177 残された命、繋ぐ者たち
こうして、衝撃の事実をアダムから聞かされた対抗派の私達は自分達の正義が茶番でしかなかったのだということを悟り、大人しく引き下がることにしたのだった。
集会所を後にした時にはもう日暮れ時になっていて、空はすっかり橙色に染まっていた。
夕焼けの光を浴びて、山稜に建つ白亜の塔が輝いているように見えた。
「ソロモン」
ダビデがソロモンさんに声をかける。
そういえばこの2人、今日顔を合わせたのに一言も喋ってないしソロモンさんはダビデを見ようともしていなかったなあ。
「ありがとう。私の命を守ってくれて」
ダビデの言葉を聞いて、ソロモンさんの顔色が変わった気がした。
あれ、もしかしてこれは和解フラグかな!? 期待を込めて見守ったんだけど……
「………別に。人として当然だから」
ソロモンさんは素っ気なく返してそのまま行ってしまった。
だけどダビデはそれでも気にしないかのように今度は私やカインさんの方を向いて頭を下げた。
「済まなかった。私が意固地なばかりに……」
「いや、お前の言うこともわかるぜ。まあ一度はあの女神に従ってた俺が言うのもなんだけどさ」
少し気まずそうにカインさんが頰を搔く。
「言い訳をする訳ではないが、僕たちが女神側にいた時も、主への信仰を捨てたわけではなく異教に走るつもりもなかった。心まで明け渡すつもりはなくあくまで形式的に従っていただけだ。だがダビデ殿は…それでも納得できないのだろうが」
ユダさんがそう言った。
そんなユダさんの言葉に、ダビデはふっと微笑んだ。
「……いや、理解している。私が極端だったのだ。だが……それでも」
そこで言葉を止め、静かに夕空を見上げた。
「心を、守りたかったんだ。」
その言葉が、妙に胸に残った。
***
日が暮れていく空の下、私たちはゆっくりと屋敷に戻ろうとした。
でも、ダビデだけは別の道を選んだ。庭園の奥の小高い丘に一人向かい、腰を下ろして夕闇を眺めていた。私は気になって後を追う。
「ダビデ……」
彼は振り向かずに答えた。
「私は、まだ生きていて良かったのだろうか」
その背中が、少しだけ震えているように見えた。私はゆっくりと彼の隣に座る。
「良かったに決まってる。あなたが命を懸けてまで守ろうとした信仰も……それを守ろうとした、私たちの想いも。どっちも間違ってなかったと思いたい」
ダビデは静かに目を閉じた。
「……ありがとう。君のような者がいてくれて、救われた」
その横顔はどこか穏やかで、けれどどこまでも遠かった。
一方その頃、離れて静かに立つ人影があった。
ソロモンだった。
彼は一言も発さず、ただ、庭園の向こうに座るダビデとヤマトの姿を遠くから見つめていた。
その表情は読めなかった。ただ、立ち去ることなく、そこに立ち尽くしていた。
***
——その夜。
女神セナムーンの神殿、その最奥にて。
誰も立ち入ることのない、静寂の空間。
そこには、幾つもの光の繭が宙に浮かび、転生予定者の魂が安らかに眠っていた。
その中のひとつが——かすかに震えた。
女神セナムーンは、玉座に座ったまま目を閉じていたが、ぴくりと眉を動かした。
「……目覚めかけているのね」
彼女はゆっくりと目を開け、前方の光の繭に視線を向けた。
「まだ時ではないのに……あなたは、抗うの?」
繭の中で、かすかに微かな鼓動のような“魂の反応”が脈打つ。セナムーンの表情に、わずかな陰が差した。
「いいえ……まだ、眠っていなさい。まだ世界は、あなたを受け入れる準備ができていない」
そう囁くと、女神は再び手をかざし、淡く光を放った。
揺らいでいた繭の光が、再び静かに安定していく。
だがその奥で、消えかけた灯が、わずかに強く脈打ったことを——
女神だけが、気づいていた。