一話:ちゃんと、その声を知っていた
突然、肩をポンとたたかれる。
ハッとして目が覚めた。知らぬ間に寝てしまっていた。
「継宮さま、お迎えに上がりました」
声のする方に目をやると、蒼いくせ毛でショートの、それがとても似合う可憐な女性がお辞儀をしていた。
「ありがとう。ええっと、君は……」
「シャルガナと申します」
「ありがとう、シャルガナ。話してるってことは、もしかして暗部の方?」
「はい。さようでございます。霊殿までご案内差し上げます」
「よろしくお願いします」
僕もぺこりと頭を下げた。
ほどなくして列車が止まった。車窓から見る外はまだ暗かった。ただ、道中のような真っ黒の世界というわけではなく、月に照らされた夜のような暗さだったので、幾分外の様子が視認できた。
扉が開いて歩いて出ると、ホームのような所に降り立った。現世の駅でいうなら、屋根も何もない田舎の無人駅のようなホームだった。僕の勝手な想像でしかなかったのだけれど、とてもねこ父がいる霊殿の最寄り駅とは考えにくいほど、質素で殺風景な駅である。
ただ、列車のほかの扉からは、なにやら物資のようなものが続々と運び出されていた。黒いモヤモヤした煙のようなもの(たぶん働き霊だと思う)が、アラジンに出てくる魔法の絨毯みたいなものに物資を載せて、蟻のように長い列を作っていた。
「ここは、終点というわけではないんだな」
ポツリと独り言を言ったのだが、前を行くシャルガナは、こちらを振り返って説明してくれた。
「はい。列車はこれから審判所に向かい、乗せている霊魂の裁きをします」
「えっ! じゃあ、その審判所ってところには閻魔大王がいるのか?」
「えんまだいおう? 申し訳ございません、わたくしにはわかりかねます」
「ああ、いいんだ。すまなかった」
残念だ。閻魔大王は存在しないらしい……。まあ、居ても会いたくはないけれど。なんとなく僕は即座に舌を抜かれそうだからな。
「では、こちらを頭から羽織ってください」
僕がすっぽりと覆われるほどの大きな、スカーフのような布を手渡される。
「これは?」
「霊殿に入るには、幾重にも張られた防御網がございます。そこを通り抜けるためのものです」
「ああ、なるほど。結界だな」
「その布から手や顔を出したりしないように、くれぐれもお気を付けください」
「えっ、出てしまったらどうなるんだ?」
「その部分が消滅して欠損してしまいます。修復もできかねますので……」
「おいおい、穏やかじゃないなぁ」
シャルガナに手伝ってもらいながら頭からすっぽり覆う。
何も見えなくなるのかと思いきや、内側からはシースルーになっていて、重さも感じることがなく、羽織っている感覚すらなかった。むしろ、はみ出ていることにすら気づかなくなりそうで、慣れてしまってうっかり、に気を付けなくてはいけない。
「風になびいてはいけませんから」
そういうとシャルガナは、ポツポツとボタンを留めるように、指で布をつまんで接合した。あっという間にオーダーメイドの雨合羽が出来上がった。
「それでは申し訳ございませんが、こちらにお乗りくださいませ」
「おお! これに乗れるのか!」
先ほど見た魔法の絨毯である!
僕は嬉々として絨毯に乗る。
シャルガナは宙に舞い、何かで繋がっているわけではないのだけれど、絨毯をコントロールしているようだった。絨毯は見た目よりもずっと安定していたので、落ちそうになるとかそういうことはないのだが、なんの囲いもなく空を飛ぶというのは、やはり下腹がひゅんっとなる。そんなこともお構いなしに、シャルガナはどんどん高度を上げていくので、僕は大声でシャルガナに、もっと低く飛んでくれと懇願した。
「こんな地を這うような行き方でよろしかったでしょうか? 大王様には、全体を見渡せるようできるだけ高く飛ぶように仰せつかったのですが……」
「ちっ! ねこ父だな! アイツわざとだな!」
「ねこちち? 申し訳ございません、わたくしには……」
「ああ、シャルガナ、ごめん。いいんだ」
確かに、シャルガナにはおよそ感情というものがないことが分かった。
前世はきっと感情豊かな、それでも不幸の中にあったってことなのだろうか。ともあれ、シャルガナと会話できるのはありがたかったが、会話を続けたいという気には到底なれなかった。そして、そのことを実際に体験してみて、ねこ父がロクを可愛い娘というのが本当によくわかった。
(絶対に守り切ってやらないといけないな、これは……)
僕はまた、そんなことを思っていた。
(あ、でもさっきシャルガナが大王って言ってたな。ん? ねこ父が閻魔大王なのか? うーん)
(もしそうだとして、ねこ父に舌を抜かれるのは、なんか納得ができないぞ)
と、一人でバカみたいにあれこれ考えていたら、徐々に辺りは明るくなりはじめ、なにやらとてつもなく立派な建物が見えてきた。
「おいおい……、ここは、もしかして天国なんじゃないのか……」
思わず言葉が漏れる。
色とりどりの花が咲き乱れる丘の上に、霊殿があった。
王の間があるであろう中央にパルテノン神殿(のような建物)、そこから半円の弧を描くようにひとつながりの建物が並ぶ。さしずめ冬宮殿を素朴にした感じといったところか。素朴なだけであって、見劣りするということではない。むしろ壮大だった。
白を基調としたその建物にはアーチ窓がずらりと並ぶ。素朴とはいっても、その窓ひとつひとつに紋章のような装飾が施され、金箔が貼られている。入り口であろう中央には、いくつもの大理石の柱が立ちのぼり、階と階の間にはやはり装飾が施されている。入り口の扉も、高さも幅も、三メートルはあろうかというような大きなもので、人ひとりで開け閉めできるようなものには見受けられなかった。豪華絢爛というよりは、荘厳華麗の方がしっくりくる。
「ここは霊界です。そして、こちらが霊殿になります」
シャルガナが丁寧に答えていてくれたのだけれど、僕にはそれに返答する余裕も言葉も失うほどに、その圧倒される光景に見惚れていた。
魔法の絨毯は霊殿を目の前に止まり、丘の上に降り立つ。
花を踏みつけてしまう! と慌てて足元を確認すると、浮いて? ……いた。
十五センチメートルほどだろうか、着地感はなかったが、かといって浮遊感もない。重力があるのかないのかも判然としなかった。なんとも形容しがたい感覚である。シャルガナは明らかに宙に浮いていて、スーッと平行移動している。平行移動の仕方はもちろんわからなかったので、ひとまず歩く動作をしてみた。
前に進んだ…………!!
