二話:霊界の不条理
「ふん。生き延びおったか」
「なぜ殺さなかったんだ!」
「シロネ、ここはいい。お前も休んでおらんだろう。少し休め」
「はいです。ありがとうございますです。じゃあ少し休憩してくるです」
霊虎は僕の問いに答えず、シロネを退室させる。シロネが居なくなるまで、霊虎は目を瞑ったまま身じろぎひとつしない様子から、人払いというか霊払いをしたかったのだろう、僕は霊虎が口を開くまで待つ。シロネが部屋を出ていくと霊虎は目を開けて、静かに、冷静に話しはじめた。
「天叢雲剣は、なぜ我が手に残らんかった」
ああ、思い出した。そういえば、一度目が覚めたときに、天叢雲剣を盗られずにほくそ笑んだ気がする。それで、僕を殺せなかったということか。なんだ、すっかり思った通りの展開じゃないか。
「フフ、そうか。そうだったな。残念だが、お前は天叢雲剣を手にすることはできないぞ。僕が死のうが、生き続けようがな」
霊虎はじっとしたまま、僕から視線を外さない。僕の言葉の真偽を確かめるように。
そして、僕も霊虎から視線を外さない。これから霊虎との腹の探り合いが始まるのだ。
「ふん。お前は大層なエネルギーを持っておるな。我に譲る気はないか」
「お前に大層とか言われてもな。それに、お前にやったとして、僕になんの得があるというんだ」
「お前に得などない。お前には差し出すか、奪い盗られるかしかない」
ふん、なるほど。コイツは僕を取り込んでしまえば、霊圧エネルギーだけじゃなく、天叢雲剣も取り込めるんじゃないかと思っているな。言仁の話だと、力の開花後の所有者は僕しかムリのハズだから、まあやはり僕以外に剣を使えるヤツはいない。問題となる可能性があるのは、僕が操られたとき、か……。
とはいえ、本当に取り込まれるのは、なんだかイヤだな。意識とかどうなるんだろう。というか、肉体もどうなるんだろう。今度ロクにちゃんと聞いてみよう。さて、ともあれ今は霊虎に、取り込みはできそうにないと思わせないとだな。
「僕を取り込むって言ってるのか? やってみるがいいさ。お前を倒すには、外からより中からの方が簡単だからな」
「ふ、語るに落ちたな。本当に取り込まれた方がよい時に、そのようなことは言わぬ。むしろ言うべきは反対ぞ。『ああどうぞ、取り込むようなことだけはおやめになってください!』だ。そう言えば取り込んでもらえる。つまり、お前は今、取り込まれるのは都合が悪いということになる」
甘いな。トラヤロウごときに舌戦で負けてたまるか! ってんだ!
「そりゃ本音を言えば、取り込まれるというのは、なんとも嫌な気分ってもんさ。でもな、お前がそう思うなら、やってみるがいいさ。ひとつ教えてやろう。さっきも言ったが、天叢雲剣は僕の中から離れることはないんだ。その剣を持ったままお前の中に入ったとしたら、どうなると思う?」
『僕を生きたまま取り込んだら、霊虎の中で防御網を張って吸収されることを拒み、中で暴れまくるぞ!』と誤解してもらうのが狙いである。今回はこの疑念を生むことだけでいい。こうなる可能性が一パーセントでもある限り、霊虎は僕を取り込めなくなる。
そして、僕を取り込まずに殺してしまう場合、霊虎は霊圧エネルギーを奪うこともできないし、天叢雲剣を奪い盗ることもできなければ、それを入手する方法も永遠に闇の中となってしまうのだ。
つまり、霊虎は僕を取り込むことも、殺すこともできないのだ。
これで、お前の詰みだ!
