19
何が、悪かったのだろうか。
ヘレンは一人、閉じ込めるようにして案内された部屋で考えた。
いや、そんなこと分かり切っている。
自分の勝手な行動の所為だ。
最初からそうだ。
自分がちゃんと両親と妹ともっと本音で話し合い、アレックスのことやアンドレアスのことを話していれば。
もしそれができなかったとしても、家を出ることをしっかりと話していれば。
後悔ばかりが先立つ。
あぁ、そもそも言われたことを守らなかった。一人で屋敷を出ないようにと言われていたのに。いくらノックスを飛ばしたとしても、ゼニアが来るまで待つべきだったのだ。
今更言っても仕方のないことだと理解しているが。
ヘレンは泣きたい気持ちを必死に我慢した。だって、自分が悪いと理解しているから。
―――でも、ノアに迷惑をかけたくなかった。
隠していた本音が、それだったことに気付いたのは、いつだっただろうか。
ノアは、ヘレンに対して愛情を示してくれた。そしてそれを嬉しいと、ヘレンは思った。だから、彼の迷惑になるようなことはしたくないと思った。
彼が大切にしているヴィノーチェ家に、迷惑をかけないようにしなければと思った。その矢先に、アマリーが攫われた。
それはヘレンにとって、全てにおける恐怖だった。
きっと、他人には理解できないだろう。
彼女が、自分のせいで攫われ、尚且つ女性としての尊厳を奪われるかもしれない。ノアや、エルサが大切にしている使用人が、自分のせいで、命が奪われるかもしれない。
……要は、嫌われたくなかったのだ。
ヘレンは、ようやく幼い自分の口から発せられる”だから駄目なのよ”という言葉を理解した。
最初から、素直に認めていれば良かったのだ。
「……本当に、ばかみたい……」
嫌われたくなかった。愛されたかった。だから、良い子でいた。
幼いころに染み付いたそれは、そう簡単にヘレンから抜けるはずがなかった。
ヴィノーチェでは、マイヤーにいたころのように頑張ったり気を張り詰めずとも大切にされていた。自分のことしか考えられないヘレンを、彼女たちは愛してくれた。
―――特に、ノアは異性として、愛してくれた。だから、バーゲンムートには帰りたくなかった。生家では、愛されていると感じることがほとんどなかったから。きっと一番わかりやすい誉め言葉がなかったため、そう思ってしまうのだろうとヘレンは思う。
愛されたい一心で頑張っても、それを感じられない家に、誰がいたいと思うだろうか。
「……ひっ…」
喉が焼け付くように痛んだような気がした。視界が歪み、固く握られた自分の手が朧気になる。
泣きたくない、ヘレンはそう切実に思った。泣く資格なんて、ないのに。こうなってしまったのも、自分の所為なのに。
未だにアマリーの安否もわからず、そして自分は五体満足でいる。そのこともヘレンの心を病ませた。
「っ……だ、れ…か……」
無意識のうちに漏れそうになるその言葉を、ヘレンは必至で押しとどめるべく口を覆う。それを言っていい立場に、自分はないのだと言い聞かせる。
「~~~っ」
ヘレンは床の上でできるだけ体を小さくしようと丸まった。涙が、ぼろぼろと勝手に零れていく。
泣きたくなんて、ないのに。こんな場所になんて、いたくないのに。
できるならば、逃げ出してしまいたい。何もかもをなかったことにして、ただのヘレンとしてやり直したい。しかし、ヘレンはその道だけは選ぶことはできなかった。かつて、マイヤー家当主となるべく勉強した日々が、ヘレンの矜持がそれだけはと囁くのだ。
「………ノア、さま……」
紺色の髪に、はちみつ色の瞳をもったその人を姿を思いだす。暖かい笑みを浮かべ、自分の名を呼んでくれるその人を。
こうなるのであれば、自分の気持ちにさっさと気づけばよかった。
助けてほしい、唯一の人。自分が自分らしくいられる居場所。暖かく、春の日差しのような心地よさを持った人。
もう一度会いたいと思う反面、会えないとも思った。彼は、ヘレンの行動をどう思っているのだろうか。ヘレンの所為で使用人の一人が犠牲になったかもしれない現状を、どう感じているのだろうか。そのことを考えるだけで、ヘレンの心は恐怖に染まる。
愛情こもった瞳が、冷徹に自分を映すかもしれない未来に、絶望しか見えなかった。
「~~~っ」
ヘレンはそれ以上何も言えず、ただただ自分の殻に閉じこもるように身を小さくするだけだった。
*****
「やぁ、ヘレン。元気…そうには見えないけどまぁ、大丈夫そうだね」
「………」
ヘレンが屋敷に連れられてから数日、ヘレンは孤独だった。使用人は何人かいるようだが誰とも言葉を交わしたことなどない。それがアレックスからの指示なのか、彼ら自身がそうしているのかはわからない。
ただただ、魂の抜けたように一日を過ごしていた。
そんなある日、夜も遅い時間帯にアレックスは笑みを浮かべながらやってきた。
「……何の用ですか」
「やだなぁ、もう忘れたのかい? 君は私のためにここにいるってことを」
忘れたくとも忘れることなどできなかった。ヘレンの体は恐怖からか、カタカタと震えだす。かつて教わった剣術など、実践を前にすれば役に立たないのだと今更ながらに理解した。
「っ……来ないで!!」
「そういう趣向? 構わないよ? そういったの、あまりいないからね」