(どうなっているのか? さっぱりだ)
ともかくもパルテノン神殿までたどり着き、先にシャルガナが中に入る。
それに続いて、僕も入…………
バシンッ!
突然後ろに大きく、五メートルぐらい、はじかれた……。
何かにぶつかったような感覚、目の前に透明の大きなバランスボールがあって反動ではじかれた、そんな感じだ。おかげでひとつも痛くはなかったが、僕はそのまま仰向けに倒れる。確かに倒れたのだけれど、お尻や支える手に着地感はなく、咲き誇る花を守るように浮いたままだったので、まったくの無傷だった。
血の気が引いた表情でシャルガナが近寄ってきて、僕を抱きかかえる。
「ああ、継宮さま、申し訳ございません!! 大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」
次の瞬間、サイレンのような警報音が鳴り響いたかと思うと、僕とシャルガナは飛ばされていた。
いきなり、目の前の景色が変わる。
暗くてジメジメした、肌寒いところだった。周りは鉄格子。
これは、どう考えても牢獄である。
僕を抱きかかえるシャルガナの表情は、さらに蒼白していた……。
※ ※ ※
わたしは暗く冷たいその空間で、うつむいたまま、なに一つ結論が出ないまま、ただただ悲壮に暮れていた。考えても、考えても、解決に至るような答えが見つかることはなくて、ずっと同じところをぐるぐると回っているだけ……。そうしているうちに、もう、考えることにも疲れてしまっていた。
心が、下へ下へ、奥へ奥へ、落ちていく。
もうこれ以上は落ちないところまで落ちたはずなのに、それでもまだ、
心は、下へ下へ、奥へ奥へ、堕ちていく。
もっと上の方にあったのに、もっと胸のあたりにあって、ドクドクと音を奏でていたはずなのに、戻し方もわからないし、もう二度と戻ることはない気すらしていた。
侍女霊が置いていったエネルギーの塊が、手を伸ばせば届くところにあったのだけど、食べたいとは微塵も思わなかった。もう消えてなくなるまで、食べ物なんていらなかった。何もかも、どうでもよかった。
ドサリ!
何かが落ちる音がした。
気になったわけじゃない。ただなんとなくぼんやりと、ゆっくりと、音がした方向に目をやっただけ。暗くてよく見えないし、鉄格子の向こう側のよう。ただ、その影の輪郭に見覚えがある。
(シャルガナ?)
ああ、そういえばお父様は、シャルガナをあの人に取り憑かせては? と言っていた。
『シャルガナなら、安心して任せ、戦うことができるだろう?』
『シャルガナには感情がないんだから、気になることはないだろう?』
きっと、そういうことを言っていたのだろうと、今はよくわかる。ホントは言われた瞬間も、頭ではわかっていたけれど、あの人を獲られるような気がしたの。だから、嫌だったの……。シャルガナであろうシルエットを茫然と見ながら、そんなことをぼんやりと考えていた。
するとその隣に、もう一つの影が、ムクッと生えてくる。
輪郭は、何かを被っているようでよくわからない。
何やら話をしている。けれど、何を話しているのかは聞こえなかった。
それまでは、ただぼんやりと眺めているだけだったけれど、
なぜかその会話が気になった。
少しだけ、ほんの少しだけ意識を集中してみる。
残念ながら会話は聞こえなかったけれど、
やっぱり会話は聞き取れなかったのだけれど、
その声に聞き覚えがあった。
わたしはちゃんと、その声を知っていた。
ぁぁ…………。
ああ……。
ああ!!!!
胸が高鳴る!
ドクン! ドクンッ!!
ついさっきまで深く深く沈み込んでいた心が、
もう二度と上がってくることはないと、そう思っていたのに、
一瞬で、強く、早く、鼓動を打った!
「たかあき!!」
その名を声にした途端、
涙が溢れてきた。
なぜ出てくるのかわからないけれど、
大粒の涙が次から次へと、止めどなく溢れ出てきた。