第4話…何も起きずに仕事は終わる
闇妖精の魔法戦士ゲルタは、最後尾から一党の様子を見ていた。
直ぐ前を歩いている女司祭ルゥは低い唸り声を上げながら周囲を警戒している。
(左後ろ辺りか?)
ルゥの動きから左後方から何か警戒すべき対象が付いてきている事をゲルタは察する。
ルゥの表情が見れないのが残念だな、とゲルタは含み笑いを漏らす。
きっと外敵を警戒する肉食獣の様な顔をしているはずだ。
「ルゥ?疲れた?」
先頭を歩いている少年クラージュが振り向くと。
「大丈夫ですよ、クラージュさん」
クラージュが振り向いた瞬間に、あの聖女のような偽物の笑顔に一瞬で変わっているはずだ。
その変化を想像してゲルタは笑みを漏らす。
列の二番目を歩くエリはフード付き外衣を羽織り、フードを目深に被って無言で歩き続けている。
体質的に、そろそろ直射日光がキツくなってきたのだろう。
小柄な見た目のエリの体力を心配したクラージュがエリの顔を覗き込んでいる。
前方を警戒する先頭を歩きながら後ろの仲間の様子を確認するのも忘れない。
そんなクラージュを経験を積めば優秀な冒険者になれるだろうと評価するゲルタ。
逆に言うなら、今のクラージュは経験が足りないと思っている。
特に今の状況は、都市の貧民窟出身のクラージュは野伏としての基礎知識があっても経験が足りず、ずっと何かが付けて来ている事を気づいていない。
(まあ、並みの猛獣くらいなら問題ないか…)
クラージュの予想通りの熊ならゲルタ1人でも勝てる。
1対1ならクラージュは苦戦するだろうが、ルゥかゲルタが魔法で支援すれば簡単に倒せるだろう。
ゲルタはクラージュの剣技を思い出す。
その技には、闇妖精の仇敵たる森妖精特有の癖があった。
技を教えた師が森妖精だったと解る癖。
そして断片的なクラージュの話から解るのは、その森妖精が女でクラージュの想い人だという事。
(そいつの前に味見しておくのも悪くないか…)
1000年以上の時を生きる闇妖精の暇潰し。
自分より前に仇敵たる闇妖精と関係を持った事を知ったなら、その森妖精は、どんな顔をするだろうか?
ゲルタは、そんな事を考え黒い笑みを浮かべた。
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冒険者の一党の人数は何人が適正か?
これは難しい質問だろう。
人数が増えれば戦力は上がるし、様々な技能を持つメンバーが集まり出来る事が増える。
だが人数が増えれば1人頭の報酬は減る事になる。
それ故に適正人数は難しいのだが…
「あと2人くらい欲しいよな」
焚き火に薪をくべながらクラージュは独り言を呟く。
日は落ち、現在は夜。
山道の途中の開けた場所で野宿中。
野宿中に見張りを立てないわけにはいかない。
だから4人は交代で起きているわけだが、睡眠時間を考えると見張りは1人づつにするしか無い。
最初の見張りはクラージュだが、1日山道を歩いた疲労は当然ある。
1人で起きていると睡魔が襲ってくるのは避けられなかった。
「6人なら2人1組で見張りが出来るよな」
2人なら雑談で眠気を抑えたり、片方が居眠りした時、もう片方が起こす事も出来る。
天幕を持ち運ぶ余裕など無いため、地面に体温を奪われるのを防ぐために下に敷く毛布と掛布団代わりの外衣だけで眠る3人の美少女たち。
「外衣があるのに、あの服装はな…」
痴女服のルゥは上に外衣を羽織っていればいいだろうなんて独り言。
クラージュは、眠気覚ましに独り言が多くなっていく。
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「ゲルタ、交代」
「ああ、そうか」
見張りを交代する時間になりクラージュはゲルタを起こす。
「何だ?」
寝起きのゲルタの顔を見つめるクラージュに、ゲルタは首を傾げる。
ゲルタの切れ長の眼の美貌は、近縁種の森妖精の顔の特徴と似ている。
暗い夜なら尚更に。
「えーと、別に…」
その顔が想い人を想起させた事を誤魔化したクラージュは外衣を被って横になる。
そして直ぐに寝息を立て始めた。
クラージュが寝息を立て始めて数分後。
