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第一章 静かな揺らぎ

〜2.風変わりな来訪者〜




 遠い遠い、村が見える。

 広大な畑の中に円形に集うようにして、木の板に簡単に釘を打ちつけただけの、粗末な家々が並んで…

 その一つに、あの人はいた。


「シェーナ、来て! 今年はものすごい収穫よ」

 こちらを向いて微笑んだのは、空に透ける金色の髪を持つ女性。

 収穫したばかりの果実を両手いっぱいに抱えて、にっこりと笑う。

 その微笑みはとても綺麗で、思わずこちらが赤くなってしまうほど。

「私も手伝うよ」

 女性が抱えた荷物を半分手に持つと、一緒に歩き出す。








 シエラねえさんは、村一番のリリーの使い手だった。

 その実力は、隣村からねえさんの治癒目当てに患者さんがやってくるほどで。

 小さな木の家には、いつもぎゅうぎゅうに人が集まっていた。

 話を聞いてほしい人、傷を癒してほしい人、色々な人が訪れて。

 そう、私はいつも手伝っていたんだ。


 優しくて器用なのに、集まった人をさばくのが下手なねえさん。

 気がつけば一人に時間をかけすぎて、私はよく、次の人が待ってるよ、って急かしたっけ。








 いつか、ねえさんの力になりたいと思っていた。

 私を育ててくれた、大切な人のために。

 いつか私も、リリーをちゃんと扱える年になったなら、ねえさんの力になろうと。







 でも、できなかった。

 







 視界がにじんで、シエラねえさんが遠くなる。


 あの畑も、あの村も、遠く、遠く…








 ――…明けない夜が、近くなる。





 黄昏時、少女は眼を開けた。

 視界が悪く、何度か眼を開閉すると、水のようなものが一筋流れ出た。

 涙だった。


「シェーナ、か」

 ここ最近、めったに呼ばれることのない名を呟いてみる。

 鏡のところまで歩いて、そこに映った瞳を見つめて、諦めたように首を振った。

 苦笑いが、口から漏れる。


 夢に見たあの頃。

 幼かったあの日々。

 確かに少女が持っていたはずの瞳の輝きが、今は見つからない。

 茶色の瞳は影を増し、以前よりも暗い色になっているようにすら見える。


 少女は窓の外に視線を逸らすと、ゆっくりと支度を始めた。

 今日もまた、国境に出向かなければならない。





 ――辺りは闇。

 街は眠りについた。

 音も無く、少女は夜を歩き出す。


 少女と、他数名の限られた者のみが知る抜け穴を通り、いつものように国境を目指した。








 小一時間のうちに、昨日の場所に辿り着く。

 一部、地面が円形に晒されている以外、昨日と変わったことは無かった。

 木々は鬱蒼と生い茂り、歩くものを阻む。

 月明かりも、この茂みの奥までは届かない。

 少女は適当な木の下に身をかがめ、両耳を澄ませた。


 音は無い。

 異変も無い。

 気配も無い。

「珍しいな…」

 少女が呟いた矢先、どこからか声がかかった。










「こんにちは」

 やけに明るい声が響く。

 場所は判らない。

 前方後方右手左手、四方に意識を集中させても、声の場所は判らなかった。

 少女はそっと左手を構え、臨戦態勢に入る。


「あ、待って待って。怖いこわい。何もしないから何もしないで〜」

 やけに明るいうえに、やけに間の抜けた声だ。

 向こうに緊張した様子は無いのに、向こうの位置が判らない。

 そうとうのやり手か…


 少女が様々なことを思い巡らした時、その<やり手>は姿を現した。


「こっちこっち、ここですよー」










「は?」


 少女は眼を疑った。

 場所は、真上。


「ありえない…」

 呟く声に、真上に位置する者は答えた。

「そうですよねー、ありえないんですが、まぁ、世の中、何が起こるか解らないのが常じゃないですか。これもきっと、その一つなんですよ」






「…さて。こんにちは、シェーナさん。僕はアズロといいます」


 頭上五メートルほどの高さから降りてきた正体不明の人物は、降りてくるなり、律儀に挨拶をした。


「どうして、私の名前を?」


 少女は、シェーナは臨戦態勢を崩さないまま、アズロと名乗った人物へと問いかける。

 アズロの方には戦う意志は無いらしく、両手は手ぶら、服にも何か仕込んだようには見えなかった。

 身長は、シェーナよりも十センチほど高いだろうか。この暗さでは、瞳の色も髪の色もよくはわからない。ただ、その顔に浮かんだ笑みだけが印象的だった。

 

