183 女神の影、果実の祈り
ソロモンさんの提案を受け、私たち対抗派はついに動き出した。
まずはカインさんとユダさんが、女神派の中で比較的対話が可能なイサクに接触することになった。
彼ならば、女神の意志をただ鵜呑みにせず、状況を判断できると思われたからだ。
***
《イサク……俺たちは、世界を壊したいわけじゃない。でも、『選ばれなければ消える』という運命には、従いたくない》
カインの言葉に、イサクは静かに視線を落とす。
《君たちの気持ちは、よくわかる……私もまた、どこかで信じ切れていなかったのかもしれない。本当にこれが、救いなのかどうか》
《だったら、お願いがあります。少しだけ……時間を稼いでほしい。セナムーンに、今すぐ再構成を発動させないように》
《……あの方は、もう躊躇してはいない。だが——わかった。できるだけのことはしよう》
イサクの応答に、ユダが目を見開いた。
《本当に……?》
《私は人類の父である始祖さまの選択を信じてきた。でも、子として、違う道を模索する者たちの想いも無視はできない》
その言葉に、カインの胸が熱くなる。
***
一方その頃、アダムは神域の祭壇で、女神と直接対話していた。
「セナムーンよ。貴女は、本当にこの手で、すべてを塗り替えるつもりなのか」
「ええ。あなたの最愛の者、イブの魂が目覚めようとしている。この世界が崩壊しないためには、すべての魂を再構成するしかないのです」
「彼女は、私の妻である前に、『人類で初めて選んだ者』だ。貴女でさえ、彼女の意志を縛ることはできないと分かっているはずだ」
女神はゆっくりと目を伏せた。
「……それでも、世界が壊れてしまえば、何も残らない。私は、この世界を守ることにおいて、彼女よりも正しいはずよ」
「正しいか否かではない。貴女が、恐れているのだろう?イブの目覚めが、神をも超える何かを引き起こすのではないかと」
女神の手が、かすかに震えた。
「私が恐れているのは、破滅ではなく——無力になることよ、アダム。この世界の管理者として、私は責務を果たさねばならないの」
***
その夜。
ソロモンさんは指輪を通して、結界の深層構造へとアクセスしていた。
魔法陣が空間に浮かび、青白い光が脈打つ。
「……この部分が、イブの魂に直結する結界構造」
私が隣で見守っていた。
「開くことはできますか?」
「開くのは容易い。だが、それは彼女を解き放つということだ。この世界の魂の支配構造を、完全に破壊してしまうかもしれない」
「……だったら、どうするんですか?」
ソロモンさんは静かに笑った。
「結界を壊さずに撓ませる。そこに微細な通路を作る。イブの魂が自らの意志で進む道——それを作るんだ」
「強引に目覚めさせるんじゃなくて、彼女自身に選ばせるんですね」
「そう。すべてのはじまりが選ぶことだったのなら、終わりもまた選ぶことであるべきだ」
その時、部屋の奥で淡く光が揺れた。
結界の先、イブさんの魂がわずかに呼応していた。
そして、セナムーンは神域に立っていたのだった。
世界の再構成を発動するための、最終詠唱が始まろうとしている。
だけどその直前——
繭のように封じられていたイブさんの魂が、淡く光を放った。
それは、誰かの呼びかけに応えるように、
あるいは——世界そのものに問いかけるように。
「……目覚めるのね、イブ。ならば、私は全力でその選択を封じるだけ」
神と女神、選ぶ者と守る者。
そのすべてが、ひとつの答えを待っていた。