三話:手を差し伸べるやつがいたっていいと思う
「ひとまずは、こんなものじゃろう。いよいよメインの任務と参ろうぞ!」
ロクとシャル、そして連れられて僕も、上空から海面に向かって降下する。龍神・瀬織津姫も並走してきた。
「すみません、武霊さま。わたくしはもう限界です。半年分の仕事量をたったの五分ほどでやってしまいました」
僕はそれを聞いて『えっ、そんなものなんだ』と驚いてしまったのだが、まあ、それだけロクもシャルも凄いということなのだろう。実際、この地域の死んだ人を霊界へ送っているだけなら、半年間でもこんな数をこなすことはないだろう。
「うむ、瀬織津姫よ、大儀であった。感謝する」
「はい。武霊キャスミーロークさまとご一緒出来て、大変光栄でした。では、失礼します」
そう言うと、龍神・瀬織津姫は踵を返し、上空へと昇って行った。
「暗部の追加派遣は、まだ到着せぬか……」
「確認してみましょう」
ロクとシャルのやり取りの間に、海中へ突入する。海中に入ると、ロクの眉間にしわが寄る。確かに僕でもそこいら中に霊が存在するのがわかった。あんなにもやっつけたのに、まだまだ居るなんて、一体全体この関門海峡ってのはどうなってるんだ。
「やはり上からだけの攻撃では、十分でなかったか……」
「ロク、暗部の到着はまだしばらくかかりそうです。現在交戦中の一体が予定されているらしいので、応援に来たとしても気力十分という期待はしない方がいいみたいです。どうしましょう? 待ちますか?」
「いや、待っておっては、また下級霊に囲まれてしまうだけじゃ。今のうちに進める方が賢明じゃろう」
「わかりました。では、参りましょう!」
海底に辿り着くと、降り立って一息つくのかと思いきや、そのまま地中に突っ込んだ。僕は慌ててヘッドライトのスイッチを入れる。井戸調査のあと、シャルが宮司に、災害用のヘッドライトを借りてくれたのだ。
さらに、ロクやシャル、そして僕の体もほんのりと黄色く輝きを放っているのだが、それは戦闘で使用する蓄光鱗粉を全員に塗ったものだ。本来は、逃げ隠れる敵に対して浴びせ、隠れても居場所を特定できるようにするためのものだそうだ。防犯カラーボールの霊界戦闘用といったところか。それを自分たちに塗りたくるということは、常に自分たちの居場所を周囲に知らせているようなものである。絶対的強者であるロクとシャルだからこそできたことであって、普通は僕の視界ごときと天秤にかけるなら、間違っても蓄光鱗粉を身に塗りたくるようなことはしないだろう。お陰さまで僕の視界は、周囲三メートル程度は確保されていた。
と、電子情報板で見ていた天叢雲剣の形をしたものが前方に現れる。
「あ、あれだな!」
僕がそう言うと、そこで止まるのかと思いきや、そのままロクとシャルは突き進んだ。当然、僕も同じく突き進むことになる。僕の移動は、あくまでもシャルの進む道なのだ。形代・天叢雲剣は後ろにどんどん遠ざかっていった。
「おいおい、通り過ぎたぞ?」
「ん? 何かあったか?」
「形代・天叢雲剣だったぞ」
「形代・天叢雲剣はまだ先じゃ」
ロクとの会話が噛み合わないでいると、シャルがクスクスと笑った。
「わたしも形代・天叢雲剣を模したものはちらりと見ましたけれど、あれは偽物ですね。剣そのものにも霊力はありませんし、中身も空っぽでしたから」
「え、そうなの?」
「おおかた、本物を守るためのレプリカでしょう。いくつかあるかもしれませんね」
