七話
マリーアの屍体を最初に発見したのは、ヴィクターであった。
彼は具合の良くない患者を診察するために朝早くから街に出、そして水路に浮かぶマリーアを発見したのだ。
「それで死因は?」
苛立たしげにテーブルを指で叩きながら、ツァハリーアスが問う。
用意された朝食など、当然ながら喉を通らない。ただでさえペストによる死者が止まらないのに、更にそれ以外にも死者が出るとは。しかもセラピオンに続く二人目だ。
「同じだよ」
低い声でヴィクターが答えた。
「同じ?」
「そう、同じだ」。言いながら彼は握り拳で己の胸を叩いた。
「鋭い刃物で心臓を一撃だ」
「とすると」。ツァハリーアスの言いたいところを察知したヴィクターは、「ああ」と頷いた。
「犯人は同じ人物だろう。傷口の形状も一緒だ。大きなハサミのような物で、一気に突いている」
「そうか」
ツァハリーアスは天を仰いだ。全くやり切れない。己の無力を知らされるようだ。
「それで、どうするんだ」
ヴィクターの問いかけに、ツァハリーアスが首を捻った。
「何が?」
「葬儀だよ、葬儀。あの女中、聞いたところによると身寄りが全くないそうじゃないか。よく雇ったな」
「そんな言い方は止めて欲しいね。マリーアは良い子だったよ、とても。葬儀は僕が出すさ。彼女はずっとこの家に仕えてくれたからね。アーデルハイトにも親切だったし」
ツァハリーアスの言葉はそこで止まった。「アーデルハイト」。彼は繰り返す。
ヴィクターが不思議そうに、「お嬢さんがどうかしたのか」と訊ねた。
「うん、ちょっとね。彼女、笑ったんだ。セラピオン氏の埋葬の後、妙に青い顔をしていたから、具合でも悪いのかと手を差し出したんだよ。そうしたら、笑ったんだ」
「そりゃあ、お前、彼女だって笑うことくらいはあるだろうよ」
ヴィクターの言葉には呆れの気配が漂う。だが、「違うよ」とツァハリーアスは否定した。
「確かに表情豊かとはとても言えないアーデルハイトだけれど、そりゃ偶には笑うさ。でもね、何だか違ったんだ。何だか、そう、さようならを言われた気がしたんだよ。笑顔なのにさ」
ツァハリーアスは思い出す。月の明かりのない闇夜、蝋燭の灯りにだけ照らされたアーデルハイトを。
彼女は真っ直ぐに彼を見て笑んだのだ。濃い金色の髪、白い肌、青い瞳、整った顔立ち。人形のような少女が、にっこりと完璧に笑んだのだ。
なのにそれは、彼に酷く悲しい印象を与えた。
僕は結局、とツァハリーアスは思う。結局、彼女のことなんて何も分かってはいないのだ。
彼女を救ってやるつもりでいたけれど、何一つとして彼女のためになるようなことは出来ていない。僕は無力で無能な人間なのだ。生きている価値すら、疑問だ。
「お嬢さんもショックだろうな」
コーヒーを啜りながらヴィクターが物憂げに言った。
「今までずっと世話をしてくれていた女中が、突然死んだ。それも殺されただなんて。どう伝えれば良いのやら」
ツァハリーアスは首を振りながら立ち上がった。
何をとち狂ったことを考えていたのやら。僕はまだ生きている。だから出来ることをしなくては。
それが死んでしまった者への供養になるはずだ。正しく生きてきたのに、正しく死ねなかった者たちの無念を晴らさなくては。
部屋から立ち去ろうとするツァハリーアスを、ヴィクターが驚きと共に呼び止めた。
「おい、どこに行くんだ?」
「決まっているだろう。マリーアの葬儀の手配にさ。あぁ、そうだヴィクター、アーデルハイトが起きたら僕に知らせるようにと執事に言っておいてくれるかな」
「待て、ツァハリーアス」、と叫んだヴィクターの言葉は相手には届かなかった。「俺も忙しい身なんだけどね」。その呟きは寂しく床に落ちて、消えた。




