六話:発明の神様アルタゴス
緊急打合せが解散となったところで、買ってきたプリンを配布することになった。霊殿全員分には到底足りないため、各部署宛てに二、三個ずつを持ち帰ってもらい、残りをサルメに審判所へ持ち帰ってもらうことになった。
本当はみんなでわいわい食べるつもりだったのだけれど、それよりも、さすがに今は疲れを癒す方が優先された。砂鉄爆弾が投下されてから、ちょうど丸一日が過ぎたところなのだ。霊虎と思わぬ対峙となった僕らももちろんなのだが、ナムチやアルタゴスをはじめとして、霊殿内部で働く霊体たちも砂鉄爆弾からの救命や環境の再整備に疲労困憊の様子だった。
プリンの分配も終わり、僕らも部屋に戻ろうと話していると、アルタゴスが呼び止める。
「皆さん、霊虎のマーキングの結果が出ました」
「あ、そういえば検査中だったな。すっかり忘れていたよ」
「残念ながらクロですね。今からすぐに洗浄します。マーキングに使用された物質は、どうやら今日も浴びせられているようです。新しいものと古いものがあります」
「えっ、ではわたしも……、もしかして…………」
「ああ、そうだな、言仁。お前も戦いが始まったときは、表に出ていたからな」
「ええーっ!」
言仁は慌てた様子で、自分の体中あちこちをクンクンと嗅ぎまわっている。
「バカだなぁ、まったく。それで気付くぐらいなら、とっくにみんなマーキングに気付いているだろう」
「そ、それもそうですね。でも、改めてマーキングされてたって聞くと、すごく汚されたような気がするのは、気のせいでしょうか?」
「ハハハハハ。確かにな。まあでも、それをこれから綺麗にするんだ。さっぱりしよう」
洗浄には二つの工程があった。先ずは体の外側、表面。これは洗い流すのだが、水や湯では流れないのでマーキング物質の分解薬を含んだボディソープのようなものを使ってくださいとのことだった。
もう一つは体の内側、内面である。ロクら霊体の面々は、どうやら霊圧エネルギーに混ぜ込まれてしまっているらしく、同じく分解薬を練り込んだ霊圧エネルギーを医療室で取り込むらしい。僕だけは呼吸により吸い込んでしまっているとのことで、別治療ということになった。
「では、わたくしたちは先にお風呂で流してきますね」
ロクら女性霊体陣が先に風呂場へと向かった。その中には、しれっと言仁も入っていて、『おい! お前はこっちだろう!』と突っ込みかけたのだが、よくよく考えればアイツも霊体だし、霊体の男女の区別どうのこうのはよくわからないし、まぁ子供だし、ということで放っておくことにした。
のだけれど、言仁が一瞬、ニヤリとした表情をこちらに向けたのを僕は見逃さなかった。
コイツ! 確信犯だ!!
とんでもないヤツが天皇だったものである! 神の血を引くどころか、お前は人間の欲望の血しか引いてないんじゃないか! そう思って呼び止めようとしたその時である。言仁は大きな手に首根っこを掴まれ、上に引き上げられていった。
「陛下、何をしておられるのですか?」
言仁をつまみ上げたのは、リツネであった。
「コラ! 放せ、リツネ!」
「なりませぬ」
「よいではないか!」
「なりませぬ」
「コラ、放せ! 朕の言うことが聞けぬというか!」
「そのようなことを聞く耳は、持ち合わせてございません」
「ここは現世ではないぞ。霊界なのだぞ。少しぐらいよいではないか!」
「陛下、現世だろうと霊界だろうと関係ございませぬ」
「何事も勉強であるぞ! 放せ!」
「なりませぬものは、なりませぬ」
もはやリツネには何を言っても通用しないと諦めたらしい。僕の方を見て、目で訴えてくる。
「タカさん! 助けてください!」
「残念だが言仁。どう見ても、どう考えても、リツネが正しいぞ」
言仁は脱出を試みるべく手足をジタバタと動かしていたのだが、体の大きなリツネには何ひとつ届くことはなく、ボディソープよろしく分解薬を反対の手に持つリツネに、子猫のようにぶら下げられて、そのままどこかへ連れ去られていった。
リツネは、言仁の言う通りの素晴らしい人格者であった。