実のところ、想像以上の長い眠りから覚めたばかりで、ちゃんと頭が回るかどうか心配だったのだけれど、シロネが水を持ってきてくれたことが、功を奏した。寝起きの飲水は、脳の回転率を十五パーセントアップするらしい。水を飲む前に霊虎が来ていたら、この舌戦には負けていただろうし、かなり不利な状況に追い込まれていたに違いない。シロネに感謝だ。
「ふん、小賢しい。我が剣やエネルギーに興味を失くせば、お前など瞬殺なのだぞ。そのことを忘れているのではないか?」
「ハハハ……痛っ!」
笑った瞬間、体中に激痛が走る。ちっ、笑うのはダメか……。
「ククク。笑うことすら、まだできぬか。脆いな」
「笑えばいいさ。でも、お前もこれだけ強固な防御網を張り続けてるんだ。このボロボロの僕ですら、お前に対して勝機がないわけではないと思うぞ。それに、僕はもとより命が惜しいと思っていない。トンネルを塞ぐ手立ても整った。仲間も無事に逃がすことができた。剣もエネルギーも奪われることはない。これ以上何を望むんだ、という状況にあるんだからな」
コイツは僕をボコボコにした後も防御網を張り続けているのだろう。防御網を解いていれば、霊殿からの何らかのアクションがあっただろうし、炭化ケイ素が送り込まれてトンネルも塞がれてしまっているだろうし、そうなっていれば、僕とここで悠長に心理戦などやっている余裕などないハズである。
三日間。ロクが、十五分が限界といった防御網をそれだけ続けているとすれば、もうすでに満身創痍でもおかしくない。現に、今目の前にいる霊虎の霊圧エネルギーは、少女ロクよりも小さい。滑稽なことにそのサイズはもはや、虎というよりはねこだ。もちろん、ただの様子見として分身思念体を送ってきているんだろうけれど、それにしたってこんなにも霊圧エネルギーの小さい霊虎は初めてである。僕ごときの霊圧エネルギーすら吸収したいほど、枯渇しているとも考えられる。
現時点で不利なのは僕の方じゃなくて、コイツの方だ。やはり時間が経過すればするほど僕にとっては有利なことは、あの計測札を貼り付けて逃げ回っているときから変わりないということだ。焦る必要はない。
そういえば。逃げ回った後の離脱の瞬間、コイツは僕だけを捕まえた。どうやって僕の位置を特定したんだ。あのとき僕をピンポイントで捕まえたのは間違いない。よし、ちょっとカマをかけてみるか。
「おい、トラヤロウ! 僕を尻尾で捉えた時、どうやって特定したんだ」
「一撃で動けなくなったお前など、蟻を捕まえるより簡単であるわ」
コイツ。ニヤニヤしやがって。
「そっちじゃねぇよ。お前を撹乱して、ここから離脱しようとしたときだよ」
「ふん、お前に教える訳がないだろう」
「一箇所、トンネルを塞ぐポイントを教えてやるぞ」
トンネルを塞ぐために転送する、炭化ケイ素の大きさや位置については、離脱の防御網解除の時にすでに送信済みのハズである。アルタゴスは即時送信だと言っていた。計測札そのものの役割はもう終えていると考えていいだろう。もちろん、可能な限りその実物は、霊虎に見られたくはない。逆手に取られる可能性がゼロとは言い切れない。でも、だからこそ、カマをかける条件に使える!
