全に思い出した。
「それそれ。俺、犯人に正座させられたのなんてあれが最初で最後だぜ」
刑事と並んで正座させられ、説教を喰らった。あのラストは衝撃的だったぜ。
「あれってまだ徹君が小学生探偵だった時じゃない?」
「ああ、そうだっけ。あの頃は『真実はいつも一つ』って言ってたもんな」
「なんだよなんだよ、面白そうだな。どんな事件だったんだ。詳しく聞かせてくれよ」
範人が身を乗り出してくる。
「そんなたいした事件じゃないよ」
思い返せば、いつもとたいして変わらないただの殺人事件だったな。
「それでも聞きたいんだよ。詳しく聞かせてくれよ」
せがむ範人。仕方がないな。教えてやるとするか。
「確か……ツルッパゲのおっさんが、無関係のヤツら何人かにそれぞれ別の行動をさせて、それ自体は大したもんじゃないんだが、それらが混ざり合って結果的に殺人事件に結びつく、みたいな?そんな事件だった……ような」
「へえ、なんか凝ってるな……」
「だから『交響曲』なんだよ、範平太君」
人差し指を立て、嬉しそうに説明する真由美。
「よく覚えてないけど、座禅の喝で被害者を気絶させ、檀家の専用駐車スペースに分からない様に寝かせて轢かせ、墓石業者にこれまた死体と分からない様に運ばせ、弟子の小坊主に掃除させて足跡消失……みたいな。そんな感じだったような」
俺も思い出しながら事件の概要を並べてみる。
「何だそりゃ……。何か、凄いなその坊さん」
「でもプライドが高かったんだよね。だから自分の犯罪を出鱈目な推理で汚されるのが我慢出来なかったんだ」
凄い剣幕で怒り出したもんな、あのおっさん。完全に俺おしっこちびってたもん、あの時。まあ、小学生だから仕方ないだろう。表面上は涼しい顔していたのだから、おしっこちびろうが構わないだろう。
「まあ、でもあれは結果的には徹君と刑事さんのコンビプレイみたいな所はあったんじゃないかな」
俺が嫌がると分かっている事をニヤニヤ笑いながら言う真由美。こういう時の真由美は小悪魔みたいだ。
「特殊な事件だったからな。俺の推理と無能刑事の豚の様な相槌が犯人のおっさんを刺激して、結果的にそうなっただけだ」
そう言うと、真由美は合点がいったとばかりに満面の笑顔を見せた。
「無能は無能、石コロは石コロなりに役立つ事があるって訳だね!」
「随分と酷い事平気な顔で言うね、マユミちゃん……」
あ、真由美の毒に範人が軽く引いてる。
「ああ、ゴメン。確かに石コロはただ黙って道の隅っこの方を転がっている分には誰の迷惑にもならないもんね。時に人に害なす存在になりかねない危ういバランスを備えた無能と一緒にするなんて、確かにちょっと言い過ぎちゃったかもね。真由美反省反省」
「…………」
「…………」
まあこれは俺でも引くわ。それをまた天使の様な笑顔で言うもんだからよ、まったく。まあ、範人も小学校からの付きあいで、俺達とは結構長いもんだ。ぼちぼち距離が縮まってきたって事で、勘弁してくれ。こいつは基本的にこういう奴なんだよ。
で、何故俺達が今ガタンゴトンと仲良く電車に揺られているのかと言うと、たいした事情ではない。目的地はちょっと遠くまでなのだが、簡単に言うとおつかいだ。
真由美の親父からの頼まれ事であった。
日本最大手の電子機器メーカーの会長を祖父に持つお嬢様の真由美。その父親は、何をしてるのかよく分からん。そもそも普段家にいない。冒険家みたいな恰好をしていて、社会に適応して生きているとは到底思えない。真由美に聞いても「世界中回って水戸黄門みたいな事してる」等としか答えてくれないから、正直訳が分からん。
だから真由美の家にはいつも父親はいなくて、真由美をそのままそっくり大人にした様な母ちゃんとあとはお抱えの運転手なり、メイドなり、使用人一同。ああ、お偉い祖父ちゃんも一緒に住んでいる。割と気さくなじいさんで俺は全然嫌いじゃない。
だが、まあ凄いよ。隣の家なのに俺んちの10倍は敷地あるもんな。毎日帰る度に我が家がシルバニアファミリーに見えて情けなくなる。我らが父さんが頑張って建てた、決して小さくはない家なのによ。
