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婚約破棄した王太子が、翌朝「国宝が盗まれた」と泣きついてきました。

作者: よみなぎ
掲載日:2026/11/06

「シンシア! お前との婚約を破棄する!」


王宮の大広間に、王太子ジェラルド殿下の声が響いた。


「承知いたしました」


「……は?」


「正式な手続きは父から王家に申し入れます」


「理由を聞かないのか!」


「お隣の女性が理由では?」


殿下の腕には、金髪碧眼の可憐な女性がしがみついていた。


「彼女はミレーヌ! 私が真実の愛を見つけた相手だ!」


「おめでとうございます。では、失礼いたします」


「ま、待て! 本当にそれだけか!?」


それ以外に何を言えばよいのだろう。


私は公爵家の長女として王太子妃になる教育を受けてきた。婚約破棄は我が家の名誉に関わるが、対応は父と国王陛下が協議する問題だ。


私は礼をして退室した。


「ミレーヌ! これで私たちは自由だ!」


「嬉しいです、ジェラルド様!」


背後から幸せそうな声が聞こえた。


国王陛下は現在、隣国を公式訪問中。帰国は十日後だ。


陛下の不在中に公爵令嬢との婚約を勝手に破棄したのだから、帰国後は大騒ぎになるだろう。


だが、まさか翌朝、それどころではない事件が起こるとは思わなかった。


◇


「お嬢様! 王太子殿下がお見えです!」


翌朝七時。侍女のアンナが駆け込んできた。


「昨日、婚約破棄したばかりでしょうに」


「ひどく取り乱していらっしゃいます!」


仕方なく応接室へ向かうと、顔面蒼白のジェラルド殿下がいた。


「シンシア! 助けてくれ!」


「おはようございます。何があったのですか?」


「人払いをしてくれ!」


アンナを下がらせると、殿下は声を潜めた。


「国宝が盗まれた! 建国以来、王家に伝わる宝冠だ!」


歴代国王の戴冠式で使用される、王権の象徴。王国で最も重要な宝物である。


「国王陛下にはご報告を?」


「できるわけがない! 父上に知られたら終わりだ!」


事情を聞くと、昨夜ミレーヌが宝冠を見たいと言い、殿下は王太子の権限で宝物庫を開けたという。


「宝冠を身につけたいと言われたんだ。宝物庫では禁止されているから、儀式室へ移すよう命じた」


「国王陛下の許可は?」


「父上は外遊中だ!」


許可がないからこそ、移してはいけないのでは。


「それで?」


「ミレーヌが、戴冠式のように飾りつけた部屋で宝冠を身につけたいと言ってな。装飾品を運び込ませたんだ」


「装飾品を?」


「ああ。ミレーヌの知り合いの商人が、立派な品を貸してくれた」


「……その商人は、王宮へ入ったのですか?」


「当然だ。私が許可した!」


嫌な予感がした。


「装飾品はどうなったのです?」


「見学が終わったので、片づけさせた。借り物だから返さねばならんだろう」


「誰が搬出を許可したのですか?」


「私だ!」


私は黙った。


「……それで、宝冠は?」


「儀式室に置いてあったはずなのに、いつの間にか消えていた! ミレーヌも姿を消したんだ!」


殿下は懐から手紙を取り出した。


『宝冠を返してほしければ、金貨一万枚を用意してください。明日の夜、指定する場所へ持ってきてください。国王陛下に知られれば、あなたの立場はどうなるでしょうね? 愛するミレーヌより』


