九話:シャルの豆鉄砲
翌朝、ロクは頭が痛いと言った。お前たちは病気とは無縁だろうに、なんでアルコールにだけは反応するんだよっ!
「八岐大蛇だって酒に酔いつぶれて討伐されましたし、酒呑童子だって酒好きなのを利用されて毒酒で弱ったところをやっつけられたんです。人間にであれ霊にであれ、お酒というのは愉しませるものであり、惑わせるものであるということですね。でも、頭が痛くなるなんて、聞いてなかったですもの」
「それだけ頭がしっかり回っていて、しゃべれるなら問題ないだろうよ。それにしたって、八岐大蛇も酒呑童子も悪いヤツらなんだから、蛇と鬼の下級霊ってことになるんだろう。お前たち上級霊が酔っ払うなんて話があるのかよ」
「いくらでもありますよ。お酒好きの神様なんて、山のようにいらっしゃるでしょう?」
「あー、そう言われれば、確かにな……」
「とにかくあまり難しい話はしないでください。ああ、頭が痛い……」
そういう時は意外に迎え酒が有効だったりするんだよ、と言いそうになって口を噤む。ロクのことである、すぐに試したいと言い出すに決まってるし、そうなるとさらに面倒なことになりそうな気がした。
シャルに効いた実績がある『ウコンの源』を飲ませ、カフェラテも淹れてやる。ラテの作り方を教えようとすると「頭が痛くて、とてもそんな気分じゃありません……」らしい。それでも、昨日の残ったピザをオーブンレンジで焼き直してやると、パクパクと頬張っていた。食欲のある二日酔いとは、呑兵衛の要素十分である。が、途中で急に手を止めたので、どうしたのか不思議に思っていると、思念会話が来ているようだった。
「ええ、大丈夫よ。…………もちろん。……うーん、お昼過ぎか、夕方頃かな。…………いいわよ」
思念会話が終わったのか、また食べ始めようとするので、誰からなのか聞こうと思った矢先、シャルが僕の中に入ってきた。ゾクゾクするので、いきなりはやめて欲しいんだけれど……。で、すぐに出てきた。
「あ、すごくいい匂い!」
「なんで第一声がそれなんだよ……」
「わたしも頂いていいですか?」
「いいわよ、まだいっぱいあるもの。お酒も残っているわよ」
「えっ!? えっ、あ、うーん……、うーん」
ものすごく物欲しそうな顔をしている……。
「おい、こらっ! それはダメだろう。コイツはしかも酒乱だぞ!」
「し、酒乱じゃありませんっ! し、失礼な! ず、頭痛がするだけです……」
「ウソをつけ! もの言いも性格も変わってしまうのは、立派な酒乱だ!」
「ん? なにかそんなことがあったのですか?」
「ああ、コイツはこの前、飲んでへべれけになって、僕に…………」
「あーーーーーーあーーーーーーあーーーーーー!!」
シャルは声を上げてかき消そうとするだけではなく、この話題をどこかへやってしまいたいと言わんばかりに、手まで大きく振っていた。それで何かが変わるとは思えないし、余計に怪しいんだけどな……。
「なんですか? 気になるじゃないですか。あ、シャル! ちゃんと言うまで食べてはダメです!」
「ええー…………」
至極残念そうな表情をしたかと思うと、シャルはうな垂れてしまって、食べるのをすっかり諦めてしまった。
自業自得ではあるが、酒の話を持ち出したのはロクだし、何よりも心配でここに来てくれたのだろう、今回ばかりは助け舟を出してやるとしよう。
「大したことじゃないよ。酒に酔って僕にいたずらをしようとしただけだよ」
「ん? シャルはお酒に弱いってこと?」
「そうそう。ま、それだけならいいけど、どうやらその酒が好きなんだろうさ」
「あら、それは残念ね。ナムチさんに体質改善してもらえばいいのよ。わたしも戻ったら頭痛にならないようにしてもらうつもりよ」
「あ! それいいですね、今度頼んでみます♪」
「別にそこまでして呑むもんでもないだろうに……。シャル、食べていいぞ。もう全部食べてしまわないとだしな。ところで、何しに来たんだよ」
シャルは『次の日ピザ』を、嬉しそうに頬張りながら、僕の問いに答えた。
「いえ、ロクの送ってくれた記憶の映像を見たんですが、ロクもタカも悩んでいた様子でしたので、大丈夫なのかと心配で……。もう、霊殿に帰ってこないんじゃないかと、そんな風に思えてしまうほどだったので……」
「ああ、そうだったんだ。そうか……、ありがとうな」
「それ以外にもあるのでしょう? それだけなら、さっきの思念会話で十分ですもの」
「ええ…………。でも、その前に……、お二人は、どうされるのですか?」
「霊虎をやっつけるわよ」
「そうですか。……、よかった…………」
「あなたこそ、どうしたいと思っているの? シャル」
「わたしは……、ロクとタカがしたいことをしようと思ってました。……もし、霊殿の進む道と、違う道を行くことになれば……、それでも付いていく覚悟でいました」
「でも、今さっき『よかった』って言ったじゃない。それは、霊虎をやっつけたいってことでしょう?」
「あ、いえ、それは違うんです。ひとまずは、霊殿の進む方向と同じだったのと……、あと、お二人の意見が一致しているようでしたので、よかったと言ったのです。
わたしは、ロク、あなたとタカに、本当に救われたんです。千年以上も居続けた深い暗闇の中から救い出してくれた。拾い上げてくれた。わたしにとってそれはもう、奇跡のようなことなんです。
