九話:八百年の感謝
僕が気付いた時には、すべて終わっていた。
目の前には小学生ロクがいて、泣いていた。とりあえずは無事なようだ。
シャルとサルメも無事らしい。サルメを守りきれたのは、本当に良かったし、僕にとっては嬉しいことだった。
ひとまず全員の無事が確認できたが、みんな疲弊していた。ロクは小学生ロクな上に、胸に受けた切り傷もそのままだ。大丈夫なのかと聞くと、エネルギーの流出は止めたらしい。止血ならぬ止エネルギーといったところか。シャルは左足は復元していたが、左腕は切り落とされたままで、こちらも止エネルギーで応急処置をしていた。当然、小学生シャルだ。サルメの方に目をやると、大きさは半分のサイズにまでなっていたが、特に負傷などはなかった
「じゃあ、帰ろうぜ。シャルは動けそうか?」
「はい、はーい! ボクはちっとも動けないよー」
まったくの予想外なところから返事があった。なんでお前が……。
「お前は一番元気そうで、無傷だろーが!」
「ぜーんぶ、使い切っちゃったのー。ふふふーん♪」
「なんでお前が……、あー、いや、そうか……。ありがとうな」
きっとコイツも渾身の力で平知盛を分解? そして昇華したんだろう。傷だらけのロクやシャルでアイツをやっつけるのは難しかったに違いない。さて、回復をしてやれるのかどうか? 自分で気を集められるか、試してみる。腹に力が入らない。それでも、少しぐらいは……、ダメだ。まったくダメだった。
「ダメだ、僕もどうやら、もうすっからかんだ」
三柱と一人で、大笑いした。
―― !!!!!!
とてつもなく大きな、禍々しい悪意が、僕ですら、わかった。鳥肌が立つ。戦慄が走る。
皆がその方を見やる。艮の方角! こちらに近づいてくる! 敵意むき出しだ!
「わたしが引き受けます。シャル、死力を尽くして、史章とサルメを逃がしてください!」
「ロク、わたしの方が戦えます。ロクこそ、ここから離れてください!」
「シャル! あなたの方が力を残しているからこそ、お願いするんです! どんなことがあっても、絶対二人を生かして!!」
シャルは唇を噛んでいた。
「はやくっ!!!!」
その怒号に反応し、シャルは勢いそのままに、真っすぐに、こちらへ向かってくる!
「すぐに戻ります! わたしが戻るまで、時間を稼いでください!!」
シャルは、僕とサルメを抱きかかえる。
サルメは失った左腕で引っ掛け、僕は右腕でがっちりと捕まえられる。
「まて! 僕はここに残る!」
「ダメですっ!」
「シャル! 放せ!!」
「ロクの想いを、願いを、覚悟を!! ムダにはできません!!」
シャルは、その目に涙をいっぱい溜めて、歯を食いしばって、力を振り絞っていた。シャルの気持ちが、痛いほどわかった。けれど……、けれども……。
「僕は! 僕はアイツの依代なんだ!! そばにいなくちゃいけないんだぁああ!!」
僕は、叫んだ。
シャル、頼むから、頼むから止まってくれ!
「わたしもです!! あなたは、わたしの依代でもあるでしょうが!!」
シャルは泣きながら、叫び返す。
「そんなことは、わかってる。そんなことは……。くそうっ! ……、くそう、くそう、くそうっ!!」
何か、何かできること。何かできること。何かできることは、ないのか。
右手に、形代・天叢雲剣を持っている。これに、気を溜めて、ロクのところまで飛ばせるかも。
気を集めようとするけれど、すっからかんな上に僕は動転していて、なにも溜まらない。焦れば焦るほど、なにもうまくいかない。ロクはどんどん遠ざかり、そのロクに大きな気配がどんどん近づいている。シャルは海面へと昇っていく。ダメだ! 離れていく。ロクはもう、エネルギーがないのに。一番ちっちゃい姿なのに。ロクを失ってしまう。イヤだ、イヤだ、イヤだ!
