表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒/白  作者: えむ
前章
1/48

プロローグ


 それは冬のある晴れた日。


 酔っ払いの陽気な冗談、娘たちの罪のないおしゃべり、売り子の宣伝文句。その間を駆け抜ける子供の朗らかな笑い声。多くの人間の発する音は幾重にも連なり、冬の寒空にも負けぬ熱気を生み出していた。

 街の住人たちだけではなく、近郊の、いや、もっと遠方からですら、人々はこの日の出し物を楽しみにこの地へと集まって来たのだ。目指す場所は、一つ。この街を治める伯爵の邸宅前に設えられた、臨時の舞台だ。


 死刑執行は滅多にない、そしてそれ故に価値のある、イベントであった。



 群衆が熱い視線で見つめる舞台に、今日の主役が現れた。兵士に守られ、監獄から連行されたのは、緑の瞳の青年。まだ若い。

 兵士に促されるまま、彼は舞台へと上がる。既に用意は整っていた。彼の為の椅子。彼が犯した罪の赦しを乞う為の牧師。そして彼の首を断ち切る役目を担う、死刑執行人。


 舞台に上がった彼に、群衆の興奮した叫び声が延々と投げつけられる。彼はその中で、静かに、けれども真っ直ぐに、執行人と向き合った。助手が勧めた椅子に彼が座れば、その両手首と両足が手際よく固定された。続いてもう一人の助手が、彼の髪を掻き上げ首を露わにさせた。

 準備が整ったのを見て取った死刑執行人が、重々しく歩を進める。彼が裁くべき罪人に向かって。青年は今から己を殺す相手を見、そしてにこやかに笑んだ。着飾った死刑執行人のポケットから零れる、白い布を見つけたからだ。罪人が視線を下げれば、舞台の一番前にへばりつく人々の手には、杯が。


 その意図は明らかだ。彼の血を、彼の首の切断面が吐き出す血を、彼らは欲している。血には力がある。それは古からの、キリスト以前からの信仰だ。生き物を生き物たらしめているのは、その体内を満たす赤き液体なのである。だからこそ、血には力が宿る。唐突に生を切断される死刑囚の物ならば特に。それは万能薬と讃えられ、飲めばたちまち体の不調を癒し、塗ればどんな傷も皮膚病も治ると、信じられていた。


 罪人の笑みが深まった。吸血鬼ね、と彼は嗤う。

 これではどちらが吸血鬼なのか分かったものではない。血を求め杯を掲げる彼らは、間違いなく吸血鬼だ。

 それも人間の皮を被った、人間のふりをした、グロテスクな吸血鬼だ。己の醜悪さに気付くことも出来ぬ愚鈍な、ただ盲目に血を求める面の皮の厚い化け物だ。吐き気がする。


 ああ、と彼は天を仰いだ。冬の弱った太陽がその瞳を打つ。彼が思い出すのは、小さな吸血鬼だ。闇に輝く銀の髪、白い肌。灰色の、こちらの心臓を打ち抜く瞳。魔物の瞳だ。暗闇に立つ少女の白さは、世界と隔絶した、世界に汚染されぬ純白であった。

 彼女は美しく、孤独な存在であった。

 彼女は確かに化け物であったが、彼女もそれを理解していた。彼のすぐ近くで目をぎらつかせている醜悪な存在とは違う。


 罪人は顔を上げ、見物人たちを見下ろした。死を直前にしてもなお動ぜぬ彼の姿勢に、いくつもの口笛が贈られた。だが、そんなことは彼にはどうでも良いことであった。彼が焦がれるのは、白い少女だけ。


 けれども彼は、数多いる観客の中から、目当ての少女を見つけることは出来なかった。肩を落し、嘆息する彼に落ちたのは、黒い小さな影。彼の為の舞台のすぐ上を、二羽のカラスが舞っていた。その片方の翼には白い筋が。


 群衆が静寂に飲まれた。ついに死刑執行人が罪人の目前に迫ったのだ。振り上げられるのは、身の丈ほどもある斧。それが振り下ろされる時に、罪人は。


 若き死刑囚の鮮やかな緑の瞳が最期に見たのは、空から舞い落ちる黒と白の羽根であった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