十二話:キスで哀は埋まらない
ダイニングキッチンで休憩を取った後、僕らは現場に戻ったのだけれど、それはもうすっかり順調に進む流れが出来上がっていて、そのまま休息をもらえることになった。王の間に行き、ねこ父にも何かないか尋ねたが『先ずは休息を取ってくれ』と労ってくれたので、その場で解散となった。言仁はというと改めて、初めて客間を与えてもらっていた。
僕は部屋に入り、そのままベッドに倒れこんだ。もうこのまま寝ようと思っていたら、ロクが来る。『わたしの部屋は、まだ砂だらけでした……』だそうだ。まあここのところ、僕の部屋でしか過ごしていなかったものだから、後回しにされたんだろう。
でも、ちょうど僕もロクと話がしたかった。ウワハルとアズサが死んでしまって、ロクはすぐに眠ってしまった。言仁の天然のおかげで少しは笑いを得たであろうけれど、決して拭い去ることができないものが、きっとまだあるはずなのだ。
「しょうがないな。僕はもう眠いけれど、いいぞ」
「うふふ、よかったです」
こんなに明るいのも不自然だ。
「でも、今日はもうずいぶんと頑張られたのですから、ゆっくりとお風呂ぐらいは入って来られてはいかがですか?」
「入りたいのはやまやまなんだけどな、もう秒で眠れるぐらい疲れているんだ」
「じゃあ、これをどうぞ」
なんだ、なんだ!? このちゃっかり具合。ますますもって怪しい。
さっきダイニングキッチンで呼び起こしたばかりのときは、僕に抱き着きたそうにしていた。だが、言仁も居て、シャルも来て、それは叶わなかった。今はいくらでも飛び込んで来れるハズなのに、早く風呂に行けと、つまりは僕を遠ざける行動を優先させようとしているのだ。よくわからないが、これは、ここは、きっと、乗っておくべきところなんだろう。
「なんだよ。ずいぶんと用意周到だな」
「ナムチさんから頂きました。回復薬の失敗作だそうです」
「おい! 失敗作を飲ませるのか!」
「栄養剤よりは効果があって、回復薬ほどは効果がなく、副作用もないそうです。ナムチさんのお墨付きですよ」
「まったく……。もらうよ……」
「はい。どうぞ♪」
楽しそうにはしているが、なんとも引っかかる笑顔である。まあいい。今は乗ると決めたんだ。もう少しばかり様子を見よう。僕は回復剤の失敗作を飲む。確かに、疲れが一気に吹き飛んだ。
僕は風呂に入りながら、初めはロクのことを考えていたのだけれど、何らいい改善策を見つけられないうちに、いつの間にか敵のことを考えていた。
やはりここで仕掛けるしかない。このままでは霊虎はさらにその力を増大させる。僕らは形代・天叢雲剣を手に入れて、力を増した。霊虎はそれを知ったのだろう。だからこそあえて砂鉄爆弾を送り込んでまで、一刻も早い力の増大を図ったのだ。
『砂鉄』という所も気になる。関門海峡任務の反省会議、最終議題。ナムチが独り言のように言った『砂鉄で覆われたら動けなくなる』という一言。霊虎はそれに気づき、それを知り、先に攻撃へ転用した。今の霊殿の混乱ぶりを把握できているかどうかはわからないけれど、まさかすぐに反撃が来るとは予想できないだろう。ならば、今叩くのがチャンスかもしれない。具体策はまだ何もないけれど、一矢報いるチャンスであるのは間違いない。
風呂に入っている間は、霊虎のことを考えて高揚していたのだけれど、上がった瞬間再びロクのことを思い出す。
そうだった。さて、どうしたものか……。とにかく、アイツの想いを聞いてやるしかないか。
部屋に戻ると、ロクは待っていた。笑顔で僕を迎える。
が、入った瞬間の表情を僕は見逃さなかった。うつむいて、ひどく落ち込んだ、深い悲しみの表情。一体どうすればいいのかわからない、そんな顔つきをしていた。その一瞬の表情を確かに見た。今までなら、その表情のまま胸に飛び込んで来たハズだ。でも、今回、ロクはその表情を隠した。それは僕を大いに悩ませた。
