九話:零れ落ちる命
ねこ父を無事救出できたものの、回復には時間を要すようだった。ねこ父の看護や現在の状況報告などはシャルに任せ、僕とロクは、医療部のナムチと技術部のアルタゴスの救出に動く。いずれもこの局面を乗り切るキーマンだ。この二体の救出はもちろんなのだが、早期回復をしてもらい、ナムチには更なる救出の効率化と治療法の確立、そしてアルタゴスには砂鉄の中でも霊体が行動できる手立てと霊殿全体の砂鉄除去の装置なりを作ってもらいたいのである。
医療部に着くと、驚いたことにナムチというか、医療部のスタッフは全員が無事だった。滅菌室のような、砂鉄が侵入できない部屋に入り、そこで待機していたのだ。さすがに医療部だけあり、自分たちの身を守るスピードも素早かったようである。これはありがたい。うまくすれば大勢が助けられる。
ナムチ自身は防護服を身に纏い、滅菌室以外の施設内の砂鉄除去に奮闘していた。それでもその方法は、ほうきで掃くようなやり方だったため、うまく進まず苦戦している様子であった。
ナムチがこちらに気付いたので、呼びかけをするように話しかけた。
「後で掃除機を持ってきます。ここに重症者を運び込んだら、砂鉄を取り除く治療はできますか?」
ナムチは近くにあった端末を手に取る。
「いや、それはできない。わたしたちも砂鉄に触れないようにしているだけで、取り除く術は持っていないのです」
「では、ナムチさん、一緒に来てください」
「まさか! 治療できているのか!?」
「ねこ父は、いや、大王はひとまず危篤状態を脱しています。あ、防護服のあまりはありますか?」
「あ……、ええ、あと二着ほどあります」
「では、ひとつはロクに着させます。もう一つも、一緒に持ってください」
ロクは防御網を張ると、僕の中から抜け出し、霊用防護服を身に纏う。ホームセンターで購入した、僕が身に着けている簡易なものとは違って、外気が一切入ることがないしっかりしたものだった。ナムチも霊用防護服を着ていたので、これで三名で一緒に行動できる。
そのまま技術部へ行くと、こちらは医療部とは対照的に凄惨な状況で、技術部のスタッフは全員倒れこんでいた。その中にはアルタゴスの姿もあった。アルタゴスは弱っていたが、なんとか、まだ意識はある。
「アルタゴス! 大丈夫か!」
「ガガグ、ゴゴジカヘマサ……」
「ああ、そうか……。お前のほかに、あと二体だけ、もう二体だけ先に治療する。指をさしてくれ」
そういうと、目をゆっくりと動かし、辺りを見渡す。震える手で一体を指さし、もう一体は見つからないようだった。
「ナムチさん、少し抱えてやってください」
ナムチが抱え、ぐるりと見渡せるように、アルタゴスを抱えたまま動いてやる。そうすると、もう一体を見つけたらしく、必死で指をさした。
「わかった。もういいぞ。今からは体力の温存を最優先しろ!」
アルタゴスが指さした二体の確認に行くと、二体とも息がまだあった。一体は猿、そしてもう一体は梟の霊体。僕は猿と梟の二体を抱え、そこにあった端末も脇に挟み込んで、ひとまず技術部を後にする。ナムチはアルタゴスを抱え空中移動、僕はロクに抱えられて空中移動をして、軟禁部屋に戻る。
軟禁部屋に入ると、まず掃除機で吸い込みつつ防護服に着いた砂鉄を払う。そのまま三体を横たえ、僕と言仁とで、磁石を使って表面の砂鉄をすべて取り除く。そして掃除機。ねこ父の一柱を処置するのとは違い時間はかかってしまったが、同じ手順を施して三体の危篤状態を回避できた。
ひと通り治療の手順をナムチに見てもらえたので、これでよいかどうか気になるところである。ナムチは内側の防御網に横たえた、ねこ父を含めた患者四体を丁寧に診ていく。軽く頷いたかと思うと、ポケットの中から小瓶を取り出し、錠剤を全員に飲ませた。
僕はその様子を見て、ロクとシャルに霊用防護服を着させて、各部の幹部連中をここに運び込むよう指示をする。ナムチは、僕がその指示を終えるのを待って、話しかけてくれた。
「よくぞここまで、ありがとうございます」
「今の手順でよさそうですか?」
「はい、恐らくは問題ございません」
「よかった。今の四体で、回復はどの程度の時間がかかりそうですか?」
「今、栄養剤を飲ませましたので数時間以内には、ほぼ全快にまで戻ると思います」
「技術部の連中が回復したら、やってもらいたいことが山のようにあるんです。それはそうと、この治療手順はやはり医療部では難しそうですか?」
「はい。やはり磁石が触れないでしょう……」
そう言いながら、ナムチ自身が磁石に触れると、やはりロクの時と同じようにふにゃふにゃになった。それはつまり、磁石治療ができるのは、僕と言仁だけということになる。僕は磁石治療に専念することになり、その他のことは一切できなくなる。さて、そうなると命の選択である。くそうっ!
「ナムチさん、治療から先、回復やその後の対応やこの霊殿のことや、そういうことはお任せします。僕はとにかく砂鉄を取り除くことだけを、一体でも多くやります」
「わかりました。ありがとう、タカさん」
僕はこれからやるべきこと、やった方がいいことはたくさん思いついていたのだけれど、今は砂鉄を取り除くことだけに集中することにした。先のことは、まず助ける命を助けてからでいい! そう思ったし、それですら、どのくらいできるかわからなかった。
―― そこに、ロクが泣きながら部屋に飛び込んできた!! ――
「史章、ウワハルが! ウワハルが! アズサも……。お願い、助けて…………」
ロクが両手に持つふわ綿煙り玉のウワハルと、恐らくアズサは、とても小さくなっていて、普段の五分の一ほどのサイズになってしまっていた。
「とにかくそこに寝かせろっ!」
僕と言仁は即座に磁石をあてがう。ところが、砂鉄も確かに引っ付いてくるのだが、ウワハルの体そのものも吸い取り、削り取ってしまった。これでは、砂鉄を取り除く前にウワハルが消えてなくなってしまう。
「ダメだ、体力がもうないからか!
