182 選ぶべき者たち
神殿の大広間に、また私と聖書転生者達全員が集められていた。
静けさが満ちた空間の中心に立つのは、女神セナムーンさん。
だが今日の彼女は、これまでとはどこか違って見えた。その微笑みには、威厳と共に、ほんのわずかな哀しみが滲んでいた。
「皆の者。魂の選別は、既に第一段階を完了しています」
ざわつく場内を制しながら、彼女は続ける。
「しかし——この世界は崩壊の危機にある。魂の均衡が乱れ、死後の循環が滞り始めています。このままでは、存在そのものの在り方が壊れてしまうでしょうね」
私は思わず息を呑んだ。
「……まさか、それって……」
「そう。イブの魂が目覚めかけているの」
セナムーンの宣告に、場内が凍りついた。
「イブの魂は、かつて『自由意志』という果実を手に取った。それは、原罪でありながら魂に選ぶという力を与えたに等しい行為…。それは同時に、この世界における魂の管理を崩壊させる起源でもあるのよ」
セナムーンさんはそこで一旦区切り、さらに言葉を続ける。
「今、彼女の魂が再び目覚めれば、他の魂も連鎖的に自由意志を取り戻すでしょう。そうなれば——この世界の魂の循環システムは、完全に崩壊するわ」
彼女は静かに言い切った。
「よって、私は『魂の再構成』を発動する。秩序を保ち、存在の均衡を守るために。自由意志は危険なのよ」
***
セナムーンさんの宣告を受けた後、元対抗派の私達は話し合うために集まっていた。
「冗談じゃねえ……!」
カインさんが声を荒げた。
「魂の再構成? 管理? そんなの、ただの魂の書き換えじゃねえかよ!」
ユダさんも険しい顔で言葉を継いだ。
「でも……あの女神の言ってることも、全部が嘘ってわけじゃない。世界が崩壊するってのは、誇張じゃないかもしれないよ」
「つまり俺たちは、選ばれるか、消されるかって話か?」
「いや、選ばれたって魂をいじられるんじゃ、変わらないね……」
その横で、ダビデは一言も発していなかった。
ただ黙って窓の外を見つめている。
私がおずおずと口を開く。
「私たちは……どうするべきなんでしょう?」
誰かが答えてくれると思っていた。
だけど沈黙が落ちたまま、誰も動かない。
その時、ソロモンさんがゆっくりと合図する。するとユダさんが念話を発動することになっていた。
《道は、三つある》
彼の声が、全員の心に届くように響く。
《一つ。女神に従う。魂の再構成を受け入れ、魂を秩序のもとに留めること。
一つ。イブを覚醒させ、自由意志の力で支配を壊す。だが世界の崩壊はほぼ確実。そして——》
彼は、指に嵌められた「ソロモンの指輪」に視線を落とした。
《第三の道。魂の自由を守りながら、世界を維持する方法。僕は……試してみたいと思う》
《できるんですか? 本当に……?》
私が尋ねると、ソロモンさんは微かに笑った。
《できるかもしれないというだけだよ。だが、やる価値はある》
《代償は?》
ユダさんの問いに、ソロモンさんは指輪を握りしめた。
《……最悪の場合、僕の魂がこの世界に留まれなくなるかもしれない。もしくは、存在そのものが代わりとして、結界に縛られる》
言葉を失う面々。
だけど私だけは、ゆっくりと頷いた。
《でも、それでも……選びたい。
選ばれることより、『選ぶこと』を、私は信じたいです》
なぜかはわからない。でもソロモンさんを失う恐れよりも彼を信じられるという気持ち、そして確信。
それが私を揺り動かしたからーー
私のその言葉に、沈黙していたダビデが、ふいにこちらを見た。
そのまなざしには、どこか懐かしさと哀しさが混じっていた。
ソロモンさんは、私に軽く頷いて見せた。
《ならば、選ぼう。僕たち自身の道を》
こうして、対抗派は動き出す。
この世界の崩壊を避けるために、
誰もが避けて通れなかった選択を、ようやく——自らの意志で、選ぶために。