「うえーっ!!」
サルメが声を上げる。
「うえーーっ!! 何かくるよ!!」
僕はその声は聞こえていたけれど、どうでもよかった。今さら何が来たって、関係なかった。ロクのところへ行きたいんだ! ロクの傍へ行きたいんだ!
「クーリエ!!」
シャルは、そう叫んでいた。
その瞬間、シャルの僕を掴む腕の力が、緩まる。
僕は抜け出すと、一目散にロクの元へ向かう。
ロクのところへ行くんだ! ロクのところへ行くんだ!!
「あ、バカ! 史章!」
シャルは僕を捕まえようとするが、サルメを抱えていて、その手を伸ばすだけだった。僕はロクのところへ向かう。今あるすべての力を使って、必死に向かう!
「クーリエ、時間がないの。サルメをお願い! 何か持ってきてる?」
「シャルガナさま、これを! 今できたばかりです! こっちは依代の彼の分です」
「ありがとう。話はサルメから聞いてね。じゃあ、頼むわね」
シャルはクーリエからもらったものを口に入れると、瞬時に左腕を元に戻し、僕のところへ飛んでくる! のろのろ泳いでいた僕にすぐに追いつくと、治した左腕で僕を羽交い絞めにした。
「放せ、放せっ! ロクのところに行くんだ!」
「ええ! 行きますよ!! 全速力で行きます!!」
僕はロクのことしか見えておらず、事情がほとんど理解できなくて、シャルの方を見上げる。シャルは、右手に持つ僕用のサプリを確認すると、そのまま僕の口の中に食わせた。
「コレ、本当は一日一粒が限界なんです。副作用来ますよ」
そう言われたかと思うと、体全体が鼓動を打った!
―― ドクンっ!
さっきも体感したんだ、大丈夫! ちょっと強いぐらいだ、と思った次の瞬間、
―― ドクンっ! ドクンっ! ドクンっ! ドクンっ!!
体が熱い! 焼けるように熱い!! 体中の血管が膨れ上がる。血が、沸騰しているようだ。痛みもあったと思う。でも、それよりも動けることが嬉しかった。ロクのところへ行けることが嬉しかった。
そして、ようやく少しだけ冷静になれた。すぐにロクの回復ができるように、シャルに運ばれながら、僕は気を集め始める。それを察したシャルが言う。
「タカ、回復はあとです。ロクの薬もあります」
そうか! なら!
(ロク、戻れ!! 僕の中へ入れっ!!)
思念会話を飛ばすと、ロクはすぐに僕の中へ空間移動してきた。
間一髪! ちょうど敵が、攻撃を空振りしている様子が見えた。
「シャル、ストップだ! 僕の中でロクに食べさせてくれ」
「ですが、それだとタカが危ないです」
「大丈夫だ。距離はあるし、ちょっと策がある」
「わかりました」
「ロク、大丈夫か?」
「大丈夫です。いいタイミングで呼んでくれました」
「アイツは、あの敵は、なんか言ってたか?」
「うーん、なにか言ってた気はしますけど、いろいろ必死で、よく覚えていません」
「わかった。それだけで十分だ。ありがとう」
「二人とも、僕が合図するまで、中にいてくれ。気配も消しておいてくれ」
※ ※ ※
僕は少し冷静になれたおかげで、あることを思い出していた。安徳天皇が別れ際に僕に預けたモノ。『何かの役に立つかもしれません』とくれたモノ。
何かはわからなかったけれど、もしかしたら、今がその時かもしれないと思っていた。ふと思った時は、当てずっぽうだった。けれど、さっきロクが言った。『何か言っていた』と。
安徳天皇の中にいた武士の霊たちは、コミュニケーションなんてとれる状況じゃなかった。でも、今の敵が会話をできるのであれば、試してみる価値は十分にある。それに、今はロクもシャルも全快だ。こんなに心強いことはない。
僕はゆっくりと、その大きな禍々しい悪意の気配に向かって泳いでいく。徐々に近づいていくと、その正体が女性の霊であることが分かった。恐ろしい形相をして、辺りを見回している。
