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「おやおや、どうしたんですか、義父上。こんな揃いも揃って」
「…アレックス、君に聞きたいことがある」
「どうぞ、なんなりと」
アレックスは舌打ちしたい気持ちを押し隠してにこやかに微笑みを浮かべた。正直に言って、面倒だった。彼らが揃いも揃ってアレックスに聞きたいことなど分かりきっている。
「…カレンは、どこにいるの?」
伯爵夫人が不安そうに見まわしながらアレックスに尋ねる。
「カレンなら体調が悪いとのことで屋敷で休ませていますよ。まだまだ安定しない時期ですから、無理はさせたくないので」
本当のことだ。ただ体調を崩した原因が自分かもしれないというだけの話で。それに微熱が続いている程度だ。食事もある程度取れていると聞くし、問題ないだろう。
「アレックス・ファフニール。お初にお目にかかるわね。私はエリザベス。前マイヤー伯爵夫人よ」
「カレンのお婆様ですね! お話はカレンから聞いています。体調が良くないと聞いていたのですが、大丈夫ですか?」
「…ええ、ありがとう」
アレックスはエリザベスの様子から考えて、自分がしたことを知って、ここにいるのだろうと予想をつけた。そうでなければ、あまりにもタイミングが良すぎる。
「それで、義父上。話とはなんでしょう?」
「………ヘレンの、ことなんだが…」
「あぁ! 申し訳ない! 皆様に報告していませんでした!」
「何?」
それでもアレックスがここに来たのには、ちゃんと考えがあってのことだった。むしろ何も考えないで来る方がおかしい。
「皆様には内緒にしていたのですが、実は個人的にヘレン嬢を探していたのです。ほら、カレンの唯一の双子の姉でしょう? やはり彼女が失踪したということはカレンの精神的な負担にもなりかねませんから…」
「……それで?」
「知り合いの女性に頼んだのですがね…。彼女が…少々荒くれ者に依頼してしまったそうで、ヘレン嬢をカロリアンで見つけたはいいものの無理やり攫ってきてしまったようで…。今はこちらにいるのでしょう?」
「…貴方の屋敷であったことについて、言いたいことは?」
エリザベスは鋭い眼光でアレックスに問う。しかしそれをアレックスはやんわりと受け流した。
「あぁ…ヘレン嬢から聞いたのですね、お婆様…。しかし誤解です。私には彼女の言うようなことをするつもりなど、ありませんでした。…きっと、何か食い違ってしまったのでしょう」
アレックスは、ヘレンが家族に話す内容というものを想像していた。カロリアンで人質を取られて攫われたこと、アレックスに無理やり手籠めにされそうになったこと。しかし一つ目はクリストファーの所為にすればいい。だって本当のことなのだから。
そもそも、アレックスはサーシャに探してほしいと頼みはしたが、攫ってほしいなどと一度も言っていない。きっと、それはサーシャも一緒だろう。クリストファーが勝手に先走ったのだ。
もう一つの問題も大したものではないと考えていた。その場にいたのは病持ちのヘレン一人。自分の元から連れ去った黒づくめの人間が彼女の仲間だとしても、話の内容までは聞いてはいないだろう。そしてカレンと結婚し、ちゃんとした自分と、病をいつ発症させるかわからないヘレンとでは、信頼度が違うだろうとアレックスは考えていた。
…というより、マイヤー家の人間を嘗めていた。カレンとの結婚の際、ヘレンは自分のことを相当調べていたようだが、彼らはそれを信じなかった。娘よりも自分で調べたこと…さらにはカレンを信じたのだ。
そしてそれは、祖母も同じだろうと思っていた。
「…食い違い…? それはどういう意味でおっしゃっているのかしら?」
「もちろん、ヘレン嬢は私が彼女を愛妾のように扱おうとした、と言ったのでしょう? しかし私は、カレンの精神的な部分も含めて我が屋敷にいてくれたらと思ったのです」
「どうしてヘレンを? それに落ち着かせたいのであれば実家にいさせるのがいいでしょう? …それに、どうしてそこまでカレンが精神的に不安になることを危惧しているのかしら?」
「義祖母様? カレンは初産なのですよ? 不安に思うことの方が多いでしょう?」
アレックスは何を言っているんだといわんばかりの表情でエリザベスに返す。自分の返答は何一つ間違えていないはずだ。むしろ、初めての妊娠となる妻を気遣っている優しい夫の図でしかありえない。
「……ならば、貴方がずっと傍でカレンのことを見守ればいいでしょう?」
「―――ヘレン嬢」
いつか姿を現すだろうと思っていたが、予想よりも早い登場にアレックスはにやりと心の中でほくそ笑んだ。
「貴方が私にしようとしたこと、忘れていません」
「ヘレン嬢…誤解だ。君はそういう風に受け取ってしまったようだが、私には妻がいるんだよ? それに君の妹だ。そんな彼女を置いて、君にそういう扱いするはずがないだろう?」
「しらを切るつもりですか」
「しらを切る? 何のことだい? ヘレン嬢、貴女はきっとまだ完治していないんだ。だからそういった妄想のようなことを口走ってしまうんだよ」
「っ!」
「義父上も義母上も、貴女のことを心配していたんだよ? 確かにもっと構ってもらいたいのは理解できるけど…これ以上はよした方がいいんじゃないのかな?」
「ぬけぬけと…!」