言仁、一番小さい磁石を取ってくれっ!」
ホワイトボードに紙を挟むために使うような、百均で売っているような小さいサイズの磁石。そもそも使えるとは思っていなかったが、とりあえず買っておいたものだった。でも、小さすぎる。あっという間に砂鉄でいっぱいになり、すぐにラップを取り換える。その作業はもどかしく、遅々として進まなかった。しかもウワハルの体を吸い取らないわけではない。少しずつではあるが、やはりウワハルの体そのものも吸ってしまっていた。
そうしている間にシャルが暗部の二体を連れてくる。一体はクーリエだった。クーリエはぐったりしているが、やはり体の大きさから、まだ余裕があった。それでも急がなくてはいけない状況である。暗部の二体は、言仁に任せた。
「ナムチさん! 回復剤くださいっ!
ウワハルサイズで二回分! アズサと合わせて四回分!!」
いけるかどうかなんて、わからなかったけれど、
体力がないなら先に体力をつけさせようと思ったのだ。
けれど、ナムチは回復剤をくれなかった……。
回復剤を渡さず、
僕の肩に手を置いた……。
僕はナムチを見上げる。
ナムチは静かに首を振った。
ロクはその場に泣き崩れる。
僕は唇を噛む。
目を瞑り、
悔しさを……悔しさを抑え込む。
涙が溢れてきていたが、
助けられる命を助ける方が先決だった。
悲しみに暮れる時間が欲しかったが、
そうしてしまうと、
もっと悲しんでしまう状況だった。
涙を流しながら指示を出す。
「言仁、体が小さい方から処置をするぞ。クーリエじゃなく、こっちの人型霊からだ。ロク、辛くて苦しいけれど、今は助けられる命を助けよう」
ロクはふらふらと立ち上がる。まるで夢遊病のようにふらつきながら、ぼーっとして出ていこうとする。これはヤバい! 言仁に処置を任せ、今出たばかりのロクを追いかける。僕は防護服を着ていなかったが、ちょっとぐらい、僕は大丈夫だ。ふらふら進むロクは足取りも遅く、すぐに捕まえることができた。
「ロク! ロク! 大丈夫か?」
「あ、史章」
生気はなく、焦点すら定まっていない。
「お前、今から何しに行くんだ?」
「今から……、え……。退治ですかね」
僕はもう一度、霊用防護服越しにロクの顔をしっかりと見る。今のロクがダメなことはわかっていたが、喝を入れるか、なだめ落ち着かせるか? どちらがいいのかがわからなかったからだ。
ロクの顔を見ながら、ロクの生前の死を思い出す。新聞に書かれていた『妹を守りながら死んだ』ということ。燃えさかる炎の中にあって、絶望の中にあって、妹を助けようと最後まで戦った生前。そうであるならば、今は無理をさせない方が賢明なのかもしれない。ねこ父が原則として反対であることが多いと言っていたことを考えると、である。
僕はそっとロクを抱きしめた。
「お前はよく頑張ったんだ。少し休んでいいぞ」
ボロボロと涙を流す。ロクの体から力が抜け、僕に完全に寄りかかる。そうして、声を上げて泣いた。
「なんで! なんで! ……。わたし、わたし頑張ったのに!」
切り替えて頑張ろうとしていた僕も、ロクのその姿に、その言葉に、涙が溢れてきて、心が折れそうになる。もう本当は、折ってしまいたかったのだけれど、僕が投げ出したら、これ以上の命を助けることはできなくなる。だから耐えた。ただ耐えた。
「ロク、一旦戻ろう」
軟禁部屋に戻り、僕はナムチから睡眠薬をもらうとそれをロクに飲ませ、ソファで眠らせた。本当は僕も眠りたかったけれど、両手で頬を叩き、喝を入れる。ナムチに『元気が出る薬みたいなのないか』と聞いてみたが、人間用はなかった。
処置場に戻ると、ウワハルとアズサの遺体はもうそこにはなかった。誰かが運んだわけではない。自然の昇華だった。悔しくて、悔しくて、涙が溢れて止まらなかった。
ほどなくして、シャルがもう二体連れて戻ってくる。そうしてすぐに出ていこうとするところを呼び止めた。僕はクーリエの処置をしながら、シャルに話しかける。
「シャル、お前は大丈夫か?」
シャルの返事がなかったので顔を上げてみると、シャルは真顔で、僕の顔をじっと見ていた。そしてこういった。
「はい。頂いたあの飲み物が効いてきました。もう大丈夫です」
こいつ!
「ちっ。僕の顔はそんなにひどいありさまか?」
「ええ、下級霊並みですね」
少しだけ、苦々しく笑った。
「今、お前に少しだけ惚れかけたぞ」
「あら、ロクに言いつけますよ。それともお兄様を奪い取るチャンスかしら」
「お前はたくましいな」
「いいえ。すこし皆さんより、死別に慣れているだけです……」
「そうか……。僕がお前にフォローするつもりだったのに……。ありがとうな」
「タカ、助けられるだけ、精一杯、助けますよ!」
「ああ! そうしよう!」