宿屋の飯
「貴様のような不審者を王城に招き入れることはできん!!さっさとこの場から立ち去れ!!」
「ブヘェ…」
槍を構えた衛兵が見下ろすのは、無様な格好で王城前の石畳の地面に這いつくばるニル。
予想通りの結果に私は、溜息をつきながらニルを引きずって回収する。
「旅人一人招き入れる懐も無しに、何が王だ…」
「聞かれたら首が飛ぶようなこと言わないで」
「しかしぃ…破滅の書の手がかりが…」
王への侮蔑とも思われかねない発言に釘を差すが、ニルは納得がいかないようだ。
「いっその事、あの王城をまとめて吹き飛ばして本を無理矢理奪うか?」
「冗談でもやめてくれる?」
「冗談なものか。俺の手にかかれば、あんな王城一撃だ」
「やめろ!」
思考が物騒過ぎる。
魔法使いというのはここまで、喧嘩っ早い奴しか居ないのか?
この男の場合、あの大牛を容易く丸焼きにできる。
つまり、やろうと思えばやれるだけの力があるので一層質が悪い。
「もう日が暮れるわ。今日はここまでにして、宿に戻るわよ」
暗くなり始めた空を見上げて、ニルに言い聞かせる。
夜遅くまでフラフラと、出歩いていたら不審者に間違われる。
特に獣人は、こういう大国で疑われたら弁明はほぼ不可能だ。
ゴネるニルを引っ張って私は、あのオンボロ宿を目指した。
「おかえりなさいませ」
数時間ぶりに帰ってきたオンボロ宿屋。
宿屋の娘"パーヤ"は私たちの顔を見た途端、笑顔で出迎えてくれた。
外装はオンボロのままだが、内装は小綺麗になり、花瓶には可愛らしい花が生けられている。
「随分と雰囲気が変わったな」
「旅人様のお陰です」
パーヤはニコニコとニルを見て笑う。
この様子を見ると祖母の容態は随分良くなったようだ。
まあ、あの薬はなんの効果もない偽薬なのだが…。
思い込みの力というのは恐ろしい。
魔法による治療なので、完全に偽薬というわけではないのだが、それは私たち二人しか知らないことだ。
「お婆さんの様子は?」
「祖母ならもうすっかり元気ですよ。今は厨房にいます」
言われて、カウンターの奥を見れば何やら火が踊っているのが垣間見える。
包丁がまな板を叩く音や、鍋がグツグツと煮立つ音も聞こえてくる。
「病み上がりなのに元気ね…」
「いい匂いだ。今晩の料理は期待できる」
想像を上回る回復に驚く私に比べて、ニルは呑気に夕食に想像を膨らませている。
最近は三食大牛の炙り焼きであった。
まともな食事にありつけるのは確かだろう。
香り立つ美味しそうな匂いにパーヤ含め、楽しみに待っていると、厨房の音が止んだ。
暫くして、腰の伸びた老婆が大きな鍋を持ってきた。
パーヤの母親で、この宿屋の主。
数時間前まで病に伏して死にそうだったとは思えないほどの健康体だ。
「お待たせいたしました。お客様」
ドン!と、置かれたのは大きな底の深い皿。
中身は野菜や肉がゴロゴロしてるホワイトシチュー。
それと、バスケットに入った大小様々なパン。
「折角のお客様にこんなものしかお出しできず申し訳ありません」
「いやいや。これでも十分に美味そうだ」
「病み上がりなのに無理してないわよね?」
「ええ。ご覧の通り、身体から活力が湧いてまいります。あと50年は生きていけます」
笑顔でそう宣う老婆。
「アンタ、元気にし過ぎじゃない?」
「内臓なども弱っているものはあらかた治したからな…やりすぎたかもしれん」
小声でニルを小突くと、彼にとっても驚異的な回復だったことが分かる。
「どうかなさいましたか?」
「「いえ。何も!!」」
大声で誤魔化して、シチューに手を付ける。
湯気の立つ温かい食事だ。
スプーンに掬って一口放り込む。
「美味しい…」
「美味い!!」
「それは良かった。この国の固有種〈カリメア大牛〉の素材を使ったウチの自慢でございます」
カリメア大牛?…あの巨大な牛のことだろう。
しっかり調理すればここまで柔らかくなるのか…。
曰く、シチューに使っている肉、牛肉に限らず野菜も奴らの堆肥で作ったものらしい。
旅人にとっては恐ろしい怪物だが、この国にとっては生活を支える無くてはならない存在なのだろう。
「あの化け物牛がこんな美味い料理に変わるとは…素晴らしい腕前だ」
「ありがとうございます」
ニルが絶賛する通り、私も食指が止まらない。
パンとも相性が良くて、あっという間に器は空になってしまった。
「「ごちそうさまでした」」
シチューもパンも平らげて私たちは腹を擦る。
ニルは満足そうに息を吐いたあと、さっさと部屋に籠もってしまった。
獣人がいつまでも、店の中にいては、やりづらいだろうし、私も部屋に籠もるとしよう。
そう思って立ち上がる寸前、パーヤが私の目の前に立ち塞がった。
なにか用だろうか?
