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黒/白  作者: えむ
第四章
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四話(二)


 立ち去るヴィクターの背中を見送りながら、アーデルハイトは小さく呟いた。「幸せなふり、ね」


 そんなの、と少女は俯く。出来るわけがない。だって私は、と少女は息を吐いた。幸せじゃないもの。

 確かにこの邸での生活にはとても満足している。快適すぎて罰が当たりそうだとも感じている。こんな生活が長く続けばいいのにと、願ってすらいる。

 それが叶わぬ望みだと知ってはいても。


 それでも幸せかと聞かれれば、アーデルハイトは簡単に是とは言えなかった。

 それは、この邸にはたくさんの「普通の人」がいるからだ。毎日彼らと接すれば、嫌でも己がどれほど普通と遠うかを知らされてしまう。


 視線を落としたアーデルハイトの目に、まだ赤い血が映った。その匂いは人間ではなくカラスのもの。血が落ちてからそう時間は経っていない。

 無意識の内に、アーデルハイトは先ほどの探索を再開していた。黙々と血の匂いを追う。

 いくつもの植え込みを越えた先に、蹲っていたのは件のカラス。黒光りする羽の一部には白いブチ。


 彼女はヴィクターの言葉を思い出した。

 普通と違うと言うことは、何故普通と違っているのか説明を求められるものだ。普通の屍体と異なる屍体には「吸血鬼」との説明が為されるように。そう彼は言った。


 「ねぇ、貴方は」。アーデルハイトは問いかける。「貴方は説明が出来る? どうして貴方が白いブチを持っているのか。何故、貴方だけなのか」


 少女が手を伸ばしても、カラスは逃げようとはしなかった。

 そっと持ち上げれば、カラスの暖かな血がアーデルハイトの白い腕に落ちる。新しい傷のその隣には、治りかけた古い傷口。近くで見れば、カラスは傷だらけだ。

「こんなに怪我をさせられたのに、それでも貴方は明日も他のカラスに近づくのかしら。きっと近づくんでしょうね。今までもずっと、そうだったのでしょうから」


 溜め息とも、憧れとも取れる吐息を零して、アーデルハイトはカラスを抱いて歩き始めた。

 慣れた足取りで庭の小道を辿った先には、ひっそりと立つ忘れられた小屋。そこから伸びる低い張り出し屋根に、彼女はカラスをそっと乗せてやった。

 庭の奥まった場所に立つこの小屋ならば、人間にも猫にもきっと見つからないだろうと考えたのだ。


 「貴方は凄いわね」。少女の細い指が、カラスの頭を撫でた。「私は理解なんてされるはずはないと、最初から諦めていた。私は違うのだもの。だから仲間に入れて貰えるわけがない。そう思って、努力なんてしたことなかった。でも貴方は、毎日毎日挑み続けているのね。諦めないのね」


 本当に、アーデルハイトがカラスの傷口にそっと口づけた。

「貴方が仲間を得る日が来るように祈っているわ。心の底から。私にとっての伯爵のように、貴方に誰かが手を差し伸べてくださいますように」


 蹲るカラスを眺めながら、自分は贅沢なのだとアーデルハイトは感じていた。

 このカラスが望んでいるのは仲間だ、共に生活してくれる相手だ。

 けれども自分は、こうやって邸に迎え入れられて、人間として扱われていても、ちっとも満足ではないのだ。


 私が本当に望んでいるのは、とアーデルハイトは独りごちる。思い出すのは、優しい伯爵の手の温もり。

 彼は私の髪を撫でてくれた。親切にしてくれる。けれど私が欲しいのは、と少女は俯く。

 優しさではなく、己の同類なのだ。同じく太陽を恐れる吸血鬼こそを、望んでいる。

 その相手から説明して欲しいのだ。自分が何者であるのか。どんな存在なのか。何故、人間と同じ形をしているのに、人間と違うのか。死者なのか。それとも確かに生きているのか。

 肯定してほしいのだ。同類から、こそ。


 アーデルハイトは思わず手で顔を覆った。怖いのだ。太陽が、ではない。自分自身が。

 周りの人間は生きている。けれど、自分はどうなのだろう。吸血鬼とされる屍体は、杭を打ち込まれて殺される。そう医者は言った。

 それは、殺されるまでは生きているという意味なのだろうか。

 だが同時に、医者はこうも言ったのだ。吸血鬼は単なる屍体に過ぎない、と。


 アーデルハイトには分からない。だからこそ、彼女は同類を望んだ。

 もしも同類がいるとして、と少女は考える。それはどこに行けば会えるものだろうか。

 吸血鬼になるのは吸血鬼に感染させられた人間だと聞いた。けれども自分は誰かを感染させたことなどない。悪しき魔法使いや狼男は死後吸血鬼になるとも聞いた。だがそんな知り合いもいない。

 後は、とアーデルハイトはヴィクターの言葉を必死に思い出す。彼は、事故や病気で突然死んだ者は吸血鬼になりやすいと言っていた。


 少女はにっこりと微笑んだ。今は危険な病気が流行っているのだ。

 周りの使用人たちの中にも、知り合いが死んだととても悲しんでいる者がいた。これで行く場所は決まった。

 病気による死者は、街と森の間に横たわる荒れ地に埋葬されるのだ。あの寂しい場所ならば、もしも同類を見つけた時も、ゆっくり話が出来ることだろう。


 この白いカラスのように、と彼女は顔を上げた。私も努力をしてみよう。それは違う方向の努力ではあったが。

 死んだように小さく丸まったカラスに触れれば、白いブチのある羽根が僅かに動いた。彼はまだ生きているのだ、紛れもなく。


 庭から部屋へと戻りながら、アーデルハイトは込み上げて来る嗤いを止められなかった。

 その血に似た色をした唇が、震える。もしこれで、と小さな音が零れた。本当に同類を見つけたならば、自分が死者、少なくともかつては屍体であったと証明することになるわね。

 白いカラスは確かに生きているけれど、私は果たして。


 部屋の入り口をくぐれば、蝋燭の揺れる光がアーデルハイトを迎え入れた。

 おそらくそれは、いつものあの女中が灯してくれたのだろう。生き生きとした美味しそうな彼女。

 そっと近づけば、反応するかのように蝋燭が大きく揺れた。それはアーデルハイトに生者の存在を感じさせた。

 白い酷薄な月光とは違う、揺れる暖かな光。

 変化は生きていることと同義だと医者は言った。少女の唇に、歪んだ笑みが再度浮かんで、そして消えた。


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