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白金色の髪はかつてのような麗しさは欠片もなく、金緑の瞳はどんよりとしていた。ヘレンの記憶にあるイライアスは、精悍な青年だと思っていたが、今の彼はどうみても草臥れた男にしか見えなかった。
「ヘレン…ずっと、どこに隠れていたんだ…心配しただろう?」
「イライアス…様?」
ふらふらとヘレンに近寄ろうとするのを、ゼニアがヘレンの前に立って阻止しようとする。するとイライアスは目を見開いてゼニアに対して怒鳴り声をあげた。
「どけ!! 貴様はなんだ!! 私から彼女を奪おうとするつもりか!?」
「ひっ」
そのかつての姿からは程遠い姿に、ジャクリーヌが悲鳴を零す。そんな彼女を守ろうとするべく、ドナルドはジャクリーヌをその腕に抱え込んだ。
「伯爵…ようやくヘレンが見つかりましたよ…もう、二度と、危ない目には遭わせたりしない…安心してほしい、ヘレン。これからは私が全てを使ってでも君を守り切ると誓おう」
「イライアス様…? 何をおっしゃって…」
ゼニアが警戒を高めた瞬間、その頭が横にぶれた。
「!?」
「っ……」
それは、イライアスがゼニアを何かで殴ったために起こったことだった。
「ゼニアさん!! ゼニアさん!!」
「く……ゆだん、しました…」
ゆるりと頭を押さえるその指の間からは、血が流れ出ている。
「っ!! ロドリゲス!! 今すぐ医師を!!」
「はい!!」
ヘレンの叫び声にロドリゲスは弾けるように走り出した。そしてその後姿を見たヘレンは、ゼニアを抱えるようにしながらイライアスを睨み上げる。
「なんで、こんな酷いことを…!」
ヘレンの言葉に、イライアスはきょとんとした表情を浮かべた。その表情は、かつてのイライアスを彷彿させたが、それでもヘレンは親の敵と言わんばかりに彼を睨む。
「酷いこと? その女の方が私にもっと酷いことをしようとしたじゃないか」
「ゼニアさんが何をしたっていうの!?」
「何言っているの、ヘレン? その女は、私からヘレンを奪おうとしていたじゃないか」
「―――は?」
イライアスは先ほどの狂気に満ちた瞳ではなく、まるで子供のような純粋な目をして話し始めた。
「ヘレン、外の世界は危ない。何が君を傷つけるかわからない。だから私がずっと守ってあげようとしたんだよ? だというのに、その女はヘレンを私から奪って、ヘレンを傷つけようとしたんだ。それを殴って、何が悪い?」
「―――いらい、あす……」
「いきなり君がいなくなってしまったとき、死ぬほど後悔したよ。君はフィオナと違って立ち直っていたから、私の手なんか必要としないのかと悲しくもなった。でも戻ってもやはりうまくいっていない君を見て、やっぱり私が、と思っていたのに。ねぇ、ヘレン、今までどこにいたんだい? 話したくないならいいよ。怖かっただろう? もう大丈夫。私が君を一生誰にも見せないように守ってあげるからね」
ヘレンは突然の出来事とその言葉に、思考を停止させた。どうして。かつて会った彼は、そのようなことを言ったりするとは欠片も思えなかったのに。
すると、イライアスの瞳がまたも狂気に満ち始めた。ヘレンは漏れそうになる悲鳴を何とか飲み込む。
「―――ヘレン、それにフィオナ…もう二度と、君たちを傷つける世界から、私が守ってあげるから。ね? こっちにおいで」
フィオナ。イライアスのかつての婚約者。ヘレンと同じく燃え尽き、そして自死を選んでしまった人。そしてヘレンがイライアスを諦める要因になった女性。イライアスがフィオナとヘレンのことを重ねていることを知り、そして恋愛対象としては見れないという言葉の為に、ヘレンは自分の淡い思いに別れを告げたのだ。
「……イライアス様、私は傷ついてなどいません。守っていただかなくても」
「そうやって!! 君たちは自分は大丈夫だって言い張って、結局駄目になる!! だったら、もう二度と壊れないようにしないと!! 私はもう! 誰も失いたくない!!」
悲鳴のようなイライアスの声に、ヘレンはあぁ、と気づいた。結局、フィオナの死で一番傷ついていたのは、イライアスなのだ。そして彼はその傷を塞ぐこともせずに血を垂れ流させ、そして傷口は膿んでいった。
それに周りはおろか、本人すらも気づいていなかったのだ。
「ず…いぶん、と、勝手な、言い分……ですね…」
「ゼニアさん! 話さないで!」
ゼニアはよろりとヘレンの腕から身を起こし、イライアスに向かってそう言い放った。その言葉に、イライアスはいら立ちを浮かべる。
「お前なんかに何が分かるっていうんだ」
「分かりたくもないね。でも、自分の尊敬する人は、傷ついた女性を守り癒してあげるのが甲斐性って言っていた」
ヘレンは、そんなことを言うような人物に一人だけ心当たりがあった。そんなヘレンを他所に、ゼニアは続ける。
「女性は守るもの、確かにそうだ。でも、傷ついた女性が立ち上がった姿もまた美しく、愛しているのであれば、その人の全てを受け止めるくらいの気概を持て、とね」
「―――じゃあ何か、私は愛している人が傷つくのを見て、そして受け入れろと…!?」
「そうだ」
二人の会話を聞きながら、ヘレンは不意に思い出した。