「なるほど! そういうことか。うーん……。うん! なら帰りに、そのレプリカも持って帰ろう!」
「なぜじゃ?」
「もしかして、それも使えないかと思ってな。霊力は込められてないかもしれないけれど、形を見分けるのは、人間は得意なんだ。だから、レプリカであっても丁寧に作っている可能性が高い。そう考えると、そのレプリカの剣の作り手も、同じかもしれないからな」
「なるほどな。では、戻るときに拾って帰るとしよう」
ロクは言い終えると同時に動きを止める。
「これじゃな」
ロクのちょうど胸の辺り、手を伸ばして届くかどうか、というところに形代・天叢雲剣があった。剣を挟んでロクの反対側に、僕とシャルが止まる。ロクが、僕とシャルの顔を見て、やるぞ! と言うように大きく頷く。シャルは周囲の警戒態勢に入る。そして、二柱は、改めて覇気を纏った。
ロクが、形代・天叢雲剣に呼びかける。
「安徳天皇よ、聞こえるか?」
「騒々しいの。誰じゃ、わが名を気安く呼ぶ者は」
驚いた。
その声は、本当に幼い子供のそれだった。平氏が壇ノ浦の戦いで敗れ、安徳天皇が入水をして崩御となったのはわずか六歳のときである。ちょうどそのような年齢と思しき声なのである。
六歳の子供が、入水をするだけでも恐ろしいことであったろうに。その後八百年もの間、この深い、暗い地の中で、戦った部下の鎮魂に勤め、平安に尽力しているというのだ。さらに、その後に起こった世界大戦での数多くの死者に対しても、同じように鎮魂に勤め、平安に尽くしているのだ。すごい……、本当にすごい! なんという責任感、なんという胆力、なんという気骨……。天皇というのは、ここまで国を想い、人を想うということか。ここまで、しないといけないものなのか。
僕は心が震えた。畏敬の念を抱かずにはいられなかった。
「霊殿より参った、武霊キャスミーロークである。この地の平定、まことにご苦労である」
「おお! 霊殿から……。待っておった、待っておったぞ!」
それは、それは、……、ずっと心待ちにしていた、本当に嬉しそうな声だった。
「待っておりました……、待って……」
そうしてすぐに、泣き声に変わった。
今まで、我慢に我慢を重ねてきての涙であることが、誰にも容易に分かった。ロクも、神妙な面持ちで安徳天皇の、六歳の子供の言葉を待っていた。
「祖母は、この海の中に天国があると申しました。とんでもない出鱈目でした。真っ暗な深い闇しかなくて、武家のものはみな、『苦しい』『痛い』『辛い』『悔しい』というばかりで……。わたくしも、何度も心が折れそうになりました。ですが……、ですが、祖母のいう天国とは、きっとこの者たちを救うことを言っているのだと思い至り、なんとか頑張って参りました。やっと……、やっとわたくしも霊殿へ行けるのですね」
僕も、ロクも、シャルも。何も言えなかった……。
よもやよもや、とんだ展開である。こんな話を聞いて、誰が『こっちに引っ越して、これからもしっかり頑張れ!』なんて言えるだろうか。そんなことは、そんな冷酷なことは、そんな非道なことは、そんな残忍なことは、到底できない。けれど……、けれど、今はそれしか道がないのも事実であった……。
僕が言うしかない。ロクやシャルに辛い役割をさせたくないし、僕にはこれぐらいのことしかできないんだ! 心を鬼にしろ! 安徳天皇には申し訳ないけれど、そうすることで多くの人が助けられるんだ!