で、その職業不定の親父様から届いた小包に、真由美宛ての手紙が添えられていたという話だが、その内容は某県の某群にある人里離れた某村にいる某友人に、贈り物を届けて欲しいというもの。友人というのはその村の村長をやっているらしくて、昔何かと世話になったそうだ。
贈り物もそんなに大きくはない。手紙と共に送られてきたという小包がそれだそうだ。それなら自宅でなくその村の住所に送ってやれば一気に済んだ話だと思うのだが、それではいけないらしい。
自らが直々に届けたい、だが、それが叶わない。
だからせめて娘の手で、という。まあ、どちらかというと人情というか、仁義的なニュアンスの話だな。言いたい事は分からないでもない。あのおっさんの人柄を知っていれば尚更だ。
真由美の親父の人柄は、簡単に言うと範人を悪い大人にした様な感じだな。誰とでも仲良くなる。範人と違うのは同じ様に誰とでも仲悪くもなる所か。敵を作るのが好きなのだ。だが、豪快で、魅力的で、少年漫画の主人公が大人になったような姿。「がはは」と笑う人間を俺はあのおっさん以外に見た事がない。俺も小さい頃から会う度には随分と可愛がられたもんだ。色々な意味で。
そんなこんなで真由美の父親の名代で贈り物を届ける旅が決定したわけである。
指定された出発日が平日なので、学校には用意周到に真由美の欠席願いと俺のインフルエンザの診断書(偽)が提出されていた。ていうかやっぱり俺も行くのかよ。で何で俺の方が手が込んでんだ。俺も欠席願いで良いよ。俺これ早く帰ってきても、1週間は学校行きたくても行けねえじゃねえかよ。俺は学校が大好きなんだよ。そんなツッコみを入れながらも、まあ俺も了解した。
インフルエンザはともかく、俺が同行するであろう事は話を真由美から聞いた時点で薄々感じていた事だしな。
前述した様なとんでもない豪邸にお住いのお嬢様にも関わらず、小さい頃から真由美には執事やメイド等の「御付きの人間」がいない。勿論、家の中にはたくさんいるのだが、一歩家から外に出ると、誰も付いてこない。送迎の車もない。それが川原家の方針なのかは定かではないが、事実である。
その所為で真由美は過去誘拐された事もあるのだが、それでもそのしきたりは変わっていない。
その代わりという訳ではないのだが、気が付けば俺が真由美と行動を共にする事が自然と多くなっていた。まあ身体的にも頭脳的にもスペックは確実に真由美が勝っているからナイトでもなんでもないのが情けないのだけれども。
川原家もそう願っている様だし、俺自身、真由美の事を危なっかしくて見てられないという点もある。で、気が付けば俺の家にも連絡が入っていて(俺の母親と真由美の母親は仲良し)、同行決定。まあ我が町から片道半日の所にある村らしいので、軽い小旅行の気分で出発したという訳だ。
そして、途中学校に登校中だった範人を「範人!大変だ!学校が移転した。結構遠いんだ!」との嘘をついて無理矢理電車に乗せて、今に至る。
だから俺と真由美はしっかり旅支度なのだが、範人一人だけが学生服だ。
その所為で乗り換える度に車掌に「君、学校は?」と聞かれる。
その度に俺は「学校の創立記念日なんです。彼は部活の朝練帰りです。美少女ゲーム部主将です」と喰い気味に答えてやらなくてはならなかった。
でないと範人が「学校が移転しまして。登校中です」と訳の分からん事を言ってしまうからだ。いやはや参ったヤツだぜ、まったく。馬鹿かコイツは。
俺の向かいに座る範人は、剥いたみかんを俺に差し出す。
「みかん食べるか?」
「サンキュー」
「マユミちゃんは?」
「いただくよー」
うららかな平日、天気は良好、車内はなんとものどかな光景だった。
