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「こ、こんな男、と言ったのか…、情婦風情が……!!」
「これ以上我が国の誇る自警団を貶めるのはよしてもらおう」
顔を赤くしながら怒るアレックスに、ノアが冷静に言い返した。
「失礼ながら! 貴殿の国の自警団は貴族に対する礼儀がなっていないのではないか!?」
「それならば貴殿もそうだろう。他国の人間だとしてもその対応はどうかと思うが。彼女は力も地位もある立場にいる。そして今ここにいるのは私の護衛を兼ねている。その人物に対してそのような物言い…改めた方がいいのでは?」
「っ…!」
ヘレンは言われたミーシャが傷ついていないかとそろりと盗み見るが、ミーシャは飄々としていてその顔にはうっすらと笑みすら浮かんでいる。
「……言葉が過ぎたようで申し訳ない…。だが、ヴィノーチェ殿、先ほどのヘレンを…という言葉の真意を伺いたい」
「真意?」
アレックスも流石に言い過ぎたと思ったのか、素直に謝罪を口にする。それを見て、ヘレンはアレックスに対してどことなく感じていた違和感の正体を知った。
彼は、自分たちマイヤー家に対しては常に大きく出ていた。まるで自分の方が爵位が上といわんばかりに。それに自分の両親たちは心強さを感じていたのだろうと今なら思える。だが、ノアに対してはまるで借りてきた猫のようなのだ。
「先ほども申し上げた通り、ヘレンは精神的な病を発症させた過去を持ちます。そのような女が貴方の妻となることを、失礼ながら心配しているのです」
「心配?」
「はい。公爵様の妻ともなれば、ヘレンには荷が重いでしょう。また病を発症させる可能性を持つ女を妻にして、貴殿の評判に傷がつかないかを心配しているのです」
「ほお?」
そしてアレックスの口のうまさに、ヘレンは茫然とした。なんというか、口が回りすぎてはいないかと思うのは自分だけだろうか。
ノアの感心した声にアレックスは少しだけ声音を高くして興奮気味にも話し続ける。
「えぇ、えぇ!! 本当ならば貴殿のような方の目に留まる前に連れ戻すべきだったのですが…! しかしヘレンでは貴殿の妻にはなりえないでしょう! だって、彼女は問題児でもあるのですから!」
「………小さい男」
「っ!?」
小さな声ながらもはっきりと聞こえたそれに、ヘレンはぎょっとした。その言葉を吐いたのは、にこにこと微笑みを浮かべたままのミーシャだった。
「……今、なんと?」
「あら、聞こえました?」
ミーシャは悪びれる様子もなくアレックスを見た。その瞳には好戦的な光が宿っているような気がするのはヘレンの気のせいだろうか。
「ぺらぺらぺらぺらと。よくもまぁ、お口の回るお貴族様ですね?」
「…お前こそ、口を慎め。ヴィノーチェ殿の手前、剣は抜かないが、侮辱罪に値するぞ」
「どのような罪で? あぁ…口ばかり回るということを隠しておくためにですかね?」
「ミーシャ」
にこにこと笑みを浮かべながらアレックスを挑発するミーシャの姿に、ヘレンはふるりと体を震わせた。笑顔なのに、怖い。ちらりと両親と祖母を見れば、両親は顔色を悪くしていたが、祖母も同じように笑みを浮かべている。
「失礼した、ファフニール殿。しかし貴殿の心配は不要だ。当主である母にもその話はしてあり、すでに許可をもらっている」
「なんということだ! ヴィノーチェ殿、考え直された方がいい! ヘレンは男を立てることを知らない女ですよ!」
「……立ててもらわずともいいが」
「は?」
ノアは本当に不思議そうにアレックスを見ながら言った。
「先ほどから貴殿の言う男を立てる、だが……そのようなことをされなければ男として成り立たないのであればどうかと思う。男は妻や家族、そして民を守るべきであって、妻に守ってもらうものではないのでは? 妻に立ててもらうことを当然とするのは…男としてどうなんだ? ミーシャ」
「そうですね…まぁ、控えめに言って、オオカミのふりをした子ネズミ、ってところですかね?」
「ネズミですらないのか…。まぁ、いい。我々はそう考えているのだが、貴殿は女性に立ててもらわなければ男として成り立たないのだな…」
ミーシャの痛恨の一言と、ノアの憐れみの籠った視線を受けたアレックスは一瞬何を言われたのか分からなかったようで。そして徐々にそれを理解すると鬼の形相になった。
「き、きさまらっ!! 私を誰だと思っているんだ! ファフニール伯爵だぞ!? そのような口の利き方をして許されると思っているのか!?」
「…アレックス殿」
そしてそこまで口を閉ざしていた祖母、エリザベスが重々しく口を開いた。
「…サーシャ、様、でしたわね?」
「っ……その方がどうかされたのですか、お婆様」
その名を聞いた途端、アレックスの怒りは急速に収まり、エリザべスを探るように見るアレックスに、エリザベスはうっそりと笑みを浮かべた。
「私のお友達のお友達が、知り合いなのよ…。それに、とても有名なお方でしょう? 少し話を聞きたいと言ったら、快く色々と教えてくださったわ」
「……」
「でも、困ったわねぇ…まだ後継ぎも生まれていないというのに、他の女性と関係を持って、援助してもらうなんて…」
「―――」