「なんだ、先に寝ててよかったのに」
「お茶します?」
「なにを飲むんだ?」
「そうですねぇ。カモミールティなどはいかがです?」
「じゃあ、それを飲もうか」
ロクはすでに準備を整えていたので、淹れるのにそう時間はかからなかった。フィナンシェまで用意していた。コンビニまでひとっ飛びしてきたらしい。淹れてくれたカモミールティは、とても上手だった。しっかり蒸らしもされていて、香り豊かな一杯になっていた。
「うん。とても美味しいよ」
「よかったです」
さて、ロクはなぜ表情を隠したのか、である。自分から泣いて飛び込むことをしたくなかったのか? それとも、負担をかけまいとしたのか? あるいはその両方か? どちらにしても、そろそろ僕から切り出してやるのが、どうやらよさそうだ。
「大丈夫か?」
「…………」
「泣いたって……、なにも変わりはしないんだけど、……それでも、泣きたいときは、泣いていいんだぞ」
それを聞いて、ロクの目から一筋の涙。
それをきっかけに、涙がどんどん溢れてくる。
それまで保っていた表情は崩れ、大泣きした。
声をあげて、
泣いた。
「なんで、なんで……」
僕はロクに歩み寄ると、腕を取り、引き寄せ、抱きしめる。
しっかりと、きつく抱き寄せた。
どれくらい経ったろう。僕とロクはベッドに横たわっていた。ロクはひとしきり泣いた後、無言のまま胸の中に顔を埋めていた。頭を乗せた僕の右腕は、痺れを通り越して、もう感覚はない。左手はその頭を撫でていた。
「ねぇ、史章…………」
胸の中に顔を埋めたまま、ぼそりと僕を呼ぶ。
「何だい、ロク」
ロクは顔をあげる。
僕はその額にそっとキスをする。
けれど、目線は他所へいく。
不満を理解して、
左手を顎にやり、
唇を引き寄せた。
そっと、唇を重ねた。
はじめは優しく浸食していたのだが、
そのしがみつきを強め、上に乗り、
貪るように強く浸食してきた。
涙が、頬に落ちてくる。
悲しみを、辛さを、苦しみを
キスで誤魔化した。
長い長い間であったが、
気の向くままに、
気の済むまで応じた。
ほどなくして、ロクは唇を離した。
その表情は、これではない、という風だった。
そして、再び僕の胸に顔を埋める。
「次はもっと……恋焦がれるものにしような」
ロクは回す手の力を強めて、それを返事とした。
初めてのキスは、苦いものとなった。
そうして、二人とも仰向けに寝ていた。
「なあ、ロク」
「はい?」
その返事は、落ち込んだ気持ちを、幾分かは和らげたように感じられる返事だった。それを感じて、思い切って話してみることにした。
「もうずいぶん昔のことになるんだけどな、…………。僕は一人だけ、とんでもない別れ方をしてしまった人がいるんだ。もう、ありえないぐらいの失敗さ」
「………………。」
「小さな女の子でな。せっかく見送りに来てくれたのにさぁ。なんの気の利いた言葉もかけてやれずにさ。結局、そのままで……、もう二度と逢えなくなってしまったんだ」
「………………。」
「そのことは今でも後悔してるんだ。そのあと、僕は人との別れにすごく注意するようにして生きてきたんだけれどさ。また、やってしまったよ」
「ウワハルですか?」
「ああ。仲良くなれないままだ……。治療をしているとき……、本当に……、なんとかしたかった……。けれど、手から砂がこぼれるように、命がこぼれ落ちていった。本当に、本当に無力さを感じたよ」
「………………。」
「僕は人間だから、どうしたって僕の価値観になってしまうんだけれど、辛いし、悔しいし……。ちゃんと仲良くなれなかったことに後悔しているし、自分自身には腹が立っている。また同じことをしてしまった、ってな」
「…………。……ウワハルとも、どこかで逢えたりするかもしれませんよ」