(たぶん、間違いない)
僕が近づくと、その霊は僕を視認する。が、人間か……、というように僕の存在を無視した。
「あなたは、平時子ですか? それとも平徳子ですか?」
僕がそう呼びかけると、驚いた様子で僕を凝視してくる。
「われは時子、二位尼である。徳子はわが子である。わが名を呼ぶ、そちは何者ぞ」
「おばあさまでいらっしゃいましたか。わたしは継宮史章と申します。安徳帝をお探しですか?」
僕がそう言うと、二位尼は血相を変え、怒りを増大させた。
「帝を連れ去ったは、そなたか! 帝をどこへやった!! わが孫を、帝を返せっ!!」
「安徳帝は、今、霊殿にいらっしゃいます」
「嘘を申すな!! 帝は霊殿などには行けぬわ!」
「やはり、そうでしたか。あなたが安徳帝を生霊にして、形代・天叢雲剣に封じ込めたのですね。…………。なぜ……、なぜそんなことをしたぁあ!!」
「笑止! 片腹痛いわ。帝こそが正当な天皇ぞ。源が仕立てた後鳥羽など偽物じゃ。偽物が打ち滅ぼされたのち、帝が再び地位に戻れるよう、ワシが取り計らったまでじゃ」
「お前の安易な考え、執着のせいで、安徳帝は八百年もの間、苦しんだんだぞ! 言仁はお前の道具じゃないぞ!!」
「やかましいわ、この人さらいが! 知ったような口を効きおって! お前のような悪人は討ち取って、その魂に直接、帝の居場所を聞くまでじゃ」
二位尼はそう言うと、鬼の形相になり、爪を伸ばしたその腕を振り上げる。
様子を窺っていたロクとシャルが飛び出ようとする。
『待て、大丈夫だ! 僕を信じろ!』
二位尼がその腕を振り下ろし、僕に触れようとした時、僕の胸の中から光が発せられる。二位尼の腕は弾き飛ばされ、後ずさりする。僕が発した光の中心には、緑色の勾玉があった。
「なぜ……、なぜお前がそれを持っておる! 帝から奪ったか! この盗人めが!!」
二位尼はさらに怒り震えあがり、頭から角を生やした。
「おばば様。お控えください。この方はわたしの友人で、恩人にござりまする」
緑色の勾玉から安徳天皇が姿を現す。例のホログラム。
「おおお! 陛下、ご無事でいらっしゃいますか? 今、いずこにおられますか?」
「わたくしは今、霊殿におります。そこのタカに、わがままを願うて連れてきてもらいました」
「陛下、はようこちらにお戻りくださいまし。間もなくでございますぞ。間もなく、あの源頼朝を討ち滅ぼし、陛下が返り咲くのです」
「おばば様、もう八百年もの時が過ぎてございます。もうよいのです。おばば様が護衛にと、付けてくださった平知盛とその家臣たちも、タカが成仏に導いてくださり、みなこちらに参ってございます。ですから、おばば様も、もうゆっくりしてください。長い間、お勤めご苦労様でした。わたくしを側で守って下さり、ありがとうございました」
安徳天皇は手をかざし、二位尼に光を浴びせる。二位尼はみるみる小さくなっていく。
「タカさん、ありがとうございました。あとは、おばば様を成仏させてやってください。よろしくお願いします」
「なあ、言仁くん…………」
「はい?」
「お前……わざと何も言わなかったな。あとで一発殴らせろよ!」
「ええええ!? だって、あの時、時間がなかったですし……。その勾玉、差し上げますから……。」
「許さんっ! ひどい目に遭ったんだぞ! ったく……。」
「すみません、すみません! ひいいいぃ」
安徳天皇はスッと引っ込んだ……。
「ロク、シャル、頼むよ」
シャルが黒炎を放ち、二位尼を青い炎で燃やすと、
ロクは分解をし、さらに小さいものにした。
シャルは風呂敷に包み込んで、上に放り上げる。
今度こそ、今度こそ。
本当に、全部終わったのだ。




