8・無理無理無理!
誰かに頼んでくると言って出て行ったアーツ様が、思いの外遅く戻って来た。
見ればどことなくやつれた様子で、部屋に入るなり深いため息をつく有様。
「シーゼル。そろそろあの姦しい取巻き達をどうにかして下さい」
シーゼル様にジト目を向けながら近くの椅子に座ると、開口一番、疲れた口調でそんな風に放った。
王太子殿下には、すでに決まった婚約者がいらっしゃって、しかも相思相愛で、その隙を突く事が出来ないご令嬢方が、婚約者が決まっていないシーゼル様に猛烈なアタックを掛けている。
だから、社交の場に出れば、常にシーゼル様の周りには蝶か花かと言わんばかりのご令嬢方が付いて回っている。
「……実のないアレらを相手にしろって? 冗談だろ」
「どうにかしてくれませんと、私も困るんですよ。ちょっと伝言を頼みに外に出ただけで血走った目で走ってやって来るんですから。どんな探知能力が備わっているんでしょうかね」
恋する乙女。
超玉の輿。
それを負う女性には、目に見えないセンサーが付いているのは世の常で。
「さっさと誰かと婚約でもなさって下さい」
「面倒臭い」
「好みの性格とかないんですか」
「阿呆でなければそれでいいが、ナタリーとまではいかずとも、化粧お化けでもなく、香水を気持ち悪い程付けてなくて、馬鹿で阿呆でなくて性格が最悪でなければ、後は別にどうでも……」
と、言いかけた所で、作業の手を止めシーゼル様が振り返った。
意外と情勢に対する注文が多かった。
「アーツ」
「はい」
「丁度いいのがいると思わないか」
「……確かにその条件なら合っているとは思いますけどね……本人が頷かない事には」
「というかお前は反対しないのか」
「別に。初めてお話しましたが、噂に聞くほどの事ではありませんでしたしね。鵜呑みにしていたとはいえ、当てにならない物ですね。ただ、それこそ魔性達が面倒臭そうですね」
「全く面倒な地位に生まれたものだ」
「今のそれが上手くいけば、問題の一つは消えそうですし。地位にしても問題ないですし」
「だがな、身内になるんだぞ? 本人は問題ないにしても周りがいらんな」
「他へ養女に出しては?」
「ソレにとっての周りは敵ばかりだろうが」
「探せばいるんじゃないですかね。まぁ、とりあえずは本人確認からしてはいかがですか」
話が見えない。
一人蚊帳の外。
そう思って外を眺めながら話を軽く聞き流していた。
この世界には、汚染ガスがなく空気が澄んでいて必要以上の明りもないから物凄く綺麗に星が見える。
(綺麗な星。地球じゃ明りが少なくて空気の綺麗な所に行かないと流れ星とか見れなかったなぁ)
ここは会場とは離れていて明りもさほどでもないから、良く見える。
「そうだな。とりあえずそうするか」
ぼんやり空を眺めながら話がひと段落したらしいシーゼル様の最後の一言だけが耳に届いた。
それから会話が途切れたままなので作業に戻ったのかと思って、そのままぼんやり空を見続けることにしたんだけど……。
「おい。アミィ。聞いてるのか? おいっ」
呼ばれてはっとなって振り返れば、すぐ真後ろにシーゼル様がいた。
(えっ、近っ!)
「話聞いていなかったのか……」
「ぼんやりとだけ……。好みがどうとか……」
そういう話をしていた様な気がする。
ぼんやりしていた上に、まともに聞いてなかったのでしどろもどろになる。
「そう、その話だ。で、結論から言う。よく聞け」
シーゼル様が、にやっと口角を上げて私を見据える。
「な、何をでございましょうか……」
一呼吸後、続いた言葉に私は本気で固まった。
「お前、俺の婚約者になれ」
(えっ……)
「シーゼル、話が飛び過ぎですよ」
「いや。こういう類には分かり易くはっきり聞かせた方がいいと思うぞ」
「分かり易く聞かせた結果、魂が抜けている様に見えますけどね」
アーツ様の仰る通り、魂が抜けている。
私は今、シーゼル様に何を言われたんだっけ。
俺の婚約者になれ。
頭の中で反芻する。
えっと誰がシーゼル様の……?
「アミィ。お前が、俺の、婚約者に、だ。なる気はないか? というか、命令でもい……」
「良くありません」
「そうか」
私が、シーゼル様の?
(いやいやいや、無理無理無理! どうしてそうなったの!?)
私の頭は完全にパンクした。