「……イライアス様、貴方は、フィオナ様にまた頑張ればいいとおっしゃって、優しい言葉をかけなかったのですよね?」
「ヘレン……どうしてそれを……」
「…お婆様の家で、聞いてしまったんです」
「そうか…。そう、だから、私は二度と同じ轍を踏むつもりはない。フィオナと同じようになった君を、今度は最後まで守り切れば、フィオナだってきっと許してくれるはずなんだ」
「貴方は……」
イライアスは、過去に囚われた哀れな人だった。自分のせいで死んでしまったと思っているフィオナに対して、どうにかして贖罪をしたいと考えているのだ。
しかし、フィオナとヘレンは違う。
「……イライアス様、私は守っていただかなくても、大丈夫です」
「ヘレン? 何を言っているんだ?」
「私は、この国から出て、私の幸せを掴みに行きます」
「―――」
ヘレンはかつて好きだった人をまっすぐに見上げた。イライアスはヘレンの言っていることが理解できないのか、茫然としている。
「……私は、イライアス様が好きでした」
かつて言えずに呑み込んだ言葉を、イライアスに贈る。イライアスはヘレンに想いを寄せられているなど露にも思っていなかったのか、その金緑の瞳を大きく開いた。
「でも、今は別に好きな人がいるんです……」
ノア。その人のことを思うだけで、心が温かくなるような。そして、勇気づけられるような気がする。家族のことばかり考えていた自分を、逃げ出した自分を、大切に想ってくれてた人。
「―――誰だ」
「イライアス様?」
「誰が、君のことを弄んだ?」
「何を言っているの、イライアス様」
「だって、ヘレン、君は私のことが好きだろう?」
「ですから、でした、と過去形で…」
「そんなことあるはずないだろう!」
イライアスは激高しながらヘレンに近寄った。その表情はまるで、酷い裏切りに遭ったようにすら見える。しかしヘレンは、どうしてイライアスがそんな表情をするのか理解できなかった。だって、彼はヘレンのことを年を理由に恋愛対象として見ていないと言っていたのに。
「私は、君の為にたくさんの時間を使った!! それに君が国外で一人でまともに生きていけるはずないだろう!? 君の精神はフィオナと同じでとても弱いんだから!!」
「―――それを、言った、の…?」
ヘレンはイライアスから発せられた言葉に、茫然となった。そして、彼が自分とフィオナをどういった目で見ているのかが、ようやくわかった。
「~~~そうだ! フィオナも君も! もっと強く在ったらあんなことにならなかったんだろう!? それか周りに相談でもすればいいものを……! どうして、どうして私に何にも言ってくれなかったんだ! それで勝手に一人で死んでしまって!!」
イライアスの瞳から、滂沱たる涙が零れだした。
ヘレンとフィオナの患った病というのは、精神的なものだ。だから身体的には何ら問題はない。つまり、目に見えるものではないため、他人には理解され辛いという難点がある。
イライアスの身勝手な独白を聞いて、ヘレンは自分の内から何かが沸き上がってくるのを感じた。
「今ならわかります。フィオナ様が、イライアス様にお話しにならなかった理由…」
「…なに?」
「だって、今の貴方を見たら、私だって相談できませんもの」
「ヘレン、君はなんてことを言うんだい…? エリザベス夫人のところで、私に頼り切っていた過去を忘れたのかい?」
「確かに、あの頃の私は貴方の存在に救われていました。でも、今の私は貴方に頼ろうなどとは少しだって思いません」
「―――」
イライアスの表情が怒りで染まっていく。それでもヘレンは止められなかった。
「貴方は確かに優しかった。貴方に救われた過去は、確かにありました。でも、それは貴方がフィオナ様を追い詰めたことで亡くしてしまった後悔を、私で晴らしたいと思っていたからでしょう? ……イライアス様、貴方はヘレンを助けたいんじゃない。フィオナ様を、救いたいだけなんですよ」
それは、怒りだった。イライアスも怒っていることはわかる。でも、それ以上にヘレンは彼に対して怒りを覚えていた。
だって。
「貴方は、愛したフィオナ様を、私で代用しようとしたんです。それで、本当に愛していると、言えるんですか……!!」
「!!」
それだけは、絶対に許せなかった。愛しているのであれば、その人のことが忘れられないのであれば、忘れなければいいとヘレンは思っている。そうして時間をかけて、思い出に昇華できるのであれば。でもイライアスは、そうしなかった。ただただ痛みだけを抱え込んでいた。そしてフィオナという痛みを伴う記憶から逃げようとした。ヘレンを代わりにして。
「君に…何が、わかるっていうんだ…、フィオナは、フィオナは、とても素晴らしく、そして、哀れな人だった。大切な人の為だけに頑張り続け、でも何一つ返してもらえることなく…。そうして彼女は誰にも何も言えずに、壊れていってしまった…あんな、あんな壊れ方をしていい人ではなかったのに……!」
イライアスはヘレンからゼニアを無理矢理はがすと、ヘレンの両腕を掴んでその瞳を見た。金緑の瞳が、潤みながらもヘレンの青色の瞳を覗き込んだ。
「愛しているよ、フィオナ…。今度こそ、私が…」
「なにを、しているの、イーライ……?」
不意に響いた戸惑いの声に、誰もが驚きながらその方向を見た。




