一話(一)
「謎の死を運ぶ吸血鬼、か。君はどう思う?」
徐々に赤みを帯びて傾いていく太陽を眺めながら、ツァハリーアスは物憂げに訊ねた。
「どうもなにも」、と答えるのはヴィクターだ。「実際の死者数を正確に知っている牧師から話を聞かなければ、はっきりとしたことは言えないね。今の時点では、ただの噂話だ」
「セラピオン氏なら、直ぐに来るだろうさ。ちょうど今は教会の補修費をお願いされていてね、だから僕の心証を悪くするような振る舞いはしないと思うよ」
それだと良いが、とヴィクターは脚を組み直して話し始めた。
「吸血鬼という『蘇る』存在自体は、とてもポピュラーなものだ。誰だって親しい人間に死なれれば蘇って欲しいと願うし、安らかに眠る死者を前にして、本当に死んでいるのかと疑問に思うこともある。
その二つが融合して生まれたのが吸血鬼なんだろうな。もちろん、そんなものは幻想だ。けれど、吸血鬼は二つの点で真実を含んでもいる」
窓の向こうの太陽が、彼ら二人を赤々と照らした。
「一つは墓場から蘇る点だ。それこそ非現実的だってお前なら言うだろうがね、けれども埋葬されたのが生きた人間だとしたらどうだ。病で死んだとされた人間が、実は虫の息で生きていたのだとしたら。
もしくは、死んだように気絶ないし硬直していたのだとしたら。死と生の境界線は意外と曖昧なんだよ。
俺はこれまで、何度も何度も屍体を観察したことがあるから断言するが、死後も人間の爪は伸びるし、髪も伸びる。ヒゲすら新たに生えてくるんだ。
おそらくは全体は死んでも、部分はまだ生きているのだろうよ。そうだとしたら、死とは一体何なのだろうな。腐り始めれば屍体なのだろうか」
淡々と語られるヴィクターの話に、ツァハリーアスは吐き気を覚えた。腐る肉体。想像するだけで、彼は胃の中身をぶちまけそうになる。
そんな彼の様子に、ヴィクターは眉を顰めた。
この男は、と彼は疑問を抱く。この手の話にこんなにも弱い質であっただろうか。大学時代は、自分も屍体解剖に参加してみたいと我が侭を言って、困らされたこともあったのに。
歳月は人を変えるとはよく言うが、それにしても変わりすぎなのではないだろうか。この八年の間に、彼に何かがあったのか。
水と一緒に吐き気まで飲み下したツァハリーアスが、身振りで続けろとヴィクターを促した。
だが、ヴィクターは言い淀んだ。そんな彼にツァハリーアスは、是非続けてくれ、と今度は声に出して頼んだ。
「僕はこの地の領主なんだよ。領民には責任がある。君の話は今噂されている謎の病気による死に関係があるのだろう? ならば続けてくれ」
本当に、とヴィクターは笑う。どうやらこの点でだけは、ツァハリーアスは以前と変わってはいないようだ。
相変わらず、責任感が強い。己の富がどこからもたらされているのかすら知らず、いや、理解しようと思うこともなく、浪費を重ねるのが現代の貴族だと言うのに、彼は領主としての務めを忘れてはいないのだ。
それは今も昔も変わらずに……病的、だ。
「じゃあ、話を続けさせて貰うがね」
ヴィクターはカップを空けてから、再度口を開いた。
「吸血鬼が含む二つ目の真実は『感染』だ。ここ最近だけでも何度も吸血鬼の墓は暴かれているし、その内の何件は権威ある報告書として公表されてもいる。
報告書として世に出されるものが吸血鬼騒動全体から比べれば極々少数だとは俺とてわきまえてはいるが、それでも俺が読んだ全てに於いては、吸血鬼は『誰かを殺した』から墓を暴かれ串刺しにされている。
吸血鬼になったから、ではない。吸血鬼になり死を撒き散らしたから、二度目の死を与えられたんだ。彼らは他者を感染させたからこそ、滅ぼされた」
「何が言いたいんだい?」
「先ほど言った早すぎる埋葬は、医学が発達した今では滅多に起こらない。滅多にないと言うことは、つまり、極々稀にはあるってことさ。
そしてそれが起こるのは、医者が多忙すぎて患者一人一人にまで充分に目が届かない時、または、一刻も早く埋葬する必要性がある時だ。つまり、疫病の流行時、だ」
ヴィクターは真っ直ぐにツァハリーアスを見据えた。
「俺が主張したいのは、吸血鬼は疫病の別名でもある、ってことさ。
ペスト処女は街にペストを運んでくる。それに感染すれば患者となる。そして近い将来に死ぬ。その死者が感染を広げ、新たな犠牲者を生み出した時、墓から蘇った吸血鬼となるのさ」
「吸血鬼は疫病の別名、か。なるほどね」
「それで」、とヴィクターはまじめくさった顔をやや緩めて問うた。「今噂の的のあの可愛らしい吸血鬼のお嬢さんは、誰かを感染せしめたのか?」
「君が言いたいのはアーデルハイトのことかい。止めてくれよ、冗談でもない。彼女はただの人間だよ。それに」、とツァハリーアスはヴィクターに教えてやった。「最初に吸血鬼だと疑われたのはアーデルハイトではないんだ。彼女は謂わば副産物みたいなものでね、吸血鬼だと糾弾されたのは、自殺した別の娘なんだよ」
「自殺?」
ヴィクターは素っ頓狂な声をあげた。
「確かに自殺者は吸血鬼になりやすいとは言われているが、それだと病気とは関係が」
「いや」、とツァハリーアスがヴィクターの発言を遮った。「僕は罹ったことがないから詳しくは知らないけれど、ペスト腫脹ってのはとても痛いものなんだろう? 噂では娘の自殺の原因は、家族に結婚を反対されたからだとされているが、もしかしたら病苦から逃れるためだったのかもしれないよ。実際に、彼女の周囲の人間も死んでいるらしいしね」
「それもそうか」
二人して暗澹たる想像に溜め息を吐いた。もしも本当に、自殺した娘が病気の最初の発症者だとしたら、とツァハリーアスは考える。彼女の死から、既に二ヶ月近くが経過している。その間にどこまで感染が拡大しているだろうか。
押し黙った二人の気持ちなど知らぬ女中は、明るい声で、彼らの待ち人であるセラピオンの到着を告げた。