眠っていたと見えたエリとルゥが無言で起き上がった。
月明かりの下、熱い息を吐く2匹の化け物。
外衣を脱ぎ捨て短剣を抜きながら赤い瞳と大きな八重歯を怪しく光らせるエリ。
元々簡単に脱ぐための衣装なのだろう、服とも呼べぬ布をスルリと脱ぎ捨て全裸になるルゥ。
ゲルタは焚き火で沸かした湯で割った葡萄酒を口に運びつつ無言。
そして2匹の化け物は音も立てずに樹々の合間に姿を消した。
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熊という獣は、大きな身体の獰猛な姿と裏腹に人間を襲って食べるような事は無い。
それ故に人間側が自分の存在を教えて歩けば熊側が人間を避けるというクラージュの判断は間違っていない、普通ならば。
最初の切っ掛けは偶然だった。
急な雨で足を滑らせ沢に落ち亡くなった行商人。
その亡骸を見つけた腹を空かせた熊。
普段は食べない人肉を食べ物だと認識してしまった熊は、人を狩りの対象として狙い始めた。
山村ロッカから買い出しに行った男や村人が犠牲にならなかった事は、ただの幸運だろう。
人食いと化した熊を放置し続ければ人数が少ない山村自体が熊に襲われ多くの犠牲が出た事だろう。
だから村人たちは幸運だった。
そして人食い熊は不運だった。
双方とも、とびっきりに。
鈴の音で自分の場所を知らせる獲物を熊は隠れて追跡していた。
獲物を襲う隙を探り続けていた。
熊は自分が狩る側だと思っていた。
野生動物の鋭敏な感覚すら越える化け物が自分を狙っているなど気付く事はなかった。
それは闇に紛れて獲物を襲う圧倒的捕食者たち。
自分のモノだと勝手に認識している相手を狙う者を決して許さない化け物たち。
最初に熊が感じた物は痛みだった。
音もさせずに高速で襲いかかった赤い瞳を光らせる何かは丈夫な毛皮も太い筋肉も関係なく短剣で2本の前脚を半ばまで断ち切った。
そして痛みに悲鳴を上げて思わず後ろ脚で立ち上がった熊に銀色の閃光が襲いかかり、その喉笛を食い千切った。
全ては一瞬の出来事。
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「…」
ゲルタの耳に狼の遠吠えが聞こえ、全て終わったと理解する。
「何…?」
狼の遠吠えで目覚めたクラージュが半ば寝ぼけながら起きてくる。
「遠くで狼が吠えてるだけさ」
葡萄酒のお湯割りを呑みつつ答えるゲルタ。
「2人は?」
ルゥとエリが居ない事を問うクラージュ。
「花摘」
「ああ、トイレか…」
そして再びクラージュは外衣をキツく身体に巻き付け寝ようとするが…
「…?」
クラージュの寝ぼけた頭に、何か見過ごしてはいけない物があると警鐘が鳴る。
「ゲルタ…」
「何だ?」
「見張りの時には呑むなって言ったよね?」
「あっ…」
ゲルタは自分が手にした木製の杯を見る。
中身は葡萄酒のお湯割り、つまり酒である。
「待て!クラージュ!!」
ゲルタが止めるのも聞かずクラージュはゲルタの荷物を探る。
「没収ーっ!!」
そして隠し持っていた酒瓶を取り上げた。
「待て!それは返してくれ!後生だから!」
自分の脚にすがり付くゲルタを無視してクラージュは酒瓶を自分の背嚢に突っ込むと背嚢を抱き絞め横になった。
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クラージュの一党は、特に大きな問題もなく手紙と商品を山村に届ける仕事を終えた。
野営した夜に起きた事にクラージュが気付く事は無く、1つの仕事が終わったのだった。
「店主、何か実入りが良い仕事ない?」
だが、仕事を1つやり遂げても、この仕事は無報酬で銀貨20枚の借金は全く減っていない。
クラージュは再び店主に頭を下げるしか無かった。
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ちなみにゲルタの持っていた酒瓶は仕事終わりの打ち上げの食事で出されたが…
この一党で酒を呑む者はゲルタしか居らず、全てゲルタの胃袋に収まったのである。