アレックスはにこにこと笑いながら近づいてい来る。その笑みが、さらに恐怖をあおる。
ヘレンは周りにないか投げられるものはないかと見まわし、そして愕然とする。そういうためだけに作られた部屋には、何もなかった。小さな机、重そうな椅子。そして、大きな寝台の上にはクッションがいくつか乗っかっているだけだ。
「ひっ……! いや、やめて! こないで!!」
そうして、本気でアレックスが自分を犯そうとしているのだと実感が伴ってやってくる。本音を言えば、少しだけでも遊びだったと言ってくれないかと期待した。しかし、そんなことがあるはずもなく。
「はは、大丈夫。そのうちヨクなるよ? 結構な人数を相手にしているんだ、上手いと思うよ? 私は」
「そんなこと…!」
「それにしても、姉妹だとどう違うのか、楽しみだな…ね、ヘレン。楽しませておくれ」
「っ!! いやああああああっ!!」
アレックスの手が、ヘレンの細い手首を掴んだ。そしてそのまま寝台に押し倒される。何とかして蹴り上げようとするも、それを予想していたのか、下半身にアレックスが乗っかり、その重さからヘレンはかふっと息を吐きだした。
「じゃじゃ馬だね? カレンにはなかったな…。あぁ、そういえば処女なのかな?」
「な、に…を…」
「いやね、処女だと痛がって面倒だろう? だけどさ、本当に処女なのかなって。まぁ、それはそれで楽しそうだからいいんだけど」
「っ…くずっ」
「その屑に処女を奪われる、って反応かな? まぁ、酷くしたいわけではないからね。大丈夫、ちゃんと潤滑油だって用意していあるよ? なんて優しいんだろうね、私は」
ヘレンは生々しいその話に、ぞわりと背筋を粟立たせる。本気なのだ。アレックスは。
本気で、カレンを抱き、そのほかの女を抱いた手で、ヘレンすらも犯そうとしているのだ。
「っっ!! いやあああっ! はなして! やめてええええ!!」
ヘレンはあらん限りの声を上げた。髪を振り乱し、何とかしてアレックスから逃げようとする。しかしそんなヘレンの様子が気に障ったのか、アレックスが低い声でヘレンを脅した。
「…ちょっとうるさいかな…? いい加減にしてくれない? それにここで止めたっていずれ私は君を抱くんだよ? そうして君さえ大人しくしていれば、皆幸せになれるんだよ?」
「そんなわけ!!」
「そうさ。私はもちろん、私が遊びに行かなくなったことでカレンが、そして君の無事を報告すればマイヤーが幸せになるよ?」
「っ!! だからって……! いや、離して!!」
「もう…うるさいなっ!」
「っ!!」
アレックスの掌が、ヘレンの頬を打った。
パンッと甲高い音が部屋に響き、ヘレンは茫然とした。耳がキンキンする。熱い。痛い。じわじわと目頭が熱くなる。
かつて剣術の講義で受けた痛みではない。ただただ、男による圧倒的な暴力に、ヘレンの思考は停止した。
茫然とするヘレンに、アレックスはようやく笑みを浮かべた。
「そうそう、そうやって大人しくしていたらいいんだよ」
「……」
ちなみに、アレックスによってヘレンの花が散らされた時、ヘレンには本当に居場所がなくなる。バーゲンムートにおいて、貴族の女性の処女性というのは重きを置かれる。そのため、既婚した貴族女性が憂さを晴らさんとでも言わんばかりに若い男性を囲ったりすることが多い。
婚姻する前に貴族女性が処女を失った場合は悲惨だ。家によっては病と称して隠すか、修道院送り。酷いと娼館に売られることもある。稀に、処女を散らした相手に囲われることあるが、その未来も暗い。
「大丈夫だよ、ヘレン。一応優しくはしてあげる」
「―――っ」
茫然としたヘレンが何とか自我を取り戻すと、そこにはアレックスがヘレンの服に手をかけていた。既に肩口が見えている。そこをべろり、とアレックスの舌が舐めた瞬間、ヘレンを言いようのない嫌悪感が襲った。
「は、なし、てぇぇっ……!」
嫌だった。絶対に、目の前の男とだけは嫌だった。
どうして、自分には力がないのだろう。
どうして、自分だけこんな目に遭うのだろう。
どうして、どうして……。
ヘレンの心が絶望に染まり始めたその瞬間。
ガッシャアアアアアアン
「!?」
「!?」
大きな音と共に、窓ガラスが盛大な悲鳴を上げた。
「なっ!?」
ヘレンは涙に濡れた瞳を凝らした。暗闇に紛れて、誰かが入り込んでいるのだけがようやくわかる。
「何者だ!!」
アレックスの誰何に人影は答えることなく俊敏に動き回る。そしてヘレンの元までやってくると、馬乗りになっていたアレックスを殴り飛ばす。
「ぐっ…!?」
「っひ…!」
人影は大きな外套で顔すらも覆い隠しており、性別すらわからない。その人物はヘレンを抱き上げた。
「な…待て!! 何をしている!!」
アレックスはよろりと立ち上がり、ヘレンに手を伸ばそうとするも、人影の動きはそれ以上に早かった。
ばさり、と外套をはためかせ、割り入ってきた窓辺へと駆け寄る。
「くそっ! 待て!! 誰か、誰かいないのか!!」
何とか追いかけようとするアレックスを、人影は難なくかわし、その身を窓から外へと躍らせた。
ヘレンは何がなんだか分からずとも、アレックスという恐怖から逃げられた事実に安心して意識を暗転させた。




