九話:腹立たしくて、情けなくて、申し訳ない
僕が死にかけているところをロクが助けてくれたということについては、他にもいろいろと答え合わせなんかを楽しみたいところではあったが、その前にちゃんと聞いておかなくてはいけないことがあった。ロクが刺し違えてでも殺らなくてはいけないという使命についてだ。
「うむ、そうじゃな。では、しばし待て」
そういうと少女ロクへと変化する。
難しい話、ややこしい話はやっぱり少女ロク担当ということらしい。
「それはやっぱり切り替わらないといけないものなのか?」
「ええ、やはり戦闘用ですからね。餅は餅屋です」
まあちょうどいい。少女ロクにも聞きたいことがあったし、あとで質問攻めだ!
「ひとまず、その使命というのを説明してもらえるか?」
「はい。すこし長くなります。わたしにも、コーヒー、いただけますか?」
「なんだ、飲めるのか……」
「はい。なんだか、とてもいい香りだなと思いまして。チャレンジです」
僕は、コーヒーを淹れなおした。
少女ロクの説明は、一時間以上に渡った。美女ロクが逃げるのも頷ける。
要約すると、下級霊の中から一体の頭の良い霊が出て、長い間、地下深くに隠れるようにして霊力を増大してきたらしいということ。その霊力は現時点で、ねこ父をも凌ぐかもしれないということ。そして、弱い下級霊を従え勢力を拡大しており、これらのことが明確になったのはごく最近で、地下深くに身を隠していたため発見が遅れたらしい。ここまでなら、霊界としてもじっくり攻めて長期戦で行けばよかったのだけれど、暗部が調査したところ半年から一年以内に『大厄災』を企んでいる情報を得たらしい。『大厄災』が起こってしまえば、下級霊たちの霊力は膨れ上がって手が付けられなくなり、最悪の場合、霊界、人間界ともに崩壊する可能性があるそうだ。
「そんなデカい相手に、こっちの切り札はお前だけなのか?」
「いいえ、わたしと継宮さんです」
「うまいこといってごまかすな!」
「もちろん全面的なバックアップがあります。ただ日常的な対応もありますから、霊体数としては暗部の数体を回してもらえるといったとこでしょうか?」
「霊界ってのはずいぶんブラックだな。真っ黒じゃないか」
「ふふふ。今度お父様に会った時にでも、ぜひご進言ください。
まあ、でもこのミッションは親玉を叩いてしまえばおしまいです。本来、下級霊同士の連携というのはないのです。二体の霊がいたとして、どちらか一方の霊の方が強ければ吸収してしまいます。吸収を我慢して、エネルギーを分け与え、使役するなんてことをした下級霊は、この親玉が初めてです。なので親玉を昇華させてしまえば下級霊は散り散りになります」
「なるほどな。ただ、そうはいっても、その親玉ってのに辿り着くまでに、邪魔立てする奴らも倒していくことにはなるのだろう?」
「それはおそらくそうなるでしょうね」
そりゃそうだ。どんなバトルものだってそういう展開になっている。まあ別にバトルもので表現しなくても普通に考えれば、陣を取っていて守備を考えれば当たり前という話である。部下を作っている時点で、隊防衛はもちろんのこと、地形を生かした拠点作りやトラップまで警戒しておくべきだろう。
さて、そうなれば心配なのはロクの体力と耐久力か。もしくは、数体回してもらえるという暗部で乗り切れるか、というところである。
「お前の突破計画はどういうものか、教えてくれないか」
「二人で行って、親玉を叩く、ですけど……」
「期待した僕がバカだったよ……」
「ただ、今日のミリタリーショップと先ほど観た軍隊の映像は収穫でした。ちょっといろいろ工夫をしてみたいと考えています」
「ああ、そういえば、さっそく使ってみてたな。やってみてどうだったんだ?」
「あれは失敗でしたね。わざわざ拳銃を形成しなくても指の先から出せば同じことですので、形成して維持するエネルギーの分だけムダということになります。格好はいいんですけどね。ですが仕組みの方は使えそうで、砲身の長さで弾丸スピードを変えたりとか、映像に出てきたマシンガンの連続射出をうまく取り入れたいと思ってます」
「うん、その点は使えそうだな」
「それと、もう一つはわたしと史章さんの合体です! コンバインです!」
