四話:初めてのお遣い
形代ができるまでの間(およそ五日程度らしい)、僕らは霊殿で過ごすことになった。形代準備だけならば現世に戻ってもよかったのだが、僕が借りている羽衣も調整するとのことだった。
関門海峡は潮の流れが早く、そして強く、複雑な動きをする。以前、川の中で霊蛇と戦った時は、ロクが僕の水中での呼吸を管理してくれていたけど、さすがに今回は海の中での作業ということ、それとロクのエネルギー消耗も考えると、羽衣を使用した方がいいということになった。あと、決戦地の高圧高温も踏まえての調整をするらしい。
いずれにせよ、しばらくは動けないということだ。部屋をひとつ、専用に用意してくれた。そこで滞在期間中休ませてもらうことになった。なのだが…………。
「なあロク……、一つ聞きたいんだけど……」
「なんでしょうか」
まだご機嫌斜めらしい。ものすごくテンションの低い返答である。
こっちに来てからというもの、どうもロクの普段と違う様子というか、情緒の不安定が目についてしょうがない。まあ、でも、今はそれどころではないのだ!
「お前、ここでは、エネルギー消耗しないのか?」
「ええ。むしろ自然に回復できるようになっています。それがどうかしましたか」
「やっぱりそうか……。僕は普通に消耗しているようなんだよ…………」
「えっ? あっ!! ごめんなさい、史章! 忘れてました!」
「だろうな……」
「もしかして! トイレとかも行きたかったりしますか?」
「うん、まあ、そろそろな……」
「ああああ! 大変っ!!」
大慌てでロクは部屋を飛び出していった。
と思ったら、三分もしないうちに帰ってきた……。
「お父様ったらっ! まったくもう!」
今度は、えらくご立腹である。やはり情緒不安定ぶりが、どうも気になる。感情の起伏が激しい上に、その落差もひどく大きい。ねこ父に言わせれば、牢獄作戦でひとまずは現時点でも落ち着いているとのことだが、僕から見たらやっぱり全然違う。いつものロクじゃない、僕の知ってるロクじゃない、そう思えてしまうのだ。
「史章さん、ご用意できました。
お手洗いになさいますか? それともお風呂♪ それとも…………」
「うん、ロク、そこを間違ったら台無しだよ。『お食事になさいますか?』からだ」
ロクの様子を心配してたのだけれど……、つい、乗ってしまった……。
まあ時間はあるんだ、あとでゆっくり話を聞こう。
ところで、その新妻かメイドのようなセリフは、どこで覚えたんだ!
「知っています! でも、お食事もあったのですけれど、わたしから見てもちょっと残念な内容だったんです……」
「食事もあるのか! それだけで、ありがたいぞ」
「では、お手洗いとお風呂の場所を確認しつつ、食堂に行きましょうか」
すべての準備は、ねこ父が事前に整えていたらしい。
「本当はわたくしがご用意して、史章をビックリさせたかったのです」
だそうだ。
確かにねこ父が用意してくれたものは、的外れとまでは言わないまでも、的ズレしていた。トイレは三畳もの広さの中に便器のようなものがポツンとあった。風呂は十畳ほどの広さがあって、入った瞬間は『おっ!』と思ったのだが、湯舟はなぜか僕のアパートと同じサイズだった。
それでも、あのねこ父が頑張って準備してくれたのだなぁと思うと、嬉しかったし、少し笑えた。そもそも、人間が来るのは初めてなのだ。用意してあるだけでも感謝すべきだろう。
目的の食堂に入ると、そこは食堂というよりはダイニングキッチンだった。どうやら自分でも調理できるようにしてくれたらしい。包丁、まな板、鍋にフライパン、オーブンレンジから魚焼きグリルまで一通り完備されていた。これはありがたい。
十二人ぐらいは掛けられそうな大きな食卓テーブルに目をやると、なんというか……、いろんな食べものが並んでいたのだけれど、今回ばかりはロクの言う通り、少々残念なものだった。
「ロク、お前の言うとおりだったよ……」
「そうでしょ。でも、そのもの言いですと『どうせロクの言うことだ。こいつは言うことは当てにならないからな!』ぐらいに思ってたってことですよね!」
「そこまでは思ってないぞ。せいぜい『デミグラスハンバーグがない!』とか『ビーフシチュードリアがない!』とかそういうことを言ってるんだろうと思ってたぐらいだ」
