176 屈せぬ者のために、我らが屈する
アダムの目が、まっすぐにダビデを射抜いていた。
その眼差しには、慈悲も、迷いもなかった。
ただ、峻厳な意志と、何かを断ち切るような冷たさが宿っていた。
「ダビデよ。主を信じ、その信仰を貫くというのなら、それもよい」
静かな言葉。だけどその響きは氷の刃のようだった。
「だがそれは、この世界において——淘汰を意味する」
場が、凍りついた。
「魂を管理するセナムーンの加護を拒み続ける者が、生き続けられる保証はない。従わぬのなら、命を失ってもらうしかないのだ」
「…………っ!」
私は、息を飲んだ。
本気だった。
アダムは、本気で、ダビデの命を——消す覚悟をしている。
「選びたまえ。主だけへの忠誠を守るか、生を繋ぐか。そなたの意志に委ねよう」
——なんて、選ばせ方だ。
そんなの、選ばせちゃいけないんだよ……!
沈黙の中で、ダビデがゆっくりと口を開いた。
「……ならば、私の命は主に返そう」
落ち着いた、穏やかな声だった。
それが、どれほどの覚悟を秘めた言葉か、わかるからこそ怖かった。
「女神の庇護下に生きるつもりはない。主が導かぬ地で、生き長らえる意味はない」
「ダビデ……っ!」
思わず叫んでいたのは私だった。
「やめて! ダビデが間違ってるなんて、誰も言ってない……!信仰を守ってるだけなのに、どうして……!」
私は、アダムの前に立ちふさがっていた。震える身体で、それでも逃げずに。
「だったら……だったら、私が代わりに……!」
「代わりに?」
アダムが、目を細めた。
「私たちが、従います。あの女神に心を捧げるわけじゃない。でも、この世界で生きるために、女神に——形式としての従属を選びます」
「父さん!ダビデの命を取るなんてやめてくれ!俺たちが従えばいいんだろ」
横からカインさんが叫ぶ。
「……アダム殿。私も従います。どうか父に情けを」
ソロモンさんも従属を誓い、ダビデを守ろうとする意思を示す。
次に発した私の言葉は、彼の想いそのものだったと思う。
「ダビデの命だけは、どうか……」
静かな沈黙が落ちた。
アダムは、しばし私たちを見つめたまま、何も言わなかった。やがて低く短く息を吐く。
「……そうか。ならば、そなた達が、女神に忠誠を誓うというなら——その者は、命だけは繋がれるだろう」
静かで、決して情に流されることのない声。
「主に祈りながら、セナムーンのもとに身を置く。以前の神とこの世界の神ーーー二つの神の狭間で、我々は生きていくことになる」
私は黙って頷いた。
それでも、ダビデが生きてくれるのなら。
信仰を貫いて、でも命を失わないでくれるのなら——それでいいと思った。
ダビデは、何も言わなかった。
ただ、目を閉じて、静かに天を仰いでいた。
その横顔が、どこまでも静かで、悲しくて、美しかった。
(彼は屈しなかった。私たちが、彼の信仰を守るために、屈したんだ——)
(だけどそれでも、彼の命があるなら……私は、この決断を悔やまない。)
——こうして、聖書転生者たちは女神に従うこととなった。
それぞれの想いを胸に秘めたまま。
祈りと葛藤を携えて、物語は次の幕へと進んでいく。
読んでくださってる皆様、ありがとうございます。
当小説はリアクションのお気遣い無用です。読んでいただけることが有難いと思ってます。
ですがブクマや評価は励みになります。⭐︎1から歓迎です。