「つまり、ミレーヌ様に国宝を盗まれ、身代金を要求されているのですね」


「そうだ!」


「それで、なぜ私のところへ?」


「金を貸してくれ!」


「お断りいたします」


「なぜだ!」


「昨日、婚約破棄されましたので」


「それとこれとは別だろう!」


「別ではありません。国王陛下に報告なさってください」


「できないから頼んでいるんだ!」


「金貨を渡しても、宝冠が戻る保証はありませんよ?」


「……」


「お帰りください」


殿下はしばらく粘ったが、結局肩を落として帰っていった。


私はアンナを呼んだ。


「お父様に至急お話があると伝えて」


◇


「国宝が盗まれただと!?」


父は私の報告に声を荒らげた。


「国王陛下の留守に婚約破棄し、翌日には国宝を盗まれるとは! 何をやっているんだ、あの馬鹿息子は!」


「お父様。公爵家で宝冠を取り戻しましょう」


「当然だ。国宝だからな」


「ただし、王太子殿下に身代金を貸すのではありません」


私は地図を広げた。


「犯人の目的は金貨一万枚です。宝冠は王国中に知られていて、売りさばくこともできません。持ち逃げすれば国家総力で追跡されます。最初から返すつもりなのでしょう」


「なるほど。宝冠は身代金を引き出す道具か」


「はい。そして、単独犯ではないと思います。王宮から宝冠を盗み出し、隠し場所を確保し、大量の金貨を国外へ運ぶには仲間が必要です」


「窃盗団というわけか」


「金貨一枚が十グラムとしても、一万枚で百キログラム。持ち運ぶには馬車か船が必要です。輸送経路を調べましょう」


父は執事を呼んだ。


「街道、宿場、国境、商会に連絡しろ。怪しい荷物と馬車を調べる。それから護衛隊を集めろ!」


「かしこまりました!」


「お父様、もう一つ。この件は王太子殿下個人への援助ではなく、公爵家による国宝奪還として扱ってください」


父は笑った。


「王家に貸しを作るわけだな」


「はい」


「婚約破棄で我が家の名誉を傷つけた直後に、我が家が国宝を取り戻す。国王陛下には相応の対応をしていただこう」


◇


その日の午後、公爵家の情報網から報告が届いた。


「南の国境へ向かう商隊に、不審な木箱があります。高価な装飾品と申告されていますが、荷主が不明です」


「いつ出発したの?」


「今朝です」


王都から南の国境までは馬車で三日。まだ国内にいる。


「追跡して。それから、昨夜王宮から出た荷物も調べて」


「すでに調査中です」


私は地図を見た。


身代金の受け渡しは明日の夜。それなのに商隊はもう出発している。


宝冠を先に国外へ運ぶつもりなのか。


だが、返すつもりなら遠くへ運ぶ必要はない。


「念のため、国境で確認してもらいましょう」


◇


翌日、国境から報告が届いた。


商隊の木箱に宝冠はなかった。装飾品は正規の商品で、荷主の名前が不明だったのも手続きミスだった。


「外れましたか」


「申し訳ございません」


「いいえ。次を調べましょう」


そこへ、別の報告が届いた。


「昨夜、王宮から馬車が三台出ています。そのうち一台が、王都の倉庫街へ向かいました」


「荷物は?」


「儀式室で使用した装飾品です」


「儀式室?」


王太子が宝冠を移した場所だ。


「行き先は?」


「倉庫街の小さな倉庫です」


私はジェラルド殿下の話を思い出した。


ミレーヌが装飾品を借り、殿下が王宮への搬入を許可した。


見学後の搬出も、殿下自身が命じている。


つまり、窃盗団は王宮の警備を力ずくで突破したわけではない。


王太子の命令を利用したのだ。


「そこを調べて。宝冠を装飾品に紛れ込ませた可能性があるわ」


公爵家の護衛隊は、倉庫の周辺を慎重に調べた。


離れた場所から監視されている可能性もある。周囲の建物や路地を警戒しながら、少しずつ倉庫へ近づいた。


しかし、不審な人物は見当たらなかった。


護衛隊が倉庫の中へ踏み込むと、そこにも見張りはいなかった。


そして夕方、木箱の底から宝冠が発見された。


「見張りは?」


「倉庫内にはおりませんでした。周辺も警戒しましたが、監視者は確認できておりません」


私は頷いた。


国宝を隠した倉庫の見張りなど、発見されれば真っ先に捕まる。窃盗団も、見張り当番の危険が大きすぎると判断したのだろう。


「これで国宝は取り戻せましたね」


「はい、お嬢様」


「でも、窃盗団はまだ捕まっていません」


私は父と相談した。


「今夜の身代金受け渡しを利用しましょう」


「金貨一万枚を用意するのか?」


「いいえ。宝冠はもうありますから」


私は微笑んだ。


「金貨に似せた真鍮の円盤で十分です」


◇


その夜、王都の外れにある古い橋の下。


ジェラルド殿下が馬車を止めた。荷台には、真鍮の円盤を詰めた木箱が積まれている。


「本当に大丈夫なのか?」


「犯人を捕まえるための作戦です。殿下は予定どおりに」


私は橋の陰に隠れた。


やがて、向こうから馬車が現れた。


御者台には見知らぬ男。その隣にはミレーヌがいる。


川岸にも数人の男が立ち、桟橋には大きな荷船が停泊していた。


なるほど。金貨を船に積み、川を下って国外へ逃げる計画だったのだ。


「ジェラルド様! お金は用意できましたか?」


「あ、ああ……宝冠はどこだ!」


「お金を確認してからです」


「約束が違う!」


ミレーヌは笑った。


