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契約

旅人たちは道中で出逢えば焚き火を囲って、情報交換や、物々交換に興じるものだ。

東の村には綺麗な川が流れているとか、西の国は食事が豪華だとか。

他愛もない話をしたり、生活必需品を交換し合ったり、ときは共に野宿したり。

しかし、それが成立するのは人間同士の場合だけだ。

私のような獣人に近づく者は、旅人にも居ない。

居なかった。

焚き火の前に陣取り対面に座って焼いた魚を齧る男。

人生初めての焚き火を囲う相手は、魔術師だった。


「依頼って?」

「この魚、美味いな…」

モクモクと串に指した魚を持っていく男。

どうやら食べるのに夢中らしい。

折角とったのに、このままでは食い扶持が無くなる。

私も、串を手にとって魚に喰らいつく。

パリッと焼けた皮の芳ばしさと、身の旨み、塩がいい加減に効いていて美味しい。

そこの川で釣った生きのいい魚をその場で食べるというのは、旅人にとっては至高の贅沢だ。

自然と、次の串に手が伸びる。

……アレ?

魚は全部で六匹あったはずだ。

私が一本食べて、残りはまだあるはずなのに…。

ふと、向かいに座り魚を貪る魔術師の足元には木で作った串が四本。

四本!?


「ちょっとアンタ何匹食べてるのよ!?」

「……ゴクッ。今ので五匹だな」

「普通、一人でそんな食べる!?半分でしょ!?」

「早い者勝ちだろ。普通」

駄目だ。

魔法使いと私では致命的なくらい価値観が合わない。

折角、普段よりも多めに釣ったのに。

何なら目の前の男は、一匹も魚を釣っていない。

火を起こしたのも私だ。

だというのに、飯は一丁前に食べる。

村や国で主婦が、働かぬ夫に文句を言う時の感情が今実感を持って理解できた。

腹の奥から、苛立ちが湧いてくる。


「それで依頼の件だが…」

「……」

「聞いているのか?」

おまけに自分勝手ときた。

一発殴りたい。

獣人が本気でブン殴れば、まず間違いなく人を殺す。

しかし、相手は魔法使いだ。

多少手荒でも死にはしないだろう。

少しは、その美貌も馴染みのある顔になるだろう。

よし殴ろう。


「ご馳走さま。とても美味かった」

「ッ!」

振り上げかけた左の拳が、ピタリと止まった。

パチパチと、炎が爆ぜる音が響いた。


「俺が同じように魚を焼こうとすると黒炭になってしまってな。塩加減も、焼き加減も絶妙だった。久々に美味い食事だった」

「……お粗末様」

こうも礼儀正しく礼を言われて、味を認められると殴る気力も失せてしまう。

決して、ベタ褒めされて嬉しかったとか、絆されたとかそう言うのでは無い…決して。

私はそんな簡単な言葉で丸め込まれるような単純な女ではない。


「顔が赤いぞ?熱でもあるのか?」

「うるさい!火に当たってるせいよ!」

指摘されて思わず怒鳴る。

ああ、こんな単純な言葉に絆されたとか自分が恨めしい。

赤くなった顔を抑えて、私は目の前の男を睨みつける。

顔の熱を冷ますために汲んできた水を飲む。


「早く本題に入りなさいよ」

「そうであった…。俺は今、旅をしながらある物を探している。君にはその手伝いをしてもらいたい」

「端的過ぎる。それだけでその依頼を受けるかは判断できない」

そんな少ない情報で、引き受けてくれるのは余程気が置けないくらい親しい間柄でないと不可能だろう。

魔法使いの交友関係など知らないが。


「俺は〈恐怖の森〉にある魔法使いの集落の出身だ。そこでは、魔法について様々な研究をしていてな。その過程でいくつもの書物が作られた」

〈恐怖の森〉と言えば不可思議なことが起きるとか、土地の所有権を主張した領主が急死したとかで、魔法使いの関係が疑われて、過去にに大規模な魔法使い討伐隊が調査に向かったはずだが。

