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第四章 雲上のラナンキュラス


〜8.遥かな天、掌の青〜






「――…アラマンダ…いや、長よ…。ラナンの翼の儀を今この場で執り行ってはいかがかな。……先ほど、ラナンにかけた翼の能力自体の封印は解いておいた。後は名付けの儀だけで発動するだろう。…ここを発つなら、翼が多いほうがいい。……さあ、長。やり方は見知っておりますでしょう。このエドゥカドルが、立会いを務めますぞ」




 やんわりと促した里長…エドゥカドル老に返事をして、アラマンダはラナンの正面へと立つと、ラナンの両手を取って、朗々と唱えました。

 

 澄んだ青の瞳が、ラナンの瞳を一直線に捉えて…





「有に生まれ、里に生きしものよ…汝に空を与えよう。ラナンキュラスの翼の祝福を。――…遥かな天と掌の青を結びし羽……汝の名は、アズロ」




 

 …苦しいような、哀しいような、痛いような笑顔。


 想いの螺旋の中で絞り出された、叫びのような。


 けれど、凛々しい声。


 ラナンの名…アズロという名は、そんな中で産声を上げました。








「アズ…ロ…」


 呼ばれた名を復唱するかしないかのうちに、蒼い光が、アズロから発せられ、消えていきます。


「…もう、ラナンは…アズロは飛べるよ。飛び方も、私が補佐するから大丈夫」


 アラマンダがふわりと微笑んだ瞬間。


 ――…辺りに、地鳴りのような音が響き始めました。


 以前の唸りとは桁違いの震動が…確実に、大地が揺れているという実感が三人を襲って、エドゥカドル老はアラマンダとアズロを庇いながら、部屋の奥の壁へと手を当てて、早口で何かを唱えます。


 土壁が、みるみるうちに石壁へと姿を変え、石壁がさらに扉を形作って。

 目の前に現れた木製の扉を、エドゥカドル老は勢いよく開きました。


 …暗闇に慣れた眼に痛い空が、そこにはありました。

 青々と、青々と…ただ、空だけが。












「…この空間を真っ直ぐ飛んでいくと、ラナンキュラスの里外れに出る。そこに出たら、迷わず地上を目指すんだ。躊躇してはならぬ。……里は火の海…素早く飛び去らねば飲まれるぞ」



 急かすように二人の背を押したエドゥカドル老は、アラマンダがアズロの手を取って一歩踏み出したのを確認すると、極上の笑みを浮かべて言葉を継ぎました。



「わしはセレストという名を考えていたのだが…ふふふ、アズロと名付けおったか。…良い名だ。……アラマンダ、アズロ、わしは、おぬしらの曽祖父であったことを幸せに思っておる。…これからも、ずっとな」



「……私もだよ。私も、頑固で頑固で頑固なひいじいさまの曾孫でよかった。これからも、頑固で長生きしてくれなきゃ困るからね」



 振り返らずにアラマンダが答えて、ラナンはほんの少しだけ振り向いて、エドゥカドル老へと声をかけます。

 次第に大きくなってきた地鳴りが響く中発せられたその声は、普段のアズロに似合わない、叫びに近い声量でした。



「長……いえ、エドゥカドル様。私もです。お達者で」



 アズロはそのまま、アラマンダの手をしっかりと握って宙へと躍り出ます。

 飛び方も解りませんでしたが、落下する心配は特にありませんでした。


 アズロに引かれるままに底なしの空間を落下していきそうになった体勢をすぐさま整えて、アラマンダは真っ直ぐの飛行に持ち直します。

 そして一直線に、空間の果てを目指しました。










「…ねえ、アズロ。アズロは……気付いてる…よね?」


 ふとアラマンダが訊いて、アズロは落ち着いた声で答えます。


「エドゥカドル様の力が、尽きかけていたことですか?」


「…やっぱり、そうなんだ」


 アラマンダは小さく頷くと、それから一気に速度を上げ、何も語ることなしに飛び続けて。







 眩い光の、白。


 燃え盛る、炎の赤。


 いつもと変わらない、空の青。


 連なる、山々の緑。




 目まぐるしく切り替わる色を突き抜けて、数多の色の織り成す空間に、二人は降り立ちました。









 アラマンダの服にもアズロの服にも、無数の紅い染みが散っていて。

 服の下の皮膚には、互いに怪我はありませんでした。


 …ラナンキュラスの里からある程度離れた、人里が展望できる森の中。

 繋いだままだった手を解いたものの、寄り添うように無事を確認し合った二人は、そのまま地面に崩れてしまいます。


 アラマンダが飛翔に専念していた間、残りの力で二人に守護結界を張り続けたアズロには力のかけらも残っておらず。

 飛翔能力を最速で駆使しながらも、二人分の体の飛行の安定を保ち続けたアラマンダもまた、ほぼ力が残ってはいませんでした。








 ぽつり。


 ぽつり、ぽたり。


 頭上を覆い始めた雲から雫が舞い降りて頬に当たりましたが、二人は動きませんでした。


 辛うじて意識を保っていたアズロのすぐそばで、アラマンダは固く瞳を閉ざしていました。






 雫はやがて大粒になって、ざあざあ、ざあざあと音を立てて全身へと強く打ち付け始めます。


「う……くっ…」


 沈みそうになる体を、腕を、頭を起こして、気を失ってしまったアラマンダの体を少しずつ、少しずつ、葉が厚く大きな木の根本へと移動させて。


「…だ……守ら…いと…」


 アズロの意識も、そこで途絶えました。







 ざあざあ、ざあざあ。


 雨音が、遠く…




 ざあざあ、ざあざあ。


 一定の、響きを。
















「――…とまぁそんなわけで、僕らはあの後森で目が覚めてから、各地を巡り見守る旅を始めたんだ。里には少し後に戻ってみたけど、やっぱり…誰も、何もなかったよ。エドゥカドル様がはめてた腕輪の欠片が焼け跡に転がってただけでね。…けど、気候は相変わらず温暖だった。風も心地よかった。…ここは、ラナンキュラスだった」


 さやさや、さやさや。

 穏やかに風がそよぐラナンキュラスの草原に座ったアズロが静かに微笑んで言って、シェーナが深いため息をついた。


「……アズロ」


「何?」


「私の頭の中に、着実に螺旋階段が形成されていくんだけど……底なしのやつが……色んな意味で」


 頭を抱えてあからさまに嫌そうな態度で、いかにも厄介だと言わんばかりに眉間に皺を寄せたシェーナのその表情が、どこかぎこちなさを含んでいることに気付いて、アズロはくすりと笑う。


「…ああ、そういえば、不思議なことがあったんだ。……あの時は森で気を失って…同じ場所で目が覚めたんだけど…数日分の食糧と僕らにちょうどいい服が、いつの間にか手元にあって。疲れもなくて…。……誰かと会ったとしか考えられないんだけど、全く思い出せなかった。真っ白く…考えるとただ真っ白くなる感じでね」


「…その森は、人がいそうな感じだったの?」


「いいや、全然。僕らも色々歩き回ってみたりしたけど、手掛かりは掴めなかった」


 怪訝な顔で言ったシェーナに向かって肩をすくめて見せると、アズロはふと、空を見上げた。


「どこの誰か知らないけれど、感謝だよ。…あれのお陰で、僕らは本当に助かったんだ」






 空は、青。


 穏やかな、青だった。









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