そんな一部始終が展開されている間にも、アルタゴスは僕の内面洗浄の準備を進めてくれていた。ネブライザー、耳鼻科でよく見かける、薬を吸入する機械である。霊体には決して必要ないであろう機械のハズなのだけれど、目の前にそれは用意されていた。これがアルタゴス相手じゃなかったら、それはもう激しく突っ込むところなのだが、アルタゴスの素早さというか、機転の速さというか、とにかくそんなことでびっくりしていたら一日中驚かなくてはならない。身がもたないというものである。
そういうわけで、アルタゴスの指示通りにネブライザーの中に分解薬を注ぎ、吸入をすることでマーキングの除去を進める。五分ほど吸入を続けて中の薬剤がなくなると、体内のマーキング除去は完了ということだった。あとは風呂へ行って、皮膚や髪の毛に付着したマーキングを取り除けば終わり、ということらしい。が、ロクらが風呂へ行ってから、まだそんなに経ってはいなかった。しょうがないのでアルタゴスと話をして、時間をつぶすことにした。
「ここのところ新しい装備を開発したり、新しい施設を建設したり、大変なんじゃないのか?」
「ええ、それがそうでもないのですよ。砂鉄爆弾のせいでいろいろやることは増えたんですけど、役割分担も増えまして、施設などの建設に関しては新しく建築部ができたんです。そこの責任者は一応わたしなんですが、実際に作ることはノータッチなので、今は技術部に専念できています。ですから、結構楽しくやれていますよ」
「ふーん、そうなんだな。それにしたって、アルタゴスは珍しく感情が豊かだよな」
「ああ、そうなんですかね。でも、そういわれてみれば、タカさんが霊殿に来てからですね。なんか、いろんなことが『楽しい』と感じるようになりました」
「えっ、そうなのか……。それは、僕にとっては嬉しい話というより、もうとてつもなく落ち着かない話なんだけど……」
「落ち着かない? ですか? 何がですか?」
「うん、霊界では感情がない霊体の方が多いんだろう? そこに僕という人間が入り込んで、霊界をかき乱してるようで、どうも落ち着かないんだ。なんというか、ホラ、人間でもウイルスという異物が入り込んだら病気になってしまうだろ? さしずめ僕はそのウイルスみたいなモノになってしまってるんじゃないかってさ」
「ハハハハ。そいうことですか。わたしは医学に明るいわけではありませんが、ウイルスにもいいウイルスがあるそうですよ。健康な人には存在して、病気の人は数が減ってしまうウイルスがあるそうです。モノにはなんでも二面性があります。片方にとっては都合が悪いことも、もう別の片方にとっては好都合、なんてことは当たり前です。ですから、あまり気になさらずともよいと思いますよ」
まさか、アルタゴスに気遣ってもらえるとは思ってもみなかった。だからこそなのだろう、そう言ってもらえたことは、僕がこれまでずっと気にしている焦燥感というか不安感というか罪悪感というか、どれも混在したような複雑な思いは、少しだけ和らいだような気がした。アルタゴスに言ってもらえたことが、ちょっとだけ嬉しかった。
「なるほどな……。なんだか僕の方が慰めてもらって、すまないな。ありがとう。ところでアルタゴス、さっき言ってた『まだ解決できていないこと』ってなんだよ」
「大きなものでは三つあります。一つは、昇華を武器の中に組み込むことです。現段階では、方法論も見出せていません。ただ、タカさんにお借りした天叢雲剣にヒントがあるかもしれません。ですから、これは絶望的という訳でもありません。
もう一つは、タカさんの視界ですね。地下の奥深くで行動するとなれば、視覚に必要な光源が何ひとつありません。人間の視覚が光の反射を利用しているのに、光そのものがありませんから、これは現段階では本当に頭打ちの状況に陥っています。下界にある暗視カメラの構造を研究したのですが、やはりそれも、わずかながらでも光源を必要としているようで、ちょっと使えそうにありません。なかなかに難題です。
最後は、かねてよりの懸案ですが、相手の霊力血を測るものですね。スカウターとおっしゃってましたか。これまたなかなか手強くてですね、仮に表に出ている霊力を何らかの定義を元に、どうにか計測したとしても、内に抑えている霊力は個体差があるものですから、なかなかおいそれとはいきません。
