目をつけられた腕
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふーん、彗星の中には、すでに発生源たる頭を失って、ガスなり氷なりを散らすよりない状態のものもあったりするんだねえ。
いや、最近星について学び始めたんだけど、つくづく宇宙は妙なもんだと思うよ。光の速さで年単位向かい続けて到着できる場所なんて、途方もなさすぎて実感が湧かないものだ。
太陽から地球までの距離をあらわすという、いち天文単位とかだとぐっと縮まるけれど、それでも1億5000万キロメートルの隔たりが存在する。人の体で考えれば、やはりとんでもない長さといえるだろう。
これだけ離れた相手に対し、私たちはアプローチとまではいかずとも観測することはできている。どのような状態で、どのように動いているかとかをね。細かい内情ははっきりしなくとも、見た目は確認することができる。
そして、それは向こうからしても同じこと。私たち地球にいる生き物たちも、いまやどれほどの存在に見られているか。もし、地球以上に発達した技術の持ち主がいて、すでに接してきているとしたら……。
火のないところに煙は立たない。想像のモチーフとされるくらい、きっかけとなっただろうできごとはちょこちょこあるだろうな。
私も最近、友達から聞いた不可解な話があるんだが、耳に入れてみないか?
ちょうどいまどきみたいに、暑い夏だったという。
友達はとても日焼けしやすい体質で、日焼け止めなどを使っても、ある程度以上の時間が経つと、すぐに肌が赤くなってしまう。
そしてひと段落すると肌は浅黒くなっていき、やがてはぺりぺり剥けていくことになるんだ。
子どものときなど、日焼けの皮を剥くことに興味を持つ人はいたんじゃないかな? 皮がなるべく途中でちぎれないように、そうっとそうっと剥いていく。
芸術的技術につながる一面だ。より長く、より繊細に、その工夫や熱意にしっかりこたえてくれるものだから、承認欲求だって一時的にではあるが満たされていく。
そのときの友達も、自分の左手首あたりからかすかに剥けた皮の端をつまんで、どれほどまで引っぺがせるかを試したらしい。
まるで大西洋のような軌道を、皮は描いた。
かすかに曲がり、軌道修正をはさみながらも手首からひじのあたりまで、おおよそ二つに切り分けたんだ。
浅黒い陸地に挟まれて、白々と横たわるクレバス。はじまりの手首あたりこそ幅が狭いが、ひじへ向かうにつれてでっぷりと太っていき、また細まって途切れる。
剥く途中で、覆っていた皮そのものはくるりんと丸まってしまい、さらにはボロリと崩れ去ってしまって、本来は見られたであろうご尊顔はゴミのかなた。
されど、その白い海は腕に確かに横たわっている。ここまで大きい面積を削り取れたことはこれまでになく、当初の友達は自分のテクニックにご満悦だったようだ。
だが、その日の風呂上がり以降、腕の例の部分がむずむずし始める。
最初は、剥いたばかりのひりひりが、お湯の暖かさでぶり返したのかとも思った。実際、日焼けした肌は全体的に赤くなり、風呂上りのほてりをたたえている。
その割に、あの皮を剥いた部分がさほど染まらず、白さを保ったままというのは少し気味が悪かったが。
へたに掻いたりして、とがめてもまずいと、友達はさっさと布団の中へ潜り込む。
昼間の暑さもあり、身体も疲れていたのだろう。ほどなく、うっつらうっつらまどろみ出すのが自分にもわかった。
かゆさも変わらずあったが、その日は眠気が勝る。つい、皮を剥いたほうの腕が下敷きになるような形の半身で、ぐっすり朝まで眠ってしまった。
で、起きたときだ。
寝床は、敷布団からしぼって水が出てきそうな大洪水になっていた。
しかもただの水とか、おねしょだとかいう次元のものでない。磯の香りが部屋中に充満していたというんだ。
海水をぶちまけた、というのがもっともしっくりくる解答だろうが、あいにく友達の住まうところは海からだいぶ離れている。海の水をくんで持って帰るだけでも相当な手間で隠しおおせることはできないだろう。
もちろん、友達自身にも心当たりはない。原因不明ということで一件は不問となり、家族みんなで濡れた部屋の後片付けをすることに。
時期は夏休みの真っ盛り。
掃除のこともあってか、くたくたになった友達は買い物その他の用事で、どんどんと家を出ていく家族たちに留守番を任される。
居間でゴロゴロ。見たいテレビもなければ、だるさに食欲もない。
となると、昼寝には絶好の環境なわけで。友達はまた居間のカーペットへ身を横たえつつ……ふと感じた。
あの、むずがゆさだ。今回もあの皮を剥いた腕をまくらにしようとしていた、無意識のうちに。
でも、同じことは繰り返さない。完全に身を預けかけたカーペットから、ぐっと身体を起こして、先ほどより急速にかゆみを増した腕を顔へ向けてみる。
びゅっと、水鉄砲から飛び出たかと思う放水一閃。顔面に直撃した。それは今朝と同じ、潮の香りをたっぷりと含んだもの。
さいわい、目は完全には潰されなかった。きっ、と腕を見やると、そこには小さなクジラらしき影があったのだとか。あの、腕の白い部分にだ。
デフォルメされたタトゥ―シールのごとき大きさ。しかし、彼らは絵や貼られていたものとことなり、はっきりと動いていたらしいのさ。例の浅黒い肌にはさまれた、白い領域の中で。
理屈など分からない。だが、こいつらの吹く潮で今朝は恥をかかされたのかと思うと、一発こらしめてやらなきゃ、気が済まない。
そう思い、クジラたちへ爪を突き立てようとしたところ。
ぴしっと、白い肌の中央に赤い裂け目が一筋走ったかと思うと、それが左右へぐわっと大きく口を開いた。
やはり浅黒い肌に挟まれる範囲。しかし突如として地が裂け、生まれた魔の海域の前にクジラたちはなすすべもなく飲み込まれてしまう。
クジラたちを潰そうとする直前ゆえ、友達の指は飲み込まれるのを避けることができたが、瞬く間に閉じあわされた口は、まるで刃物のような鋭さだった。伸び気味だった友達の指の爪をあっさり断ち切り、勢いのまま部屋のあちこちに弾き飛ばしたらしい。
それから友達は日焼けした色がとれるまで、大きめの湿布を貼ることで例の白みを隠したらしい。そうしている間は何もなく、色が落ちれば問題がなかったようだが、腕に何を呼び込んだのかは友達は今も分からずじまいだと。