その森に魔法使いの集落が実際に存在して、そこの魔法使いが出歩いているとは…。

教会の面目も丸潰れだ。


「それで?その森で何かあったの?」

「ああ、なんと保管していた魔法の書物がゴッソリと奪われてしまった」

「そう…」

「つまらなさそうにしているが、其処らで売られている料理本とかではないのだぞ?どれも大変貴重なこの世に一冊しか無いものだ」

「それ全部を取り戻したいと?」

「いや、大半はどうでもいい。魔法使いの日記だから無くても構わん。中には恥ずかしい詩を綴っていたとかで、悶えていた奴も居たがな…」

「それは…ご愁傷さまね…」

「その奪われた本の中に一冊だけ、本当にヤバイのが混ざっていた。闇の魔法使い一族に伝わる門外不出の代物だ」

「どうヤバイのよ?」

「簡単に言えば、世界が滅ぶ」

「は?」

男は明日の献立を告げるように、サラリと言ってのけた。

世界が滅ぶなど、世迷い言も良いところだった。

誰が信じるのか。


「冗談でもなんでも無いのだ」

「…なんも言ってないでしょ」

「顔にそう書いてあった。君は表情に出やすいようだな」

「…うるさい」

昔からポーカーフェイスは苦手だ。


「その本は、全編古代文字で綴られているし、厳重な仕掛けが幾つも施されているから、余程のことがない限り大丈夫なのだが、万が一にもその仕掛けが解かれ、中身を解読、実践すれば、世界は明日にでも滅びてしまう…と、我が一族に代々伝えられている"破滅の書"だ」

「伝えられているって…確定じゃないの?」

「我が一族の中でも禁書扱いで閲覧は許されない」

つまり、全くの嘘である可能性もあると。

リスクがデカすぎる。


「ただでさえ、獣人っていう肩身の狭い身分で、世界の害悪とされる魔法使いを連れ歩いて、本物かも分からない危険物探せって…どんな聖人も受けてくれないわよ?」

獣人というだけで、冤罪や、不当な扱いを受けるのだ。

そこに、この無駄に目立つ男を連れ歩けば、嫌でも注目の的になる。

加えて、生きているだけで問答無用に死罪に処される、教会が目の敵にしている魔法使いだ。

おまけに探しものも、危険物である可能性と、偽物の可能性が両立している。

本物なら、世界を危険に晒す。

偽物なら、ただただリスクを背負うだけだ。

だが、それだけで断るのは早計だ。

リスクに見合うだけの、報酬があるのなら一考の余地がある。


「無論報酬は弾むぞ?仮に本が偽物でもケチらない」

「例えば?」

「君が生涯遊んで暮らせる金はどうだ?」

「金使いの荒い獣人とか悪目立ちするわ」

「…では魔法使いにも比肩する永遠の寿命を。悪くないだろう?」

「肩身の狭い身分で長生きって拷問かしら」

「……」

大した報酬はなさそうだ。

この話はこれで終わりだ。

そう思って、立ち上がろうとした私を魔術師が慌てて止めた。

まだ、何かあるのか?

