190 魂の深淵、その扉は開かれる
世界がきしみを上げていた。
光と闇がせめぎ合い、空間が崩れ始める。
セナムーンさんの異能が限界を超え、神域の結界そのものが変質していく。
「これって……何が起きてるの!?」
私の叫びに応じるように、空が裂ける。
その亀裂から溢れ出すのは、ただの魔力でも、結界の揺らぎでもなかった。
それは魂の深層——存在の根源に直接つながる、異次元の気配だった。
「ヤマトちゃん!」
ソロモンさんが叫ぶと同時に、私とイブさんが強烈な光に包まれた。
「っ……!」
感覚が一瞬で消えた。
時間も空間も曖昧になり、意識だけが引きずり込まれていく。
気づけば私たち3人は、どこでもない場所に立っていた。
そこは——空も地もない、ただ静かな光の海だった。
浮遊するような感覚。自分の体があるのかすら曖昧なほど。
ただ、自分たちを中心に、幾重にも光と記憶が渦巻いている。
「……ここは……」
「魂の中だ」
ソロモンさんが答えた。
「セナムーンの、魂の内側……彼女自身の深層領域。おそらく、結界が崩壊しかけたことで、僕たちの意識がここに引き寄せられたんだ」
私は息をのむ。
「まるで……彼女の心の中に入ったみたい……」
すると、その中心に、ひとつの人影が立っていた。
——セナムーンさんだった。
けれど、いつものような光の衣をまとってはいない。
白いローブ姿の彼女は、静かに虚空を見つめていた。
「……あなたたちが、ここまで来たのね」
その声は、どこか疲れたようで、けれど穏やかだった。
私は戸惑いながらも、言葉を投げかけた。
「これは……あなたの本心ですか?」
セナムーンさんは微かに頷く。
「私はこの世界を守ろうとした。魂の循環を、神域の秩序を、何より——希望を」
光が揺れる。
その波紋の中から、いくつもの記憶の断片が浮かび上がる。
孤独な座に座す元女神の姿。
転生者の魂を一つずつ抱えながら、静かに涙を落とす姿。
神としての感情を封じ、使命に徹しようとする姿——
「私は……本当は、あなたたちの魂を愛してしまった。本来、魂は管理すべきもの。愛してはいけない。でも、あなたたちは……人間は……」
その声は、震えていた。
イブさんが、そっと前に出る。
「あなたは……セナだったんですね。
優しかった、でも不器用で、でも本当は……すごく寂しがり屋だった」
セナムーンさんの瞳が揺れた。
「セナは……もう、いない。私は裁定神。魂の秩序を守る存在……。感情に呑まれたら、私の役割は終わる」
それを聞いてソロモンさんが、低く呟く。
「だけど、あなたの暴走はもう始まってる。裁定神としてのあなたは、秩序を守るという建前で、世界を支配しようとしているんじゃないか?それはもう、愛じゃない。ただの執着だ」
セナムーンさんが、目を見開いた。
「……違う……私はそんなつもりじゃ……!」
私は彼女をまっすぐに見つめた。
「あなたは、きっともう、答えを知ってる。セナとしてのあなたが、まだここに残っているなら——!」
その瞬間、魂の空間が激しく揺れた。
セナムーンの身体がふたつに割れるようにして、ひとつの『光』と、もうひとつの『影』が形を取る。
光は優しく、影は冷たい。
それは、「かつて人間を愛したセナ」と、「秩序を守ろうとする女神セナムーン」の二面性。
ふたつの存在が対峙し、いま——選ばれようとしていた。