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第一章 静かな揺らぎ



 朝市通りから遠く離れた、小高い丘。

 市街地自体からも少し離れたそこは、木々の生い茂る緑地になっていた。

 もう少し高ければ、小さな山とも言えるだろうか。

 一番高くなっている所まで登ると、フォーレスの市街地の、色とりどりの屋根の群れが眺められる。

 反対側に目をやれば、深い茂みに隠れた、遠い国境の眺め。


 町外れのシェーナの家と、市街地のちょうど真ん中に位置するその広い公園は、フォーレスの人々の憩いの場になっていた。

 いや、なっていたらしい。

 国境付近が危険になってからは、ここには殆ど人が訪れない。


「なるほどね…」


 公園の、一番高いところ。

 そこに生えている木々の一本。

 その太い枝の上に、シェーナはいた。


 街中や市場を、一通り満喫した後、人々との会話の中で得られた情報を反芻するために、静かなこの場所を訪れたのだ。


「ここでは、都は憎まれものか…。まぁ…私としては…やりやすいけど……」


 ヴァルドの都は、フォーレスを見捨てているわけではない。

 むしろ、重要視しているのだろう。

 けれど…いや、だからこそ、と言うべきか。表面上はそれを表すことができない。

 フォーレスに国からの守備軍を送れば、セレスを警戒していることが相手側にありありと伝わってしまう。

 フォーレス・アーリア・セレス間の不可侵協定が辛うじて守られている今、大きく動くことは、あってはならないことだった。


 ヴァルドは、協定がある限りフォーレスは安全だと言ってフォーレスの民を納得させようとしているが、国々の情勢の噂というのはどこからでも舞い込んで来るものだ。

 フォーレスの民は、日常生活を送りながら、隣にある不安に脅えている。そして、いざという時に自分たちを守ることを確約しないヴァルドに、明らかな不審の目を向けていた。

 実際、ヴァルドは都からフォーレスへの路を断ってもいなければ、物資の輸送もしており、しかもそれは過剰なほどで、フォーレスの朝市はいつも豊かなのだが、そのこともフォーレスの民の不安をかきたてているらしい。

 物資を送って信用させておいて、戦争になったら一番に見捨てるつもりだろう、と。






 シェーナは、ここに送られてくる時に言われた言葉を思い出していた。


「フォーレスは要だ。動きを悟られずに、だが確実に、フォーレスを守れ」


 軍の要人の、重い一言。

 それを思い返し、シェーナは小さく溜息をついた。












「……問題は、フォーレスの民の国への不審が、セレスの諜報員に利用されないかどうか…だよなぁ…」





〜4.空色の風〜






「その心配なら、いらないと思うよ」







 ――…声がした。

 透き通るような、真っ直ぐな声だった。


 声は、下から響いていた。

 

 見下ろすと、一人の人間と目が合った。


「…」


 思わず、口に出す。

 その者の髪は、空を映したような淡い蒼。

 蒼が、時折風を受け、水のように流れる。

 瞳は、淡くも深い緑。

 生い茂る木々を、そのまま映したかのような。


「セレスの色…」


 シェーナが呟くと、その人間は目を細め、こちらを見上げてにっこりと微笑んだ。


「面白い人ですね、みんな、この容姿を怖がるのに……シェーナさん、あなたは」









 ――…!!


 名前を呼ばれて、シェーナははっと息を飲んだ。

 もう一度、その人物をよく見下ろしてみる。

 空色の髪、緑の瞳。

 その口許には、異様に無邪気な微笑み――…


「あなたは…一月前の…!」


「ええ、そうです、アズロです。覚えてくれてたんだねぇ、ありがとう」


 その人間は、アズロはあっさりと肯くと、少し何かを考えたようなそぶりを見せてから、遠慮しがちに言った。

 ぽりぽりと、左手で頭をかきながら。








「それと、あのぅ……そろそろ下りてきたほうがいいと思うんだ。この間も言ったけど、僕は何もしないし……木の上で警戒しなくても…。……その…風も出てきたし……この位置からだと…、ねぇ?」











 シェーナは少し考えて、それから自分の衣服を、主に、風になびくスカートを見て、そして。

 叫んだ。








「わかった下りる! 下りるから、見るな! 見なくていいっ! ちなみに、飛び降りる瞬間も見るなっ!!!」





 長くも短くもない空色の髪、淡く、深く揺れる緑の瞳。

 加えて、透き通るように白い肌。

 普段着なのだろうか、十一の月にしては寒そうな軽い布の服からのぞくのは、力を加えれば折れてしまいそうな、細い腕。

 闇の中だったのと、その時の分厚い服とで判らなかったが、陽の光の中で見ると、アズロはとても華奢だった。

 

