第8話:沖田、危篤
■ 鳴り止まぬ咳
昭和19年の冬が、富士の裾野に音もなく忍び寄っていた。
徴用された国民学校の一室に、
湿った、しかし鋭い咳の音が響き渡る。
「……ごほっ、ごほぉッ……!」
沖田総司の口元から、鮮血が溢れた。
点滴の効果も虚しく、
顔色は土を捏ねたように灰白く、
呼吸は今にも途切れそうに浅い。
「総司ッ!」
土方歳三が崩れ落ちる沖田を抱きとめる。
その体は驚くほど熱かった。
「……ひじ、かた……さん……。なんだか、変な……夢を……。鉄の、馬が、空を……」
「喋るな。すぐに医者を呼ぶ。
おい、軍医! どこにいるッ!」
土方の怒声が、校舎の廊下に雷鳴のように轟いた。
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■ 科学の限界と「鬼」の絶望
駆け込んできた軍医の顔は、苦渋に満ちていた。
沖田の胸に耳を当て、脈を診る。
だが、すぐに力なく首を振った。
「……もう、手の施しようがない。
肺の崩壊が止まらんのだ。
今の我々には、これ以上の薬も、器具もない」
「ふざけるなッ!」
土方が軍医の襟元を掴み、壁に叩きつける。
「治せると言ったはずだ!
この時代の“術”なら助かると、そう言ったのは貴様だぞ!」
「……言ったさ! だがな、この国には今、何もないんだ!」
軍医も叫び返す。
「薬品も、食料も、すべては前線へ送られている!
ここにあるのは、使い古しの包帯と、気休めの栄養剤だけだ!」
「我々が救いたいのは未来のある若者だ!
だが、この時代の日本そのものが、今、死にかけているんだ……!」
「一人の病人を救う余裕など、どこにある!」
土方の手が、わななきながら緩んだ。
幕末では“天命”と諦めるしかなかった病が、
昭和では“物資の欠乏”という無機質な理由で、
再び仲間の命を奪おうとしている。
その理不尽さに、土方の心は八つ裂きにされそうだった。
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■ 斎藤の沈黙
部屋の隅。
闇に溶け込むように斎藤一が立っていた。
一言も発さず、
ただ抜刀せんばかりの鋭い目で、
苦しむ沖田と、逆上する土方を見つめている。
斎藤の手は、刀の柄にかけられたまま動かない。
彼は知っていた。
この昭和という時代が、
武士の情けなど通用しない、
冷徹で合理的な“地獄”であることを。
その沈黙は、叫びよりも重く、
部屋の空気を押し潰していた。
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■ 揺れる龍虎の心
廊下の外では、
武田信玄と上杉謙信が、開け放たれた扉から静かに見守っていた。
「……信玄。あの男、あのように取り乱して。
一軍を率いる者としては、失格だな」
謙信が低く呟く。
だが、その声にいつもの鋭さはない。
数珠を握る指先が、わずかに震えていた。
「……いや。失格なのは、あの男ではない。この“国”よ」
信玄が眉間の皺を深く刻む。
「己の兵一人の命すら繋げぬ国に、天下を語る資格はない。
我らは数多の死を見てきた。
だが、これほどまでに“虚しい死”を強いる時代は知らぬ」
「……謙信よ。貴殿の言う“義”は、この惨状を黙って見ていろと申すか?」
「……。毘沙門天の御心は、まだ見えぬ。だが……」
謙信の視線の先で、
土方が沖田の手を握りしめ、天を仰いでいた。
その“個”としての剥き出しの悲しみが、
かつて一国の主として“大義”のために多くの命を切り捨ててきた二人の心に、
忘れかけていた“情”の炎を灯していた。
「……武蔵の言った通りかもしれんな」
信玄がぽつりと漏らす。
「我らが刃を向けるべき相手は、この“理不尽”そのものかもしれぬ」
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■ 英雄たちの結びつき
嵐の前の静けさのような校舎。
沖田の命の灯火が消えかける中で、
英雄たちの結びつきは、
軍の思惑とは全く別の方向へと変化し始めていた。
(第8話・了)
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