「そんなに何度も、うまくいくもの……、えっ! ウワハルとも? ともって…………」
「フフフ。どれほど、あなたと一緒にいると思ってるんですか。その小さな女の子というのは、わたしのことでしょう?」
「…………なんだよ」
「フフ。ごめんなさい。でも、あなたの口から直接聞けて、嬉しかったですよ。それに、そうですね。元気と、勇気と、希望もいただけました。ありがとう、史章」
「お前、もしかして前世のこと、思い出せてるのか?」
「いえ。まったくですよ」
「ふうん」
「だから今、初めてちゃんと自分のことなんだなって、感じることができて、とても嬉しいです。とても……暖かいです」
「おいで、ロク」
僕はもう一度、やさしく抱きしめた。
「ごめんな。あの時……」
「はい……」
「長い間、待たせた……」
「はい……」
「僕は……、お前を愛しているよ」
「わたし、お化けですよ」
「ああ、知ってる」
「ふふ。お化けのわたしも、あなたを愛しています」
「ああ、ありがとう」
その後は、ぽつりぽつりと話をした。
ウワハルのこと。
霊殿のこと。
霊虎のこと。
そして、これからのこと。
そして、僕らは眠った。
※ ※ ※
目が覚める。
ロクは僕の左隣で寝息を立てていた。昨日あったことを思い返しながら、その顔をしばらく見ていた。
以前、似たようなことがあったときは、次の日に顔を合わすのにどんな言葉を投げかけようかと練習までしていたが、今回は違った。この霊界襲撃で、ウワハルは突然その命を落とした訳だが、それがウワハルではなくロクであった可能性もあったのだ。もしロクが命を落としていたらと思うと、それはもうゾッとする。なぜなら、もしそうなっていたら、僕はロクにちゃんと自分の気持ちを伝えることなく、二度も別れてしまうことになっていたからである。ウワハルの死は、図らずも僕に大切なことを教えてくれたのだ。だからこそ、ウワハルの死には、心からの感謝も込めて弔いたいと思う。
そういう訳で、今回は自信をもって、ロクの顔をしっかりと見て『おはよう』といえる状態だった。横向きになり、右手で髪を撫でていると、すぐに目を覚ました。
「おはよう、ロク」
「う……ん。おはようございます……」
まだ、寝ぼけてはいたが、それでも昨夜のふさぎ込んだ様子は見受けられない。少し安堵していると、胸の中に顔を埋めてきた。まだもう少し余韻に浸っていたいのだろう。
僕はロクを軽く抱きしめながら、改めて『なんでコイツを愛しているんだろう』と考える。少女ロクは、出逢った頃に比べれば、確かにちょっと垢ぬけた感じにはなっていたが、それでもどちらかというともっさりした子なのだ。可愛さでいえば、圧倒的に少女シャルに軍配が上がる。僕の過去の経験というか、価値観であったならば、ロクは絶対にスルーしている。僕は本来、面食いなのだ。ブサカワというのも当てはまらない。少女ロクは、もっさりはしていても、不細工ではない。
改めて確認したくなった僕は、埋めているロクの顔を少し上げさせて、顔を見る。ロクは上目遣いで、はじめは何事かときょとんとしていたが、次第に恥ずかしくなってきたのか目線を下にやる。あ! 発見した。というより、思い出した!
「そんなにじっと見つめられる、恥ずかしいじゃないですか」
「うん。お前の好きなところをもう少し増やしたいと思ってな」
「あら、のめりこんじゃいますよ」
「残念ながら、引き返す時期は逸してしまったみたいだ」
「ふふふ。じゃあ、わたしの好きなところというのを、教えてくださいよ」
「そうだなぁ、一日一個ずつ、寝る前に言い合うってのはどうだ?」
「あ、いいですね、それ!」
僕は、お前のその黒子にやられたんだったよ。そして今は、その黒子と無邪気な笑顔のセットにすっかり打ちのめされていたんだ。