 アズロは少し考えると、にっこりと微笑む。

「秘密です。教えたらつまらないので――…というのは冗談で、本当に喋っちゃだめだから、秘密です」

 シェーナはその言葉を聞きながら、数ミリずつ左手を動かした。


 何者かは解らない。

 解らないが、危険だ。

 シェーナは思った。


 捕まるわけにはいかない。

 捕まえるわけにもいかない。

 追い返せれば、それでいい。

 気を失わせることさえできれば、追い返せる。

 

 もう少しで真空の刃が作れる…

 そう思った時、背後に気配を感じた。


「そうそう、昨日は、セレスの特務兵一人を軽症でご返却下さり、ありがとうございました」

 相変わらずの明るい声が、背中に響く。

 いつの間にか、アズロはシェーナの背後に回っていた。

 両腕に込められた強い力で、左手を押さえられている。

 この状態では、力を使うことはできない。


「ちっ…」

 思わず舌打ちすると、アズロがなだめるように語りかけた。


「ええと…先に動きを封じてしまって申し訳ないのですが、僕のほうは、全くやりあう気は無いんです。ただ、気を失わされるわけにはいかないので……わかってください」

 この状況で、どこをどう解れというのか、シェーナにはさっぱり解らなかったが、仕方なく体の緊張を解いた。

 アズロには、敵意が無かった。

 これだけ近づけば、どんなに小さな敵意でも、ある程度は察知できる。

 けど、本当に敵意が無かったのだ。

 殺意も、憎悪も、何も。

 どうしてそうなのかは解らなかったが、とりあえず、シェーナが手を出さない限りは、アズロも動かないということだけは理解できた。


 軽く溜息をつき、シェーナは自分のすぐ後ろに声をかけた。


「それで、あなたは、何のためにここに?」






「聞きたいことがあったんだ」


 ふと、アズロの口調が変わる。

 丁寧だが個人の意思のうかがえない今までの口調と違って、ほんの少しだけだが、何らかの思いのこもった口調だった。


「国のほうからも、色々聞くようには言われてるんだけど…それは今日はいいや。…僕の聞きたいことを聞かせてもらうね」


 アズロの言葉を聞きながら、抜け出すタイミングを計ろうと、シェーナは左手に意識を集中する。

 …が、無駄な行動だったようだ。

 話している間も、アズロは肩の力を抜いているようでいて、シェーナの左腕をしっかりと押さえている。

 抜け目の無いやつだ。


「君ほどの人なら、忍び込んできた人間を始末するなんて容易いものでしょう? どうしてそれをしないで、わざわざ回りくどい方法で気を失わせてから、セレス領に届けるなんてことをしてるんだい? リスクも大きいだろうに…」


「……」 









 沈黙が流れる。

 十秒、二十秒、三十秒…

 一分ほどだろうか。

 短いけれど、とても長く感じられるだけの時間が流れた頃、シェーナは重い口を開いた。


「…血の臭いが、嫌いだからよ」


 ゆっくりと、アズロはシェーナの前へと移動する。

 押さえている左手を固定しながら、前方へと回り、正面からシェーナの瞳を見据えた。

 はっきりとは見えなかったが、その暗い茶の瞳には、微かな動揺の色がうかがえた。

 今まで、そんなことを聞いてくる相手など存在しなかった。

 追い返した者は、二度とやって来ないか、あるいは追い返された恨みを抱いて再びやって来て、また追い返されるだけだった。


 相手にとって不名誉なことだと知りつつ、シェーナは侵入して来た輩を軽症で相手の祖国へと送り返す行為を続けていたのだ。

 工作をするどころかシェーナに捕まり、何も出来ぬまま国へ返される……味わった屈辱を恨みこそすれ、生きて送り返す理由を聞く者など、いるはずがないと思っていた。


 シェーナは深呼吸をすると、アズロへと視線を合わせた。

 くだらない理由と笑うだろうか。

 笑うなら、笑えばいい。

 じっとアズロの瞳を見据えた時、アズロは口を開いた。




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