「どうかした?そろそろ部屋に戻りたいんだけど…」
「これ…良かったらどうぞ」
「…?」
渡されたのは、桶と真っ白いタオルだった。
意味が分からずパーヤを見やる。
しかし、ニコニコと笑っているだけで真意は掴めない。
「えっと?」
「お風呂の用意が出来ています」
「っ!」
お風呂…。
魅惑的な響きだった。
ニルとであった日に寄った村で、借りるつもりでいたのに、色々と問題が起きたせいで延期になっていた入浴。
前回浴びたのはいつだったか…。
「もしかして…臭かった?」
「………」
無言は肯定と受け取るぞ?
私相当臭かった?
それは傷つくなぁ…。
「…ありがとう」
無性に死にたい気分だ。
浴場に案内してくれたパーヤの背中を見て、私はそう思った。
私は人間よりも風呂に時間がかかる。
普通の人間と違って洗う場所が多いから。
冷たい石畳の上に座って私は泡にまみれて奮闘する。
頭を洗うにしても、髪の毛だけじゃなく角もしっかりと洗わねばならない。
一番の問題は体だ。
左腕から心臓のあたりまで、私の体を覆う分厚い鱗。
鱗同士の小さな隙間には細かい汚れが溜まりやすい。
尻尾も同様だ。
そして背中に生える巨大な翼膜。
こいつが一番厄介だ。
背中側にあって、ただでさえ手が届きにくいのに無駄にでかい。
こいつのせいで服は背中に大きな穴が開く。
幸い痛覚はないから背後からの攻撃を防ぐ天然物の盾と見れば悪くはないのだが、如何せん洗いづらい。
おまけに乾くのにも時間がかかる。
尻尾も器用に駆使して、手だけでは届かない場所も、どうにか洗い終えて、全身の泡を洗い流す。
木製の湯船に肩まで使って一息吐く。
「こんな体とももうすぐおさらばよ。それまでの辛抱よ」
もう少しで、私の望みが叶う。
必死に言い聞かせる。
幼い頃から人間に憧れていた。
獣人というだけで、入れない店はいくつもあった。
人間に戻ったら、そんな店を回ってみるのも良いかもしれない。
この翼膜が無くなれば、着られる服の種類も増える。
私はそんな妄想に耽りながら、湯船に頭まで潜った。
部屋に戻ると机に向かうニルの背中が見えた。
ペンを握っているから、何か書いていることが分かるがそれだけだ。
幼い頃に村の教会で読み書きは習ったが、あまり得意ではなかった。
私は用意されたベッドに前のめりに倒れ込んで、翼を広げてじっとする。
タオルで水気を切ったらあとは自然乾燥を待つに限る。
この間やることも無いので、ベッドの枠に使われている木材の模様を目でなぞる。
「君は何をやってるんだい?」
「羽乾かしてんのよ」
「言ってくれれば手伝ってやったのに」
作業を終えたらしいニルが呆れながら聞いてきた。
パキン。
指を鳴らす軽やかな音がしたかと思うと、部屋の中に優しい風が吹いた。
窓も、扉も閉めてある。
つまり、ニルの魔法だ。
「どうだい?」
「……便利ね。魔法って」
「そうだろう?」
一瞬で乾いた翼膜を確認しながら、賞賛してやればニルは楽しそうに笑った。
私は翼膜を畳んで、ベッドに沈み込む。
「本探し…行き詰まってるけどどうするの?」
私はニルに問いかける。
王城にあるとのことだが、あの警備をすり抜けて侵入するのは無理だ。
かと言って城を吹き飛ばすのもだめだ。
「そのことだが、どうやら後ろめたいことでも引き受けてくれる"なんでも屋"なる店がここにはあるらしい。ここの女将も昔店の経営難を乗り切るのに頼んだらしい」
「なんでも屋?」
「客の素性は関係無しで引き受けてくれるとの話だ」
「そんな都合のいいことってある?」
「しかし、それ以外に手立てがないのでな」
「ソイツが本物なら私必要ないじゃない」
