第四章 雲上のラナンキュラス
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昔むかしのお話です。
あるところに、小さな集落がありました。
皆はとっても仲良しで、広い湖のほとりで水を友としながら、互いに助け合い暮らしていました。
ある時、集落の族長の家に、一人の男の子が生まれます。
長いこと子に恵まれなかった族長夫妻は、子の誕生を心から喜びました。
夫妻に笑顔をもたらしたその子はアウィスと名付けられ、集落の後継者として、集落の皆に見守られながらすくすくと育ちます。
人見知りせず誰にでも懐いて、いつもにこにこ笑いかけるアウィスは、皆から可愛がられていました。
アウィスもまた、皆の笑った顔が、とってもとっても大好きでした。
大好きな皆のためになることをしたいな。
小さなアウィスは毎日のように願っていました。
少し大きくなった頃、アウィスは皆を手伝い始めます。
するとどうでしょう。
みるみるうちに、アウィスは嫌われ者になってしまいました。
ある人は顔も見たくないと叫び、またある人は、悪いけどもう何もしないでくれと言って去っていきます。
失敗しなかったのにどうして?
問いかけるアウィスに、皆は口々に言いました。
失敗しないから怖いんだ、と。
…そう。
アウィスは、何でもできてしまう男の子だったのです。
アウィスが手伝ったことの中で、アウィスにできないことはありませんでした。
何か、何かこの子にできないことはないだろうか。
夫妻…アウィスのお父さんとお母さんは、必死でそれを探しました。
けれど探せども探せども一向に見つからず。
できることばかりが、山のように積もっていきました。
アウィスのお父さんとお母さんは、日に日にやせ細っていきます。
アウィスの小さな頃は笑顔でいっぱいだった家の中は、ため息でいっぱいになりました。
…ある満月の夜、アウィスはそーっとそーっと家を抜け出します。
足音を立てずに集落の外へ出ると、ふわりと真ん丸く光る月を頼りに、集落から遠くへ遠くへと離れていきました。
「何か、できないことが見つかりますように」
手を組んで小さく祈って、アウィスは旅に出ます。
できないことを探す、長い長い旅に。
──…さて、アウィスが無事にできないことを見つけたのか、見つけられなかったのか。
それは、私には解りません。
これは、物語。
私の祖父のそのまた祖父の代から語り継がれた、一つの小さなお話です。
アウィスという子がどこかに本当にいたのかいなかったのか。
今となっては、知るすべはありません。
けれど、一つだけ解ったことがあります。
「……と。…ここでね、アラマンダ。あなたは『何?』と訊いて、私は『できることがよいことだとは限らないということです』と答えました。するとあなたは私に向かって可愛く頬を膨らませて『うそだー! できることは、いいにきまってるもん!』と仰って、それからはまた素敵に元気に走り回っていましたよ」
くすりと笑いながら、エスタシオンは柔らかく言って。
「あはは…自分でも何となく想像できます……うああー…ごめんなさいー…」
アラマンダはもそもそと毛布の中に沈んで頭まで潜った。
器用に毛布を体に巻き付けると、みの虫のようになってベッドの端へと移動する。
それから小さな、しかしエスタシオンに聞き取れるくらいの声で話した。
「……アズロ…って言います、隣のベッドの子。…この子に会うまでは、私、ずっと思ってました。できることは、いいことだって。すごく羨ましいって。
でも…今は。できないほうがいいこともあるなって。何がいいのか悪いのかは、一概には言えないなって感じてます。
それに…できるできないだけじゃなくって、知る知らないとか、考える考えないとか…色んなこと、全部、そうなんじゃないかな…とも。
全部のことに、いいことにも悪いことにもなる可能性があって…そうして起こったいいこと、悪いことも…いいことか悪いことなのか判らなくて。
いいこと、悪いこと、って判断することも、本当はできないのかもしれない。
でも…それが無いと難しいから、きっと私たちは私たちの判断を頼りに生活するんだと思うけど…。
だから思ったんですが……あなたが今の話を、昔ラナンキュラスで語ったのは…もしかしてアズロのために……ううん、ラナンキュラスのために……セレスのために…?」
「──…」
エスタシオンはアラマンダがすっぽり埋まった毛布へとにっこり微笑んで、ゆっくりと目を閉じる。
「…可能は火種になる。不可能も火種になる。しかし両者とも水たり得る。全ては揺らぎ定まらぬ。故に固執はならぬ。ただし、離れても放してもならぬ。
…長が…エドゥカドル様が、よく仰っていました。……あなたは、その歳で会得されたのですね。たいしたものです」
一呼吸を置き、閉ざした瞳をそのままに、静かに。
問いかけるでもなく、そっと言葉を繋いだ。
「だからこそ…あなたがその首飾りをつけているのでしょうね」
「──…」
十秒ほどの、沈黙。
それを経て、アラマンダは丸まった毛布から這い出ると、ゆっくりと落ち着いた動作でベッドへと腰掛けた。
向かいのベッドに腰掛けて目を閉じているエスタシオンへと口を開く。
「ラナンキュラスの里は、おそらくもうありません」
ただ静かに。
凛と、淡々と。
アラマンダは偽りない事実を伝えて。
…始まりの出来事と、あまりにも壮絶な終局。
一部始終を聴き終えたエスタシオンは目を開き、平坦な、しかし穏やかな声音で問い掛けた。
「──…全てを語ったのは、何故です?」
短い問いと向けられた眼差しに、アラマンダは真っ直ぐに応える。
互いの蒼の瞳に、互いの蒼が映し出されていた。
「私達は、今後の任務や私達自身のことで手一杯です。…あなたの刻限が厳守されるかということを、念頭に置く余裕もありません」
「───」
もう、手が回らないですから。
そう言って肩をすくめてみせたアラマンダを、エスタシオンはきつく抱きしめる。
「アラマンダ。あなたという人は、こんな時に……」
体を離さぬまま、ほんの少し揺らいだ蒼の瞳で、溜め息をつくように語った。
「……聞くつもりでした」
「はい?」
「あなたが長の制約に絡められて話せないなら、聞き出すつもりでした。…服に飛び散っていた多くの血……今、お二人で仕舞い込むには重すぎます」
「………」
「…話して下さってよかったと、だから思いました。最初のうちはね」
「エスタシオンさん……」
「…あなたの語り口は、長としてのものでした。…事実をあるがままに、感情を加えずに話されたあなたに、途中からは───…何らかの決意を感じていました。
しかしまさか、その決意がこんな……」
癖のある蒼の髪に、細身ながらも大きな大人の手が運ばれる。
そっと優しく、エスタシオンはアラマンダの頭を撫でた。
「私のことに関しては、後でゆっくり話しましょう。
ですから…ね、アラマンダ。
──…泣いたって、いいんですよ?」
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