「約束? あなたは本当にお人好しですね」


「……何?」


「私があなたを愛していると、本気で思っていたのですか?」


殿下の顔が引きつった。


「ミレーヌ……?」


「王太子妃になりたいなんて、一度も思っていませんよ。欲しかったのはお金だけです」


「そんな……!」


「王宮の警備って、本当に厳しいんですね。私たちだけでは宝冠に指一本触れられませんでした」


「……何?」


「だから、全部あなたにお願いしたんです。宝物庫を開けるのも、儀式室に運ぶのも、仲間を出入りさせるのも」


ミレーヌは微笑んだ。


「王太子殿下のご命令なら、誰も疑いませんもの」


「まさか……!」


「ええ。装飾品を片づけた時、宝冠も一緒に木箱へ入れたんです。あなたが搬出を許可してくれたので、王宮の外まで簡単に運べました」


殿下は呆然とした。


「そんな……私は、国宝を盗ませたのか……?」


「そうですよ。あなたが全部許可してくださったんです」


ミレーヌは楽しそうに笑った。


「おかげで、簡単に国宝を盗めました」


十分だ。


「そこまでです」


私は橋の陰から姿を現した。


「……シンシア様!?」


「こんばんは、ミレーヌ様」


「なぜ、あなたがここに!?」


「国宝を取り戻しに参りました」


ミレーヌはすぐに笑みを取り戻した。


「残念ですけど、宝冠は私たちが持っています。捕まえたら二度と戻ってきませんよ?」


「そうでしょうか?」


私は手を上げた。


橋の両側から、公爵家の護衛隊が現れた。


川岸の男たちが船へ駆け込もうとする。


だが、上流と下流から公爵家の船が接近していた。


「なっ!? 船まで!?」


「陸も川も封鎖しております。逃げ道はありません」


ミレーヌの顔から血の気が引いた。


「ま、待って! 宝冠がどうなってもいいの!?」


「もう取り戻しましたよ。王都の倉庫に隠してありましたね」


「……嘘!」


「本物は安全な場所に保管しております」


ミレーヌが逃げようとしたが、護衛に取り囲まれた。


「離して! 私は何もしていない!」


「先ほど、ご自分で盗んだとおっしゃいましたよね?」


「それは……!」


「証人は十分です」


護衛隊長が声を上げた。


「国宝窃盗および恐喝の容疑で、全員拘束しろ!」


男たちは次々に取り押さえられた。船に逃げ込もうとした者も、川へ飛び込んだ者も、すべて捕まった。


「こんなはずじゃなかった! 金貨を手に入れて国外へ逃げるはずだったのに!」


ミレーヌの叫びが夜の川辺に響いた。


私は小さく息を吐いた。


国宝は奪還。窃盗団は全員逮捕。


ようやく事件が終わった。


◇


数日後、外遊から帰国した国王陛下の前に、私と父、ジェラルド殿下が呼び出された。


陛下は報告書を机に置き、息子を睨んだ。


「ジェラルド。私の留守中に公爵令嬢との婚約を破棄し、新しい恋人に国宝を盗まれ、身代金を隠れて払おうとした。挙げ句、その後始末を公爵家にさせた。間違いないな?」


「ち、父上! ですが私はミレーヌに騙されたのです!」


「騙されたから何だ?」


「私も被害者です!」


国王陛下の表情が険しくなった。


「お前には何度も引き返す機会があった。婚約を破棄しないことも、宝物庫を開けないことも、見知らぬ商人を王宮へ入れないことも、国宝の紛失をすぐに報告することもできた」


「それは……」


「だが、お前はそのすべてを自分の判断で行った。しかも最後には、昨日捨てた婚約者に金を借りて、事件を隠そうとした」


「で、ですが! 宝冠は戻りました!」


「お前が何一つ解決しなかったからこそ、公爵家が取り戻したのだ!」


ジェラルド殿下は言葉を失った。


「お前は王太子としての資格を失った。本日をもって廃嫡する」


「父上!?」


「決定だ。下がれ」


衛兵に促され、ジェラルド殿下は謁見室を去った。


国王陛下は私たちに向き直った。


「シンシア嬢、公爵。息子の愚行を謝罪する。そして、国宝を取り戻してくれたことに心から感謝する」


陛下は公爵家に相応の褒賞を約束し、婚約破棄についても王家の非を認めてくださった。


こうして、王家の宝冠は戻り、事件は幕を閉じた。


◇


一か月後。


私は公爵家の仕事を任され、忙しくも充実した日々を送っていた。


「お嬢様、お手紙が届いております」


アンナが差し出した封筒の差出人は、ジェラルド殿下だった。


『シンシアへ。


私は愚かだった。君がどれほど私を支えてくれていたか、今になって理解した。


ミレーヌに騙され、王太子の地位を失い、私はすべてを失った。


だが、君だけはまだ私を助けてくれると信じている。


もう一度、やり直せないだろうか』


私は手紙を封筒に戻した。


「お返事は?」


アンナが尋ねた。


「必要ないわ」


「よろしいのですか?」


「ええ。もう私には関係のない方ですもの」


私は机の上の仕事に目を戻した。


婚約破棄された翌日、王国の国宝が盗まれた。


あの時は大変だったけれど、おかげで私は王太子妃になる義務から解放され、自分の未来を選べるようになった。


国宝は王家に戻った。


王太子は地位を失った。


そして私は、今日も好きな仕事ができる。


これ以上、何を望むというのだろう。


私は微笑み、新しい書類にペンを走らせた。

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