「大差ありません! まったく失礼ですこと!」
「まあ、僕が悪かったよ」
「で、どうされますか? 食べられますか?」
「そうだな。せっかく用意してくれているんだ。戴くとしよう」
テーブルに並べられた食べ物を物色する。
「おっ! これはお前も食べたことないだろう。美味しいから食べてみろよ」
「えー、見た目的には美味しそうに見えませんけど……。」
「バカだなぁ。そういうのを食わず嫌いと言ってな、人生の大半を損して生きていくことになるんだぞ」
そう言い終えると同時に、僕はそれを頬張る。
空腹に勝るスパイスはないというけれど、それは口の中で広がるだけでなく、飲み込んだ後の胃の中でも旨さが広がった。
「うん、これはうまい! 元気が戻ってくる!」
怪訝そうに見ていたロクも、僕が美味しそうに食べるのを見て、同じようにパクリと頬張る。
「あー、これは! 甘くて、美味しいっ!」
「だろ」
「なんだかとっても悔しいのですけれど、確かに元気の出る食べ物ですね。なんという食べ物ですか?」
「おはぎって言うんだ。で、お前のその悔しいってのは、一体何と戦ってるんだ?」
そのあと、僕らはわいわいと物色しながら、きんつばとみたらし団子を食べた。
そう、食卓に並んでいたものは、お供え物である。ごはんはあったが、おかずはなかった。酒やビールやそのおつまみの類は山のようにあった。後日ねこ父に聞いたところ、勝手に持ってこれるのはお供え物ぐらいしかなかったそうだ。
僕がお供えをするようになったときは、もう少し考えるようにしよう。
「さすがに飽きてきた……」
「足りましたか?」
「明日帰るってなら、まあ我慢できなくもないんだけど、一週間近くはムリだな。…………」
「わたしが下界に飛んで、買ってきましょうか?」
「それは願ってもない提案ですごく嬉しいんだけれど、……大丈夫か?」
「任せてください♪」
僕はお遣いのメモを、ロクが分かりやすくするために商品名だけでなく、簡単に絵も書いてやった。会計はどれにしようか迷ったけれど、操作の必要がないクレジットカードを渡す。
「わからないことがあったら、すぐ呼びかけていいからな」
「お買い物は一緒に行きましたので大丈夫ですよ」
「お前が欲しいものも買っていいぞ」
「好きなだけですか?」
「…………。ああ、いいよ。今回は特別だ」
「うわぁい♪ やったぁ!」
子供のように、子供らしく喜んだ。
こういうロクを見ると、ふと列車でのねこ父との話が思い出されて、泣きそうになる。なんとしても守ってやるんだ。
「僕は待っている間に、せっかくねこ父が用意してくれたから、風呂を済ませておくよ。じゃ、頼んだよ」
「えっ! じゃあ、わたしもお風呂をご一緒してから行きます!」
「ご一緒しなくていい!!」
※ ※ ※
ロクの初めてのお遣いは、ずいぶんと時間がかかったけれど、無事にというよりは、頼んだものの倍近くの量を持って帰ってきた。ロクが欲しくて買ってきたものは別にちゃんとある。そうではなくて、頼んでいた野菜や肉なんかが倍の量だったのだ。ロクが間違えたというよりは、きっちり個数で頼んだものも倍の数がある。
「すごい量なんだが、なんでこんなに多いんだ?」
「わたしが探すのに手間取っていると、お店の人が助けてくれたんです♪」
「いやいや、それだけでこの量にはならないだろう。ちょっとレシートをみせてみろ」
レシートを見ると、すべて一袋ずつの計算になっている。でも、手元には二袋ある……。
「お前、もしかして、……、もしかしてだけど、……」
「な、なんですか? 万引きとかはしてませんよ!」
「そんなことはわかってる。そうじゃなくて、……お前、小学生ロクで行ったろ」
「…………」
ロクは目を合わさない。口をとがらせてる。
まったく、霊のくせに演技が下手糞だ。
「なんでそうしたのかだけ教えろ」
「だって、……、だって、いい大人がいかにも初めてです! って感じで恥ずかしいじゃないですかっ!」
あー、そういうことだったのか。僕はてっきり、妙な下心を持ってあわよくば的なことをしたんじゃないかと思っていたけれど、これはこれは。思わず微笑んでしまった。
「そうか、そうか。それならいい。ありがとうな」
そう言って、頭をくしゃくしゃと撫でてやった。
ロクは頭を撫でられるというのが初めてだったのだろう、目を丸くしてほわほわしていた。