だから、わたしはロクとタカに、いつまでも付いて参ります。地獄なんてないですけれど、地獄の底にだって付いていきます。あなたとタカがいれば、わたしにとっては何処だろうと天国なんです。
だから……、だからいつも……、どうかわたしを置いていかないでください…………」
シャルは手に持つ食べかけのピザを皿に戻し、俯いたままその目に涙をためる。
湿っぽい雰囲気になりかけていたところだったのだが、そんなことにはお構いなしに、ロクは容赦なく質問を浴びせた。
「ふぅん……。でももし、わたしと史章の意見が反対だったり、仲違いしてしまったら、どうするのよ」
「…………。それは…………、実は、昨日から一番恐れていたことだったんです。もし、バラバラになっていたらどうしよう、と。それが気になって気になって…………、今日、いても立ってもいられずに、ここまで来ました……」
「で、仲違いしてた時は、どうしようと思っていたのよ」
「わたしなんかがおこがましいのですけれど……、なんとか、引っ付けようかと……」
「フフフ。シャル、大好きよ。で、どうやって引っ付けようと考えてたわけ?」
「それは! ……言えません」
「いいから、教えなさいよ」
「怒りません?」
「怒りません」
「絶対?」
「絶対」
「…………、わたしが……タカに言い寄って、ロクに焦ってもらおうと……」
鳩が豆鉄砲を食ったよう、とはこのことか!? ロクも目を丸くしてびっくりしていたが、きっと僕も似たような表情をしていたに違いない……。それにしたって……、おいおい。
が、数秒間固まっていたロクは、その金縛りが解けるや否や大笑いをした。僕も大笑いしたかったのだけれど、下を向いて恥ずかしそうにしているシャルを見て、ここで二人で大笑いするのはさすがに可哀想で、声を押し殺して笑った。
「シャル、いらっしゃい」
ひとしきり大笑いした後、ロクはそう言うと、近づいてきたシャルに抱き着いた。本当は抱きしめてあげたかったんだろうけれど、少女ロクと普段のシャルでは、残念ながらどうしたって抱き着くという恰好になってしまう。
「シャル、ほんと、大好きよ、ありがと」
「わたしも……です」
まあ、そんなわけで微笑ましい状況にはなっていたのだが、僕はそんな二柱の姿を見ながら、思いを巡らせていた。
シャルの言葉を聞いて、こんなにもロクと僕のことを想ってくれていることを知り、自分の好き勝手だけで判断したり行動したりするのは、もう、やってはいけないんだなと改めて気付かされた。
それに霊殿裏の丘で、シャルとは約束をしていた。困ったときは、ロクや僕を頼れ、と。シャルを仲間外れにしたつもりは毛頭なかったけれど、ちゃんと考え切れていなかった。ちゃんと想い切れていなかった。大反省である。
そしてそれと同時に、霊虎の人望というか霊望と、ロクの霊望とはまったく質を異にすることにも気付いてしまった。僕とシャルが抱くロクへの信頼は、無条件なのだ。なにかを与えてくれるわけではないし、なにかを約束してくれるわけでもない。それでも、ロクに付いていきたいという僕とシャルがここにいるのだ。
それに対して、霊虎の方には条件がある。食わせてやる、寝床を与えてやる、面倒を見てやる。だから我に付いてこい! これはもう信頼というより、取引じゃないか!
ロクと霊虎の比較で気付いたことだったのだけれど、よくよく考えてみれば、ねこ父やねこ母に対してもロクと同じ無条件だ。何かをしてくれるなんて言われたこともないし、というよりもむしろ、無条件でこき使われている気さえする。
あれ? ん、まあ、いいか。
いやきっと、たぶん、……だから僕は頑張れているんだろう。ここ現世でたいして仕事熱心でもなかった僕が、いつの間にやら命を懸けてまで戦っているんだから、まったく、本当に不思議なものである。
今となっては現世での僕の仕事ぶりをとても申し訳なく思うのだけれど、きっと取引の関係だったのだと思う。給料が貰える、生活の糧を与えられる、だから仕事をする。それに、無条件で信頼する人、尊敬する人がいなかったし、探そうともしなかったし、見出そうともしなかった。だからパフォーマンスが悪いというか、今一つ冷めた感じで仕事をしてしまっていたのだろう。ともあれである。
僕は、ここへきてようやく、
本当のすべきことに気付けたのだ!
「シャル、ありがとう。なんだかんだで、いつもお前は僕の心を動かしてくれるよな」
「えっ? わたしは何も……。不安でいっぱいで、ここへ来ただけですし、それをお話ししただけです」
「そのことが、僕の見えていなかったこと、考え切れていなかったこと、忘れていたこと、なんかを教えてくれたんだ。サンキュー。
ロク、昨日言ったことが変わる訳じゃないけど、自分自身の心の在りようもきっちりと決まったよ。もう、迷わずに進めそうだ。霊虎を討つぞ!」
「わかりましたから史章、はやく食べてください。片付かないじゃないですか」
「えっ、あ、うん……」
ロクとシャルはケタケタと、どうやらスッキリとひと区切りついたらしく、それはもう心から楽しそうに笑っていた。
霊殿へ行って、準備を進めていくとしよう。
本話にて、第六章は完結になります。
次話より第七章となりますが、現在執筆中です。完成次第、連載開始となりますので、今しばらくお待ちくださいませ。
尚、執筆の進捗等は活動報告にて時々お伝えしていきます。この機会に『お気に入りユーザー登録』と『ブックマーク』をぜひよろしくお願いします♪