そう思ってもう少しだけ辛抱する。

男は、深く息をついて少し血の気の良くなった顔をこちらに向けてボソッと呟いた。

「俺自身…でどうだ?」

「ブフッ!?」

顔を赤らめ、乙女のような表情から放たれた男の爆弾発言に、私は口に含んでいた水を吹き出して咽せた。

気管に入った水が、猛烈に体を苦しめる。


「大丈夫か?」

「ゲホゲホッ!誰のせいだと…!?」

「はて?誰のせいか…とんと見当もつかぬ」

「女が男に言うのは変かもしれないけど、アンタ自分のことは大切にしなさいよ?」

「案ずるな。君は天井のシミの数を数えているだけでいい。すぐに気持ちよくなれる」

「しかも私が抱かれる側!?」

「ご覧の通り、美男子なのでな。若い娘たちが言い寄ってくる。集落で一番モテた」

「自分で美男子とか言うな!あと、アンタの性体験談なんて聞きたくない!」

「何故だ!?知識はあって損は無いだろう?」

「わー!わー!下ネタになった途端饒舌ね!?」

一通り喚き散らしてから、私は焚き火を離れて男から距離を取り、抜刀する。

命の危機は何度も経験して来たが、女としての危機を感じるのは生まれてはじめてだ。

今まで幾度となく魔法使いや、その手下に出会ったが、今一度再認識した。

魔法使いというのは危険な存在だ。

出会って間もない相手にセクハラ紛いな言動を取るとは…恐ろしい。


「そう初々しい反応をするな。余計に唆る」

「寄るなケダモノ!これ以上下らない話しするなら殺すわよ!」

「ふむ、駄目か。悪くない話だと思ったが…」

「当然でしょ。…ていうかこんな化け物を抱けるの?」

「化け物?」

首を傾げる男に、私は頭から生える角を指さして見せた。

もしかしてコイツ、私が獣人だってことに気付いてなかったのか?

だとしたら余計なことをしたかもしれない。

魔法使いにとって獣人は、魔法の実験に役立つ道具になる。

魔法使いに雇われた盗賊や荒くれ者に襲われる獣人は、そう珍しい事ではない。

目の前の男は私より強い。

もし相手に本気を出されたら、私は為す術なく殺されるだろう。

何故か忘れていたが、男は私にとって、天敵と言える存在だ。


「立派な角だな。美しい。天然のアマルガムでここまでバランスの取れているのは珍しい」

「は?…あまるがむ?」

「別の生き物同士を融合させる魔法だ。君の場合は先祖返りだな」

「魔法って…生まれるときに"穢れ"を取り込むんじゃなくて?」

「それは教会が勝手に言っているだけだ。そもそも、世界の理を研究する俺たちから見れば、教会の言っていることは間違いだらけだ」

「はぁ!?」

教会が間違ってるって…そんなことあるの?

この男の言っていることが正しいのなら、私たち獣人に向けられる差別は何なのだ。

謂れのない冤罪で何度命を脅かされたと思う?

……ふざけるな。


「魔法使いが獣人を生み出したの?」

「ああ、嘗て世界が大戦に明け暮れた頃、兵力として、または自衛のために多くの人間が強靭な肉体を求めた。そして身体に刻まれた魔法は子孫にも伝わる。それが先祖返りだ。そして今いる獣人の大半はソレだ」