「おい! というか、なんだそのダサい横文字は!」
まじめにやれ! というと、大まじめだそうだ……。
過去の様々な大戦でもそういう技を使って戦っていたと聞いたそうである。
明日から少しずつ訓練していくことになった。
「ところで、史章さんは年齢=彼女いない歴なのでしょうか?」
「なんだよ唐突に、失礼な」
「せっかくわたしが勇気を振り絞って、下のお名前でお呼びしているのに、無反応なんですもの!」
ふん! と怒っている。
「わかってたけどな……、そういうのは得意じゃないんだ」
ますます怒らせた。…………。
※ ※ ※
翌日、三日ぶりに会社へ行き、退職願を提出してきた。
いろいろ理由を考えていたのだが、普段からの目立たない素行のおかげで、あっさりと受理された。しかも有給消化などの関係上、引継ぎは一週間で終わるらしい。愛社精神があったかと問われれば、確かに少ない方ではあったのだけれど、こうもあっさりなのは少しばかりさみしい気持ちだった。愛情の反対は無関心とはよく言ったものである。
帰宅途中に少女ロクと今後の話をして、例の合体の特訓は退職日以降に本格化することになった。それまでは、ロクは攻撃や回復の手段を増やすらしい。僕の方は、例の合体のための基礎訓練をロクに教えてもらい、それをしていくことになった。
最寄り駅に着くと、駅前にファミレスがある。いつものようにスーパーで弁当や総菜を買って帰るつもりでいたが、昨日ロクがコーヒーを飲んでいたのを思い出し、誘ってみた。
「うはあ、いいですね。あ、わたし、どちらの姿がいいですか?」
「どっちでもいいよ」
そういうとすぐさま美女ロクが出てきた。どうやら昨日少女ロクが美味しそうにコーヒーを飲んでいるのを感じて、試してみたくてうずうずしていたらしい。
なにが戦闘モードだ!
と、そのときは思っていたのだけれど、店内に入ってメニューを見るや、あれも食べてみたい、これも食べてみたい、挙句全部頼んでみていいか? という始末で、いちいち普通について説かなければならなかった。
お前は確かに戦闘モードだよ……。
「ちゃんと味覚のセンサーはオンになっているか?」
「うむ、味という概念に驚いておる。この匂いというのもなかなかよいものだな」
「このステーキの味はどんな風に感じてるんだ?」
「じゅわっとしておるな。美味じゃ」
じゅわってなんだよ……。
味という概念の教育が必要そうだ。
「なあ、気になってるんだが、その食べたモノ、どうしてるんだ?」
「エネルギーに変えておるぞ」
「おい! エネルギーに変えられるのかよ!!」
「うむ。じゃが、これはおそらく相当効率が悪いのぅ。ここまで食した分で、三分程度の戦闘といったところかのぅ」
お前はウルトラマンにでもなったのか!
「じゃあ、僕が犬に噛まれたときのエネルギーはどれくらいなんだ?」
「それは先日、霊蛇を倒せたではないか」
そうだった……。
「やっぱりお前たちは人間の食事を摂らなくていい。お前たちが摂り始めたら、食物連鎖が崩壊する!」
まだ食べたいと駄々をこねる美女ロクをなだめて、ようやく家に戻る。
ミリタリーショップといい、ファミレスといい、こいつは毎回、どこかから引き剥がしている。
結局スーパーに立ち寄り、美女ロクが食べたいものを、これ以上持てないほどに買って帰ってきた。どんな大家族だよ……。
やれやれである。
僕の基礎訓練は瞑想から始まった。目標は幽体離脱らしい。
いやはや、これはもはやオカルトの域である。そんなもの無理に決まっている! というと、怒られた。えらい法師なんかは本当にできるらしい。まあ、命がかかっている訳だから、頑張ってみようじゃないか!
精神を集中して、呼吸を整える。抜けるときは、うなじ辺りからがやりやすいらしいので、体を浮かせるようなイメージをする。自分を俯瞰するようなイメージだ。
全くできなかった。まるっきり。
はじめは、美女ロクがいろいろ買ってきたものを食べながら教えてくれていたが、僕のセンスのなさに呆れて匙を投げた。その後は少女ロクが丁寧に教えてくれたが、さすがに僕もロクも疲れてしまって、今日の訓練はお開きとなった。
「まったくできる気がしないのだけれど、僕ができるまで、どのくらいの時間を見繕ってるんだ」
「三日以内ですね」
善処しよう!
