第21話…いつか貴女も
お母様は、高貴で強くて美しくて…
それなのに…
どうして人間の男なんかを選んだの?
どうして私をこんな身体に産んだの?
私は高貴で強くて美しい本物の吸血鬼に産まれたかった。
こんな半端な身体に産まれたくなかった。
お兄様やお姉様のように産まれたかった。
『私の可愛いエリジェーベト、いつか貴女も…』
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落ちる!落ちる!落ちる!
水の中に落ちたなら助からない!
エリジェーベト・ラウの小さな身体は吹き飛び、空中通路から落ちる。
下は地下運河、半吸血鬼のエリは泳げない。
その身体は水に浮かばず、その身体は水中では短時間で硬直し動けなくなる。
水面に落ちた衝撃は一瞬。
そしてエリの身体は沈んでいく。
運河は自然の河と繋がっているのか?
空中通路からは見えなかった水中には無数の物体が激しく流れていた。
水の中に沈んだエリは水底に引っ掛かっていた大きな流木に掴まる。
しかしエリの身体は急速に硬直し流木を掴む手からも力が抜けていく。
嫌だ!嫌だ!嫌だ!
死にたくない!死にたくない!死にたくない!死にたくない!
こんな冷たく暗い水の中で一人で死にたくない!
助けて!お母様!お兄様!お姉様!
けれど母も兄も姉も助けに来る事は無い。
そんな奇跡は起こらない。
だからエリジェーベト・ラウは、ここで死ねしかない。
否!!
闇を見通す半吸血鬼の眼に、それは映った。
冷たく暗い水の中に飛び込んで来たクラージュの姿が見えた。
只の人間であるクラージュには闇を見通す力は無い。
松明は水面で消えてしまった。
それでもクラージュは飛び込んだ、何も見えない急流の運河に飛び込んだ。
そしてクラージュは左手を伸ばす。
クラージュにエリの姿は見えていない。
視界を失いながらも手探りでエリを探す。
エリにはクラージュの姿が見えた。
エリは最後の力を振り絞り右手を伸ばす。
エリが水中で動ける時間は、あと数秒。
エリの右手がクラージュの左手に触れた。
でも、それだけだった。
その手を握る力は、もうエリには残っていなかった。
でも…
それでも…
力が抜けたエリの右手は力強く握られた。
エリは、それを見ていた。
クラージュは右手に握っていた小剣で身に付けている革鎧を止める紐を斬る。
エリは知っていた。
クラージュの装備は、彼が冒険者になる時に大事な人から贈られた物だと。
その鎧をクラージュが大事にしている事を。
鎧だけでは無かった。
鎧を脱ぎ捨てたクラージュは泳ぐのに邪魔になる小剣も手放す。
森妖精のシシリィから餞別に贈られた剣と鎧をクラージュはエリを助けるために水中に捨てた。
「ぷはぁ!」
クラージュがエリを水面に持ち上げた。
エリは水面から頭を出して呼吸する。
けれどクラージュの頭が水中から上がってくる事は無かった。
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(ゲルタの魔法だな)
ゲルタの精霊魔法に水の精霊の力で水中で呼吸出来るようにする魔法がある。
エリを必死で水面に出したクラージュは息が続かず、水中で息を吸ってしまった。
それで溺れるはずが水中で普通に呼吸出来ている。
おそらく水中に飛び込む時にゲルタが魔法をかけてくれたのだろう。
だが呼吸の問題を解決しただけでは危機は去っていない。
流木、石、様々な物が高速で水中を流れ、鎧に守られていないクラージュの身体を痛め付ける。
暗闇を見通せないクラージュには、それらを避ける事も出来ず、どちらに泳げば助かるかも分からない。
不意にクラージュの右腕が何かに激しく擦られる。
皮膚は裂け血が流れ出すのを感じる。
(これは壁?)
自分の腕を痛め付ける長い物をクラージュは壁と判断する。
だからクラージュは力を振り絞る。
クラージュの身体に叩きつけられる様々な物と冷たい水は、クラージュから急速に体力を奪っていく。
ここでエリを岸に上げられなければ、結局2人とも死ぬだろう。
そこは地下運河の脇にある通路だった。
そこにエリは投げ出される。
エリは口に入った水を吐き出し力が入らない身体を震わせた。
「クラージュ…」
エリの眼に映るのは岸に掴まるクラージュの手。
だがクラージュには、もう自分の身体を急流から持ち上げる力は残っていなかった。
岸を掴むクラージュの手から力が抜けていく。
このままではクラージュはエリを救ったのと引き換えに、急流に飲み込まれ…死ぬ。
「クラァ…ジュゥ…」
エリは硬直から完全に治っていない身体を必死で動かす。
そして両手でクラージュの右手を掴んだ。
しかし
昼間のエリは小さすぎた。
昼間のエリは非力過ぎた。
エリはクラージュを岸に引き上げる事も出来ず。
ズルズルと水に引き込まれて行く。
エリに見えていると分かっていないだろう。
でも確かにクラージュの唇は動いた。
もう声を出す事も出来ないクラージュの唇は…
『もういい、離せ』
と、言っていた。
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嫌だ!嫌だ!嫌だ!
死なせたくない!
死んで欲しくない!
何故?
相手は、愚かで弱くて醜い人間なのに…
高貴で強くて美しい吸血鬼じゃないのに…
このままではエリも再び水の中に逆戻り。
そうなれば今度は間違いなく助からない。
今すぐ手を離せばいい。
それだけでエリは助かる。
でも…
嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!
死なせたくない!
死んで欲しくない!
それは、お母様の言葉。
何故、愚かで弱く醜い人間の男など選んだのかと問うたエリに答えた言葉。
『私の可愛いエリジェーベト、いつか貴女も恋をすれば解るわ』
「お母様!お母様!お母様!助けて!クラージュを助けて!」
その声は母に届かない。
母は、この場にはいない。
だから母が助けてくれる事は無い。
高貴で強くて美しい吸血鬼だった母親が助けてくれる事は無い。
それでも、その血は確かにエリジェーベト・ラウの身体に流れていた。
エリの瞳が赤く輝く、その口から牙がのぞく。
この場に、誰もエリを助ける味方はいない。
しかし、夜だけは常に姫君に味方するのだ!
地下にある遺跡の中から空は見えなかった。
それはエリジェーベト・ラウには見えなかった。
太陽が沈み夜が訪れるのが見えなかった。
「クラァージュゥーッ!!」
夜の半吸血鬼の怪力がクラージュを岸へと引き上げた。