それから2時間程して電車を降り、そこからバスを何度か乗り継ぎ、俺達はぐんぐんと目的の村のある某県、その某群へと進んでいった。そして道も狭くなり、乗客も俺達三人だけとなった最後の停留所。降りたらそこはもう、雪国だった。……確かに方角的に少し北には向かっていたのだが、10月下旬で既にこの量か。凄いな、こんな所があるなんて。ちらちらと舞い散る雪。普段こんなに雪が積もっているのを見る機会はそうそうない。真由美や範人も外を眺めて目をキラキラさせている。
雪遊びをしたい気持ちはあったが、村まではまだまだある。ここからは地図を頼りに、更なる奥地へと徒歩で向かわなければならないのだ。無駄な体力消耗は危険だ。自制心を働かせ、俺達は真面目に先へと進む。救いがあると言えばそこが迷う様な道ではなく、とにかく一つの道を突き進むだけのコースだったという事だろう。何も考えず、ずんずんと前へ足を送る。だがもう歩を進めれば進めるだけ風景は真っ白な、雪山のそれへと変わっていく。足元の雪は更に深くなり、疲れも倍増していく。当然、メンバーの口数も減っていった。そして「ぎええええええ!!ぎょええええええええ!!」と言う鳥だか動物だか分からない声。その度に俺はビクってなった。マジ怖いんですけど。
更に極めつけは目の前に現れた、山と山の間、すなわち谷の上を渡る巨大な、だが今にも壊れそうな、木製の吊り橋だった。
「…………」
「ちなみに、村に行くにはこの橋を渡るルートしかありません」
真由美が宣言する。つまり、他に選択肢はないという事だ。
しゃあない、男山之内徹、腹、くくるか!!
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!ぎゃああああああああああああああああ!!」と言いながら、右手に真由美、左手に範人と手を繋いでもらってなんとか恐怖の吊り橋を渡り切る事が出来た。
無事に渡り切った後、真由美と範人の横顔を見たが、何この子達。超可愛いし超イケメンじゃん。胸がドキドキする。渡る前と渡った後でのこの違い。なになに?一体何て呼ぶのこの現象?きゅん。
「とにかく渡りきったね」
「ああ、でルートがここしか無いって事は……」
「この橋が壊れたら帰れなくなるって事か……」
「やめろ範人。そういうの言うの……やめろ」
不吉な発言と共に今渡った吊り橋を振り返る俺達。命綱の吊り橋か。ああ、もうこの時点で嫌な予感しかしないぜ……。
何とか目的の村に到着したのはそれから一時間後、日が暮れる直前だった。
「やあやあやあ、よく来てくれたよく来てくれた。遠い所からわざわざ大変だったね。疲れてないかい?怪我はないかい?」
俺達は直ぐに目的である村長の家を訪ねた。
真由美の素性と目的を聞いた村長は友人の配慮にいたく感激し、俺達を大歓迎してくれた。まあとにかく滅茶苦茶良い人だった。
「そうか、君が川原君の娘さんか?初めましてだね。会えて嬉しいよ。あ、じゃあ君が真由美ちゃんのナイトの小さな探偵君という事かな」
おっさん俺の事まで喋ってたんだな……。ふ、参ったぜ。と、俺には眼もくれず範人の手を取る村長。
「いや、あの、オレは違います」
……まあ、良いんだけどね。お約束だし。別に。でも涙が出ちゃう。だって、自意識が過敏な中学二年生だもん。
「ああ、そうか。君か。これはうっかり!すまないねえ。学生服だから、何か探偵かと思っちゃったよ」
何だその言い訳は。適当か!そんな言い訳ならしない方がマシだよ。いいよ別に。だがまあ、そんな適当な雰囲気は流石真由美の親父の友人と言った所である。
年は40代半ばだろう。体は全然がっちりしていない。細身で、学者タイプ。体格と柔らかそうな雰囲気に関しては真由美親父とは正反対のタイプみたい。だがノリは似ている。
「はい、これ、お父さんからです」
「おや、ありがとう。なんだろうね」
で、肝心の贈り物を真由美は直ぐに渡したのであった。
よし、これで任務完了だ。
目の前で小包の袋を破る村長。その中からまず出てきたのは、東京タワーの置物だった。
「ははは、何だこれは。お土産?ははあ、プレゼントってことかな。川原君も相変わらずだなあ。ん?」