自分の口からポロッとこぼれ落ちた言葉。
まるで…。
誰かに必要とされたいと思っているかのような…。
何いってんの?私。
「明日はそこに行くのね…了解。じゃ、私寝るから」
「あ、ああ。おやすみ」
私は布団を被って目を瞑る。
外界からの情報を全部、遮断して底の深い眠りに落ちた。
だからその時、ニルがどんな顔をしていたのか、私は知らない。
翌日、軽めの朝食を宿で摂って件のなんでも屋を目指す。
念のため、荷物は全部持ってきた。
「ねぇ。本当にここで合ってるの?」
「そのはずだが……」
ニルが教えてもらった場所に来てみれば、そこにあったのは一本の大木だった。
街から外れた森の中心にある巨木。
観光地としての需要はありそうだが、なんでも屋どころか人の気配がない。
試しに触れてみるが年季の入ったただの老樹だ。
「その情報ってあの宿の女将さんの若い頃の話でしょ?もうそのなんでも屋も死んだんじゃない?」
「しまった!人間の寿命は短いんだ…!なんて初歩的なミス!!何が天才魔術師だ…!!これで有象無象の魔道士よ変わらないではないか…」
「いや。落ち込みすぎでしょ」
地面に突っ伏して項垂れるニル。
昨日までのあの偉そうな態度はどこ行った?
ガルルル…
「「!!!」」
近くで聞こえた獣の唸り声に私たちは弾かれたように、体制を立て直す。
私は腰の剣を抜いて構える。
唸り声は、目の前の大木の近くから聞こえた。
恐らく狼。
この距離まで近づかれたら、振り切ることは不可能だ。
そして唸り声の主は直ぐに姿を現した。
真っ黒い狼だった。
身を低くして、特徴的な碧い瞳で私達を睨みつけている。
どうやらこの木はこいつの縄張りだったようだ。
「魔法使いって動物と話せたりしないの?」
「不可能ではないが、ここまで気が立っている場合は大抵耳を傾けてくれないぞ」
「役に立たないわね」
「ウッ…。返す言葉もない」
「だったら、撃退するしかないわね」
話は終わったか、と言わんばかりに狼が吠えて飛びかかってきた。
狙いは私の頸元。
いきなり急所狙いか。
剣での防御は間に合わない。
私は左腕を頸の前に掲げて、狼の牙を受け止める。
人間の腕なら噛み砕けただろう。
中々の力で噛みつかれたが、私の鱗を貫くには至らない。
がら空きな腹に剣先を向ければ、危険を察知したのか直ぐに飛び退かれた。
やたら頭の良い狼だ。
「"締め上げろ"」
ニルが背後で呪文の詠唱を完了させた。
同時に地面が隆起して無数の蔓が飛び出した。
狼も直ぐに異変に気付き大きく飛び退いた。
「もう遅い!大人しく捕まれ!」
ニルの勝ち誇った声と共に蔓が狼に向かって伸びる。
それでも負けじと牙を剥き出すのは、獣としての誇りだろうか。
「ちょいちょい!人様の家の前でドンパチ暴れないでくれない!?」
「「「!!?」」」
蔓が狼を捕らえる寸前。
どこからともなく聞こえてきた女の声に、全員の動きが止まった。
私とニルが、狼から視線を外して周りに注意を向けた直後、音もなく蔓が根本から斬れた。
そして狼に視線を戻した。
そこに居た。
長く伸びた黄金色の髪。
真っ赤な宝石のような瞳。
この場では浮きまくった庶民的な衣服に身を包んだ美しい女がそこに立っていた。
「喧嘩はそこまで。レンも人に勝手に襲いかかっちゃ駄目でしょ?」
「アンタは?」
私が女に剣を向けながら尋ねる。
女は、狼を撫でる手を止めて私を見た。
その宝石のような瞳に息を呑んだ。
この感覚、ニルと出会ったときも感じた。
恐らく魔法使いの類だ。
「わたし?わたしはカスミ。ここに住んでる探偵」
手に持っている杖でカツンと、柔らかい土の地面を叩いてカスミはニコリと笑った。