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生きた廃線

作者: アキ

 吐く息は白く寒さが身に染みる二十一時を少し過ぎた頃。制服姿のその少年は静寂が支配する駅にいた。と言えば聞こえは良いだろうか。僕は昼と夜が混ざる夕焼けの写真が撮りたくて学校の屋上で一人残っていた。まだ明るいうちは人の声もしていたが次第に夜の闇と静寂が歩み寄る不思議な空気にどうしてもその場を離れられなくて完全に夜が支配するこの時間になってしまっていた。毎日使う見慣れたはずのこの駅もここまで闇に沈んでいるとどこか美しい。

 あと二十分ほど。特に意味はないがカメラに駅を写す。シャッターを切る音だけが静寂を破りどこまでも響く。

 あと十三分。静寂を破り回送電車が通過する。何気なくそれに向けてシャッターを切っていた少年の手が止まる。誰もいないはずの回送電車に誰かが乗っていたような気がしたのだ。周りには誰もいない。そこに人がいるはずがない。だから僕が何かと見間違えたのだろう。また駅は静寂が支配した。

 家に帰る頃には回送電車に乗った人のことなど忘れていた。しかし撮った写真を見て僕は驚いた。あれは見間違えではなかった。どこか寂しそうな、何かを訴えるような表情をした女性が写っていた。不思議と恐怖は感じない。彼女に見覚えがある気がする。誰かは分からない。クラスメイトにこんなに整った顔の子はいない。テレビでも見た記憶はない。それでも僕は彼女のことを知っている。彼女は誰なのか。考えるのは明日にして床につこう。時計の針は一時を指していた。

 目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた。何か夢を見ていた気がする。線路。山奥にある廃線を歩いていたような気がする。ただ考えれば考えるほど思い出すどころか壊れていく。首を捻っていると目覚まし時計が鳴り響いた。その音を止め、学校へ向かう用意をして、家を出る。

 駅は昨夜の不気味さは影すら見当たらないほど多くの人が行き交っていた。うるさいくらいに騒がしい。これが僕が二年間毎日使った駅の姿。いつも通り僕もその人混みに混ざろうとしたところで僕の足は止まった。色褪せた古めかしい観光列車の案内ポスター。そこにいる笑顔の彼女。そう、昨夜回送列車に乗っていた寂しそうな彼女。ポスターの笑顔の彼女から目が離せない。まるで僕だけ時が止まったかのように動けない。しばらく、といってもそこまで長くないと思う。友が僕の肩を叩くまで縛の時は止まっていた。おかげで学校は遅刻ギリギリになってしまった。

 授業が始まってからも僕の意識は教室になかった。あのポスターがどうしても気になってしまう。先生から何度も注意されたが僕には届かなかった。

 帰り道、そのポスターの前で立ち止まる。写真の彼女と比べてみても間違えなく同一人物だ。柳川観光列車。その文字を見て僕は忘れていた夢を思い出した。山奥の廃線。あれは柳川観光列車、通称柳電車の線路だ。何度か両親と柳電車に乗ったことがある。何故気付かなかったのか。あの景色は柳電車から見える景色だ。彼女と夢。点と点が線になった。

 翌日、僕はそこにいた。観光列車だから桜や紅葉のない今の時期は走っていない。こんな時に人里離れたここに来る人はほとんどいない。僕は迷わず資料館に行った。

 幼い頃はよく意味が分からなかった文字が今なら分かる。一時間もあれば十分見て回れる小さな資料館を僕は二時間かけてじっくりと見た。彼女が僕をここへ呼んだ理由が知りたかった。そんなに些細な手掛りも見落としたくなかった。

 柳川観光列車は今から何十年も前、国鉄が民営化した翌年にうまれた。国鉄が民営化する際、人里離れたこの路線は廃線となった。それを柳川市が買い取り新たな観光資源として活用した。豊かな自然に囲まれ川下りの船を見下ろせるこの場所は国鉄時代から利用した人々から愛されていた。国鉄の線路を利用した観光列車は注目を集め、豊かな自然も手伝って桜や紅葉の時期は多くの観光客が訪れた。多くの人で賑わった。柳電車の愛称で人々から愛された。国鉄時代では考えられないほど有名な列車となった。

 それからさらに数年後、バブルは崩壊し、日本は失われた十年と呼ばれる時代となった。柳電車にも不況の波が押し寄せ観光客は減り、年々赤字は大きくなっていった。

 今は走っていない柳電車の線路の上をあの夢と同じように歩いてみる。線路が僕に語りかけてくる。国鉄の廃線は観光列車として生きている。周りに人はいない。シャッターの音と僕の足音だけがこだまする。線路に言われるがままに何回でもシャッターを切る。

 オレンジ色に線路を照らす太陽も沈み静寂が不気味に思えてきた。灯りがないこの場所にこれ以上いる勇気はない。線路との別れは惜しい気がしたが僕はそこを後にした。

 翌日、現像した写真をある写真コンクールに出展した。裸の木々に囲まれたどこまでも続いていきそうな線路。薄暗い空が磨かれた線路をより一層際立たせている。「生きた廃線」の良さが一番伝わる写真を。

 それから一ヶ月ほど経った。滅多に読まない新聞を開きコンクールの結果を探す。

「あった」

『金賞 岡本凛久 「生きた廃線」』


 桜のトンネルを潜る柳電車に向けてシャッターを切る。もうあの時とは違う。あの時から二十年経った今でも観光客は絶えていない。「生きた廃線」はいつまでも生き続ける。そう信じて、いや、もう廃れることはないだろうな。ここまで有名になったのだから。あの時の少年は嬉しそうに賑わった柳川市を写真に収めていた。写真家として。


「柳川観光列車」は京都嵐山の嵯峨のトロッコ列車をモデルにしています。良いところなのでぜひ一度おいでやす

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