第28話…帰還
「帰ってきたんだな」
城塞都市アシュールの防壁を越え、中に入ったクラージュは感慨深く呟いた。
闇の後宮による初の長期遠征。
目的の魔法剣を発見し持ち帰った事から大成功と言えるだろう。
だが…
「この遠征で何度死にかけたかな?」
大鬼の一撃を喰らい、地下運河の急流に流され、それに…
辛かった遠征を思い起こすクラージュだが。
「とうちゃ〜く!」
「帰ってきましたね」
「まずは『木漏れ日亭』で一杯やろうか」
そんな風に浮かれているエリ、ルゥ、ゲルタを見て気を引き締める。
「依頼人に品物を引き渡すまでが遠征だからね!」
と、クラージュは浮かれる仲間たちに言っておいた。
とはいえ、さすがに遠征帰りの汚れた格好で依頼人の屋敷に行くわけにもいかない。
特にクラージュは鎧も荷物も失い、破れたシャツ一枚である。
「いったん『木漏れ日亭』に戻って、着替えよう」
そして4人は足取り軽く『木漏れ日亭』に向かった。
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「おう、小僧久しぶりだな」
『木漏れ日亭』店主は、長期遠征から帰り、久しぶりに店に顔を出したクラージュに視線を向ける。
「この仕事で借金が無事に返せそうだよ」
「そいつは良かったな」
そんな会話をしている張場の後ろ。
店主が知らせた覚えも呼んだ覚えも全く無いのに、何故か今朝から張場の裏で、しゃがみ込んで隠れている森妖精が『借金』という単語に耳を動かす。
「そうだ、魔法具の鑑定を依頼したいんだけど」
クラージュは小刀を取り出し店主に預ける。
冒険者ギルドを通して依頼すれば仲介手数料を取られるが、信頼出来ない魔導士に個人で依頼して高価な魔法具を盗まれても困る。
「鑑定料と手数料は規定通りな」
「もちろん、ちゃんと払うよ」
クラージュは財布を取り出し金銭を数える。
勘定に集中しているクラージュから店主は一瞬だけ視線を外して張場裏で聞き耳を立てている森妖精を見た。
昔馴染みに、たまには一肌脱いでやるか、と店主は口を開いた。
「お前さんは、この街の出身だろ」
既に答えを知っており、意味のない質問。
「ここの貧民窟の出だよ」
特に隠す理由もなく答えるクラージュ。
「たまには実家に顔を出してやれ」
張場に規定料金分の銅貨を置いたクラージュは、何度も死にかけた遠征を思い出す。
もう二度と愛するシシリィに会えなくなっていたかもしれない危険な旅だった事を思い出す。
一人前になるまで帰らない。
そんな決意が急にバカバカしくなった。
明日にも死ぬかもしれない冒険者の身で、そんな決意に意味なんてあるわけ無かった。
「そうだね、依頼人に依頼達成の報告をした後に、寄ってみるよ」
クラージュが、そう答えた瞬間。
張場の裏から森妖精が消えていた。
きっと帰ってくる家族を歓迎する準備をするために急いで帰ったのだろう。
店主は何も言わずに煙管に火をつけた。
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「ふ〜ん、立派な屋敷だね」
今回の仕事の依頼人プブリ・コンコーネの屋敷を見てエリが呟く。
依頼達成の報告と魔法剣の引き渡し、そして依頼料の後金の受け取り。
そのためにコンコーネの屋敷に来た闇の後宮の4人。
コンコーネの屋敷に来るのが初めてのエリは金持ちの大きな屋敷に羨むとも妬むともつかない表情。
同じく初めて来たルゥは、いつもの張り付いた聖女スマイルで内心は伺い知れない。
「旦那様がお待ちです」
クラージュが来訪を告げるとコンコーネ家の使用人が案内してくれた。
前にも通された客間。
テーブル上には高価な砂糖菓子と蒸留酒のボトル。
「よく来てくれた!それで?それで?それで小鬼大王の剣は見つかったのか?」
速く結果が知りたいと眼を輝かせるコンコーネ。
そんな依頼人のコンコーネより砂糖菓子と蒸留酒に興味津々の3人の美少女を努めて無視してクラージュは魔法剣を差し出した。
「こちらが、ご依頼の…」
クラージュが言い終わる前にコンコーネは奪うように剣を受け取り舐めるように見る。
