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仮 報われない  作者: 優未緋


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第一話


「静かな教室」


 朝の教室は嫌いじゃなかった。


 誰もいないから。


 椅子を引く音も、笑い声も、机を叩く音もない。

 窓際から差し込む白い光だけが、静かに床へ落ちている。


 斜木ななめぎ 唯一ゆいちは、後ろの席へ鞄を置き、そのまま窓の外を見た。


 空は曇っていた。


 昼には雨が降るかもしれない。


「……最悪」


 独り言。


 誰に聞かせるでもない。


 唯一は雨が嫌いだった。


 正確には。


 雨の日に少し浮つく教室が嫌いだった。


『今日テンション下がるわー』

『逆に好きだけどね、雨』


 そうやって、

 同じ空の下で同じ天気を見てるはずなのに、

 人によって世界が違うことを見せつけられるから。


 唯一は席へ座り、頬杖をつく。


 静かだった。


 この時間だけは、

 自分がここに存在していても許されている気がした。


 ガラ、と扉が開く。


 唯一は視線だけ向ける。


 朝倉あさくら みおだった。


 黒髪。

 眠そうな目。


 澪は教室へ入ると、唯一を見て少しだけ目を細めた。


「……おはよう」


「早いな」


「斜木君ほどじゃないよ」


 澪は自分の席へ鞄を置く。


 それ以上、話を広げない。


 唯一は少しだけ安心した。


 朝から必要以上に明るい人間は苦手だった。


 澪は違う。


 踏み込みすぎない。


 でも離れない。


 不思議な奴だった。


「今日、降るかな」


 窓を見ながら澪が言う。


「知らない」


「そっか」


 会話が終わる。


 静寂。


 でも不思議と苦じゃない。


 唯一は、それを少しだけ異常だと思った。


 人と沈黙が成立することに慣れていない。


 しばらくして、教室へ人が増え始める。


 笑い声。

 机を引く音。

 誰かの大きな声。


 唯一はイヤホンを耳へ押し込んだ。


 音楽は流していない。


 “話しかけるな”の意思表示。


 それだけで充分だった。


     ◇


 文化祭実行委員の話し合いが始まってから、

 教室の空気は少しずつ悪くなっていた。


 備品。


 展示場所。


 予算。


 そんな小さいことで、

 人間関係は簡単に軋む。


「いや、それ二組が使うって聞いてたんだけど」


「は? 先に予約したのそっちじゃん」


 昼休み。


 前方で交わされる会話を、

 唯一は机へ突っ伏したまま聞いていた。


 誰がイラついているか。


 誰が空気を悪くしたくなくて笑っているか。


 誰が責任を押し付けようとしているか。


 全部分かる。


 分かってしまう。


 だから疲れる。


「斜木」


 後ろ扉から声。


 唯一は顔を上げない。


「嫌です」


「まだ何も言ってない」


 朝比奈あさひな 冬子とうこが缶コーヒー片手に立っていた。


 ジャージ姿。


 教師らしさの欠片もない。


「どうせ面倒事」


「正解」


「終わってる」


 クラスの何人かが笑う。


 唯一はイヤホンを外した。


「……何ですか」


「文化祭の件」


「帰っていいですか」


「まだ昼だぞ」


 朝比奈は教室前方へ視線を向ける。


「揉めるな、あれ」


「まぁ」


「止めろ」


「教師の仕事では?」


「子供の問題は、

 子供同士で解決した方が後腐れない」


「便利な言葉ですね」


 朝比奈は缶コーヒーを飲む。


「屋上」


「……脅迫?」


「交渉」


 唯一は小さく舌打ちした。


 汚い。


 本当に。


 でも。


 屋上だけは失いたくなかった。


     ◇


 放課後。


 案の定、空気は最悪だった。


「だからそっちが勝手に!」


「お前が話聞いてなかっただけだろ!」


 教室の空気が熱を持つ。


 誰も引けない。


 引いた方が悪者になるから。


 唯一は壁にもたれながら、

 ぼんやりその様子を見ていた。


 面倒臭い。


 本当に。


 でも。


 このままだと、

 たぶん誰かが壊れる。


 ひいらぎ 真琴まことが、

 ずっと笑っていた。


 空気を繋ぐために。


 場を壊さないために。


 ああいう笑い方をする人間は、

 だいたい限界が近い。


「……じゃあもう合同やめればいいじゃん」


 唯一が口を開いた瞬間、

 空気が止まった。


「は?」


「そんな揉めるなら別でやれば」


「お前関係ないだろ」


「だから客観的に言ってる」


 唯一は壁から身体を離す。


「責任押し付け合ってるだけにしか見えないし」


「何だよその言い方!」


「事実じゃん」


 空気が冷える。


 視線が集まる。


 苛立ち。


 不快感。


 敵意。


 全部、唯一へ向く。


 それでいい。


 慣れている。


 誰か一人が嫌われれば、

 空気はまとまる。


 だったら自分でいい。


「……斜木、お前感じ悪すぎ」


「元からだろ」


 教室の空気が少しだけ変わる。


 怒りの方向が、

 互いじゃなく唯一へ向いた。


 それで終わるなら安いものだった。


「……もう今日は解散でいいだろ」


 誰かが吐き捨てる。


 空気が強引に終わる。


 唯一はそのまま教室を出た。


     ◇


 階段を上る。


 夕焼けに染まった廊下。


 屋上の扉。


 ポケットから鍵を取り出す。


 カチ、と小さな音。


 扉を開けると、

 冷たい風が吹き抜けた。


「……寒」


 フェンス。

 空。

 夕焼け。


 誰もいない。


 ここだけは静かだった。


 唯一はフェンスへ背中を預け、

 ゆっくり息を吐く。


「今回も頑張ったのかい、斜木君」


 後ろから声。


 振り返らなくても分かる。


「盗み聞き趣味?」


「観測と言ってほしいな」


 朝倉澪が静かに隣へ来る。


「ちゃんと解決はしたのかい?」


「してないかもな」


「そっか」


 澪はそれ以上聞かなかった。


 風だけが吹く。


 しばらくして。


 澪がぽつりと言う。


「……また、自分を悪者にしたんだね」


 唯一は少し笑った。


「楽だから」


「嘘」


 即答だった。


 唯一は少し黙る。


「斜木君、

 それしか知らないだけだよ」


 風が吹く。


 唯一は空を見る。


 曇り空だった。


「……別に」


 いつもの言葉。


 でも。


 その声は少しだけ疲れていた。

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