表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/8

第3話 最初の小さな結果

 森の中の獣道は、思ったよりも長く続いていた。

 日は既に傾き始め、木々の隙間から差し込む光も弱々しくなっている。


「そろそろ日が暮れるな……。どこか休めるところ、ないかな……」


 さすがに野宿は避けたい。

 革袋の中身は心許ないが、せめて屋根のある場所で眠りたいものだ。

 そんなことを考えていた時、ふと、森の空気が変わったのを感じた。

 木々の密度が薄くなり、前方から微かに人の気配と、食べ物の匂いが漂ってくる。


「ん……? この先に何かあるのか?」


 期待を込めて足早に進むと、やがて視界が開け、森を抜けた先に古びた建物が見えてきた。

 街道から少し奥まった場所に立つ、小さな休憩所といったところだろうか。

 建物は古く、壁には蔦が絡まり、屋根も一部が傷んでいる。

 看板らしきものも、文字が掠れてほとんど読めない。

 お世辞にも繁盛しているようには見えなかったが、今の俺にとってはありがたい存在だ。


「すみませーん」


 俺は声をかけながら、休憩所の扉を開けた。

 中は薄暗く、客の姿はない。

 カウンターの奥に、人の良さそうな初老の男性が一人、難しい顔をして座っていた。

 彼がここの主人のようだ。


「いらっしゃい……と言いたいところなんだがね。すまないね、旅の方。今、ちょっと手が離せなくて」


 主人は困ったように眉を下げた。


「何かお困りですか?」

「いや、大したことじゃないんだが……井戸の水がどうも濁っちまってね。飲み水にも料理にも使えなくて困っていたところさ」


 主人はカウンターの上に置かれた水差しを指差した。

 中には、確かに白っぽく濁った水が入っている。


「あらら……それは大変ですね」

「ああ。こんな時間にすまないが、今日はもう店じまいかなと思ってたところだ。食事も出せないし、泊める部屋もない。申し訳ないが、他の場所を当たってくれないか」

「そうですか……わかりました」


 当てが外れて少しがっかりしたが、仕方ない。

 別の場所を探すしかないか。

 俺はカウンターに近づき、濁った水差しをなんとなく手に取った。


「うーん、確かに結構濁ってますね。何か変なものでも混じったんでしょうか?」


 水差しを軽く揺らす。

 中の水がちゃぷちゃぷと音を立てた。

 特別なことは何もしていない。

 ただ、水が早く綺麗になればいいな、と思っただけだ。

 すると、どうだろう。

 水差しの中の水が、まるで魔法のように、みるみるうちに透明になっていくではないか。

 さっきまでの白い濁りが嘘のように消え、透き通った綺麗な水に変わった。


「あれ?」


 俺は思わず声を上げた。

 主人も、信じられないものを見るような目で、水差しを凝視している。


「……お、おい、旅の方。今、何かしたのか?」


 主人の声が僅かに震えている。


「え? いや、何も……ただ、ちょっと持ってみただけですけど」


 俺は首を傾げた。

 また、あの現象か。

 でも、今回は特に何かを『思った』わけでもないのに。

 ただ、水が綺麗になればいいな、と考えただけだ。


「何もしてないって……だって、水が……澄んでるじゃないか!」


 主人はカウンターから身を乗り出し、俺の手から水差しをひったくるように取ると、中の水をまじまじと見つめた。


「信じられん……さっきまであんなに濁っていたのに……まるで汲みたてのようだ……」


 主人は恐る恐る指で水を掬い、匂いを嗅ぎ、そして少量口に含んだ。


「……うまい! いつものうちの井戸水だ! なんともない!」


 主人は興奮した様子で俺を見た。


「あんた、一体何者なんだ? 魔法使いか何かか?」

「いえいえ、俺はただの通りすがりの……しがない冒険者ですよ。魔法なんて使えません」


 俺は慌てて手を振った。


「本当に、何もしてないんです。偶然ですよ、きっと。タイミングが良かっただけじゃないですか?」

「偶然……? こんな偶然があるものか……」


 主人はまだ半信半疑といった様子だったが、濁り水が綺麗になったのは事実だ。

 彼は深く息を吐き、そして俺に向かって頭を下げた。


「いや……偶然だろうが何だろうが、助かったよ。本当にありがとう。これでなんとか今夜の仕込みができる」

「いえ、俺は何も……」

「まあ、そう言うな。困っていたのは事実なんだ。そうだ、腹は減ってるかい? 大したものは出せんが、簡単なものなら作れるぞ。礼代わりだ、食っていきなさい」


 主人はそう言うと、先ほどまでの困り顔とは打って変わって、明るい笑顔を見せた。


「え、いいんですか?」

「もちろんだとも。それに……そうだ、薪も足りなくて困ってたんだった。火を起こさないことには料理もできんしな」


 主人は店の隅に積まれた薪を指差した。

 どれも湿気っているのか、火がつきにくそうなものばかりだ。


「薪ですか……」


 俺は薪の山に近づいた。

 確かに、どれも湿っぽい感じがする。

 これじゃあ、なかなか火がつかないだろうな。

 乾いた薪があればいいのに……と、無意識に考えた。

 すると、薪の山の一番上に、他とは明らかに違う、からりと乾いて軽そうな薪が数本、いつの間にか現れていた。


「……あれ?」


 俺はその乾いた薪を手に取った。

 軽い。

 叩くと、コンコンと乾いた良い音がする。


「この薪……すごく乾いてますよ。これならすぐ火がつきそうですけど」


 俺がそう言って薪を主人に見せると、主人はまた目を丸くした。


「なんだって? そんな乾いた薪、うちにはなかったはずだが……おかしいな、どこから……」


 主人は首を捻っている。

 俺も、なぜここに乾いた薪があるのかさっぱりわからない。


「……ま、まあ、なんでもいいか! これだけ乾いてりゃ、すぐに火も起こせるだろう。旅の方、あんたは本当に『運』が良いみたいだな!」


 主人は細かいことは気にしないことにしたのか、にぱっと笑って乾いた薪を受け取った。


「さあ、こっちへ来て座りなさい。すぐに温かいスープでも作ってやるから」


 促されるまま、俺はカウンター席に腰を下ろした。

 主人は手際よく乾いた薪で火を起こし、鍋を火にかける。

 すぐに、野菜のいい匂いが漂ってきた。


「それにしても、不思議なこともあるもんだな。水が急に澄んだり、乾いた薪が見つかったり。あんたが来てから、良いことばかりだ」


 主人は感心したように言った。


「はは……そう言われると、なんだか照れますね。本当に、ただ運が良かっただけですよ」


 俺は曖昧に笑って誤魔化した。

 濁った水が澄んだのも、乾いた薪が現れたのも、おそらく俺の無自覚な力が作用した結果なのだろう。

 でも、それを説明することはできないし、俺自身、なぜそんなことが起こるのかわかっていない。

 だから、これは全部『偶然』で『幸運』だったということにしておくのが一番だ。


(俺って、もしかして結構ツイてるのかもな? パーティ追放されたのは最悪だったけど、こういうラッキーがあるなら、一人でもなんとかなる……かも?)


 そんなことを考えながら、俺は主人が作ってくれた温かいスープを待つのだった。

 この小さな休憩所での出来事が、これから始まる俺の新しい人生の、ほんの始まりに過ぎないことを、この時の俺はまだ想像もしていなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