村長はその包みの更に中にある何かを見つけ、取り出した。それは封筒だった。中から便箋を取り出し、しばらく眺めていたが、すぐに俺達に顔を戻すとこう言った。
「まあとにかく、今日は遅いから泊まっていくと良い」
そうして村長は村に唯一ある民宿(意外としっかりした和風造りで驚いた)をわざわざ手配してくれた。俺達もこの雪の中、更には夜の暗闇の中、来た道をせっせと帰る気力も自信も尽きていたので、大変有り難かった。
村長の案内で民宿に着き、玄関を開けると、ハンチング帽を被った変なおっさんがそこにいて、声を掛けてきた。
「やあ、山之内君、待っていたよ」
俺の名前を呼んでいるが、誰だこのおっさん。知らんぞ。
「…………どうも。お待たせしましたね」
知らないと言うのも失礼だし、こういう時は何となく雰囲気で、ふわふわした会話をするしかない。
「どうしてここにって顔をしてるね」
「いやあ、そうでしょうかね。どうしてここにって顔をしているのかもしれませんね。だがよく考えてみて下さい。どうしてここにって顔をしていないかもしれませんよ。つまり、どうしてここにって顔とは一体何なのか、という疑問です。どうしてここになんてないのかもしれません。更に、ともすれば、どうしてここにといった顔をしている人間なんて、どこにもいないのかもしれません、その方が結局、誰も傷つかないのかもしれない……」
「山之内君、何を言っているんだい?」
「山之内、ではあります、確かに僕は。逆から読むと『ちうのまや』です。この場合、『知宇野摩耶』が良いですかね?いや、『智宇野マヤ』の方が良いのかな?」
「徹君。会話が空っぽ過ぎてふわふわしてるよ」
真由美に指摘される。良かった、自分でも飛んでいっちゃうかと思ったふわふわ感だったよ。
「ほら、記者さんだよ」
「ああ……」
いたな。先月と先々月だっけ?記者の、何だっけ?オオ。大……?大………………?
「太田ソドムさん。どうしたんですか?」
「大屋圭吾だよ」
むむ、そんな名前だったか。あれ、ソドムだった気がしたんだがな。違ったか。まあ、違うか。ソドムは。ちぇ。
「今日はどうされたんですか。記者さん」
ソドムを諦めきれず、腑に落ちずに黙り込んでいる俺への助け舟だろう。真由美が記者に質問する。
「取材をさせてもらおうと山之内君の家に行ったら、真由美ちゃんと一緒にとある村に行っていると聞いてね。これは何かありそうだと思って、直ぐに後を追ったんだ。あ、僕はさっき着いたんだよ」
「……」
俺は言葉を失った。何だ、このおっさんは。俺のファンか。それともあれか、レギュラーを狙っているのか?範人が増えてもうそこらへんは十分なんだよ。枠的に。
結構な時間と距離を俺の為に使うとは、どうだろうな。何か目的があるとしか思えない。何だ何だ?ひょっとして、こいつ黒幕か?
まあ、いいか。この記者は記者としては無能かもしれないが、俺にとってはそう無能でもない無能である。というのも先月の「ブルマ泥棒なんていなかった事件」で感じた点だが、コイツは殆ど発言をしていないのだ。本人としては記者として周りの状況をしっかり把握して、客観的に物事を捉える等の理由があるかもしれない。まあ、そこらへんはどうでもいいんだが、本当に。つまり、俺が一番嫌いな、事件に余計な口を挟む事をしないのだ。ずっと電子メモをカタカタやっているだけ。
あまりお喋りでないと言うのは、悪くない。無能ではない。ただ、ドラクエの気は合わないだけだ。
「まあまあ遠い所からよくおいでくださいました、この後我が家で真由美ちゃん達の歓迎会をしようと思っているのですが、是非大屋さんもいらして下さい」
「あ、いいんですか?スイマセン」
気が付くと村長が気さくに記者に話しかけていた。本当良い人だなこの人。
「あ、でも山之内君達も大丈夫かい?お邪魔じゃないかい?」
「気にしないで下さい大屋さん。オレ達は全然構いませんから」
こちらは我がグループの良いヤツ代表、谷崎範人。という訳で記者のおっさんが仲間に入ったのだった。じゃん。