「なるほど。印はもう必要ない状況のようだな」
くそっ! コイツ、頭がいいな。
「よかろう。どういうものかも見ておくのも良いだろう。印を付けた場所を教えるなら、一箇所につきひとつ、お前の質問に答えてやるぞ」
このヤロウ! なんだか素直に聞くのは癪に障るな。
「ふーん、ずいぶんと簡単に教えてくれるんだな。とすれば……、僕を捕まえた方法を知られたところで何の問題もないってことだな……。僕だけを見つけた……か……。つまり……人間だけを把握できたという所か。あっ、匂いか! 人間特有の霊圧エネルギーというのもあるな!」
「ふん。霊界のバカどもより頭が切れるではないか」
よし。どちらかが正解ってことだな。もう少し、探るか。
「お前に褒められてもな。……お前は、なんで富士山を噴火させようとしているんだ」
「これはまた、褒めた甲斐のない愚問だな」
「エネルギーの補充のためなのはわかっているさ。けれど、お前にはもう十分すぎるほどの霊圧エネルギーがあるじゃないか。もちろん、霊界に攻め込もうというのならわからなくもないけれど、これまでの動きを見ていて、そんな様子は見受けられない」
「なぜそう言い切れる。今のバカな霊界の王にとって代われば、我はもっとよい霊界にしてみせるぞ」
「ふん、言うじゃないか。でも、もしそれを狙っているのなら、砂鉄爆弾を寄こした後、もっと波状攻撃を仕掛けてきていただろうさ。その気がないから、手を変えることもなく、何度か同じ爆弾を送り付けるだけで、霊界の出方や回復状況を窺ったのだろうよ」
「ふん。そこまでわかっているのであれば、なぜ、霊界の不条理に気付かんのだ」
「霊界の不条理?」
「そうだ。まだわからんというならば、霊界におる連中と、我ら下級霊と呼ばれておる霊体と、何が違うというのか? お前が定義してみせよ」
「それは、霊魂が霊界へ上がれたかどうか、じゃないのか?」
「いかにも、その通りではあるがな、そのような単純なことを問うておるのではないわ。仕方ない、我が紐解いてやろう。なんの違いがあって霊界へ上がれる者と、上がれぬ者とに分けられると思う?」
「それは…………、僕も知らない……」
「よかろう。我は霊界へは上がれなかった。が、今こうしてお前と会話をしておる。さっきはシロネとも話しておったな。もし霊界に上がった者が、我ら上がれなかった者より優れているというのであれば、当然皆、お前と会話ができるハズであるが、果たして事実はそうであるか?」
「いや、そんなことはないな。できない霊体もいる」
「そうであろう。霊界へ上がった者が優れているというわけではない。にもかかわらず、何不自由なく生きていくことができる。贅沢であるかどうかはさておき、喰うにも困らず、寝るにも困らぬ。が、アヤツらがそう呼ぶ、我ら下級霊はどうだ。喰うにも寝るにも毎日が苦労の連続であるぞ。居場所がないヤツもおれば、居場所を変えられぬヤツもおる。ここでは不自由しかない」
「…………なるほど……な。お前の言うことはわかった。だからといって、人間を喰ってよいということにはならないだろうよ」
「お前は、自分たちのことしか見えておらんな」
「そんなことはない。お前たちが人間を呪ったり喰ったりしなければ、霊界もお前たちを殺しはしないだろうよ」
「フッ。本当にそうか? 我が思うはな、なぜ霊界は人間を襲わなくていいように、下級霊の面倒を見んのかということだ! 我らを襲う口実のために、わざと喰うものも与えず、住む場所も用意せず、放っておるのではないか。さらに! 放っておいてもよいように、上級霊と下級霊などという呼称を用いておるのではないか!」
「そんな! ……そんな…………」
「そんなはずはない……か? なぜそう言い切れる? 我らも、霊界の連中も、同じ霊体であるぞ。なのにだ! この差は何だ。霊界のヤツ等は、自分たちさえよければよいのだ。のうのうと生き長らえながら、ただそれだけを守っておるのだ!」
コイツの言うことが、もっともに聞こえるゾ。どういうことだ。どういうことなんだ!
「何も言えまい。どういう条件、どういう理由で霊界へ行けるのか、行けぬのか。それも定かではなく、その上、行けた者は上級霊として生きることが保証され、行けぬ者は下級霊と蔑まれ、生きることすらままならん。挙句、行けた者に狩られる始末。このような不条理があって堪るものか! お前たち、バカな人間界ですら、生まれ持った不自由な者を、社会で守ることを是としておるではないか」
まったくコイツの言うとおりだ。下級霊は悪い霊と、僕もそう思ってここまで来た。今の今までいた。人間を襲い、呪い、殺し、喰らう。だから、悪いヤツらだと。それはその通りなのだけれど、その原因は今の霊界の仕組みにあると、コイツはいうのだ。それを放置してきた、霊界が悪いというのだ。