「私はそんなの望んでない!私は普通の人間として生まれて、普通の人間として生きて、普通の人間として死にたかった!誰もこんな身体が欲しいなんて思ってない!」

男が我を忘れて叫ぶ私を見る。

その表情からは何を思っているかは伺い知れない。

男の言った通り、これが私の先祖の業であるなら、悪いのは魔法使いでは無く、人間だ。

そして、運の無かった私の落ち度だ。

こんな八つ当たりは、なんの意味もない。

ただの子供の癇癪と同じだ。


「君は人間に戻りたいか?」

「……戻れるの?」

「そんじょそこらの魔法使いには無理だ。しかし、俺は偉大な魔術師だ。俺に出来ないことはない」

「……」

「"君を人間に戻す"これが報酬だ。君が俺の依頼を受けてくれたら君は人間としての生活を得る。俺は奪われた本を取り戻せる。お互いに利益がある。悪くないだろう?」

人間に戻れる。

私が今まで何度夢に見て、叶わないと諦めた理想。

それをこの男が叶えてくれる。

依然として危険の多い旅になるのは確実だ。


「良いわ。その依頼受けるわ」

「契約成立…!ここに署名を」

男が指をパキンと鳴らした。

虚空から一枚の上質な羊皮紙と動物の骨でできた不気味なペンが現れた。

男は自分の指を噛み切り、ペン先に血を滲ませる。

そのペンを羊皮紙に走らせて、何事か書き込んだ後、私に寄越した。

何やら怪しげな文字がビッシリと書き込まれている。


「これは?」

「悪魔の契約書だ。ここに己の血で名を書け。それで契約が完了する。魔法使いの流儀だ。もし破れば……血肉の一つも残さず消滅する」

「ッ!?」

「破らなければいいのだ。君は俺を手伝い、俺はその対価に君を人間に戻す」

これに名を書けばもう後には引き返せない。

文字通り、悪魔の契約だ。

しかし、このまま獣人として迫害され続ける人生を歩むくらいなら、多少のリスクを冒して人間としての平穏な人生が欲しい。

私は、男に倣って右の親指の腹を噛み切る。

僅かな痛みに、顔を顰めながら男が差し出してきた動物の骨でできたペンを受け取る。

ペン先に血が滲み出す。

そして羊皮紙の余白に私は署名した。

ペンを放した途端、赤かった文字が光って、黒く染まった。


「闇の魔術師〈ニル〉の名においてここに〈ステラ〉と契約を結ぶ!この二人の誓いを悪魔に捧ぐ!」

男が今までとは違う、力強く厳かな声で宣言した。

瞬間、蒼白い不気味な炎が羊皮紙を焼き尽くした。

今のすごく、魔法使いっぽい。

一瞬で、燃え尽きた羊皮紙を見て、私は悪魔を証人に魔法使いと契約を結んだことを実感した。


「そういえば、名乗ってなかったな。俺の名はニル。恐怖の森、闇の一族で最も偉大な魔術師だ」

謙虚さの欠片も無い自己紹介だ。

だが、この男らしいと思った。


「ステラよ。獣人で旅人。よろしく」

それに比べて、私の自己紹介はなんと簡潔なこと。

ズッと、ニルが右手を突き出してきた。

顔を上げれば、青紫色の目を輝かせて、何か期待に満ちた顔をしている。


「なに?」

「こういう時、人はお互いの手を握り合うのだろう?握手と言うんだったか?本で読んだ」

「え、ええ」

「試してみたい。さあ、手を出せ」

魔法使いは握手もしないのか。

私は、右手を差し出す。

遠慮など全く無い、男の右手が私の右手を強く握った。

大きくて、温かい。

私も、こうして誰かと手を握り合うなど久々だ。

最後にやったのはいつだろう?

手を放したあとも、手に温もりが残っている気がして、私はしばらく右手を見つめていた。

フフッ。

不意にニルが笑った。

顔を上げてみると、私と同じように右の掌を見つめている。


「悪くない感触だ。いい経験だった」

「そう…」

一人で楽しそうなニルを他所に私は、広げてあった道具を片付ける。

砂利の上に、大きめのボロ布を敷いて簡易的な寝床を作る。

荷物袋を枕代わりにして横になる。

少し…かなり硬いが贅沢は言えない。


「もう寝るのか?」

「ええ。無駄に体力消耗するわけには行かないからね」

手持のない道連れが出来たせいで、食料が足りないのだ。

浪費を避けるためにはじっとしているに限る。

それに、今日は色々あって疲れたし。

ふと、ニルが立ち上がって近寄って来た。

ジャリ、ジャリ、ドカッ!

ニルが枕元に寄ってきた。


「なにか用?」

「俺も寝たい、もうちょっと横にどいてくれ」

「…はぁ?なんでアンタもこっち来んのよ?」

「旅の仲間だ。寝床くらい共にするだろう?」

「バカ言わないで、会って一日も経ってない奴と一緒に寝れるか」

「かたいこと言うなよ。お互い悪魔と契約した仲だろう」

「でも、アンタ男でしょ?」

「そうだな」

「私は女よ」

「うん」

「……だめじゃん?」

「案ずるな、経験の無い相手を外で抱いたりしない」

「ッ!!」

私は寝床を飛び出し、近くの木に凭れかかった。

男というのは口を開けば下ネタを言わないと気が済まない生き物なのだろうか。


「それはアンタに譲るわ。だから私に近づくな」

「そう警戒せんでも……」

「うるさい。ケダモノ」

私はそれっきり黙って目を閉じた。

気配には敏感な方だし、手元には剣もある。

おまけに獣人である身体は並の男よりも力がある。

いざとなったら、叩き斬れる。

仮に殺せば、消滅してしまうが仕方がないことだ。

この旅の行く末を不安に思いながら、私は眠りに落ちた。

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