「ははは…本物だ!これさえあれば研究が完成するぞ!」
絵に描いたような運動不足体型のコンコーネが重い魔法剣を抱えて走り去っていった。
「えっ?あれ?後金…?」
そのコンコーネのスピードに面食らうクラージュに使用人が後金の銀貨が入った袋を差し出す。
「申し訳ありません、主は研究の事になると我を忘れてしまいますので」
主の奇行に慣れているのだろう使用人が謝罪し、クラージュは後ろで勝手に砂糖菓子と蒸留酒を口にしている仲間たちの方を見てタメ息をつく。
「こちらこそ、礼儀がなっていなくて申し訳ないです」
使用人は笑って砂糖菓子と蒸留酒をお土産に渡してくれた。
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「この一党じゃ見た事が無い金額だな」
『木漏れ日亭』の二階、女性陣が借りている部屋でクラージュは後金の入った袋を開ける。
机の上には銀貨の山。
そこから、まず店主に返す銀貨20枚と利息分を取る。
それでも今までの仕事の報酬で一番の金銭が手元に残る。
「はいはいは〜い!私からクラージュに提案がありま〜す!」
銀貨の山にエリが眼を輝かせて言い出す。
クラージュは発言内容を予想してジト目でエリを見つつ。
「一応、言ってみて」
「そのお金を一晩私に預けてくれたら、倍…いや3倍にして返すよ!」
つまりは、エリは博打の種銭にするつもりだろう。
「却下に決まってるだろうがー!」
クラージュは、そう言いつつ銀貨を一枚づつ3人に握らせる。
「「「…?」」」
そして疑問顔の3人に言った。
「それが今回の小遣いね。
残りは一党の共同貯金にするから」
そのクラージュの発言に3人の美少女は顔を見合わせる。
そして視線で何か会話した3人は、代表してゲルタが共同貯金分の銀貨の山に手を伸ばし一枚取る。
「では、これがクラージュの小遣い分だな」
そう言って、ゲルタは銀貨をクラージュに渡した。
「そうか…うん、ありがたく使わせてもらうよ。
ところで打ち上げの宴会だけど、別の日でいいかな?」
一仕事終えたら打ち上げの宴会をするのが闇の後宮の流儀。
「何か予定でもあるの?」
普段のクラージュが個人の用事を優先する事が無いためエリが不思議そうに問う。
「ちょっとね、たまには帰ろうかなって」
愛する森妖精のシシリィの笑顔を頭に浮かべていたクラージュは、雌狼の表情をしたルゥと八重歯を剥き出しにしたエリに気づかなかった。
そんな3人をゲルタが含み笑いしつつ見ていた。
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この家を出てから一年も経っていない。
それなのに懐かしさが心に広がる。
クラージュは十年以上をシシリィと過ごした貧民窟の小さな家の前にいた。
クラージュの手にはシシリィにプレゼントするための花束。
「よし!大人の男らしくいこう!」
小さな声で気合いを入れるクラージュ。
シシリィに子供や弟ではなく一人の男として見て貰いたいという少年の背伸び。
家から調理の煙が出ていて、クラージュの好きな野菜シチューの匂いがする。
シシリィが在宅しているのは間違いないだろう。
「シシリィ、帰ってきたよ!」
そう言いつつクラージュは扉を開けた。
台所から懐かしい足音がして、薄く化粧をしたエプロン姿のシシリィが迎えてくれる。
「あら、お帰りクラージュ」
まるで朝に遊びに行ったクラージュが夕食時に帰ってきたかのようなシシリィの声。
格好いい大人の男として花束を渡して、それからシシリィを抱きしめて…
そんな事前の考えはシシリィの顔を見た瞬間に全て吹き飛んでしまった。
「シシリィ…シシリィ…シシリィーッ!!」
この家を出てから、辛い事があった、苦しい事があった、悲しい事があった。
何度も死にかけて、二度とシシリィに会えないかと思った。
そんな様々な想いがクラージュの心を駆け巡り…
クラージュはシシリィの胸に飛び込んで子供のように泣きじゃくった。
「あらあら?どうしたのクラージュ?」
そんなクラージュの頭をシシリィ・アナスタージア・ルオナヴェーラは、優しく撫で続けた。