八話:命の使い道
ひとしきり笑った後、僕はテーブルの上に置かれたロクの手を見つめながら、ふと考えに耽る。考えに耽りながら、そのロクの手を自分の手に取った。僕が言葉を発そうとしたとき、ロクが少しばかり早く、先に言った。
「こんな時間が、少しでも長く続けばいいですね」
「そうだな。僕もたった今、同じことを言おうとしていたところだよ」
「ねぇ、史章」
「なんだい」
「あなたの記憶、あの夢は何だったの?」
「夢?」
「ええ。あれは夢でしょう? 兄弟の……」
―― ! ――
今の今まで忘れていた。そういえば、そんな夢を見た。二人の兄弟の末路、とても悲しい物語。あれは現実に起こったことだったのだろうか。
「それが……、僕にもよくわからないんだ……」
「二人はどうなったの? やっぱり死んじゃったの?」
「お前の見たとおりだよ。あれが僕の見たモノすべてだよ。だから僕も本当のところの結末は知らないし、あの夢をなんで見たのか? 何を意味するのか? 僕もまるで見当がつかないんだ。わからな過ぎて、もうすっかり忘れてしまっていたぐらいだ。たった今、お前に言われて思い出したところだよ」
「そうなんだ……。とても悲しい夢よね」
「そうだな……」
「わたし……。すごく印象に残ってしまって、あれから……、ううん。史章がよくわからないって言うのなら、もういいわ」
「なんだよ。そんな中途半端に言われたら、気になるじゃないか」
「うん……。でも、わたしが見た夢じゃないし……、わたしの勝手な想像だから……」
「何か参考になるかも知れないし、当事者よりも外から見てる方が客観的で、的を射てるなんてことはよくあるもんだ。別にそれが正しいとかそういうことじゃなくて、ロクの感じたことを教えてくれよ」
「うん……。わたし……、あの兄弟を助けたいって思ったんですけど、誰一人、見向きもしないで、結局……。ホント冷たいモノね。それでその後、あの霊虎が下級霊を面倒見たり、世話したりする姿を、あなたの記憶の中で見て……。それに、実際にわたしもその姿を目の当たりにして、もしかして…………」
ロクは言葉を飲んだ。頭を俯加減にし、その後の言葉を続けることを躊躇った。僕はもう、ロクの言いたいことがわかったのだけれど、それを口にはしないで「うん」とだけ返し、ロクが自分で言うのを促して待った。
「もしかして……、霊虎の過去……、生前なんじゃないかって……」
「そうか……。なるほどな……」
「でも、なんの根拠もないの。ただ、そう思っただけだから……」
僕はロクの言葉を聞いて、ねこ父の話を思い出す。多くの場合、生前と反対になる、というもの。
今の霊虎は、大きな力を持ち、下級霊をまとめる存在で、その下級霊たちに慕われている。霊界と現世の仕組みというか成り立ちというか、そういうものに真っ向から立ち向かおうとしている。
対してあの夢の中の子供は、もちろん力などなく、誰からも見放され、助けて貰えることもなく、愛されることもなく、ただその中に埋もれて死んでいく。
細かなところが対になっているかどうかはわからないが、それでも大筋はそうであると言えるだろう。
「案外そうなのかもしれないな……。そうか……、そういうことか……」
僕がそう言うと、ロクは顔をあげて、大慌てで両手を振る。
「そ、そんな、わたしの勝手な思い込みだから、真に受けないで欲しいです」
「ハハハ。大丈夫だよ、ロク。全部を鵜呑みにしているわけじゃないから。僕はてっきり霊界というか霊殿の誰かに何か起こってしまったんじゃないかと心配していたんだよ。初めはお前の身に何かあったんじゃないかと心配したぐらいだよ」
「あら。わたしと離れ離れなのが寂しかったのですね。ホントにもう、三日も我慢できないだなんて」
「いや、そういうことを言ってるんじゃないよ」
「うふふ。知ってますよ。だって、その記憶もちゃんと鑑賞させていただきましたから」
まるでついさっき自分の言ったことを打ち消すかのように、明るく振舞っていた。
「そういえば、リモーリとネモーリかも、なんて考えていらっしゃったのですけれど、お二人はご健在ですから、あの夢の中の兄弟ではありませんよ」
「ん? あ、そうか! 二人は生霊だったな。今の姿は、生前の姿と同じか」
「フフフ。それを観た瞬間は可笑しかったのですけれど、あの時はそれどころじゃなかったですから」
「なんだよ、その時に言ってくれよ。だとすれば、お前の言っていることもあながち遠からずってことになる……、というかむしろ濃厚になるか……」
「それはダメ!」
ついさっきのムリカラ元気から、本当の楽しい元気になりかけていたロクの表情はあっという間に消え去り、再び眉間にしわを寄せていた。それと同時に、『霊虎の生前かも知れないなんてことを言わなければよかった』という後悔の想いが流れ込んでくる。
ロクの感情が大きく揺れ動く時は、もうすっかり僕もそれがわかるようになっていた。
「いや、まあ、あくまでもひとつの可能性の話だよ」
「ううん、それでもダメよ。だって……、もし、そうだとしたら……、ますますわからなくなってしまうじゃない……」