と、以上の三つが、今、解決できていないものになります」
「うん。僕がなにか思いつく可能性があるかもと聞いてみたんだけれど、何ひとつ力になれそうにないや。すまなかった」
「いえいえ、とんでもございません。タカさんにはいつもインスピレーションをいただいております」
それを聞いて、僕は大笑いをしてしまった。アルタゴスが不思議そうな表情をしていたので、
「きっと『ひらめき』って意味の翻訳でそうなったんだろうけれど、インスピレーションってのは『神の啓示』とか『霊感』って意味があるんだよ。人間の僕が、霊界の発明の神様であるアルタゴスにその言葉をいわれるなんて、なんだか可笑しいだろう?」
と説明してやったのだが、
「ハハハハハ。それならこの翻訳は間違ってませんよ。わたしからすればタカさんは神様みたいなものですから。ちゃんと思った通りの翻訳ができていますよ」
「おいおい、そんな風に言われても、僕は自分というのをわかっているつもりだから決して勘違いすることはないけれど、普通の人間というのは勘違いするヤツが大半だからな、あんまり人間を簡単に持ち上げるんじゃないぞ。それと、僕は人間の中でも低い方だからさ。もっとすごい人間がたくさんいるのもわかっておいてくれよ」
「さすがタカさん、ご謙遜ですね! あ、でも、人間の創意工夫は素晴らしいですね。ここ霊界は、人間界のネットというのには繋がっていませんでしたが、タカさんが霊界に来られてから繋げるようにしたんですよ。おかげでわたしの仕事も捗るようになりました」
「あー、それで言仁はマンガを見てたのか。僕の部屋も繋がるようにしといてくれよ」
「えっ!? もう繋がりますよ」
「そうなのか! 僕の端末が電池切れで、全然気づいてなかったよ」
「あ、電池ですか……。それは、面白い仕組みですね」
「ん?」
「その電池の中にエネルギーが蓄積されてるんですよね」
「うん、まあ、そうだな」
「……とすると、……霊圧エネルギーもそんな風に使えたら……、これは! ちょっと面白くなってきました。やはりタカさん、あなたとお話ししているといろいろ面白い気付きが出てきますよ。いやぁ、まったくもって尊敬します」
「いや、それは僕を尊敬するんじゃなくて、電池を作った人を尊敬しろよ」
「ハハハハハ。それは、そうかもしれませんね。スミマセン、失礼しました」
「ところでその電池の仕組みの研究ついでに、僕の端末の電池を、この霊殿でも充電できるようにしてみてくれよ」
「そうですねぇ、磁力で動くように作り変えますか? そうすれば、ここに居る限りエネルギー切れというのはなくなりますよ」
「えっ? うーん……。でも、そうすると現世に戻ったときに使えなくなるだろう?」
「ええ。でも、もうすっかり霊殿におられる時間の方が長い気がしまして」
「それを言ってくれるな。僕は別にここの住人になりたいと思っているわけじゃないんだから……」
「ハハハ。わかりました。では、磁力を電力に変換する機械をお作りしましょう。そして、そこから人間界の規格に合う形で取り出せるようにしますよ」
「おお、それはありがたい。ぜひよろしく頼む!」
「あとで、本体と充電器を持ってきてください。仕組みを理解しますので。砂鉄を吸うために持ってこられた掃除機と同じような電力なのであれば、すぐに作れると思います」
「風呂に入った後で技術部にもっていくよ。それとアルタゴス、ぜひ作って欲しいものがあるんだ」
「なんでしょう? わたしが作れるものであれば」
「たぶんお茶の子さいさいだろうさ。あとで端末と一緒に、どういうものか仕様書を作って持っていくよ」
「わかりました。お待ちしてます」
さすがアルタゴス、話してよかった。アルタゴスの人柄というか霊柄が少しわかったし、おまけに端末も使えるようになる。これで霊殿での暮らしも少し快適になるというものである。
あ、いや、いかんいかん。これではまるで、ここでの暮らしに馴染もうとしているみたいじゃないか……。まったく、今度ばかりは自分自身に、やれやれである。