 おそらくは男性なのだろうが、微笑んだ顔は女性のようにも見える。

 …今日も、アズロから敵意は全く感じられない。

 意を決したシェーナは、警戒心を置き去りにして、アズロへと一歩、近づいた。

 この細い体のどこに、シェーナを押さえつけた凄まじい力が眠っているのだろう。

 それに、あの力。

 空を飛ぶ力。

 あんな力を持つ者がいるなんて、聞いたことがない。


 一歩、また一歩。

 シェーナとアズロの間の距離が一メートルほどになった時、アズロはゆっくりと口を開いた。

 微笑みに、緑の瞳が細められる。


「あの時は、急ぎ足になっちゃったから、改めて。…僕はアズロ」


 どこまでも、穏やかな声だった。

 陽の光にさらされることで、自らの容姿を相手に知られることを全く意に介していないような、ごくごく自然な態度。

 発せられる言葉に、偵察員特有の動揺や偽りの響きは感じられない。

 名乗った名前も、本当に本名のようにすら思えてしまう。

 かといって、素性が知れても不利にならないほど、自信があるようにも思えない。

 それなら何故、わざわざ相手に自分の情報を提示し、不利になるような行動をとるのか…。


 シェーナが怪訝な顔でちらりとアズロの表情を窺うと、微笑んだアズロの眼が一瞬、驚いたように開かれる。

 その後で、アズロは口許に手を運び、小さく笑った。

 

「あなたの思った通り、僕はセレスに属する人間です。でも、あなたに何かしようって気はないので、安心してください。あの時も言ったけど……そう、話をしてみたかったんだ」





「話?」


 シェーナが驚いたように問うと、アズロは頷いた。


「うん。何でもいいんだ、何か、話ができたらいいなぁって。…だめですか? ヴァルドの民は、他国の人間と口をきいちゃだめだって教わってるのかな? …それとも、僕がいずれは敵国になるであろうセレスの民だから? 敵国の人間は、みんな敵だとでも?」


 話しながら、アズロはじいっとシェーナの瞳を見つめる。

 請うようなその眼差しは、シェーナの心の奥を揺らした。

 声も態度も全く違うのに、アズロの纏う雰囲気はどこか、シェーナの育ての親、シエラに似たものがあった。


「う…いや、そんなことはないけど…」


 思わず、シェーナが小さく答えると、アズロはまるで子供のように目をキラキラと輝かせて、シェーナの両手をとり、踊るようにくるりと一回転した。

 つられてシェーナの体も回ってしまう。

 頬を赤く染めたアズロのその表情は、本当に嬉しいのだと物語っていた。


 しまった。

 答え方を間違った…。

 シェーナは後悔したが、もう遅いらしかった。


「やった! じゃあ、これからよろしく、シェーナさん! 僕のことはアズロでいいよ。…あ、大丈夫大丈夫、国のほうにはばれないように上手くやるからさ。心配ないないっ」


 アズロは半ば強引に話をまとめると、シェーナと繋いだ両手をぶんぶんと振った。

 そしてそのまま力を込めると、シェーナもろとも宙へ舞う。

 一メートル、二メートル、三、四、五メートル。

 二人の体は、徐々に高く、空へと昇っていった。


 視界が変わる。

 公園の緑は遠くなり、青く蒼い、広大な世界へと。


「わっ、わわわっ」


 慌てるシェーナの手をしっかりと握りながら、アズロは言った。


「話し相手になってくれた記念に、プレゼントだよ♪ ここから見える景色は、とても綺麗なんだ。…大丈夫、僕の手を離さなければ、落ちることはないから。誰も見てないし…この高さくらいなら、まだ息もできるでしょ?」





 地上千メートルほどの所まで辿り着くと、アズロは昇るのを止めた。

 眼下には、小さくなったフォーレスと…

 普段見ることのできない、セレネの昼の姿。

 そして、小さな小さな、国境。

 緑と青と茶の織り成す、世界の色。

 

 シェーナは知らず、溜息をついた。

 失意でもなく、呆れでもない。

 純粋な、感嘆の溜息。


「……すごい…。小さくて、大きくて、広くて…繋がっている……」


 隣を見ると、微笑むアズロと目が合った。


「…二人目なんだ。これを見せたの」


 アズロはセレネの方角の、セレネよりもずっと北を見つめながら話す。


「一人目は、君と全く異なることを言ったよ。そして僕の感じたことも、二人とは違う。そうだよね。人によって、感想なんてきっとバラバラさ。……最近思うんだ。風景は、見る人の心を映すのかもしれない、ってね」


 何かを、悔いているような表情だった。

 緑の瞳に映るのは、遠い空と、微かな悲しみの色――…。

 シェーナはふと、呟いた。


「その一人目は、セレスにいるの…?」


 問いに答えたのは、沈黙。

 口数の多いアズロはしかし、口を一文字に結んでいた。

 きつく結んだその唇から、溜息とともに言葉が吐き出されたのは、無音の時間が三分ほど経った後だった。











「…いつだって、気付いた時には遅いんだ。…遅いと、思っていた。……でも。――…さ、そろそろ降りよう。慣れないと、上空は辛いからね」






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