「援助してもらわなければ成り立たないほど、困窮している家に、孫をやりたくなんて、なかったわねぇ…」
「…困窮などしておりませんし、何より結婚を決めたのはカレンと、伯爵夫妻ですが」
ゆったりとした口調でやんわりとアレックスを責めるエリザベスに、アレックスは無表情で答える。それが焦っているように見えて、ヘレンは祖母のやり方になるほどと内心で頷いた。
「そうなの? …それなら、わが家からの援助も、いらないわよね?」
「それとこれは…!」
「だって、初産のカレンを貴方の家に置けないわ? だって、よくお屋敷に帰らないんですってね? たくさんのお友達が教えてくださったわよ? それに、貴方が誰に何を頼んだかなんてわかっているの。貴方がサーシャ様に何を頼んだのかも、ね。サーシャ様の華々しい男性歴はとても有名ですから、情報を集めるのに苦労はしなかったわ。まぁ、久しぶりだったから疲れてしまったけれど…でも貴方もそのうちの一人だとは知らなかったわね」
「…確かにサーシャに頼みましたが、彼女は私個人と親しくして頂いているだけです。後ろめたいことはありませんし、何より私はヘレンや皆さんの為を思って行動したにすぎませんが」
「そう…なら、ヘレンを攫ったのはクリストファーの独断、ってことね」
クリストファーの名を出した瞬間、アレックスをまとう空気が変わった。酷く苛立ち、そして焦っているようにも見えた。
「…そこまでお調べなら、お判りでしょう? あれはクリストファーが勝手にしたことです。私とサーシャには関係ありません」
「そう…。なら、皆さんにはそう言っておくわ。貴方たちがどこで、そのようなお話をしたかってことも含めて」
「憶測でものを言われない方が身のためだと思いますが、義祖母様。それにそんなことをして何になると?」
「そう? 貴方がそう思いたいのであればそう思うといいわ。…貴方は女性を軽視しすぎね…。それに、クリストファーのことだけは駄目なのよ、ね、ノア殿?」
エリザベスはノアを横目で見ながら問うた。それに、ノアは頷く。そして内心でヘレンも大きく同意した。
確かにアレックスとサーシャは何もしていないだろう。指示を出したかもしれないが。だが、クリストファーは違う。カロリアンに入り込み、そしてアマリーを危険にさらし、そしてヴィノーチェ家の保護下に在ったヘレンを攫った。それは絶対的な罪だ。
「我が家の元使用人であるアマリーを攫い、人買いに売った罪は大きい、そしてヴィノーチェの保護下にあったヘレンを勝手に攫った。こちらの流儀で言えば彼は平民なのだろう? その平民が貴族の令嬢にしたことの罪は償ってもらわないと」
「……それに私は関係ない。話を聞くのであればサーシャに聞いてくれ」
アレックスの言葉に、ヘレンは彼が本当に男として最低なのだと知った。もし、本当に男女の関係で援助してもらっているのであれば、アレックスは少しでもサーシャを守ることをするだろうと勝手に思っていた。しかし彼は自分には関係なく、世話になったサーシャという女性を見捨てたのだ。いくら控えめに言おうと、最低としか言いようがない。
「……そうか。ならばこちらは正式にそのことを話し、クリストファーの身柄をこちらに寄越すか、それ相応の罰を与えるように進言しよう」
「…勝手になさればいい」
ここまできて、アレックスはようやくヘレンに手を出し続けることの不利益を理解したのか、ヘレンを憎々しげに見て、ノアに話しかけた。その表情に身体を固くすると、安心させるようにミーシャがヘレンの背を撫でる。
「……色々と誤解があるようですが、貴殿がそのようなお考えであるのであれば尊重いたしましょう。しかし、助言を一つだけ…。ヘレンは疫病神のような女です。早々に手放した方がよろしいかと進言いたしますよ」
「それはご丁寧に。貴殿も気を付けられた方がいい。淑女とは時には男性よりも力を発揮することがある」
「それは怖い。…肝に銘じます」
アレックスは慇懃無礼にノアに一礼した。そして置物のようになっているマイヤー伯爵夫妻を見る。
「カレンですが、そちらに返しましょう。どうやら私たちの間には何か誤解が生じているようです。それが解けるまで、カレンも慣れた家にいた方がいいでしょう」
「…そ、そうだな」
「お願いするわ」
「わかりました」
さっさとカレンを実家に戻すことを決めるアレックスに、どこか投げやりのような雰囲気を感じた。しかし下手に何かを口にして考えを変えられても困るので、ヘレンは黙り込んだ。
最後に、アレックスはヘレンを見た。
「…とても残念だよ、ヘレン。今回の件はよく覚えておくことにしよう。だが、自分でも分かっているだろう? ちゃんと身をわきまえて行動するといい」
「……助言をありがとうございます」
ヘレンの皮肉が伝わったのか、アレックスは鼻を鳴らすとそのまま部屋を後にした。彼の姿が見えなくなったことによって、何人かが安堵のため息をつく。
「大丈夫ですか、ヘレン嬢?」
「えぇ…ありがとう、ミーシャさん」
「…ずっと言いたかったんだが、それは私の役目でないのか?」
「ふっ……不甲斐ないですね、ノア様。エルザ様に詳細をお伝えしてあげますよ」
「やめてくれ…」
二人のやり取りを見ていたその場にいた者たちは、少しずつ空気が和らぐのを感じた。