ヘレンの頬が怒りからか、赤く染まった。悪くない。カレンにはない激情だ。
「義父上、義母上、ヘレン嬢は寂しがり屋さんなんです…。ですが二人にはアンドレの教育などでお忙しいでしょう? よろしければ、私が預かりますが」
「あ、アレックス……」
今の今まで空気のようだったドナルドとジャクリーヌが顔面を蒼白にする。どうしてそのような顔色をするのだろうか。本来の彼らであれば、喜びに満ちた表情を浮かべるはずだというのに。
そんな時、どこからともなく低い笑い声が聞こえてきた。
「…失礼。あまりにもこちらが読んだとおりに行動するものだったので」
「―――誰かな、君は?」
ノアは、アレックスという男のあまりの分かりやすい行動に失笑を零しながらその場にミーシャを連れて現れた。突然の登場…さらに見知らぬ人間がいたということに不快を覚えたのか、アレックスの表情が歪む。
あぁ、そんなにわかりやすくてはいけないな、と思いながらノアはアレックスの前に立った。
「失礼、私はノア・ヴィノーチェというものだ」
「ヴィノーチェ…?」
アレックスはその家名に聞き覚えがあるのか、怪訝そうな表情を浮かべた。正直、こんなにも表情に出る性格でよく当主としてやっていけるな、と心配してしまうほどだ。
「あぁ、カロリアンのヴィノーチェ公爵家は私の生家でね」
「っ…ヘレンが世話になったというのは、貴方ですか…」
流石に他国の目上の人間にまで同じような言葉遣いをするのはまずいと思ったのか、敬語でノアに話しかける。そしてアレックスは警戒を解かないままノアに問いかけた。
「ヘレンが世話になりました。ヘレンの双子の妹であるカレンの夫、アレックス・ファフニールと申します。……ですが失礼ですが、なぜこの場に?」
「世話をしたご令嬢が危ない目に遭ったようでね」
「それはそれは……しかし話を聞いていらしたようであれば誤解だとご理解いただけますでしょう?」
「あぁ…先ほどの話…」
ノアがゆったりと頷くと、アレックスは我が意を得たりと言わんばかりに大きく頷き、勝手に話し始めた。
「ヘレンはかつて精神的な病を患いましてね。きっとその時の後遺症なのでしょう。今回の件に関しても家族が心配した私の勝手な行動をそのように捉えてしまったようで…」
「では、彼女を引き取るというのは? 病持ちを預かれば面倒ごとしか起きないだろう?」
「そうは言いましても、妻の姉ですからね。こちらの家は嫡男であるアンドレアスの教育に忙しいでしょうし…であれば私が、と思いまして」
聞くだけであれば、なんと優しい男なのだろうと思う。妻のみならず妻の実家、そして姉にすら気を遣える人間という印象を与える。
しかし、これまでのことを知っているノアからすれば、無駄な茶番でしかない。
「―――そうか。だがご無用に願おう」
「はい?」
一瞬で冷たくなったノアの声音に、アレックスが戸惑いの声を上げた。
「ヘレンは私が妻にと望む女性だ」
「―――ははは、次期公爵様ともあろうお方が…! なんとお上手な冗談を仰るのでしょう!」
「冗談?」
アレックスはノアの言葉を聞き、一瞬ぽかんとするといきなり笑い出した。人によっては失礼極まりない態度だが、アレックスは本気でノアの言葉を冗談だと思っているようで。
「冗談以外に何があるんですか? ヘレンですよ? 女性のくせに学があり、そして精神的な病持ち! そんな女性を妻にするなんて、冗談でなければなんだというのです?」
そのあまりな物言いに、ノアの背後にいたミーシャが笑顔を浮かべながらその腰に佩いている剣に手をかける。しかしこの場を惨劇にするわけにはいかないノアは視線でミーシャを止めた。
「…悪いが、貴公の言っていることがよく理解できない。バーゲンムートでは学のある女性はいけないのか?」
「そんなの! 貴族の女性は黙って夫を立てるのが普通でしょう! 下手に学があればこざかしいことを考えかねませんからね」
「…それはわが国とはだいぶ違うようだ…。カロリアンでは学のある女性が役職に就くことなど多々ある。私の後ろにいる者も、女性ながら自警団副団長をしている」
「自警団!? それは…気の毒に…」
「…言葉をはさんで申し訳ありませんが、気の毒とは、どういう意味でしょう?」
ミーシャへの明らかな侮辱の言葉に、ヘレンが表情を凍り付かせながらアレックスに問う。そんな彼女に、アレックスは分からないのかと馬鹿にするように鼻を鳴らしながらも説明する。
「結婚できないのだろう? だからそんな職に就くしかないんだ。それに自警団といっても、結局団員の情婦のようなことをしているのだろう?」
「っ!!」
アレックスの言葉に、ヘレンが怒りから手を振り上げた。
「っ!! どうして!!」
しかしその振り上げた手を止める人物がいた。
「駄目ですよ、ヘレン嬢…」
そこには色気の滲んだ眦を見せながら、ヘレンの腕を優しくつかむミーシャがいた。それを見たノアは、まず第一に抜かされたと思った。
「こんな男を張りでもしたら、ヘレン嬢の手が傷んでしまう…。私の為だろうけど、それはいけない」
「みーしゃ、さん…」
ノアはやらかしたと思った。それはヘレンの上気した頬と夢見るような視線で分かってしまう。
そしてそれと同時に思った。
どうしてミーシャはそんなに無駄に色気を振りまきながらするんだ、なんでやたらと男らしいんだ!! と。