僕は意を決し、面を上げ、形代・天叢雲剣からゆらりと姿を現している安徳天皇に鋭い視線を向ける。しかし、しかし……。涙ながらに、ありがとうと言い続ける六歳の子供の姿を見て、僕のつい今しがた固く誓った決意は、脆くもボロボロと崩れていく。あっけないほど簡単に…………。
(ダメだ。ああ、僕はなんて弱い人間なんだ。この子に、こんな助けを求めている子に、もう一度戦えなんて、…………)
そう思ってしまったと同時に、思わず声にしていた。
「なあ、ロク。僕はいいぞ。戦うぞ。こいつは八百年もの間、戦ってきたんだ。すこしぐらい報いがあったっていいと思うんだ。誰か手を差し伸べるやつがいたっていいと思うんだ……。シャル、こんなことを言って、すまない」
なぜかわからないけれど、僕は涙を流していた。
「わたくしは大丈夫ですよ。負けるつもりもございませんし。何より、わたしもそうしたいと、思っていたところです!」
シャルがそう言うと、ロクは深く、深くため息をついた。
「まったく! まったく! まったくバカどもが! よかろう。作戦を立てるぞ!」
そう叫んだロクは、すこし笑っているようだった。
※ ※ ※
ロクは安徳天皇に、しばらくその場で待機するように言う。そうして、僕たちは緊急の打ち合わせを始めた。
「そこまで時間は取れぬ。こうしている間も、やはり周辺にまた下級霊どもが群がってきておる」
「安徳天皇を形代から出したら、どうなるんだ」
「恐らくは、これまで封じ込めてきたモノが一気に噴出してくるであろう」
「どれだけの霊体を封印しているんだろうな。あっ、本人に聞けばいいのか!」
僕は安徳天皇に近づき、声をかける。
「なあ、言仁くん。君が今、見守っているのは何人ぐらいで、どれぐらい怨念が強くなってるのか教えてくれないか?」
ちょっとフレンドリーに行き過ぎたか……。安徳天皇の諱は、端末で調べたときに見て、覚えていたものだ。さすがの安徳天皇も、目を白黒させて、おっかなびっくりを繰り返していた。
「えっ、えっと、もうわたくしの力はずいぶんと弱まってしまいましたので、少しずつ放出しておりました。今は四名の平家の武将たちと一緒におります。一番強い怨嗟を持っているのは平知盛です。清盛の子で、合戦の総大将をしていました。無念の思いは、未だ衰えません」
「ありがとう。助かったよ。もうちょっと辛抱しててくれな」
ロクが、呆れた顔をしていた。
大成功だろうよ、と思って、シャルの顔を見ると、シャルも呆れた顔をしていた。
……………………。
「まさか、ロリコンがこういう所で活きてくるとはな。恐れ入ったわ」
「おい! 人の頑張りを、そんな簡単にポイポイ捨てるもんじゃない!」
「ロク、大捕物の大立ち回り、お願いしてよろしいですか? わたくしは史章を守りながら、出てきた残り三体と周辺の下級霊を叩いていきます。史章は霊的エネルギーの供給をお願いします。霊殿への緊急コールはたった今、済ませてあります」
「うむ、わかった。形代草薙手裏剣はシャル、おヌシが使え。広範囲攻撃に適しておる」
「ありがとうございます。使わせてもらいます」
「して、史章。あと何回分じゃ?」
「ギリギリ五回だ!」
「わかった。では、参ろうぞ!」
残り五回分というのは嘘ではない。ロクも僕の残り回数が四回であることは知っているのだ。知っていて、なお聞いてきたのだ。本当の死力を尽くした場合はどれほどあるのか? そう聞いてきたのだ。また、ロクの言っていることは、そういうギリギリの死闘になる、ということを暗に示していた。温存なんてしても仕方がない。最後の血の一滴まで死力を尽くせば、五回は行けるだろう、ということを答えたまでだ。それに何よりも、この状況の言い出しっぺは僕だ!
「あ、あ、あの、皆さん…………」
さあ! と意気衝天しているところに、安徳天皇が、子供が、恐る恐る割って入る。
ロクが僕を見て、もうコイツのことはお前に任せたぞ、みたいな顔をしている。
はいはい、わかりました。わかりましたとも。
「どうした? 言仁くん」
「あの、本当にありがとうございます。わたくしの抑えている霊体ですが、一体ずつ出せますけど……。
もちろん、わたくしが飲み込まれてしまう危険性があるので、すぐに成仏させてもらうことが前提にはなりますが、先ほども申しました通り、自分一人でも少しずつ放出してきましたので、そうすること自体は慣れてございます。その方が戦いやすいと思いますが……」
「君はとても賢いんだな! そしてすごいじゃないか! うん、ぜひそれで頼むよ!」