「えっ!? わからなくなるって……驚いた……。お前も悩んでいたんだな……」
「悩んではいないわ! でも……、やりにくいなって……」
「そうだよな。難しいよな……」
二人とも頭を抱えてしまった。いっそのこと、霊虎が明らかに残虐非道な悪者であってくれた方が、どんなに楽かしれない。悩んだりすることなく、ただ討伐だけに邁進できるだろう。けれど、下級霊を思いやる姿を見てしまった。慕われていることを知ってしまった。これだけでも、もうすでに、ずいぶんやりにくいのである。その上にもしも、こんな過去が付いてきたとなれば、ロクの言う通り、ますますわからなくなるってもんだ。
ただ。
まったく出口の見えない迷路に入り込んでしまった中で、ロクが同じように悩んでくれていることは、ひとつ僕にとって嬉しいことでもあった。
僕は人間だ。ロクら霊界の面々は霊体で、霊虎ら下級霊の面々も霊体である。そもそもの存在が違うわけだから、どうしたって僕は自分の考えが正しいかどうか、わからないのである。これまでにも失敗は幾度となくしてきているし、霊虎にもお前の考えは人間としての考えでしかないと言われたばかりだ。
それに、霊虎との対話のときに僕の中に流れ込んできたロクの想い。あのときの激しい悲しみと怒りと憎しみは、決して忘れてしまったり、消えてしまったりするような、浅く軽々しいものではなかった。そんな想いを持つロクが、僕と同じ悩みを抱えてくれていることは、少しだけ自信を持たせてくれるし、少しだけ勇気づけられるものでもあった。
「ロク、ありがとうな」
「なんのこと?」
「いや、いつもお前に助けられていると思ってな」
「答えになっていないですよ」
「そうだな、すまない」
思わず苦笑いをして、続ける。
「僕はてっきり、僕がトラヤロウにハッキリできずにいることが、態度を決めかねていることが、お前を悩ませる原因になっているんだと思っていたんだよ。けれど、僕ほどじゃないにせよ同じように、お前がトラヤロウを単に悪として討つことができない悩みを抱えてくれてたことが、すこし嬉しかったんだ。僕が悩んでいることは、正しくはなくても、間違ってはいない、って思えたからな」
「……感情とは、厄介なものですよね」
「まったくだな」
今度は、二人で苦笑いをしていた。
「ねぇ、史章。兄弟の夢のことは、ナシにしましょう。だって、結局、ホントのところはわからないんでしょう?」
「ああ、うん。わからないな」
「わからないことに頭を悩ませるのは、バカみたいじゃないですか?」
「確かにな……。そりゃそうだ」
僕はまた、苦笑いをするしかなかった。
「それでね、史章。やっぱり霊虎はやっつけましょう。もっともらしいことは言っていましたが、それでも霊殿に砂鉄爆弾を撃ち込んだり、富士山を噴火させて人間を殺そうとするヤツの言うことなんか信用できません」
「うん」
「それに、今の霊虎は、たくさんの下級霊を取り込んであんなに大きな力を得ているのです。そのくせ下級霊の面倒を見ろ、とか矛盾しています。口が達者なだけの詭弁者です」
「それは、そうだよな。うん、お前の言う通りかもしれない」
「なにより、ウワハルとアズサの命を奪ったのは霊虎です。わたしはやっぱり許せないんです!」
「わかった。お前が言うなら僕も迷いは捨て去ろう」
「なんだかずいぶんあっさりね。史章自身はどう思っていたんですか?」
「いや。いろいろ考えてはいたんだけどな。僕が迷い込んでしまったのは『お前が人間を守りたいというのは、所詮人間を基準に考えたエゴでしかない』とトラヤロウに言われて、それを明確に否定することができなかったからなんだ。まあ、それについては今でも否定はできずにいるんだけどな。で、僕は僕のあるべき姿というか、原点に戻ろうと思ったんだよ」
「史章のあるべき姿?」
「うん。ほら、僕は下級霊に殺されるところだったろう? で、その命を拾い上げてくれたのは、ロク、お前だ。だったらこの命は、お前のしたいことに使うのが一番だろう! ってことさ」
「ふぅん。それがあるべき姿ってこと?」
「ああ。それに、それは僕のやりたいことでもあるしな」
「じゃあ、もし、わたしが間違った決断をしたり、大悪党になってしまったらどうするの?」
「それでも付いていくさ。心配しなくても、誰がどう見ても明らかに間違っていることは、ちゃんと指摘してやるよ」
「ふぅん。イマイチすっきりしないけれど……、まあ、いいわ」
「なんだよ。ずいぶん不満気だな」
「そりゃあ。わたしもこうしたい! 史章もこうしたい! 二人の意見が合致して、一緒にがんばろう! みたいなのが、一番いいに決まってるじゃないですか」
「…………。僕は霊虎の偽善的なところが胡散臭いと思っているんだ。だから、霊虎は討伐する!」
「もう、遅いです、して欲しいことはしてくれない史章」
ロクはやはり不満気な表情をしていたのだけれど、僕がぷっと笑うと、『なによ!』と言いつつもつられて笑う。最後には二人で大笑いをしていた。