※ ※ ※
十日が過ぎた。
ロクの方は順調、指をすべて砲身に変え、一気に十ヶ所への攻撃が可能になっていた。
僕の方はというと、何一つ進歩なく、コツの片鱗すら掴めずにいる。
精神統一をする、集中力を高める、無になる、すべて全力で取り組むのだけれど、ダメだった。それは危険だからやめた方がいいといわれたのだが、背に腹は代えられないということで、ロクに引っ張り上げてもらうこともやってみたのだけれど、残念なことに幽体離脱はまったくできなかった。
会社の引継ぎが終わり、時間が取れるようになってからは、ほとんど一日中を基礎訓練に当てていた。それでも、何一つ、可能性すら、微塵も見えていなかった。
「なあロク、このままできなかったらどうなる?」
「計画そのものの見直しが要りますね」
「だよな……」
二人で、いや一人と一柱で、どんよりとしていた。
「合体ができたら、何ができるんだ?」
「一緒になって、高速移動して飛び回れます。敵地に乗り込むにしても素早く、敵と戦うときも常に一緒になって戦えます。それこそいきなり大将戦ができる可能性があります」
かなり有効な手立てである。
「これ、僕じゃない方がいいんじゃないか?」
思わずつぶやいてしまった。
なんとなく、言ってはいけない言葉だとわかっていたのだが、気づけば漏れてしまっていた。
「いえ……、そんなことはありません…………」
ロクもさすがに歯切れが悪かった。
いつも心穏やかな少女ロクですら……である。
彼女は、僕ができずにもがき苦しんでいる様子を、ずっと隣で見ていたのだ。
だからこその歯切れの悪さなのだろう。
「僕は今更、命が惜しいとかそういうことは全くないんだ。お前の手助けも最大限やりたいと思っている。お前と一緒に戦いたいと思っている。だけど、肝心なところができないんじゃ話にならないだろう」
本音ではある。だけれども、きっとこれも言ってはいけない言葉なんだろうと思う。
ダメの上塗りである。自己嫌悪だった。
ロクは黙っていた。
ただその沈黙は、僕を気遣って、ロクの想いと伝えたいことを整理している、そんな感じだった。
「こういうとご負担になるかもしれませんが、わたしは史章さんとしか一緒に戦いません! ほかの誰とも組みません!」
そしてまた、沈黙。
それは、僕にはとても嬉しい言葉だった。
嬉しいのに、嬉しいハズなのに、それに応えられない自分自身がいるのも事実だった。努力で乗り切れるなら、なんだってやってやる。だけど、直感で、本能で、この幽体離脱は僕にはできないと感じていた。自分の限界が、自分の無能さが、腹立たしかった。そして情けなかった。申し訳なかった。
『ごめんよ』というのも違う。できもしないのに『やってやる!』というのも違う。『ありがとう』も違う。でも、その全部の気持ちが、嘘偽りなく僕の中で渦巻いていた。内包していた。
だから、沈黙してしまった。
ロクが、悩んで投げかけてくれた言葉に対して、
返事をしたかったのだけれど、
僕は言葉を投げかけられなかった。
どのくらい時間が過ぎたのかはわからない。
僕は僕なりに、いろいろ考えていたが、堂々巡りしていただけだった。
「ああ、もうっ!」
ロクが突然声を上げた。
「悔しいです!!」
「すまない……。僕が不甲斐ないばっかりに……」
「あ、いえ、史章さんのことではありません。お父様のことです!」
「ん? ねこ父? あ、もしかしてねこ父が僕の秘めたる能力を封印でもしてたのか!」
空気の重さに耐えきれず、くだらないことを言ってしまった。
「この期に及んでバカなことをいう勇気は認めますが……、そんなわけないでしょうっ!!」
案の定、余計に怒らせた……。
「史章さんを依代にすると報告したときに、お父様にやめておけと言われたんです。『これまで依代には、神職にある人間しかおらぬ』とか、『失敗する大きな原因は、依代に感情移入し過ぎてしまうことが一番多いのじゃ。だからあの人間はやめておきなさい』とか、もう何回もチクリチクリと言われたんです! だから、どんなことがあってもお父様には頼らずに、この任務を遂行しようと覚悟を決めていたんです!
ああ、でももう、わたしのプライドを捨てるしかありません! ああ、悔しい!! ああ、悔しい!!
史章さん、実家に帰らせていただきます。留守の間も訓練はしていてください!!」
ロクが自分の感情を爆発させているのを、この時初めて見た。
僕はやっぱり彼女を守りたいと、改めて思った。
「おい! その帰省、僕も連れていけ!!」